私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いが、なぜ号泣するほど感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。
私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。
その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。
私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、
その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。
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前回から続きます。
弟を三度、呼び寄せたヨガの先生。
ヨガの先生は、『弟を、私の自宅で生活させようと思う。彼が自立できるまでは、私が弟を見るよ。』と仰ったのです。
ヨガの先生の覚悟とは、弟が自立するまで、ヨガの先生のご自宅で、ヨガの先生が弟の面倒を見ると言う事だったのです。
ヨガの先生の個人指導のもと、奇跡的に心も体も回復していった弟。
しかし、父親の価値観に阻まれ、弟も身動きが取れなくなってしまう。
せっかく、体も回復し、自立に向かっているのに、父親と一緒に生活していては元に戻ってしまう。
ならば、弟が自立するまで、ヨガの先生と奥様が、父母代わりになって一緒に生活しよう。
こう考えてくれたのです。
赤の他人である私の弟を、我が子同様に無条件で預かろうというヨガの先生。
申し訳ないと思いつつも、弟の命と人生を考えると、ヨガの先生にお任せするしかないと私も腹を決めました。
弟も父親に反抗し始め、両親も手が付けられなくなってきた弟を、ヨガの先生は三度呼び戻しました。
弟が、私の自宅にやってきました。
弟は元気になっていましたが、かなりわがままになっていました。
そこにヨガの先生と奥様が弟を車で迎えにきました。
ヨガの先生は、弟子の自宅に寄って、弟の布団を借りて車に積み込み、弟を迎えに来てくれました。
しかし、弟の方が、ヨガの先生宅にお世話になることを拒んでしまいました。
色々な理由をこしらえては、首を縦に振りませんでした。
結局、弟は、両親の居る自宅に帰っていきました。
それが弟の選択でした。
それから1年後┅┅┅。
弟は原因不明で自宅のベッドで亡くなっていました。
警察が来て、病院でも解剖しましたが原因はわかりませんでした。
亡くなる前の弟は、とても穏やかだったそうです。
母も、「弟とここまで腹を割って話せたことはなかった。とても楽しい時間だった。」と涙ながらに語っていました。
ただ、私にはよく電話がかかってきていて「もう自殺しようと思う。色々死ぬ方法を研究しているんだ。」と言っていたことを思い出しました。
もしかしたら、人に悟られず、死ぬ方法を見つけ、自らの人生にピリオドを打ったのかもしれません。
結局、マンションから飛び降り自殺を図った弟は、その後、ヨガの先生との縁で奇跡的な回復を見せたものの、
根本原因である、両親の価値観から抜け出せず死を選んでしまったのだ、
と私は今思っています。
そして┅┅┅
その頃の私は、ヨガの先生の指導の元、うつから抜け出し、会社でも戦力になっていました。
そして、販売支援の仕事で、自分の担当分野が、全国の支社の中で日本一になりました。
私もその会社で名前が少し通るようになり、心の病も感知したと会社も認めてくれ、四国から東京に栄転しました。
弟のことは、心残りがありましたが、私はもう心の病にはならない。そういう大いなる自信をもって新天地に赴きました。
しかし・・・私は、また心の病に陥るのです。
そしてヨガの先生にお世話になることになります。
そして、その先の佐藤学長との出会いに続いていくのです。
次回に続きます。
ありがとうございました。