私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いに、なぜ感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。
私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。
その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。
私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、
その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。
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前回から続きます。
心の病が再発した職場を、わずか1年で離れる事になり、新しい部署に移動になった私でした。
今度は、システム開発部門に配属になりました。
前任の経理の仕事と同じく、経験と知識が物を言う仕事ですが、私には未経験の新しい仕事でした。
一から周りの方に教えて頂かないといけない。
前回は、鳴り物入り、自信満々での転勤でしたが、今回は真逆でした。
前任の職場で、全くうだつが上がらない状態での転勤でしたから、完全に自信喪失した状態でした。
しかも、私に与えられたのは、子会社のシステムエンジニアの方々を統括する立場。リーダーとして部下を持つ事になりました。
右も左も分からない私は、部下に教えて頂きながら仕事をするしかありませんでした。
今思うと、この時、自信を喪失した状態だったのがよかったかもしれません。
周りの方は、親切にシステム開発のイロハから教えてくれ、少しずつ仕事に慣れ、周りとも調和ができるようになりました。
そして、他社とのシステム統合をする大きなプロジェクトの、とある部門の責任者となり、
一年半以上の大プロジェクトを、全く大きなシステムトラブルなく成功させる事ができました。
大規模なシステム開発で、システムトラブルなく新システムの本番を迎えられた事が、高い評価になりました。
この時に生きたのが、以前心の病が再発した時に、四国のヨガの先生に指導を受けた心の処方箋でした。
私は、ひたすら部下を尊重し、部下の意見を聞き、部下が活躍できる方向に仕事を任せました。
そして、他社とのシステム統合のプロジェクトの際には、
お互いのセクショナリズムで対立したスタートから、
お互いがお互いを理解仕合い、調和した協力仕合う関係を構築し、
会社間を越えた一つのチームとして仲間として、
深い信頼関係をベースに他社の方とプロジェクトを進めていく事ができました。
佐藤学長の言葉を借りれば、部下の方に『満月』という前提で接し、部下が能力を大いに発揮してくれた事、
他社の方にも、『満月』という前提で接した結果、『みんな大好き、みんな味方』という良好な関係を構築できた事が、
この大規模なシステム開発プロジェクトの成功の要因だったと思います。
他の部門は、他社と対立したり、責任の押し付け合いをしている中、
私の担当部門だけは、異常に他社と仲が良い、仲良くやっていると、周りからは不思議な目で見られていました。
ヨガの先生の指導のお陰で、『他を益し、他を利する。』という『利他の精神』を実際に、現実の仕事の場で現す事ができたのです。
私は、再び、自信を取り戻しました。
『あ~、まだ私も仕事ができる。やれる。』そう思いました。
しかし、そう思い始めたその先に┅┅┅
また落とし穴が待っていたのです。
そして、長くなってしまいましたが、いよいよ(笑)、その先の佐藤学長との出会いに繋がっていくのです。
次回に続きます。
ありがとうございました。