今の私には、劣等感やコンプレックスは無いように
思います。無いと言いますか、思い浮かばないという
ことです。
勤めている今の会社も身の丈に合っていると言います
か、多忙ではありますが、精神的に無理なく勤める
ことが出来ています。
不満は・・・ありますけどね。
ブログ内にも書きましたが、
「初対面から、徐々に慣れてきて聞かれること」で
取り上げた内容の中で、「学歴を聞かれる」という
状況になることがあります。
私は、地元で働いていますので、出身の高校名を言
います。
そうしますと、進学しているだろうと思うのか、大学
名等も聞いてくる人がいます。そのときは答えますが、
一言では語れない道程がありますので、正直、言おう
かどうしようか躊躇してしまっている感があります。
それは、以前に「学歴コンプレックス」があったから
です。
それを解消するために、私の20代後半は学び直しの
人生でした。
ただ単に、最終学歴を言えばそれでよいことのよう
に思えますが、結局は「どうして大学院まで行ったの?」
等聞かれますので、聞かれたその場では、「実はこういう
思いから・・・」「やり直そうと思って」など数秒の立ち
話で答えることが出来ない変遷を歩んできて、今がある
わけですので、そこまでこの人にいちいち説明するの
も面倒だし・・・と思い、「・・・」となるわけです。
・・・
まぁ、主には役職者や上司、同僚からの問いかけですので、
聞かれたことだけ答えるようにしています。
変に、それがですね。。。と言っていたら、それはそれで
変なヤツ、変わったヤツに思われますからね。
・・・
立命館大学の大学院を修了した29歳のときには、
とても晴れ晴れとした気持ちになりました。
学位記を渡されて、「卒業(修了)したぞ」という
その瞬間に以前からの思いがスッキリ晴れやかになった
のを今でも覚えています。
そして、「これからが、人生の再スタートだ」という
気持ちにもなりました。
・・・
色々なことで、人それぞれ、何かしらの劣等感やコンプ
レックスを持って人生を生きていることと思います。
確かにどうにもならないこともあります。
しかし、私の中では「学び」だけは違うと感じています。
仕事での成約獲得や営業ノルマとは違って、自分のみが
「努力」すれば、必ず成果に結び付くものです。
「やってやるぞっ!」という強い思いと意思を持てば、
ある程度のレベルにまでは上がっていけます。
眠たい・・・
頭が回らない・・・
自分は記憶力も理解力も低いし・・・
それは、全て「本気で劣等感を払い除けたいのか」
「コンプレックスを持ち続けたくない」という強い意思
があるか無いかだけのことです。
・・・
ですので、コンプレックスの中でも「学歴」に関して
だけは、「絶対に解消できる」と断言できます。
私は、20代の若いときに4年間を費やして解消しま
した。今、振り返れば「あの20代のときにやり直しを
していて良かった」「今更、時間も挑戦もする余裕がない」
と。
「4年間」
一番、社会人でやりたいことが出来る年齢のときの4年間。
大事な時期に社会を離れて再度学生をしたときには、
「これでいいのか・・・」「こんなことをしていて、いいの
だろうか・・・」という葛藤もありました。
しかし、過ぎ去って見れば、「たった4年間で引っかかって
いた心の思いを払拭出来た」ので、選んだ道は間違って
いなかったと感じています。
・・・
このような劣等感やコンプレックスは、出来るだけ早いうち
に解消すべきです。
解消した後は、「なんだ、こんなものか」です。
ちっぽけなことに気を取られていたなぁと思いますよ。
しかし、劣等感やコンプレックスを持ち続けていると
いつまでも気がかりだったり、突然無理矢理に思い出さ
されることだってあります。
そんなことがあると、どことなく気分も落込みますよね。
私は、それが嫌で嫌でたまらなく、「行動」して解消
したわけです。
もちろん、再度学び直しのときは深夜遅くまで研究室
に居たりしましたが、楽しく学べました。
やりたいこと、向かいたい方向へ進んでいるときの苦労
は、苦痛ではないということでしょうね。
思います。無いと言いますか、思い浮かばないという
ことです。
勤めている今の会社も身の丈に合っていると言います
か、多忙ではありますが、精神的に無理なく勤める
ことが出来ています。
不満は・・・ありますけどね。
ブログ内にも書きましたが、
「初対面から、徐々に慣れてきて聞かれること」で
取り上げた内容の中で、「学歴を聞かれる」という
状況になることがあります。
私は、地元で働いていますので、出身の高校名を言
います。
そうしますと、進学しているだろうと思うのか、大学
名等も聞いてくる人がいます。そのときは答えますが、
一言では語れない道程がありますので、正直、言おう
かどうしようか躊躇してしまっている感があります。
それは、以前に「学歴コンプレックス」があったから
です。
それを解消するために、私の20代後半は学び直しの
人生でした。
ただ単に、最終学歴を言えばそれでよいことのよう
に思えますが、結局は「どうして大学院まで行ったの?」
等聞かれますので、聞かれたその場では、「実はこういう
思いから・・・」「やり直そうと思って」など数秒の立ち
話で答えることが出来ない変遷を歩んできて、今がある
わけですので、そこまでこの人にいちいち説明するの
も面倒だし・・・と思い、「・・・」となるわけです。
・・・
まぁ、主には役職者や上司、同僚からの問いかけですので、
聞かれたことだけ答えるようにしています。
変に、それがですね。。。と言っていたら、それはそれで
変なヤツ、変わったヤツに思われますからね。
・・・
立命館大学の大学院を修了した29歳のときには、
とても晴れ晴れとした気持ちになりました。
学位記を渡されて、「卒業(修了)したぞ」という
その瞬間に以前からの思いがスッキリ晴れやかになった
のを今でも覚えています。
そして、「これからが、人生の再スタートだ」という
気持ちにもなりました。
・・・
色々なことで、人それぞれ、何かしらの劣等感やコンプ
レックスを持って人生を生きていることと思います。
確かにどうにもならないこともあります。
しかし、私の中では「学び」だけは違うと感じています。
仕事での成約獲得や営業ノルマとは違って、自分のみが
「努力」すれば、必ず成果に結び付くものです。
「やってやるぞっ!」という強い思いと意思を持てば、
ある程度のレベルにまでは上がっていけます。
眠たい・・・
頭が回らない・・・
自分は記憶力も理解力も低いし・・・
それは、全て「本気で劣等感を払い除けたいのか」
「コンプレックスを持ち続けたくない」という強い意思
があるか無いかだけのことです。
・・・
ですので、コンプレックスの中でも「学歴」に関して
だけは、「絶対に解消できる」と断言できます。
私は、20代の若いときに4年間を費やして解消しま
した。今、振り返れば「あの20代のときにやり直しを
していて良かった」「今更、時間も挑戦もする余裕がない」
と。
「4年間」
一番、社会人でやりたいことが出来る年齢のときの4年間。
大事な時期に社会を離れて再度学生をしたときには、
「これでいいのか・・・」「こんなことをしていて、いいの
だろうか・・・」という葛藤もありました。
しかし、過ぎ去って見れば、「たった4年間で引っかかって
いた心の思いを払拭出来た」ので、選んだ道は間違って
いなかったと感じています。
・・・
このような劣等感やコンプレックスは、出来るだけ早いうち
に解消すべきです。
解消した後は、「なんだ、こんなものか」です。
ちっぽけなことに気を取られていたなぁと思いますよ。
しかし、劣等感やコンプレックスを持ち続けていると
いつまでも気がかりだったり、突然無理矢理に思い出さ
されることだってあります。
そんなことがあると、どことなく気分も落込みますよね。
私は、それが嫌で嫌でたまらなく、「行動」して解消
したわけです。
もちろん、再度学び直しのときは深夜遅くまで研究室
に居たりしましたが、楽しく学べました。
やりたいこと、向かいたい方向へ進んでいるときの苦労
は、苦痛ではないということでしょうね。
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