最近、「故人のあの世での意識」や「どのように想っているのか」を改めてハッキ
リとした言葉で聞きたかったのには訳があります。
それは、以前ある書籍を立ち読みをしたときに、ショックを受けたからでした。
見て見ぬ振りをしたいと思っていましたが、どこか頭の片隅で気になっていまして、
そこで、古くから伝えられているシルバーバーチの言葉やスウェーデンボルグ氏の
見た世界から、
「そんなことはない」
「絶対に彼女は自分を失ってなんかいない」
と思いならが、さらにそれに繋がる言葉を探していました。
ただ、取り上げるのは辛いのですが、カテゴリーを作っていますので、紹介します。
それは、
故:宜保愛子氏の著書「死後の世界 霊から聞いた霊界の本当の姿」日東書院とい
う書籍です。
故;宜保愛子氏は、人は死んだら一人ぼっちで音楽も草花もないところをただひた
すら歩き続けると、当ブログで取り上げた「生まれ変わりの秘密」講談社に書いて
あり、また他書にもそう書いています。
それは、あの世の幽界の中でもある一領域に過ぎないと、A・ファーニス氏の「死
後世界地図」を用いて、当ブログ内で私なりの説明をしました。
しかし・・・
もう一点、本書のなかでひっかかっているところがあり、それは次のような故:宜
保愛子氏のお話です。
故;宜保愛子氏は、
「死んで霊界に行くということは、霊界を旅するということです。それも乗り物に
乗ってではなく、とぼとぼと長い長い道のりを、現世にふたたびたどり着くまで歩
き続ける旅です。」
「それは現世の旅とは違います。美しい景色、おいしい御馳走、楽しいおしゃべり
ができる仲間、そんなことがなにもないところなのです。」
と、とても寂しいことを言われています。。。
そして、
「幸いなことに、疲れるとか、足にマメができるということはありません。単調に
続く道また道をどこまでもたどるのです。」
「他の霊との会話を楽しむわけでもありません。雑談に花を咲かせるということも
ありません。たった一人でとぼとぼ、進むのです。」
と、も言っています。
いやいや、ここまでならまだ我慢できる(本書を読むことも、実際でも)と思いま
す。ようは内観して暮しているということと同じだと思えば。
しかし、ここから後の話が私はショックだったのです。
故:宜保愛子氏は。。。
「寂しいとか、悲しいという感情は生きている人間だけのもので、霊にはそのよう
な感情の表現などありませんから、能面のように無表情で行進するのです。」
「霊が霊界を旅するときは、一人です。現世でどれほど仲のよかった夫婦も恋人も、
霊界で情を交わすことはありません。」
「現世で夫婦だった人同士が霊界で出会って、現世ではあんなこともあったね、こ
んなこともあったねといった話をすることはないのです。」
「現世で命を賭けて愛した人や、恋しさに狂うほどだった相手を霊界で見ても、手
を握るでもない、肩を抱き合うでもない、涙を流すのでもありません。」
「お互いにボーッと見ているだけです、ほんとうにつまらないですよね。」
などと、故;宜保愛子氏は語っているのです。しかもハッキリと。。。
私が、ショックを受けたり、落ち込むのも分かっていただけるかと思います。
ただ、見て見ぬ振りは出来ずに、このような言葉を打ち負かす何かを探していたわ
けです。
確かに、見た目はボーッとしているかも知れません。
しかし、感情がないなんて。。。
無けりゃぁ、恨みや心配事を残したたましいがこの世に出てきたり、また死後に生
前のことを謝りたいと後悔した故人のたましいが飯田史彦教授のところへお願いに
なんて来るもんですかっ!
と思いませんか?
大体、故:宜保愛子氏だって、霊視の際、
「未浄化霊は後ろで『言っていることが違う』といったメッセージ」を受け取った
話しや「守護霊は、私がこの人を守っているんです」のようなことを、他書で語っ
ていますので、
「矛盾してるじゃないですかっ!」と思いました。
しかし、これがまたそれはそれで故:宜保愛子氏は説明しているんですよ。。。
「現世で別れた後のお互いの情報交換もありません。」
「感情を表現するという肉体的機能が、まったく失われてしまっているように、ど
こかでいつか見たことのある相手がいるという程度の反応しか示さないのです。」
そして、ダメ押しの一言が・・・
「霊界での霊同士の再会は、非常に味気無いものです。」
と言う言葉です。
故;宜保愛子氏には失礼ですけど。。。
「宜保さんに話をされている霊魂って、江原さんの言われる低級霊じゃないのですか?」
「だから、とり憑かれて・・・」
と、言いたくなりますよね。
この世を生き抜いた挙句に、そんなのではたとえ幸せにこの世を終えた人でさえ、
報われないでしょ。。。
また次の言葉も。。。有難くない説得の仕方です。
「霊界ではたった一人だと覚悟してください。」
「ですから、この世では夫婦になれなかったから、せめてあの世でと心中しても、
あてが外れますから、絶対に心中などしてはいけません。いっしょになれっこな
いのです。大切な命を落としても無駄ですから、止めるべきです。」と。
・・・
ちっとも救いの言葉になっていません。。。
故:宜保愛子氏は、このように続けて語っています。
「ただし、現世で仲のよかった夫婦や恋人が、霊界で会いたいなと思ったとき、そ
の霊はスーッと側に来てくれます。」と。
そうそう、宜保さんだってそう言ってたじゃないですか!
と思いました。
し・か・し。。。
「ただ側に来ても嬉しそうにするなどの表情変化を見せ、お互いに会うことはあり
ません。心のなかでは嬉しいのかも知れませんが、ただ黙っているだけです。」
なんだそうです。
・・・そう傍からは見えるかも知れませんけど。。。どうなんだろう。
故:宜保愛子氏は、
「その夫婦が来世でいっしょになれる可能性はあります。そのためにはいつもそう
念じることが大切です。」
「そのように心がけること、そのための努力をすることです。」
「望みをかなえるためにも、供養は怠らないようにしなければなりません。供養に
よって守護霊がつき、その霊があなたを守ってくれるという循環になります。」
とおっしゃっています。
・・・
宜保さんは、他にも三途の川まではお花畑ですけど、その先は、宜保さんの語りで
一貫している「なにもないところをひたすら歩く」とも語っています。
・・・
そう言えば、宜保愛子さんは江原啓之さんとは違い、類魂説をとっていません。
個のまま、また生まれ変わるという話しです。
坂本政道さんは、生まれ変わりが出来る場所までは個で行き、そのときはまだ生ま
れ変わりを必要としなければせず、また生まれ変わることもできる。そして、江原
啓之さんの言われる類魂=グループ・ソウルと同じ話を、もっと次元高い世界へ行
くと存在していて、そこからでも生まれ変わりが必要と感じれば生まれ変わるとい
う双方の話をされています。
私は、故:宜保愛子氏に何がいいたいのか。
それは、
「宜保さんは、あの世の世界の仕組みの一部だけを霊から聞いたんじゃないですか?」
「宜保さん自身がご自身の霊能力で見た世界は、あの世の極一部じゃないの?」
ということです。
あとは、そうですね。
「朝昼夜の区別がない」
「時間が無い」
「あの世では本性丸出し」
「自動的に平行移動する」
など、他の著者とほぼ同じ話しです。
もう1点違いがありました。
故:宜保愛子氏は、供養すれば=守護霊が憑いてくれる
という点です。
霊的能力をもつ江原啓之氏や飯田史彦教授は、生まれる前からそして亡くなった後
霊界を進むときも必ず守護霊は誰にでも憑いていると言っていますよね。
・・・
ですから、色々とあの世での故人の意識状態を調べていたのです。
・・・
そうしましたら、江原啓之氏の書籍「人間の絆」と出会い、「そうだ。私の彼女は
江原さんの書籍を置いて逝ったのだから、江原さんの言葉を信じたらいいんだ。」
とふと、そう思いました。
それでいいのですよね。
リとした言葉で聞きたかったのには訳があります。
それは、以前ある書籍を立ち読みをしたときに、ショックを受けたからでした。
見て見ぬ振りをしたいと思っていましたが、どこか頭の片隅で気になっていまして、
そこで、古くから伝えられているシルバーバーチの言葉やスウェーデンボルグ氏の
見た世界から、
「そんなことはない」
「絶対に彼女は自分を失ってなんかいない」
と思いならが、さらにそれに繋がる言葉を探していました。
ただ、取り上げるのは辛いのですが、カテゴリーを作っていますので、紹介します。
それは、
故:宜保愛子氏の著書「死後の世界 霊から聞いた霊界の本当の姿」日東書院とい
う書籍です。
故;宜保愛子氏は、人は死んだら一人ぼっちで音楽も草花もないところをただひた
すら歩き続けると、当ブログで取り上げた「生まれ変わりの秘密」講談社に書いて
あり、また他書にもそう書いています。
それは、あの世の幽界の中でもある一領域に過ぎないと、A・ファーニス氏の「死
後世界地図」を用いて、当ブログ内で私なりの説明をしました。
しかし・・・
もう一点、本書のなかでひっかかっているところがあり、それは次のような故:宜
保愛子氏のお話です。
故;宜保愛子氏は、
「死んで霊界に行くということは、霊界を旅するということです。それも乗り物に
乗ってではなく、とぼとぼと長い長い道のりを、現世にふたたびたどり着くまで歩
き続ける旅です。」
「それは現世の旅とは違います。美しい景色、おいしい御馳走、楽しいおしゃべり
ができる仲間、そんなことがなにもないところなのです。」
と、とても寂しいことを言われています。。。
そして、
「幸いなことに、疲れるとか、足にマメができるということはありません。単調に
続く道また道をどこまでもたどるのです。」
「他の霊との会話を楽しむわけでもありません。雑談に花を咲かせるということも
ありません。たった一人でとぼとぼ、進むのです。」
と、も言っています。
いやいや、ここまでならまだ我慢できる(本書を読むことも、実際でも)と思いま
す。ようは内観して暮しているということと同じだと思えば。
しかし、ここから後の話が私はショックだったのです。
故:宜保愛子氏は。。。
「寂しいとか、悲しいという感情は生きている人間だけのもので、霊にはそのよう
な感情の表現などありませんから、能面のように無表情で行進するのです。」
「霊が霊界を旅するときは、一人です。現世でどれほど仲のよかった夫婦も恋人も、
霊界で情を交わすことはありません。」
「現世で夫婦だった人同士が霊界で出会って、現世ではあんなこともあったね、こ
んなこともあったねといった話をすることはないのです。」
「現世で命を賭けて愛した人や、恋しさに狂うほどだった相手を霊界で見ても、手
を握るでもない、肩を抱き合うでもない、涙を流すのでもありません。」
「お互いにボーッと見ているだけです、ほんとうにつまらないですよね。」
などと、故;宜保愛子氏は語っているのです。しかもハッキリと。。。
私が、ショックを受けたり、落ち込むのも分かっていただけるかと思います。
ただ、見て見ぬ振りは出来ずに、このような言葉を打ち負かす何かを探していたわ
けです。
確かに、見た目はボーッとしているかも知れません。
しかし、感情がないなんて。。。
無けりゃぁ、恨みや心配事を残したたましいがこの世に出てきたり、また死後に生
前のことを謝りたいと後悔した故人のたましいが飯田史彦教授のところへお願いに
なんて来るもんですかっ!
と思いませんか?
大体、故:宜保愛子氏だって、霊視の際、
「未浄化霊は後ろで『言っていることが違う』といったメッセージ」を受け取った
話しや「守護霊は、私がこの人を守っているんです」のようなことを、他書で語っ
ていますので、
「矛盾してるじゃないですかっ!」と思いました。
しかし、これがまたそれはそれで故:宜保愛子氏は説明しているんですよ。。。
「現世で別れた後のお互いの情報交換もありません。」
「感情を表現するという肉体的機能が、まったく失われてしまっているように、ど
こかでいつか見たことのある相手がいるという程度の反応しか示さないのです。」
そして、ダメ押しの一言が・・・
「霊界での霊同士の再会は、非常に味気無いものです。」
と言う言葉です。
故;宜保愛子氏には失礼ですけど。。。
「宜保さんに話をされている霊魂って、江原さんの言われる低級霊じゃないのですか?」
「だから、とり憑かれて・・・」
と、言いたくなりますよね。
この世を生き抜いた挙句に、そんなのではたとえ幸せにこの世を終えた人でさえ、
報われないでしょ。。。
また次の言葉も。。。有難くない説得の仕方です。
「霊界ではたった一人だと覚悟してください。」
「ですから、この世では夫婦になれなかったから、せめてあの世でと心中しても、
あてが外れますから、絶対に心中などしてはいけません。いっしょになれっこな
いのです。大切な命を落としても無駄ですから、止めるべきです。」と。
・・・
ちっとも救いの言葉になっていません。。。
故:宜保愛子氏は、このように続けて語っています。
「ただし、現世で仲のよかった夫婦や恋人が、霊界で会いたいなと思ったとき、そ
の霊はスーッと側に来てくれます。」と。
そうそう、宜保さんだってそう言ってたじゃないですか!
と思いました。
し・か・し。。。
「ただ側に来ても嬉しそうにするなどの表情変化を見せ、お互いに会うことはあり
ません。心のなかでは嬉しいのかも知れませんが、ただ黙っているだけです。」
なんだそうです。
・・・そう傍からは見えるかも知れませんけど。。。どうなんだろう。
故:宜保愛子氏は、
「その夫婦が来世でいっしょになれる可能性はあります。そのためにはいつもそう
念じることが大切です。」
「そのように心がけること、そのための努力をすることです。」
「望みをかなえるためにも、供養は怠らないようにしなければなりません。供養に
よって守護霊がつき、その霊があなたを守ってくれるという循環になります。」
とおっしゃっています。
・・・
宜保さんは、他にも三途の川まではお花畑ですけど、その先は、宜保さんの語りで
一貫している「なにもないところをひたすら歩く」とも語っています。
・・・
そう言えば、宜保愛子さんは江原啓之さんとは違い、類魂説をとっていません。
個のまま、また生まれ変わるという話しです。
坂本政道さんは、生まれ変わりが出来る場所までは個で行き、そのときはまだ生ま
れ変わりを必要としなければせず、また生まれ変わることもできる。そして、江原
啓之さんの言われる類魂=グループ・ソウルと同じ話を、もっと次元高い世界へ行
くと存在していて、そこからでも生まれ変わりが必要と感じれば生まれ変わるとい
う双方の話をされています。
私は、故:宜保愛子氏に何がいいたいのか。
それは、
「宜保さんは、あの世の世界の仕組みの一部だけを霊から聞いたんじゃないですか?」
「宜保さん自身がご自身の霊能力で見た世界は、あの世の極一部じゃないの?」
ということです。
あとは、そうですね。
「朝昼夜の区別がない」
「時間が無い」
「あの世では本性丸出し」
「自動的に平行移動する」
など、他の著者とほぼ同じ話しです。
もう1点違いがありました。
故:宜保愛子氏は、供養すれば=守護霊が憑いてくれる
という点です。
霊的能力をもつ江原啓之氏や飯田史彦教授は、生まれる前からそして亡くなった後
霊界を進むときも必ず守護霊は誰にでも憑いていると言っていますよね。
・・・
ですから、色々とあの世での故人の意識状態を調べていたのです。
・・・
そうしましたら、江原啓之氏の書籍「人間の絆」と出会い、「そうだ。私の彼女は
江原さんの書籍を置いて逝ったのだから、江原さんの言葉を信じたらいいんだ。」
とふと、そう思いました。
それでいいのですよね。
僕は宜保さんの番組など小学生の頃に親しんで見ていましたが、著書でその言葉を読むと、とてもマズイものを感じてしまいました。ちょっと違うような…?まあ、僕では分かりませんが、なんか違うんですよね。
管理人さんは読まれているかもしれませんが、心の道場が発行している「永遠の大道」「個人的存在の彼方」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_library/sp-books/my-immortality.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_library/sp-books/my-personality.htm
この2冊に一般的な夫婦や恋人が死んだ後、どうなるのかなど詳しくレクチャーした箇所がありました。結構、興味深いものが多いのでおすすめです。
江原さんもこれらの本を読んでいると思います。江原さんの読まれているのは浅野和三郎さんの訳の方だと思いますが、近藤さんの訳の方が分かりやすいと思います。
じっくりと「永遠の大道」「個人的存在の彼方」の序を読ませていただきました。
まだまだスピリチュアルな世界はビギナーなもので、本書について知りませんでした(^^;)
他界してあの世へ行った故:マイヤース氏が伝えてきた霊界通信!
大変興味を持ちました。私も読んでみたいと思います。
この「永遠の大道」に書かれている「・・・記憶や性格や愛情だけでなく物事の理解力もそのまま携えて行くので、死後の環境が少しも奇異に感じられず、地上時代の感覚がたとえ錯覚であろうと、死後の世界についても同じ錯覚が継続しているのである。」という言葉を読んで、気持ちがとても晴れました。
それに、江原啓之氏も語っているサマーランドの存在の有無や
死後、当分の間住む世界は「この世とそっくり(似ている)の世界」と言われていることについての、あの世からの報告についても「これは本書を読んでみてどう書いているのか詳しく知りたい!」と思いました。
確かに、死後いつかはこの世的な未練や執着が無くなるのでしょうから、段々と殺風景な世界(光とか色だけとか)に魂を置くことになるとは想像がつきますが、故:宜保さんのように「味気ない」や感動も無いような言葉にはかなりショックを受けました。
「江原さんも飯田先生も・・・ショックを受けないように、お二人の配慮から、柔らかく『死後存続』『あの世のでの我々の姿のこと』を語っているのかなぁ」なんて思ったりしてました。
江原さんはご自身の主護霊である昌清霊なる霊が「類魂説」を唱えているのでそう私たちに伝えているといっていますが、この故:マイヤース氏は、生前スピリチュアリストでありかつ科学者であったこともあり、死後、むこうの世界からあの世は類魂説(グループソウル)であったことを伝えてきているというところは、さすがはスピリチュアリスト!亡くなっても研究といいますか、これは言っておきたいと、この世にメッセージを送ってくるところに感心しました。
とても興味を惹かれます。
また、私がむむっ・・・なるほど。。
と思いましたのは、「個人的存在の彼方」の序に書かれています、精神と脳との繋がりをエーテル体と、連結リンク(命の緒、シルバーコード) で説明している箇所です。
微粒子よりもはるかに細かい粒子。。。
この辺りは、もしかしたら科学の発展で未来に「何かあるぞ?」と発見されるかも知れないなと感じました。
磁力や電波みたいに。
大体・・・家庭内で見てみても、TVにコードレス電話や携帯電話、無線LANなど、「目に見えないもの」を飛ばして、それに私たちの声や画像が乗ってきて聴こえたり見えたりするわけですから、今後何が新たに発見されても不思議ではないように思います。
テルテル様のお薦め本の内容を読んでみて、あの世の存在を捉えるまでには至らなくても、科学の進化で人間の身体の「見えていない部分の神秘」の解明に踏み込む時代も来るのではないかと思いました。
色々とアドバイスをいただきまして、ありがとうございました。
・・・
何といっても、亡き彼女があの世でもちゃんと意識・記憶・性格・感情があるんだ!ということに希望が持てる書籍を紹介していただき感謝いたしますm(_ _)m
もう投稿されてから大分時間が経ってますが最近、宜保愛子さんはマイブームなのでちょこっと寄り道させて頂きました。
私自身、感じやすい体質で20代になると体外離脱等も良く体験しました。
当時、これは一体何なのか、と色々本を読みあさったり詳しい人に相談したりしました。
そこで出合ったのが神智学というものでした。
これは非常によく霊界(アストラル等)を説明してあり納得する部分も多かったです。
その後チベット仏教や(宇宙人系)チャネリングの本などを読みましたが、基本的に死後行く世界は自分の波動に合った次元に行くということでしょうか。
私も宜保さんの死後の世界の説明には管理人さんと全く同じ部分で「それは違うだろう」と思いました。
宜保さんの霊能力は群を抜いて素晴らしいと感じますし、あんなにチャクラが開いた人が低い次元に反応することもないだろう、とも思うのです。
友人は、宜保さんはマニピュラチャクラで視ている、とか言ってましたが、霊の思い等に反応し過去透視などの正確さを考えるともっと上位チャクラが働いているように思います。
だから、あの本を読んだとき、何でそんな寂しい世界に行ったのだろう?と不思議でした。
当時彼女はまだ子供で、その時の意識状態が寂しいものだった為、その様な次元に反応したのかも知れません・・・。
何か問題があった場合、エドガーケイシーなどはアカシック領域から前世にコンタクトして因果を求めますよね。
宜保さんの場合、その様な壮大な宇宙観に照らした読みはないですけど、ことアストラル的なリーディングでは特出してると思います。
先祖の因果が主に障りとなるパターンが多いですが、これをケイシー風に言うと本人の前世だったかもしれません。
どちらにしても事後改善に向かっているということは何かしらそこに原因が潜んでいたことは確かですよね。
お返事が遅くなってすみません。
通りすがり様は、そんなに多くの体外離脱体験をされているのですか!
実は、9月に入って、生まれて初めて?起きたときにあれは何だったのかな・・・ということがありました。
それは、深夜(多分ですが)金縛りに合い、そのときはかなり寝ぼけていて、恐いとか、周りはどうか、
というようなことは、今回の金縛りでは考えることすらなかったのですが、うんうんと身体を動かしていましたら、
上半身が起き上がって、ベットのほうを視た記憶が残っています。自分自身を見たかどうかさえ覚えていないくらい眠たかったのですが、彼女の写真立ての横につけている電気式のロウソクとミッフィーのぬいぐるみを視たのを覚えています。しかも、斜め上から。
身体から半分抜けたのでしょうかね。
とにかく腰から下は何事もなかったのですが、上半身が起き上がった(自分で起き上がらせた)ことは覚えています。
・・・
「神智学」ですか。
はじめて耳にしました。
私も時間が作れましたら、読んで学んでみますね。
宜保さんの見た死後の世界も、それはそれで存在する空間(世界・領域)だとは思っています。しかし、寂しい世界の話だったので、正直ガッカリしたというのが正直な気持ちです。
やはり、波動、波長で逝く世界は違ってくると思います。大体の書籍には段階と言いますか、階層のようなことが書かれていますし。
私も宜保さんが見た世界の中で、低い次元の世界のことは、通りすがり様のおっしゃるとおりだと思います。(そう信じたいです)
・・・
けっこう先祖からの因縁という話が宜保さんを含め、他の霊能者からも聞かれますが、よくよく考えると、元は自分自身がまいた種、ただそれが因果応報で回ってきているものかも知れないと、通りすがり様のコメントを読んでいてそう思いました。
でも、辛い経験は・・・出来れば、したくないです。
色々と教えて頂きありがとうございました。
是非、通りすがり様のお話を参考にして、色々な目線から見えない世界について考えてみたいと思います。
これは、受けた者でないとわからないと思いますから致し方ないかなと。
よく、知らない者がああだこうだ言っても、あくまでも感じ方を述べてるにすぎませんからね。残業中ながら
宜保さんに霊視してもらったことがお有りなのですか。
それは凄いこと(経験・体験)ですね。
私は、紹介を受けてみてもらった真言宗高野山派の某ご住職の方が「この方は視えている(かも知れない)」と思いました。
お会いして、開口一番に、「観音様に関わりなり、何か言っていたことはありませんか?」と言われたとき、びっくりしました。それは、亡き彼女に生前よく「あんたは観音様だね」とか「観音様でどんな感じ?」と聞かれて、「あんたのような感じで優しい感じだよ」とよく言っていました。
何かあれば、いやぁ、さすがは観音様だね、とか。誉め言葉のように使っていましたので、とても驚きました。
私の右後ろにいて、成仏しないといけないと伝えると、うん、うん、えっ?とお坊さんが何やら会話していて、亡くなったのは分かっている、でも、もう少し傍にいると言ってきた、だから、このままでよいのでは、ということで霊視は終わりました。
私はお会いするまで、そしてお会いしても一切個人情報を言っていませんでした。たとえ、紹介者から住所や亡くなった経緯は聞いていたとしても、じーっと私を見ては目を瞑り、そして開口一番にそう言われたのはびっくりしました。
ですので、霊能、スピリチュアルetc どう捉えるかは、確かに人それぞれ、聞いた方の捉え方次第で、それはどう思っても自由ですね。
コメントありがとうございました。
スピリチュアルや死後の世界は悪魔の証明が一番最初にあるわけでギボさんといえどその目で死後の世界を見てきたわけではないと思うんです。どんなに高名な方でも物質的肉体を持っている時点で体現したわけではない。すなわち正解はないというのが私もいきついた答えです。
唐突な質問で申し訳ないのですが上のコメントにあります亡き彼女についてなのですが管理人さんも大事な方をなくされた経験がおありなのですか?私は正直今最も人生の中で自分自身も死に近い場所を歩いていると感じていてこれから起きることに関して本当に恐ろして色がない世界といいますか生きた屍のような精神状態で・・彼女がなくなった時私はその悲しみに耐えられるのか否か。おそろしいです。