昨日、エマヌエル・スウェーデンボルグ著 高橋和夫訳編「霊界日記」たま出版と
いう書籍を買いました。
江原啓之氏や船井幸雄氏がお薦めしている著者ですので、スウェーデンボルグの書
籍で何か分かりやすいのものがあればと思っていましたら、たまたま読みやすいも
のがありましたので、買って帰りました。
スウェーデンボルグについては、私の記憶では・・・福島大学の飯田史彦教授や京
都大学のカール・ベッカー教授、その他さまざまな精神世界について述べている学
者さんの書籍には出てこない人物でしたので、江原啓之さんや荻原玄明さん、故:
宜保愛子さんのような扱いなのだろうと思っていました。
そうしましたら、
本書にこのような学者からの言葉がありました。
「私は、スウェーデンボルグをどのカテゴリーに入れてよいのかわからない。―
哲人、見者、神秘家なのか。これらの全てだ、と私は思う。彼はみずからの個人的
体験の基礎をふまえて現代の臨死体験の発見したものを先取りしているようだ。」
「彼が多くのことを語りえたのは、真にまったく異例なことなのだ。臨死体験をし
た人は本質的に死の入口をかいま見たにすぎない。スウェーデンボルグは死という
家全体を探索したのだ。」と。
これは、コネティカット大学心理学ケネス・リング教授の言葉です。
学者の方もスウェーデンボルグの話を読んで、関心を寄せるくらいの内容というこ
とですよね。
コネティカット大学の先生がそう言っているのですか。。。
コネティカット大学医学部精神科 ブルース・グレイソン教授などは、飯田史彦教授の
「生きがいの創造」PHPで紹介されている臨死体験の研究者の一人です。
スウェーデンボルグ氏(科学者、哲学者、神学者)のこの書の内容は、1688年
~1772年に書かれた、私的な日記だそうです。
でも、2007年から数えて、319年~235年前の話ということですね。
臨死体験や精神世界の話が公になって、まだ30年足らずと聞いています。
臨死体験者の報告がたくさん集まれば集まるほど、昔「あの世をかいま見た」と書
かれた書籍も精査されて行き、その中でケネス・リング教授がおっしゃるように、
臨死体験者の報告よりも先取りした内容(死にかけた際に見たという「あの世の世
界」と、この話は一致している)であったので、驚かれ、このようなコメントをさ
れたのだと思います。
そう思いましたら、
「江原さんも、船井さんも、そしてケネス・リング教授のような学者の人も関心を
持つ人物なら読む価値はありそうだ。」と感じました。
・・・
本書で、やはり私がまず知りたかったことは、
「スウェーデンボルグ氏は、死後に先立った人と逢えると言っているのだろうか?」
というところです。
そこで、本書を読みましたら、その答えがありました。
スウェーデンボルグ氏は、
「かなり多くの経験から以下のことを学ぶことを許された。」
「すなわち他生(あの世のことです)で彼らは親類の者・友人・仲間・知人に会い、
また生前たんに評判から知っていたにすぎない者にも会い、こうした人びとと話し
あい、最初はこうした人びとと交わるのである。」
「なぜなら、他生では距離は問題にならず、千マイル、いや一万マイル離れている
者たちでも、彼らのそば近くにいるからである。」
「実に各人の生命に応じて近づけるため、すぐそばにでもいることができる。」
「それゆえ、こうなっているからには、親類の者・両親・子供・友人・仲間が、ま
た、どこかで知ったにすぎない者が、互いに会うのである。」
と語っています。
また一つ、亡き彼女に逢える言葉を聞き、嬉しく思いました。
・・・
しかし、スウェーデンボルグ氏は、次のようなことも言っています。
「しかし生前誰かに憎しみをいだいた者たちは非常に不幸である。」
「彼らはきわめて大きな苦悩と不幸に陥るからである。」
「また非常に多くの経験から学ぶことを許されたことだが、霊魂がおびただしくい
ることも、どんな障害にもならない。」
「それで、憎しみには注意しなければならない。」
「彼らの生命は肉体のうちにいるにあった生命に酷似しており、彼らは生命に関し
て、みずからが肉体の生命のうちにいるとしか考えていない。」
とも語っています。
ようは「イヤなヤツ」「会いたくないヤツ」とも会ってしまうということです。
「あいつはイヤだ。」「死んだのち、アイツだけは会いたくない。」
と思うこと自体、ようは「イヤなあいつを意識している」わけですから、逆に引き
寄せてしまうのでしょうね。
確かに元マイアミ大学医学部精神科教授ブライアン・L・ワイス博士も、前世で
妻を裏切り死に追いやった夫が、今世では父親となりこどもの娘(前世)をとめど
なく虐待するといった話を紹介していました。
(この夫=父親の魂は、懲りていない、喉もと過ぎれば熱さを忘れるんでしょう)
そういう者とは、関わりたくないですよね。
どうしたらいいのだろう。。。あの世へ行った際に「許す」か「意識しないように
解決する」かなぁ。
江原啓之氏は、簡単に、また私たちを安心させるため?に、
「会いたくない者とは会わなくてよい。」とあの世の世界を語っていますが、私は
この言葉も真実だと思っています。
ようは意識したら「逢う」ことになるということでしょう。
あいつに一言「よくも昔。。。」と言いたいような気持ちがあるとか。
あの世は、自分自身が素の自分になるわけですから、なかなかコントロールは難し
いかもしれませんね。
良くも悪くも逢う、出会うという話は、モンロー研究所で体外離脱体験をされた、
「死後世界」の著者 坂本政道氏も同様の話を語っています。
・・・
しかし、私にとっては「亡き彼女に逢える」「逢いたい人には逢える。」
ということのほうが楽しみで、スウェーデンボルグの話は、嬉しくなる話でした。
いう書籍を買いました。
江原啓之氏や船井幸雄氏がお薦めしている著者ですので、スウェーデンボルグの書
籍で何か分かりやすいのものがあればと思っていましたら、たまたま読みやすいも
のがありましたので、買って帰りました。
スウェーデンボルグについては、私の記憶では・・・福島大学の飯田史彦教授や京
都大学のカール・ベッカー教授、その他さまざまな精神世界について述べている学
者さんの書籍には出てこない人物でしたので、江原啓之さんや荻原玄明さん、故:
宜保愛子さんのような扱いなのだろうと思っていました。
そうしましたら、
本書にこのような学者からの言葉がありました。
「私は、スウェーデンボルグをどのカテゴリーに入れてよいのかわからない。―
哲人、見者、神秘家なのか。これらの全てだ、と私は思う。彼はみずからの個人的
体験の基礎をふまえて現代の臨死体験の発見したものを先取りしているようだ。」
「彼が多くのことを語りえたのは、真にまったく異例なことなのだ。臨死体験をし
た人は本質的に死の入口をかいま見たにすぎない。スウェーデンボルグは死という
家全体を探索したのだ。」と。
これは、コネティカット大学心理学ケネス・リング教授の言葉です。
学者の方もスウェーデンボルグの話を読んで、関心を寄せるくらいの内容というこ
とですよね。
コネティカット大学の先生がそう言っているのですか。。。
コネティカット大学医学部精神科 ブルース・グレイソン教授などは、飯田史彦教授の
「生きがいの創造」PHPで紹介されている臨死体験の研究者の一人です。
スウェーデンボルグ氏(科学者、哲学者、神学者)のこの書の内容は、1688年
~1772年に書かれた、私的な日記だそうです。
でも、2007年から数えて、319年~235年前の話ということですね。
臨死体験や精神世界の話が公になって、まだ30年足らずと聞いています。
臨死体験者の報告がたくさん集まれば集まるほど、昔「あの世をかいま見た」と書
かれた書籍も精査されて行き、その中でケネス・リング教授がおっしゃるように、
臨死体験者の報告よりも先取りした内容(死にかけた際に見たという「あの世の世
界」と、この話は一致している)であったので、驚かれ、このようなコメントをさ
れたのだと思います。
そう思いましたら、
「江原さんも、船井さんも、そしてケネス・リング教授のような学者の人も関心を
持つ人物なら読む価値はありそうだ。」と感じました。
・・・
本書で、やはり私がまず知りたかったことは、
「スウェーデンボルグ氏は、死後に先立った人と逢えると言っているのだろうか?」
というところです。
そこで、本書を読みましたら、その答えがありました。
スウェーデンボルグ氏は、
「かなり多くの経験から以下のことを学ぶことを許された。」
「すなわち他生(あの世のことです)で彼らは親類の者・友人・仲間・知人に会い、
また生前たんに評判から知っていたにすぎない者にも会い、こうした人びとと話し
あい、最初はこうした人びとと交わるのである。」
「なぜなら、他生では距離は問題にならず、千マイル、いや一万マイル離れている
者たちでも、彼らのそば近くにいるからである。」
「実に各人の生命に応じて近づけるため、すぐそばにでもいることができる。」
「それゆえ、こうなっているからには、親類の者・両親・子供・友人・仲間が、ま
た、どこかで知ったにすぎない者が、互いに会うのである。」
と語っています。
また一つ、亡き彼女に逢える言葉を聞き、嬉しく思いました。
・・・
しかし、スウェーデンボルグ氏は、次のようなことも言っています。
「しかし生前誰かに憎しみをいだいた者たちは非常に不幸である。」
「彼らはきわめて大きな苦悩と不幸に陥るからである。」
「また非常に多くの経験から学ぶことを許されたことだが、霊魂がおびただしくい
ることも、どんな障害にもならない。」
「それで、憎しみには注意しなければならない。」
「彼らの生命は肉体のうちにいるにあった生命に酷似しており、彼らは生命に関し
て、みずからが肉体の生命のうちにいるとしか考えていない。」
とも語っています。
ようは「イヤなヤツ」「会いたくないヤツ」とも会ってしまうということです。
「あいつはイヤだ。」「死んだのち、アイツだけは会いたくない。」
と思うこと自体、ようは「イヤなあいつを意識している」わけですから、逆に引き
寄せてしまうのでしょうね。
確かに元マイアミ大学医学部精神科教授ブライアン・L・ワイス博士も、前世で
妻を裏切り死に追いやった夫が、今世では父親となりこどもの娘(前世)をとめど
なく虐待するといった話を紹介していました。
(この夫=父親の魂は、懲りていない、喉もと過ぎれば熱さを忘れるんでしょう)
そういう者とは、関わりたくないですよね。
どうしたらいいのだろう。。。あの世へ行った際に「許す」か「意識しないように
解決する」かなぁ。
江原啓之氏は、簡単に、また私たちを安心させるため?に、
「会いたくない者とは会わなくてよい。」とあの世の世界を語っていますが、私は
この言葉も真実だと思っています。
ようは意識したら「逢う」ことになるということでしょう。
あいつに一言「よくも昔。。。」と言いたいような気持ちがあるとか。
あの世は、自分自身が素の自分になるわけですから、なかなかコントロールは難し
いかもしれませんね。
良くも悪くも逢う、出会うという話は、モンロー研究所で体外離脱体験をされた、
「死後世界」の著者 坂本政道氏も同様の話を語っています。
・・・
しかし、私にとっては「亡き彼女に逢える」「逢いたい人には逢える。」
ということのほうが楽しみで、スウェーデンボルグの話は、嬉しくなる話でした。
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