Yahooのニュースを見ていまして
「ブラック企業」や「正規雇用」「非正規雇用」
などの記事に目が止まり読んでいました。
そこで、ふと思ったのですが
「ブラック企業」について語っている、論じている論者
は、ブラック企業に勤めたことがあるのか?
という、率直な疑問です。
私も某企業の入社試験を受けて中途入社する際に友人
から「ブラック企業だから止めておけ」と
アドバイスを受けました。
確かに「すぐに辞める」「社名を聞いただけでブラック
で有名」「実際に、半年で50%近い離職率がある」
など、色々な噂を聞いていた企業でした。
約3ヶ月で辞めましたけどね。
実際に、人格・性格・人柄云々は全く考慮なく
「軍隊」「カネ・金・かね(成果主義)」でした。
社内でも、外見は一流:東証一部上場、中身は三流。
数年勤めないと銀行もお金を貸してくれないと
先輩社員が語る通りの会社でした。
そこで宅建主任者の資格を持って勤めたのですが、
全く能力を発揮する前に去りました。
・・・
「労働問題」
これは、まさに「百聞は一見にしかず」です。
「実際に経験(体験)してみないと、実態・実感を
得ることが出来ない」ものです。
「人(他人)が経験したブラック企業の実態」や
こうだった、あぁだったという話を集めて事例研究
するのは容易いものです。
なぜなら、「人は、酷い目にあったり、苦労したこと
は話したくなり、語ってくれる」からです。
しかし、それは「その人個人が実体験して得た、ナマ
の経験(体験)で、その企業内における『異様な
雰囲気』『自己を殺さざるを得なかった、その場に
しかない臨場感』」は、話を聞いただけでは、
「理不尽だ」「苦しい体験だ」「それは大変だった」
と感じることができても、どのくらいの異様さだったのか、
またはどのくらいの見えない圧力があったのかは、
量り知ることができないものです。
何事も「経験」ということですね。
「月の残業時間が150時間」
これだけで、「労基違反だ」「厳しい職場環境」で
あるとは分かりません。
上司が常に部下を罵倒している職場では、
その本人は、たとえ残業時間が実質もゼロ時間だった
としても、グッタリと疲れて、夜も寝られずに
不眠症になったりします。
私の場合、今の会社に中途入社した半年間は、
グッタリでした。
しかし、今は休日出勤しても、また遅くまで残業
しても、そして多少はサービス残業となっても、
精神的にはそれほど疲れたりしません。
「あぁ、あの報告書も書かなきゃ・・・」
「時間が無い・・・もう、こんな時間か」
とガックリくることは毎日ですが、上司にあれこれ
罵倒されるということは皆無なので、今までの
職業経験(正社員経験:銀行・不動産及び不動産関連
会社3社に勤務)に比べると、気楽なものだと思って
います。
「どこが」「どう違う」のか。
そこを研究したければ、研究室での研究だけではなく
一般企業に正社員として勤めてみるべきですね。
熟練工が技として身に染み付いて持っている「ちょっと
したコツ」「微妙な調整」「言葉では表せない感覚」
のように。
数値や事例を並べて論じるのは、頭の回転が良ければ
出来ることです。
しかし「実体験」が無い中で、労働問題を取り扱う
のはどうかという疑問を持ってしまいました。
今の若者がブラック企業に勤めて、疲れ果て、そして
次の仕事に就く勇気が無くなり、「引きこもり」や
「無職」となっていまう。
その流れ、その実態を掴むのは、本人が経験しないと
得られないものということです。
・・・
これは、「スピリチュアル」とは、また違ってきます。
どういうことか。
スピリチュアルは、例えば、個人がいかに行動しても
霊感が無ければ、見えない世界は見ることが出来ません。
ですから「書籍を読んで疑似体験」するところに多くの
人は留まってしまいます。
物理的に無理ということです。
しかし、「労働」というものは、現実世界の中に、今まさ
に数億社からなる「企業」というものが存在しており、
自らの意思で「勤めることができる」「労働体験できる」
わけですので、
「論じるだけしか出来ないもの」
「事例研究しか出来ないもの」
「実体験が出来ないもの」
ではありません。
多くの人が、幼い頃は学校で学問を学び、そして成長して
最終的には社会に出て行き、「稼いだお金で生活している」
わけで、「労働」は体験できるというものでもなく、
「(仕事を)しないといけない」「働かないと生きて
いけない」「生きていくために働く」ものです。
ですから、
「実体験が無い中で、労働法云々」「実際にブラック企業で
正社員として働いた経験が無いのにも関わらず、学問として
研究」して語るというのは、
まさに「仏作って、魂入れず」のようなものです。
・・・
私自身も「ブラック企業の経験者」としては、たった3ヶ月
で逃げ出したので、ビギナーのようなものです。
理不尽な企業の側面は、色々な企業での正社員時代に
経験はしました。
・・・
写真の雑誌「SPA」は、私がちょうど30歳を迎えた
ときに目にした雑誌で、当時は、大学院の博士前期課程修了後
に、「大学院経営学研究科 研修生」としてカタチだけ
席を置いていたときに「30歳無職の肖像」という見出し
に、
「あぁ、自分も同じじゃないか」
「これから、どうすればよいのだろう・・・」
と思い、この雑誌を手に取り購入したものです。
・・・
立命館大学大学院で修士(経営学)の学位を取得しましたが、
「では、何のために勉強している(してきた)のか?」
「そこまで学んできて、じゃぁその先は?」
「だから何なの?」
「何がしたいの?」
と自問自答しましたね。
結論:「働くため」に学んできた。
「働くため」とは、より自分が興味を持てる職業に就く、
自分の能力(当時は会計学)を生かした職種に就く、
出来るだけ条件の良い企業で、出来るだけ多くの賃金を
貰い、そしてゆとりのある生活をしたい、そのために
「興味をもった分野を懸命に学び」そして、その知識を
活かす。
という点でした。
実際には、賃金は・・・ですが。
経理職をしている今は、確かに「学んだことを活かしている」
という面は大きいです。
大学もそう、大学院もそう、
「学びたい」そして「いっぱい学んだ」
とそれで終わっては、「学んだだけ」「自己満足だけ」で
終わってしまっています。
学び舎を出て、「稼いで」こそ、学びんだことが実る
というものです。
・・・
少し、話が逸れましたが、
実社会で起こっている問題、特にこころや心理にも
関係する問題などは、机上の空論の学術や聞きかじった話
だけで論者の実体験が伴わない論説では、今の現代を推し
量ることなど出来ないということです。
全ての解決の糸は「実学」ということです。
「お手本となる人」「実際にブラック企業とは」と
語る人、語れる人は大勢います。大いに語り、議論
する資格のある人とは、それら実体験(経験)して
きた者だということです。
情報も今のネット社会では、いくらでも簡単に手に入ります。
事例集めなどは、年々簡単になってきています。
それだけでは足りない。やはり、「経験者は語る」という
ことです。
「ブラック企業」や「正規雇用」「非正規雇用」
などの記事に目が止まり読んでいました。
そこで、ふと思ったのですが
「ブラック企業」について語っている、論じている論者
は、ブラック企業に勤めたことがあるのか?
という、率直な疑問です。
私も某企業の入社試験を受けて中途入社する際に友人
から「ブラック企業だから止めておけ」と
アドバイスを受けました。
確かに「すぐに辞める」「社名を聞いただけでブラック
で有名」「実際に、半年で50%近い離職率がある」
など、色々な噂を聞いていた企業でした。
約3ヶ月で辞めましたけどね。
実際に、人格・性格・人柄云々は全く考慮なく
「軍隊」「カネ・金・かね(成果主義)」でした。
社内でも、外見は一流:東証一部上場、中身は三流。
数年勤めないと銀行もお金を貸してくれないと
先輩社員が語る通りの会社でした。
そこで宅建主任者の資格を持って勤めたのですが、
全く能力を発揮する前に去りました。
・・・
「労働問題」
これは、まさに「百聞は一見にしかず」です。
「実際に経験(体験)してみないと、実態・実感を
得ることが出来ない」ものです。
「人(他人)が経験したブラック企業の実態」や
こうだった、あぁだったという話を集めて事例研究
するのは容易いものです。
なぜなら、「人は、酷い目にあったり、苦労したこと
は話したくなり、語ってくれる」からです。
しかし、それは「その人個人が実体験して得た、ナマ
の経験(体験)で、その企業内における『異様な
雰囲気』『自己を殺さざるを得なかった、その場に
しかない臨場感』」は、話を聞いただけでは、
「理不尽だ」「苦しい体験だ」「それは大変だった」
と感じることができても、どのくらいの異様さだったのか、
またはどのくらいの見えない圧力があったのかは、
量り知ることができないものです。
何事も「経験」ということですね。
「月の残業時間が150時間」
これだけで、「労基違反だ」「厳しい職場環境」で
あるとは分かりません。
上司が常に部下を罵倒している職場では、
その本人は、たとえ残業時間が実質もゼロ時間だった
としても、グッタリと疲れて、夜も寝られずに
不眠症になったりします。
私の場合、今の会社に中途入社した半年間は、
グッタリでした。
しかし、今は休日出勤しても、また遅くまで残業
しても、そして多少はサービス残業となっても、
精神的にはそれほど疲れたりしません。
「あぁ、あの報告書も書かなきゃ・・・」
「時間が無い・・・もう、こんな時間か」
とガックリくることは毎日ですが、上司にあれこれ
罵倒されるということは皆無なので、今までの
職業経験(正社員経験:銀行・不動産及び不動産関連
会社3社に勤務)に比べると、気楽なものだと思って
います。
「どこが」「どう違う」のか。
そこを研究したければ、研究室での研究だけではなく
一般企業に正社員として勤めてみるべきですね。
熟練工が技として身に染み付いて持っている「ちょっと
したコツ」「微妙な調整」「言葉では表せない感覚」
のように。
数値や事例を並べて論じるのは、頭の回転が良ければ
出来ることです。
しかし「実体験」が無い中で、労働問題を取り扱う
のはどうかという疑問を持ってしまいました。
今の若者がブラック企業に勤めて、疲れ果て、そして
次の仕事に就く勇気が無くなり、「引きこもり」や
「無職」となっていまう。
その流れ、その実態を掴むのは、本人が経験しないと
得られないものということです。
・・・
これは、「スピリチュアル」とは、また違ってきます。
どういうことか。
スピリチュアルは、例えば、個人がいかに行動しても
霊感が無ければ、見えない世界は見ることが出来ません。
ですから「書籍を読んで疑似体験」するところに多くの
人は留まってしまいます。
物理的に無理ということです。
しかし、「労働」というものは、現実世界の中に、今まさ
に数億社からなる「企業」というものが存在しており、
自らの意思で「勤めることができる」「労働体験できる」
わけですので、
「論じるだけしか出来ないもの」
「事例研究しか出来ないもの」
「実体験が出来ないもの」
ではありません。
多くの人が、幼い頃は学校で学問を学び、そして成長して
最終的には社会に出て行き、「稼いだお金で生活している」
わけで、「労働」は体験できるというものでもなく、
「(仕事を)しないといけない」「働かないと生きて
いけない」「生きていくために働く」ものです。
ですから、
「実体験が無い中で、労働法云々」「実際にブラック企業で
正社員として働いた経験が無いのにも関わらず、学問として
研究」して語るというのは、
まさに「仏作って、魂入れず」のようなものです。
・・・
私自身も「ブラック企業の経験者」としては、たった3ヶ月
で逃げ出したので、ビギナーのようなものです。
理不尽な企業の側面は、色々な企業での正社員時代に
経験はしました。
・・・
写真の雑誌「SPA」は、私がちょうど30歳を迎えた
ときに目にした雑誌で、当時は、大学院の博士前期課程修了後
に、「大学院経営学研究科 研修生」としてカタチだけ
席を置いていたときに「30歳無職の肖像」という見出し
に、
「あぁ、自分も同じじゃないか」
「これから、どうすればよいのだろう・・・」
と思い、この雑誌を手に取り購入したものです。
・・・
立命館大学大学院で修士(経営学)の学位を取得しましたが、
「では、何のために勉強している(してきた)のか?」
「そこまで学んできて、じゃぁその先は?」
「だから何なの?」
「何がしたいの?」
と自問自答しましたね。
結論:「働くため」に学んできた。
「働くため」とは、より自分が興味を持てる職業に就く、
自分の能力(当時は会計学)を生かした職種に就く、
出来るだけ条件の良い企業で、出来るだけ多くの賃金を
貰い、そしてゆとりのある生活をしたい、そのために
「興味をもった分野を懸命に学び」そして、その知識を
活かす。
という点でした。
実際には、賃金は・・・ですが。
経理職をしている今は、確かに「学んだことを活かしている」
という面は大きいです。
大学もそう、大学院もそう、
「学びたい」そして「いっぱい学んだ」
とそれで終わっては、「学んだだけ」「自己満足だけ」で
終わってしまっています。
学び舎を出て、「稼いで」こそ、学びんだことが実る
というものです。
・・・
少し、話が逸れましたが、
実社会で起こっている問題、特にこころや心理にも
関係する問題などは、机上の空論の学術や聞きかじった話
だけで論者の実体験が伴わない論説では、今の現代を推し
量ることなど出来ないということです。
全ての解決の糸は「実学」ということです。
「お手本となる人」「実際にブラック企業とは」と
語る人、語れる人は大勢います。大いに語り、議論
する資格のある人とは、それら実体験(経験)して
きた者だということです。
情報も今のネット社会では、いくらでも簡単に手に入ります。
事例集めなどは、年々簡単になってきています。
それだけでは足りない。やはり、「経験者は語る」という
ことです。
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