「残念で悔しい」と父=しめやかに千財さん通夜-温泉施設爆発
6月22日22時31分配信 時事通信
東京都渋谷区の女性専用温泉施設「シエスパ」付属施設の爆発事故で亡くなった従
業員千財明菜さん(23)の通夜が22日夜、東京都豊島区の斎場でしめやかに営まれ
た。
通夜に先立ち、父信行さんが取材に応じ「これが運命とも思いますが、まだ受け止
められません。本当に残念で悔しくてなりません」と声を震わせた。
通夜には、明菜さんの親族、友人ら約150人が参列。祭壇には、明菜さんの和服姿
の遺影があり、衣服や靴が飾られた。
・・・
他紙の記事では・・・
父親の信行さん(61)が報道陣を前に、「突然のことでまだ受け止められない。
なぜあの時間に居合わせたのか」と語り、「たった1人の娘を23歳の若さで親よ
り先に失った。なぜなのか私にはわからない」と、涙ながらに「なぜ」という言葉
を何度も繰り返したそうです。。。
お父さん、ご家族のご心痛は計り知れません。。。
「なぜ、あの時、あの場所にいたのか」
「どうして・・・」
と思うようなことが、なぜ起こってしまうのでしょう。。。
娘さんは、23歳。。。。そして、一人娘。
記事で拝見しましたが、優しそうなお父さんでした。。。
・・・
時事通信の記事の「これが運命とも思いますが・・・」というお父さんのお言葉に
目が止まりました。
私でさえ、なぜ神は「この61歳のお父さんから娘さんを奪ったのか」と問いたく
なります。
神も仏も・・・ないじゃないかと。
温泉施設で地道に働く23歳の一人娘さんを、なぜご家族は失わないといけない
のか。理不尽じゃないか。。。と、感じました。
・・・ご冥福をお祈りします。
追加:朝のニュースで、お父さんへのインタビューの放映を見ました。
最後の娘さんの顔・・・悲しい顔をしていたと。。。
この会社の女性社長は、事故直後ご家族に連絡したと言ってましたが、お父さんは
何の連絡もなかったと言っていました。
事故は、お父さんの誕生日の翌日。。。
娘さんからの誕生日プレゼントと手紙が映っていました。
やり切れない。。。
------------------------------------------------------
霊的真理で語られているような、「あの世」「精神世界」「中間生」「非物質の世
界」が本当に存在してくれないと、この世に生まれて「生き」そして、いつかは最
愛の人を残し「死して」逝き、また遺された遺族も悲しみを抱えながら故人を偲び
生き抜いていくという、「この世を『生き』そして『死別』を乗り越えなければ
ならない理由」が見えなくなってしまいます。
ただ、いかに幸せに生きてきても、最後は辛い思いが残るだけの「生」ならば、生
きていようが何であろうがどうだっていい。。。って考えてしまっても不思議では
ありません。
だからこそ、
江原啓之氏や飯田史彦教授などがおっしゃっておられる「精神世界の存在」こそ、
私たちの最後の希望であり、また幸せに今世を生きてきた者が死を迎えた際に思う
「まだ生きたい」という気持ちでさえも包んでくれる真実であってほしい。
先立った最愛の人と、
「死後に、必ず再会があります。」
「死後に、必ず逢えます。」
そこにこそ、本当の幸せがあることと思います。
精神世界の存在こそが、私たちが求め続けている「永遠に続く幸せ」「永遠のいの
ち(不老不死)」が与えられる場所ではないでしょうか。
死んで見なけりゃ分からない。。。
確かにそうです。絶対に「ある」とは証明されていないのですから。
でも、死ぬ前であっても、このブログで取り上げている書籍を読んでいますと、そ
の「求める思い」を救ってくれるような世界の体験を、疑似体験させてくれて「明日
も生きていこうか。。。」という勇気と希望を持たせてくれます。
・・・
私は・・・
彼女を失うまでは、この世で実感(体感)できる幸せばかりを求めていたように思
います。
しかし、今は先立った彼女のことがあってから「あの世も楽しみ」という気持ちが
あります。
そして、あの世があろうが無かろうが、
「この世を何不自由なく幸せいっぱいに生きたのちに死を迎え、この世に多くの
『楽しかった』『もっと楽しみたい』『永遠にこの楽しみが続いてくれたらよかっ
たのに・・・』『もう十分幸せに生きたから満足・・・』などと言いながらも、
未練を残しつつこの世を去るのもまた苦難。」
「この世を生きるのって、結構辛かったなぁ。楽しく生きてきたかどうかは分から
ないけど、でももう終わりが来たのか。。。まぁ、この先(死後)、本当はどうな
っているのか分からないけど、ここまで来たら先立った彼女に逢えることだけを信
じて逝ってみようか・・・という不安と最後の希望を思いながら、死んでいくのも
また苦難。」
何にしても、「死の壁」を乗り越えるときは「人生『最大の苦難』」だと思います。
結局は、万人に対して平等に「死」はある。
あの世の存在は不明だけれど、
いい人、悪い人、お金持ちの人、貧乏な人、若い人、お年寄りの人
どの人にも、「身体は必滅」「永遠には生き続けられない」ということだけは、こ
の世で証明されている唯一の「死に関する」事実です。
この事実こそが、真の平等であり、物質主義,唯脳論,唯物論中心に生きている人
たちでさえも認めざるを得ない事実です。
しかし、私はこの物質(肉体)の終わり(死)というこの世に居て目に見えて分か
る終焉こそが、その先に何か人知では計り知れない世界があることを示している第
一関門の入り口ように感じています。
世の中、生まれ持って差のついていた事柄はたくさんあります。
(貧しい国に生まれた,酷い家庭環境に生まれた,競争社会でギスギスした時代に
生まれた又はその正反対等)
しかし、「死」だけは、全ての人において等しく訪れる。
どんなにお偉い方やアラブの富豪にだって「死」は訪れる。
科学では、老化の原因を突き止めたり、老化現象を遅らせることは出来、医学では
移植技術の進歩で死の淵から戻ってくる人もいます。しかし、いくら大金を積まみ、
あらゆる処方を使っても、どうしてもいつか死ぬという現象は止められない。
死が平等に訪れるということこそ、「あの世と呼ばれる『見えない世界』」からの
メッセージではないでしょうか。
6月22日22時31分配信 時事通信
東京都渋谷区の女性専用温泉施設「シエスパ」付属施設の爆発事故で亡くなった従
業員千財明菜さん(23)の通夜が22日夜、東京都豊島区の斎場でしめやかに営まれ
た。
通夜に先立ち、父信行さんが取材に応じ「これが運命とも思いますが、まだ受け止
められません。本当に残念で悔しくてなりません」と声を震わせた。
通夜には、明菜さんの親族、友人ら約150人が参列。祭壇には、明菜さんの和服姿
の遺影があり、衣服や靴が飾られた。
・・・
他紙の記事では・・・
父親の信行さん(61)が報道陣を前に、「突然のことでまだ受け止められない。
なぜあの時間に居合わせたのか」と語り、「たった1人の娘を23歳の若さで親よ
り先に失った。なぜなのか私にはわからない」と、涙ながらに「なぜ」という言葉
を何度も繰り返したそうです。。。
お父さん、ご家族のご心痛は計り知れません。。。
「なぜ、あの時、あの場所にいたのか」
「どうして・・・」
と思うようなことが、なぜ起こってしまうのでしょう。。。
娘さんは、23歳。。。。そして、一人娘。
記事で拝見しましたが、優しそうなお父さんでした。。。
・・・
時事通信の記事の「これが運命とも思いますが・・・」というお父さんのお言葉に
目が止まりました。
私でさえ、なぜ神は「この61歳のお父さんから娘さんを奪ったのか」と問いたく
なります。
神も仏も・・・ないじゃないかと。
温泉施設で地道に働く23歳の一人娘さんを、なぜご家族は失わないといけない
のか。理不尽じゃないか。。。と、感じました。
・・・ご冥福をお祈りします。
追加:朝のニュースで、お父さんへのインタビューの放映を見ました。
最後の娘さんの顔・・・悲しい顔をしていたと。。。
この会社の女性社長は、事故直後ご家族に連絡したと言ってましたが、お父さんは
何の連絡もなかったと言っていました。
事故は、お父さんの誕生日の翌日。。。
娘さんからの誕生日プレゼントと手紙が映っていました。
やり切れない。。。
------------------------------------------------------
霊的真理で語られているような、「あの世」「精神世界」「中間生」「非物質の世
界」が本当に存在してくれないと、この世に生まれて「生き」そして、いつかは最
愛の人を残し「死して」逝き、また遺された遺族も悲しみを抱えながら故人を偲び
生き抜いていくという、「この世を『生き』そして『死別』を乗り越えなければ
ならない理由」が見えなくなってしまいます。
ただ、いかに幸せに生きてきても、最後は辛い思いが残るだけの「生」ならば、生
きていようが何であろうがどうだっていい。。。って考えてしまっても不思議では
ありません。
だからこそ、
江原啓之氏や飯田史彦教授などがおっしゃっておられる「精神世界の存在」こそ、
私たちの最後の希望であり、また幸せに今世を生きてきた者が死を迎えた際に思う
「まだ生きたい」という気持ちでさえも包んでくれる真実であってほしい。
先立った最愛の人と、
「死後に、必ず再会があります。」
「死後に、必ず逢えます。」
そこにこそ、本当の幸せがあることと思います。
精神世界の存在こそが、私たちが求め続けている「永遠に続く幸せ」「永遠のいの
ち(不老不死)」が与えられる場所ではないでしょうか。
死んで見なけりゃ分からない。。。
確かにそうです。絶対に「ある」とは証明されていないのですから。
でも、死ぬ前であっても、このブログで取り上げている書籍を読んでいますと、そ
の「求める思い」を救ってくれるような世界の体験を、疑似体験させてくれて「明日
も生きていこうか。。。」という勇気と希望を持たせてくれます。
・・・
私は・・・
彼女を失うまでは、この世で実感(体感)できる幸せばかりを求めていたように思
います。
しかし、今は先立った彼女のことがあってから「あの世も楽しみ」という気持ちが
あります。
そして、あの世があろうが無かろうが、
「この世を何不自由なく幸せいっぱいに生きたのちに死を迎え、この世に多くの
『楽しかった』『もっと楽しみたい』『永遠にこの楽しみが続いてくれたらよかっ
たのに・・・』『もう十分幸せに生きたから満足・・・』などと言いながらも、
未練を残しつつこの世を去るのもまた苦難。」
「この世を生きるのって、結構辛かったなぁ。楽しく生きてきたかどうかは分から
ないけど、でももう終わりが来たのか。。。まぁ、この先(死後)、本当はどうな
っているのか分からないけど、ここまで来たら先立った彼女に逢えることだけを信
じて逝ってみようか・・・という不安と最後の希望を思いながら、死んでいくのも
また苦難。」
何にしても、「死の壁」を乗り越えるときは「人生『最大の苦難』」だと思います。
結局は、万人に対して平等に「死」はある。
あの世の存在は不明だけれど、
いい人、悪い人、お金持ちの人、貧乏な人、若い人、お年寄りの人
どの人にも、「身体は必滅」「永遠には生き続けられない」ということだけは、こ
の世で証明されている唯一の「死に関する」事実です。
この事実こそが、真の平等であり、物質主義,唯脳論,唯物論中心に生きている人
たちでさえも認めざるを得ない事実です。
しかし、私はこの物質(肉体)の終わり(死)というこの世に居て目に見えて分か
る終焉こそが、その先に何か人知では計り知れない世界があることを示している第
一関門の入り口ように感じています。
世の中、生まれ持って差のついていた事柄はたくさんあります。
(貧しい国に生まれた,酷い家庭環境に生まれた,競争社会でギスギスした時代に
生まれた又はその正反対等)
しかし、「死」だけは、全ての人において等しく訪れる。
どんなにお偉い方やアラブの富豪にだって「死」は訪れる。
科学では、老化の原因を突き止めたり、老化現象を遅らせることは出来、医学では
移植技術の進歩で死の淵から戻ってくる人もいます。しかし、いくら大金を積まみ、
あらゆる処方を使っても、どうしてもいつか死ぬという現象は止められない。
死が平等に訪れるということこそ、「あの世と呼ばれる『見えない世界』」からの
メッセージではないでしょうか。
こういう事故に決して出会わないよう出来ないのか?
この方法は、既に知られています。
それは、潜在意識の活用法という名で存在しています。
これを、この世界の成り立ちと仕組みを造った創造主である神が、造って、私たちに与えてくれました。
それは一言で言うと、自分の、家族の、友人の、全ての人の、「運を良くする」祈りです。
運を能くしておくと、事故にあう前に、それと知らないうちに、それから遠ざけてくれます。
嘘のような本当の話。
http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
いわゆる神の存在証明がもたらす意味について
創造主である神の存在証明をして、神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについて説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。
一般法則論者
運ですか・・・運をよくする祈り。。。確かに、宿命は変えられませんが運は、可能かと存じます。
潜在意識の活用法ですね。考えてみたいと思います。
ただ・・・何かしらの方法で、80歳まで生きたとき「50歳で死ぬはずが、80歳まで生きられた」という実感は・・・感じるかどうかを考えてみると疑問です。それは「50歳で死ぬはずだった」ということが明確には分からないからです。明確に分かりその時「50歳で死ぬところが○○をしてたから助かった」という実感があったならば、「運」「運勢」を変えたから50歳で死なずに済んだと感じることができるでしょうね。
祈りは大切だと感じています。
「宿命」と「運」とを比べて考えてみますと、
宿命は感じられると思います。それは、人は必滅だからです。
明日か60年後かは分かりませんが「死」は避けては通れないもの。だからいつかは今の世を去る時がきますので宿命ってものはあると実感しています。宿命論に出てくる「生まれた国」「性別」「親(生まれた環境)」という宿命はあまり実感はありませんけどね。運は・・・そうですね、何も無かったところに○○をしていたら、目に見えて嬉しいことが起こる(例えば、宝くじが当る等)と感じることができます。しかし、何かが起こる前(例えば職場が爆発する前まで)に○○の方法で運気をその爆発から避けられるまで上けられているか否かは計れないので、事故後生きていれば「○○をして運気を上げたからだ」と思い、死んでしまったら「○○をしていたが事故を避けるまで上げられなかった(あの世で)」あるいは「効果が無かった」と思うという事柄を「運」というものは含んでいますので、これだ!というのは私には難しいです。。。運は後から付いてくるもの(振り返ってみれば「そういえば、あの時声をかけてくれなかったら・・・ここには居なかった」)というように、「今何かしらのものを感じる,実感できている」というよりも「後々にじんわりと感じてくる」もののように捉えています。