大学進学に資格テスト、教育再生会議が検討
11月19日16時11分配信 読売新聞
政府の教育再生会議(野依良治座長)は20日の合同分科会で、大学進学希望者に
「高卒学力テスト」(仮称)を実施し、合格者に大学受験の資格を与える制度の検
討に着手する。
受験生の負担増につながるとして、一部委員からは慎重意見も根強く、年末の第3
次報告に向けて大きな議論を呼びそうだ。
「高卒学力テスト」は、高校生の学力低下の問題や昨年に全国各地で相次いだ高校
の必修科目の未履修問題などを受け、生徒の学力水準や履修状況をチェックするの
が狙いだ。
制度設計の素案によれば〈1〉国公私立や選抜方法を問わず、大学進学を希望する
人は必ず受験〈2〉受験科目は、必修科目から保健体育、芸術などを除いた国語、
地理歴史、公民、数学、理科、外国語〈3〉全科目の合格者に大学進学資格を付与
――などが主な柱。難易度は「高等学校卒業程度認定試験」(旧・大学入学資格検
定)を想定しているという。
・・・
よほどの進学校以外は、どこの通学制の高校でも、その卒業生は高等学校卒業程度
認定試験に合格するほどの学力はついていないと思います。
高校の卒業という卒業証書だけでは、
「高卒の学力があるとは限らない」
ということ事態に、そもそも問題があるように思いますよね。
・・・
本当に学力がついているのか否か、そこまで厳格にしたいのなら、高校を卒業する
時点で、高等学校卒業程度認定試験に合格する能力をつけさせて「卒業」とさせな
いと、それこそ何のための「高卒」なのか分からないんじゃないでしょうか。
・・・
しかし、もし「高卒学力テスト」なるをもの創るとしたら。。。
英語なら英検2級(高卒程度)レベル?
しかも国語、地理歴史、公民、数学、理科もそのくらいのレベルまで??
そりゃ、無理でしょ。
そこまでして「高卒」というレベルに何を今更求めようとしているのかなぁ。
だいたい、大半の大人は、高校までに習ったことのうち、今仕事で使っている知識
の基礎となった科目以外はすっかり忘れているんじゃないでしょうか。
この教育再生会議のお偉いさんも、いまだ高卒程度の基礎学力ってあるのかなぁ。
・・・
「高校くらい出ておかないと、社会に出たとき就職などで困る」
↓
今のように高卒という学歴は「肩書き程度のもの」「社会に出るための切符程度」
でいいんじゃないでしょうかね。
高校は卒業(学校側は卒業させた)、でも「高卒の学力」があるかどうかは分から
ない。
↓
だから、大学入試の前に、その学力があるか否かを客観的に試験で有・無を決める
というのは、とても違和感を感じます。
いいじゃないですか。
社会に出て困るは本人なんですから(私も、若干困り気味&後悔)
お国が何とか導こうなんてことをしても、
「やる人はやる」「やる気のないものは、気づく時までやらない」
・・・
だいたい、特に平成となって以降、文部科学省が安易にボコボコと私立大学設立の
認可を下ろして、掃いて捨てるほど大学を創らせておいて、今度は、お国は「大学
潰し」をしたいのでしょうかね。
増え過ぎた大学を淘汰させるのは別に構いませんけど、
今の高校生にとばっちりを与えないようにしないと・・・
高等学校卒業程度認定試験に合格できる学生のみが、大学を受験できるのような仕
組みになると間違いなく、無名大学、倍率が1.●倍の大学、定員割れの大学は、
生き残れないでしょうね。
高卒学力テストで大学受験を絞られ、それを潜り抜けた高校生が、人気の無い大学
に、好んで進学したりしないでしょう。
いいじゃないですか。行きたい者にはどんな大学にでも、大学側が入学を許可する
というのなら行かせたらいい。
あとは、社会に出てからの勝負。
躓いて、「やっぱりもう一度勉強したい」
と思ったときが「適齢期」でしょ。
社会人入試も充実した現代なんですから。
大昔は、大学を出たというだけで学士様と呼ばれて、口下手だろうが愛想が悪かろ
うが、そこそこの企業に入社できましたが、今は世間的に「良い」と言われる大学
を出た者でさえ、なかなか希望する企業や職種に就けない世の中なんですから、
「高卒学力テストで篩に掛け」⇒「大学へ入学・卒業」⇒「大昔のように希望の職
種に就ける」なんてことにはならないでしょうからね。
・・・
そんなことよりも、高卒採用でも、大卒採用でも、
「英検」「数検」「漢検」「地理・歴史検定」「常識力検定」や社会人文科系(理
科系)基礎知識検定みたいなもので、採用する企業が「我が社の求人募集への応募
条件は、英検○級以上、数検○級以上、○○常識力検定○級以上の者」と、色々な
分野の企業側から求人募集の際に、「我が社への応募条件」として提示すればいい
ように思います。
無理矢理ある方向へ導くというよりも、「あの仕事に就きたい」「だから、あの会
社が条件にしている検定試験に合格しておこう」という導き方で十分じゃないでし
ょうか。
どうせ、入社したら「その会社ならではの『ルール』や『しきたり』」があるわけ
ですし、仕事の内容だって例えば建築の分野一つとっても様々で、それに応じて求
められる知識も様々。耐震偽装問題でも話題になったように建築士だって「構造設
計」と「意匠設計」ではまた知識が異なるといった具合に。
高校や大学で学んだことだけで渡っていける世の中でもありませんから。
私なら、上記5科目(教科)だけを「学力」と言わずに、
体育も芸術も、そして倫理も、宗教学も、電気工事士のような技術系の知識も、簿
記のような商業系の技能もどれも大切なこと、みんなが知っておいたほうがいい知
識、逆に社会で生きていく上で「身を助けることとなる技」となるものだと思います。
何をもって「基礎学力」「学力水準」と定めるのか。
そこがハッキリさせずに、小中高と関連する5科目だけを取り上げるのはいかがな
ものでしょうか。
私なら、「簿記」と「民法」は知っておいたほうがいいですよと言いたいですね。
あと、付け加えるなら、最近受けた中途採用試験の経験から、「漢字」と「意外と
使える小学高学年レベルと中学レベルの算数・数学」ですね。
11月19日16時11分配信 読売新聞
政府の教育再生会議(野依良治座長)は20日の合同分科会で、大学進学希望者に
「高卒学力テスト」(仮称)を実施し、合格者に大学受験の資格を与える制度の検
討に着手する。
受験生の負担増につながるとして、一部委員からは慎重意見も根強く、年末の第3
次報告に向けて大きな議論を呼びそうだ。
「高卒学力テスト」は、高校生の学力低下の問題や昨年に全国各地で相次いだ高校
の必修科目の未履修問題などを受け、生徒の学力水準や履修状況をチェックするの
が狙いだ。
制度設計の素案によれば〈1〉国公私立や選抜方法を問わず、大学進学を希望する
人は必ず受験〈2〉受験科目は、必修科目から保健体育、芸術などを除いた国語、
地理歴史、公民、数学、理科、外国語〈3〉全科目の合格者に大学進学資格を付与
――などが主な柱。難易度は「高等学校卒業程度認定試験」(旧・大学入学資格検
定)を想定しているという。
・・・
よほどの進学校以外は、どこの通学制の高校でも、その卒業生は高等学校卒業程度
認定試験に合格するほどの学力はついていないと思います。
高校の卒業という卒業証書だけでは、
「高卒の学力があるとは限らない」
ということ事態に、そもそも問題があるように思いますよね。
・・・
本当に学力がついているのか否か、そこまで厳格にしたいのなら、高校を卒業する
時点で、高等学校卒業程度認定試験に合格する能力をつけさせて「卒業」とさせな
いと、それこそ何のための「高卒」なのか分からないんじゃないでしょうか。
・・・
しかし、もし「高卒学力テスト」なるをもの創るとしたら。。。
英語なら英検2級(高卒程度)レベル?
しかも国語、地理歴史、公民、数学、理科もそのくらいのレベルまで??
そりゃ、無理でしょ。
そこまでして「高卒」というレベルに何を今更求めようとしているのかなぁ。
だいたい、大半の大人は、高校までに習ったことのうち、今仕事で使っている知識
の基礎となった科目以外はすっかり忘れているんじゃないでしょうか。
この教育再生会議のお偉いさんも、いまだ高卒程度の基礎学力ってあるのかなぁ。
・・・
「高校くらい出ておかないと、社会に出たとき就職などで困る」
↓
今のように高卒という学歴は「肩書き程度のもの」「社会に出るための切符程度」
でいいんじゃないでしょうかね。
高校は卒業(学校側は卒業させた)、でも「高卒の学力」があるかどうかは分から
ない。
↓
だから、大学入試の前に、その学力があるか否かを客観的に試験で有・無を決める
というのは、とても違和感を感じます。
いいじゃないですか。
社会に出て困るは本人なんですから(私も、若干困り気味&後悔)
お国が何とか導こうなんてことをしても、
「やる人はやる」「やる気のないものは、気づく時までやらない」
・・・
だいたい、特に平成となって以降、文部科学省が安易にボコボコと私立大学設立の
認可を下ろして、掃いて捨てるほど大学を創らせておいて、今度は、お国は「大学
潰し」をしたいのでしょうかね。
増え過ぎた大学を淘汰させるのは別に構いませんけど、
今の高校生にとばっちりを与えないようにしないと・・・
高等学校卒業程度認定試験に合格できる学生のみが、大学を受験できるのような仕
組みになると間違いなく、無名大学、倍率が1.●倍の大学、定員割れの大学は、
生き残れないでしょうね。
高卒学力テストで大学受験を絞られ、それを潜り抜けた高校生が、人気の無い大学
に、好んで進学したりしないでしょう。
いいじゃないですか。行きたい者にはどんな大学にでも、大学側が入学を許可する
というのなら行かせたらいい。
あとは、社会に出てからの勝負。
躓いて、「やっぱりもう一度勉強したい」
と思ったときが「適齢期」でしょ。
社会人入試も充実した現代なんですから。
大昔は、大学を出たというだけで学士様と呼ばれて、口下手だろうが愛想が悪かろ
うが、そこそこの企業に入社できましたが、今は世間的に「良い」と言われる大学
を出た者でさえ、なかなか希望する企業や職種に就けない世の中なんですから、
「高卒学力テストで篩に掛け」⇒「大学へ入学・卒業」⇒「大昔のように希望の職
種に就ける」なんてことにはならないでしょうからね。
・・・
そんなことよりも、高卒採用でも、大卒採用でも、
「英検」「数検」「漢検」「地理・歴史検定」「常識力検定」や社会人文科系(理
科系)基礎知識検定みたいなもので、採用する企業が「我が社の求人募集への応募
条件は、英検○級以上、数検○級以上、○○常識力検定○級以上の者」と、色々な
分野の企業側から求人募集の際に、「我が社への応募条件」として提示すればいい
ように思います。
無理矢理ある方向へ導くというよりも、「あの仕事に就きたい」「だから、あの会
社が条件にしている検定試験に合格しておこう」という導き方で十分じゃないでし
ょうか。
どうせ、入社したら「その会社ならではの『ルール』や『しきたり』」があるわけ
ですし、仕事の内容だって例えば建築の分野一つとっても様々で、それに応じて求
められる知識も様々。耐震偽装問題でも話題になったように建築士だって「構造設
計」と「意匠設計」ではまた知識が異なるといった具合に。
高校や大学で学んだことだけで渡っていける世の中でもありませんから。
私なら、上記5科目(教科)だけを「学力」と言わずに、
体育も芸術も、そして倫理も、宗教学も、電気工事士のような技術系の知識も、簿
記のような商業系の技能もどれも大切なこと、みんなが知っておいたほうがいい知
識、逆に社会で生きていく上で「身を助けることとなる技」となるものだと思います。
何をもって「基礎学力」「学力水準」と定めるのか。
そこがハッキリさせずに、小中高と関連する5科目だけを取り上げるのはいかがな
ものでしょうか。
私なら、「簿記」と「民法」は知っておいたほうがいいですよと言いたいですね。
あと、付け加えるなら、最近受けた中途採用試験の経験から、「漢字」と「意外と
使える小学高学年レベルと中学レベルの算数・数学」ですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます