先週、飯田史彦教授「決定版 生きがいの創造」PHP 2006年10月3日
発行を購入しました。
本書は、飯田史彦教授が今年発行した先生ご自身が一命を落としかけた際に見た
光の世界の体験も踏まえた上で、加筆修正されており、「死者が語りかけてくる
だけでなく、先生ご自身が臨死体験をされた上で、どのように過去の執筆を手直
しされたのか」「私が信じている精神世界の姿に何か変更があったのか、少し
不安」という気持ちから手にしました。
結論は、
「愛した人は、姿かたちがなくとも生きている」
「愛した人とは、また必ず逢えるのだ」
ということは、不変でありホッとしました。
先生が臨死体験もされ、光との対話もしたのちに、私の心の支えである「愛した人
とまた『必ず』逢える」という根底が修正されたりしていないかと、とても心配で
した。
あぁ、本当によかったです。
・・・
本書の中で、私が目を惹いた、飯田史彦教授の執筆を一部ご紹介いたします。
飯田史彦教授は、
「本書でご紹介してきた諸研究に、私のスピリチュアルな体験を加えながら、
私なりに分析してみると、人生を読み解くための宇宙論を展開できます。」
と語っておられます。
飯田史彦教授の語る-宇宙の正体-
飯田史彦教授は、
「宇宙の正体は、『成長を志向する無境界かつ無限界の不偏意識』であり『あら
ゆるものの根源であるとともに、あらゆるものを一定の法則のもとで統制しなが
ら、自らを限りなく成長させようとしている存在』であると、解釈できます。」
と述べています。
先生は、「このような私の定義は、さまざまな思想で用いられる宇宙の定義と、
根本的な部分で共通しているため、このような定義の中に、ほとんどの思想を、
統合できるでしょう。」とおっしゃっています。
もう少し具体的に・・・
「この『無境界かつ無限界の不偏意識』とは『ここからここまでが宇宙』という
境界がなく、『これだけで充分』という到達点も持たないで、あらゆるところに
行き渡っている、『意志を持って思考している存在』ということを意味していま
す。」のだそうです。
飯田史彦教授は、
「ここで大切なのは『宇宙という存在が意識をもっている』のではなく、『宇宙
そのものが意識』だということです。」とおっしゃっています。
この表現の違いは、大変大きな意味(意味合いの違い)を持っているようです。
飯田史彦教授は、
「もしも、『宇宙というものが意識を持っている』という表現をとってしまうと、
『意識』以前に、まず、その意識を持つ何らかの物質的な宇宙が存在しなければ
ならなくなり、『それでは、意志を持つ宇宙という物質を最初に創造した存在は
いったい何なのですか?』という疑問が残るだけで、根本的な解決にはなりませ
ん。」と言われています。
そう言えば、よく高次の世界とかあの世は階層世界で、どんどん霊性進化して、
この物質世界で言う「上下」でいうと、上へ上へと上の世界、明るい世界へと
進んで行き、そして、その高次のある世界では、私自身の本質(江原氏の言う
「狭義の類魂=狭義のグループソウル」「坂本氏のいう「I・T」)が存在し、
さらに高次の世界では、私の本質と親和性のある他の本質(江原氏のいう「広義
の類魂」「坂本氏のいう「I・Tクラスター」。いわゆる親や仲の良い友人、そ
して何よりも私が逢いたがっている『亡き彼女』のグループソウル)と繋がって
いると語られています。
そして、その先は・・・全ての類魂と繋がり合っていて、またその先は、坂本
政道氏によると、太陽系のあらゆる意識だけでなく、銀河系内、そして我々の銀
河系の外にも意識が繋がっていると、またさらに・・・
と記されていることで、ある程度「宇宙との繋がり」は、自分なりに理解してい
ました。
しかし、その先の、そのまた先の・・・と行くと、どこかで1つとなる創造主な
いしは、何かしらの存在があるのではないかと、元となった何かがあるのではと、
自然にそして漠然に、そう思っていました。
しかし、意外にも、我々のすぐそば、地球の外の宇宙こそが無限に広がる宇宙その
ものであり、飯田史彦教授の言われるとおり「宇宙そのものが意識」であると、本
書を読んでいてそう思いました。
ですから、いわゆる「創造主」「神」なる存在は、どこか遥か彼方にいるのではな
く、地球という惑星のすぐ外にいるのだ、ということのように感じました。
・・・
飯田史彦教授は本書にて、
「今のところ、宇宙物理学では『宇宙という物質』を創造したのは、『ビッグバン』
と呼ばれる大爆発であったという説が主流です。」
「しかし、ビッグバン以前に、何も存在しない『無』の状態であったとすれば、
何も理由がないにもかかわらず、いきなり『無』から爆発が生じるはずがありませ
ん。」
「したがって、ビッグバン以前にも『物質ではない何か』が存在したはずであり、
『宇宙の正体は、物質ではなく意識である』という解釈へとつながるのです。」
と言い切っておられます。
・・・
「何とも大胆な発想だ」と、お思いになるかもしれません。
私もはじめて読んだときは、そう思いました。
しかし、何も無いところに、何かが起こる(ビッグバン)・現れるという説こそ
意外と無理があるのではないか、と思いました。
ビッグバンのような説明は、地球以外の銀河系で、望遠鏡を使って、新たな銀河
や惑星の誕生や消滅を見て発見したところから、宇宙の大元もそうだったのだと
仮説しているに過ぎません。
しかし、新たな銀河系の誕生や惑星の誕生は、すでに「宇宙」という空間があった
上での現象であり、飯田史彦教授の言われるように、本当になにもない、原子も粒
子も何にもない『無』の状態が始まりとしたら、爆発なんてできないのではないで
しょうか。
何かそこに飯田史彦教授が言われるような「意識」という非物質の存在、非物質
の世界と物質世界との繋がりが隠されているように思います。
しかし・・・色々と言いましても、
それでも、私たちは地球という惑星で、徐々に進化し、今や「本能」だけでなく
「理性」をも持ち、喜怒哀楽をも兼ね揃えた存在として、ここでこうして生きて
います。
これら全ては、偶然という言葉では片付けられないと思いませんか?
そう考えるだけでも、仏教的にいうと、お釈迦様の手のひらの上で、我々は
(聖心女子大学の鈴木秀子教授風に言うと)「生かされている」存在のように
思います。
・・・
飯田史彦教授は、
「このようにして、『まず最初に、宇宙という名の意識(精神宇宙)が存在して
おり、その意識が、私たちが宇宙と呼んできた、形を持った物質世界(物質宇宙)
を創造したのだ。』という仮説を立てることができます。」
「その『精神宇宙による、物質宇宙の創造作業』のことを、現代では『ビッグバ
ン』と呼んでいるだけであり、昔は『天地創造』や『国造り』などと呼ばれてい
ましたし、いずれは別の呼び方が考えられることでしょう。したがって、この
『精神宇宙』のことを、俗に言う『創造主』、あるいは『神』や『仏』と、同じ
ものと位置づけても構いません。」と語っています。
「決定版 生きがいの創造」PHPp365~p367
宇宙と繋がっているということは、江原啓之氏や坂本政道氏の書籍からも読み取れ
ましたが、飯田史彦教授は、「宇宙そのものこそが『意識』」ということを、先生
の体験や学者としての知識、そして科学的な角度を入れながら、宇宙との繋がりの
説明や解明に挑んだ、この書籍の一節に目を通した私は、「飯田先生は、そこまで
理論的にまとめようとされるのか」と感銘いたしました。
本書は、過去の先生ご自身の他書の内容も取り入れながら、「集大成の書」として
書き上げられたのではないでしょうか。
是非ともご一読をお薦めいたします。
・・・
飯田史彦教授には、これからも精神世界の存在を我々に伝えていただきたいですね。
発行を購入しました。
本書は、飯田史彦教授が今年発行した先生ご自身が一命を落としかけた際に見た
光の世界の体験も踏まえた上で、加筆修正されており、「死者が語りかけてくる
だけでなく、先生ご自身が臨死体験をされた上で、どのように過去の執筆を手直
しされたのか」「私が信じている精神世界の姿に何か変更があったのか、少し
不安」という気持ちから手にしました。
結論は、
「愛した人は、姿かたちがなくとも生きている」
「愛した人とは、また必ず逢えるのだ」
ということは、不変でありホッとしました。
先生が臨死体験もされ、光との対話もしたのちに、私の心の支えである「愛した人
とまた『必ず』逢える」という根底が修正されたりしていないかと、とても心配で
した。
あぁ、本当によかったです。
・・・
本書の中で、私が目を惹いた、飯田史彦教授の執筆を一部ご紹介いたします。
飯田史彦教授は、
「本書でご紹介してきた諸研究に、私のスピリチュアルな体験を加えながら、
私なりに分析してみると、人生を読み解くための宇宙論を展開できます。」
と語っておられます。
飯田史彦教授の語る-宇宙の正体-
飯田史彦教授は、
「宇宙の正体は、『成長を志向する無境界かつ無限界の不偏意識』であり『あら
ゆるものの根源であるとともに、あらゆるものを一定の法則のもとで統制しなが
ら、自らを限りなく成長させようとしている存在』であると、解釈できます。」
と述べています。
先生は、「このような私の定義は、さまざまな思想で用いられる宇宙の定義と、
根本的な部分で共通しているため、このような定義の中に、ほとんどの思想を、
統合できるでしょう。」とおっしゃっています。
もう少し具体的に・・・
「この『無境界かつ無限界の不偏意識』とは『ここからここまでが宇宙』という
境界がなく、『これだけで充分』という到達点も持たないで、あらゆるところに
行き渡っている、『意志を持って思考している存在』ということを意味していま
す。」のだそうです。
飯田史彦教授は、
「ここで大切なのは『宇宙という存在が意識をもっている』のではなく、『宇宙
そのものが意識』だということです。」とおっしゃっています。
この表現の違いは、大変大きな意味(意味合いの違い)を持っているようです。
飯田史彦教授は、
「もしも、『宇宙というものが意識を持っている』という表現をとってしまうと、
『意識』以前に、まず、その意識を持つ何らかの物質的な宇宙が存在しなければ
ならなくなり、『それでは、意志を持つ宇宙という物質を最初に創造した存在は
いったい何なのですか?』という疑問が残るだけで、根本的な解決にはなりませ
ん。」と言われています。
そう言えば、よく高次の世界とかあの世は階層世界で、どんどん霊性進化して、
この物質世界で言う「上下」でいうと、上へ上へと上の世界、明るい世界へと
進んで行き、そして、その高次のある世界では、私自身の本質(江原氏の言う
「狭義の類魂=狭義のグループソウル」「坂本氏のいう「I・T」)が存在し、
さらに高次の世界では、私の本質と親和性のある他の本質(江原氏のいう「広義
の類魂」「坂本氏のいう「I・Tクラスター」。いわゆる親や仲の良い友人、そ
して何よりも私が逢いたがっている『亡き彼女』のグループソウル)と繋がって
いると語られています。
そして、その先は・・・全ての類魂と繋がり合っていて、またその先は、坂本
政道氏によると、太陽系のあらゆる意識だけでなく、銀河系内、そして我々の銀
河系の外にも意識が繋がっていると、またさらに・・・
と記されていることで、ある程度「宇宙との繋がり」は、自分なりに理解してい
ました。
しかし、その先の、そのまた先の・・・と行くと、どこかで1つとなる創造主な
いしは、何かしらの存在があるのではないかと、元となった何かがあるのではと、
自然にそして漠然に、そう思っていました。
しかし、意外にも、我々のすぐそば、地球の外の宇宙こそが無限に広がる宇宙その
ものであり、飯田史彦教授の言われるとおり「宇宙そのものが意識」であると、本
書を読んでいてそう思いました。
ですから、いわゆる「創造主」「神」なる存在は、どこか遥か彼方にいるのではな
く、地球という惑星のすぐ外にいるのだ、ということのように感じました。
・・・
飯田史彦教授は本書にて、
「今のところ、宇宙物理学では『宇宙という物質』を創造したのは、『ビッグバン』
と呼ばれる大爆発であったという説が主流です。」
「しかし、ビッグバン以前に、何も存在しない『無』の状態であったとすれば、
何も理由がないにもかかわらず、いきなり『無』から爆発が生じるはずがありませ
ん。」
「したがって、ビッグバン以前にも『物質ではない何か』が存在したはずであり、
『宇宙の正体は、物質ではなく意識である』という解釈へとつながるのです。」
と言い切っておられます。
・・・
「何とも大胆な発想だ」と、お思いになるかもしれません。
私もはじめて読んだときは、そう思いました。
しかし、何も無いところに、何かが起こる(ビッグバン)・現れるという説こそ
意外と無理があるのではないか、と思いました。
ビッグバンのような説明は、地球以外の銀河系で、望遠鏡を使って、新たな銀河
や惑星の誕生や消滅を見て発見したところから、宇宙の大元もそうだったのだと
仮説しているに過ぎません。
しかし、新たな銀河系の誕生や惑星の誕生は、すでに「宇宙」という空間があった
上での現象であり、飯田史彦教授の言われるように、本当になにもない、原子も粒
子も何にもない『無』の状態が始まりとしたら、爆発なんてできないのではないで
しょうか。
何かそこに飯田史彦教授が言われるような「意識」という非物質の存在、非物質
の世界と物質世界との繋がりが隠されているように思います。
しかし・・・色々と言いましても、
それでも、私たちは地球という惑星で、徐々に進化し、今や「本能」だけでなく
「理性」をも持ち、喜怒哀楽をも兼ね揃えた存在として、ここでこうして生きて
います。
これら全ては、偶然という言葉では片付けられないと思いませんか?
そう考えるだけでも、仏教的にいうと、お釈迦様の手のひらの上で、我々は
(聖心女子大学の鈴木秀子教授風に言うと)「生かされている」存在のように
思います。
・・・
飯田史彦教授は、
「このようにして、『まず最初に、宇宙という名の意識(精神宇宙)が存在して
おり、その意識が、私たちが宇宙と呼んできた、形を持った物質世界(物質宇宙)
を創造したのだ。』という仮説を立てることができます。」
「その『精神宇宙による、物質宇宙の創造作業』のことを、現代では『ビッグバ
ン』と呼んでいるだけであり、昔は『天地創造』や『国造り』などと呼ばれてい
ましたし、いずれは別の呼び方が考えられることでしょう。したがって、この
『精神宇宙』のことを、俗に言う『創造主』、あるいは『神』や『仏』と、同じ
ものと位置づけても構いません。」と語っています。
「決定版 生きがいの創造」PHPp365~p367
宇宙と繋がっているということは、江原啓之氏や坂本政道氏の書籍からも読み取れ
ましたが、飯田史彦教授は、「宇宙そのものこそが『意識』」ということを、先生
の体験や学者としての知識、そして科学的な角度を入れながら、宇宙との繋がりの
説明や解明に挑んだ、この書籍の一節に目を通した私は、「飯田先生は、そこまで
理論的にまとめようとされるのか」と感銘いたしました。
本書は、過去の先生ご自身の他書の内容も取り入れながら、「集大成の書」として
書き上げられたのではないでしょうか。
是非ともご一読をお薦めいたします。
・・・
飯田史彦教授には、これからも精神世界の存在を我々に伝えていただきたいですね。
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