最近拝見した佐藤学長の映像の中でのある受講生とのやりとりで、感じた事を書きます。
正確には再現できませんが、受講生の方が、
黄金の谷の法則を現すためには、学長の言っている事に確信を持つ事ですか?学長が言っている事をわかることでしょうか?との問いに対して、
佐藤学長は、
いや、確信することではない、わかることでもない、前提に立つんです。と。
その後も禅問答のような会話が続き、質問した受講生にとっては結論が出ないまま佐藤学長との会話が終わりました。
学長がよく仰います。
わかろうとするとわからない。
わかったと思ったら、わかってない。
この二つの言葉にも、学長が発信されていることのエッセンスが凝縮されていると私は捉えます。
私たちは、それぞれの認識の世界に居ます。一人ひとりの、それぞれの認識の世界は、同じ景色を見ていても、
きっと百人百様で全員全く違う世界が見えるのでしょう。
認識の世界は、あくまでも人間の脳を通した五感の世界ですから、実相は見えない。
認識の有限の世界からは、実相、永遠なる無限の世界が捉えられる訳がない、
すなわち、三日月しか見えない心の枠から、満月は見えない、満月は見ようとしても見えないという前提をまず受け入れる事が、満月の法則のスタートではないかと思うのです。
だから、満月という前提に立ち、その立ち位置から、言葉と行動に現していくと、認識の中にある三日月の形や大きさが自由自在に無限に変化していく景色が見えてくる、そう感じます。
すなわち、満月の法則を現していくコツは、
『学長の言っていることは、わからない』という『大前提に立つ』ことがスタートだと思います。
それが、わかってきたんだよ、と学長が仰っていた記憶があります。
乱文乱筆になってしまいました。
どうかご容赦くださいませ。