最近、「夢」についての疑問があり、どうなのかなぁ・・・と考えていました。
それは、結構リアルな夢を見ても、夢に出てきた相手は「その時、寝ていなかっ
た。」という事実を確認したからです。
もちろん、思い込みと言いますか、自分が気になっていたから無意識の中でそのよ
うな見たというのもあるでしょう。
江原啓之氏の言われる肉の夢(睡眠中に暑苦しい,騒音などで寝苦しくて見る夢)、
魂の夢(自分自身の思いぐせや心にあるストレスなど、心の状態を如実に表す夢)
の2つは睡眠中に幽界や霊界へ帰っていて見る夢(霊の夢)ではないと。。。夢で
も大きく分けて3つの夢があることは理解しています。
しかし・・・これが霊の夢だというのがイマイチ、分からない・・・というよりも
自信がなくなってきました。
夢を見る。。。色々な書籍や江原啓之氏の「天国からの手紙」などのVTRなどか
ら、亡くなって成仏しているからこそ夢に出てくる,成仏していなくて見えるのなら、
それはこの世で見える(いわゆる幽霊や生霊として)ということは分かります。
例えば、「天国からの手紙」のスペシャル番組で見ました・・・
大阪姉妹刺殺事件(加害者は16歳の時、母親を殺害していた)でお亡くなりにな
られた娘さんの霊は、お姉さんはお父さんに憑いていて、妹さんはお母さんに憑い
ており、TV収録の際に江原啓之氏が霊視したときには、まだ可哀想ですが成仏し
ていないという話で・・・
お母さんが娘さんが「夢に出て来ない」と言われることに対して、江原啓之氏は
「それはそうです。お母さんの後ろにくっついてしがみついていて、お母さんのと
ころに一緒にいるから夢に見えないんですよ。」のような説明されていました。
お父さんは、寝ていて、お父さん!お父さん!と亡くなった娘(姉)の声がして、
目を覚ますとそこに娘(姉)がおり、「○○(妹)が見えるでしょ。○○がいるで
しょ。」と問いかける姉と立っている妹を見たと言われていました。
それに、台所で後ろを振り返ると娘(姉)が立っていてお父さんを見ていた姿を、
お父さん自身がはっきりと見ていて、あれは夢でも妄想でもないと言い切られてお
りました。(台所で娘さんを見たときは、再現シーンでは電灯のついた明るい状態
でしたので、このシーンを見たとき、京都大学のカールベッカー教授がおっしゃっ
ていた「(略)・・・出現物の四割が日中に現われ、二割が夜でも照明のある場所
に、残り四割が夜の暗闇に現れる。一般的な思い込みに反して、出現物は暗闇ばか
りに現れるというわけではない。」という言葉を思い出しました。)
のちに、お母さんは夢で娘さんを見たそうです。(良かったですね。)
・・・
色々な書籍やVTRなどを元に、
「故人の夢を見る」「睡眠中、故人と会っている」
は、江原啓之氏の「スピリチュアル 夢百科」から、亡き彼女の出てきた夢は、霊
の夢だとそう信じてはいます。(信じていたい)
しかし、その真相は。。。とも思ってしまって。
友人は寝ていなかったのに、私はけっこうリアルな夢を見たことから、少しガッカ
リしたような気分と似た心境にありました。
「信じていればいいじゃないか。」とも思います。
ですが、私も凡人です。
どこか信じるに値する「何か」が欲しいんです。
そこで、スピリチュアルの原点とも言えるシルバーバーチの言葉の中に何か答えが
ないかなぁと思い、
目に止まった「シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ」ハート出版の書籍
を購入しました。
色々、「なるほど」とか「ハッ」とする言葉、「やはり色々な方が言っていること
と同じで真実は一つなんだな」という言葉が載っていました。
夢とは別に、後日紹介したいと思います。
・・・
その中で、夢に関して1つ疑問が晴れたことがありましたので、その箇所について
説明と紹介をいたします。
まず疑問点:
それは6月27日の朝方に見た夢に関してです。
はじめて実家で亡き彼女の夢を見たのですが、そのとき夢の中で私は亡き彼女の「脈」
をとって、「脈は落ち着いている」と確認および感じた夢を見たのですが、たとえ
寝ているときにあの世へ行き、亡き彼女と逢っていたとしてもそのようなことがあ
り得るのかという疑問に関してです。
いかに亡き彼女を想っても、亡くなっていることは分かっています。
この世には居ないことも。
あの世に行ったばかりや当面の間は、江原啓之氏の霊界での領域の分け方で言いま
すと現幽界から幽界へ移り、そこで暮している(30年から50年)わけですが、
ここでは、幽体というこの世に居た頃の肉体と同じような姿かたちのものをまとっ
ていると言われています。
確かに、坂本政道氏にしても幽霊を触った感触は、肉体と変わらずに弾力性もあっ
たと言っています。
しかし・・・
「いくら何でも、『脈』まであるのだろうか?」
これが6月27日から、私の心にあった疑問点でした。
そして本書を読んで、その疑問は解決しました。
シルバーバーチへの質問①:
幽界では、たとえば心臓なども残っており、やはり鼓動するのでしょうか。
シルバーバーチは、
「肉体器官の機能が残っているか否かは、その霊の“自覚”の問題です。」
「地上生活のあとにも生活があることを知らず、霊の世界があることなど思いも寄
らない人の場合は、地上で具えていた肉体器官がそっくりそのまま残っていて、肉
体機能を続けています。あらゆる機能です。」
なるほど。。。
だから、長患いした故人は、死後も肉体がないのに「患部が痛い痛い」と訴えるわ
けですね。だからあの世で休息を取らされたり、ヘルパーなる手助けしてくれる霊
によって介抱されたりするというのもうなずけます。
「ある器官が霊の生活に不要となったことを自覚すると、その器官が退化しはじめ、
そのうち消滅してしまいます。」
シルバーバーチへの質問②:
死の直後からそういう現象が生じるのでしょうか?
それとも、ゆっくりとした過程なのでしょうか?
シルバーバーチは、
「それも霊的自覚の程度によります。程度が高ければ、それだけ調整期間が短くて
すみます。」
「忘れてならないのは、私たちの世界は精神世界的な世界、霊の世界であり、そこ
では自覚というものが最優先されるということです。」
「精神が最高の権威をもち、支配しています。」
「精神が指示したことが現実となるのです。」
「昔から高級界からやってきた霊のことを“光り輝く存在”というふうに述べてい
て、姿かたちをはっきり述べていないことにお気づきになったことはありませんか。
外形というものがなくなっていくのです。つまり形による表現が少なくなっていく
のです。」
・・・
このようにシルバーバーチは、あの世の世界での我々の姿というものを伝えています。
江原啓之氏や坂本政道氏のおっしゃる世界と同じですね。
シルバーバーチの言葉を聞き、さらに詳しくあの世での「当面の姿」がよく分かり
ました。
まぁ、「自覚していない」「自覚している」と2極での説明で、より分かりやすく
しているのだと思いますが、あの世の存在をたとえ信じていても、死後に実際にそ
のような世界が存在し行ったときには、多くの人は、最初は戸惑い、また現世での
感覚も当分の間はあると思いますけどね。
死に気づいてない,あの世の存在や霊的存在であることを知らなかったからとは、
一概には言えないでしょう。
ちょっと極端過ぎる表現ですね。
分かりやすく説くためでしょうけど。
脚を不幸にも切断した方は、脚が亡くなっていても、あるかのように本人はついつ
い体重をかけてしまい、バランスを崩してしまったりします。
私も3度、腕を寝ている間に圧迫していて朝起きたとき腕が動かなかったことがあ
ります。そのときは気づいておらず寝ぼけながら顔が痒くて掻こうとしたとき、指
が顔まで来ていない(気持ち?脳からの指示?が行っていない)ことに気づき、え
っ?とそのときはじめて気づき、動かない腕に驚いたことがあります。
ちなみに、そのようなときは動く腕のほうで動かない腕を持つと、温かいのですが
他人の手や腕を持っている感覚と同じです。
ツネっても、噛んでみても何も感じません。でも温かい。。。
触っているのも感じない。でも自分の腕。しかし、動かせずダラ~ンとしていて、
ちょっと不気味な感じがしましたけどね。
それと同じで、当面はあるように感じるのは成仏や低級というよりも、「それもま
た自然なこと」ではないでしょうか。
・・・
そこで、疑問解消。
死後、当面の間はこの世を生きていた肉体と同じく「脈」も打つということですね。
それなら、夢で亡き彼女の脈を取る?
脈は落ち着いていた?
という夢は、思い込みの夢。。。かもしれませんが、霊の夢であるとも言えるとい
うことが分かり、どこかホッとした気持ちになりました。
・・・
夢で見る亡き彼女は、本当に夢で逢えているのだと信じたいです。
それは、結構リアルな夢を見ても、夢に出てきた相手は「その時、寝ていなかっ
た。」という事実を確認したからです。
もちろん、思い込みと言いますか、自分が気になっていたから無意識の中でそのよ
うな見たというのもあるでしょう。
江原啓之氏の言われる肉の夢(睡眠中に暑苦しい,騒音などで寝苦しくて見る夢)、
魂の夢(自分自身の思いぐせや心にあるストレスなど、心の状態を如実に表す夢)
の2つは睡眠中に幽界や霊界へ帰っていて見る夢(霊の夢)ではないと。。。夢で
も大きく分けて3つの夢があることは理解しています。
しかし・・・これが霊の夢だというのがイマイチ、分からない・・・というよりも
自信がなくなってきました。
夢を見る。。。色々な書籍や江原啓之氏の「天国からの手紙」などのVTRなどか
ら、亡くなって成仏しているからこそ夢に出てくる,成仏していなくて見えるのなら、
それはこの世で見える(いわゆる幽霊や生霊として)ということは分かります。
例えば、「天国からの手紙」のスペシャル番組で見ました・・・
大阪姉妹刺殺事件(加害者は16歳の時、母親を殺害していた)でお亡くなりにな
られた娘さんの霊は、お姉さんはお父さんに憑いていて、妹さんはお母さんに憑い
ており、TV収録の際に江原啓之氏が霊視したときには、まだ可哀想ですが成仏し
ていないという話で・・・
お母さんが娘さんが「夢に出て来ない」と言われることに対して、江原啓之氏は
「それはそうです。お母さんの後ろにくっついてしがみついていて、お母さんのと
ころに一緒にいるから夢に見えないんですよ。」のような説明されていました。
お父さんは、寝ていて、お父さん!お父さん!と亡くなった娘(姉)の声がして、
目を覚ますとそこに娘(姉)がおり、「○○(妹)が見えるでしょ。○○がいるで
しょ。」と問いかける姉と立っている妹を見たと言われていました。
それに、台所で後ろを振り返ると娘(姉)が立っていてお父さんを見ていた姿を、
お父さん自身がはっきりと見ていて、あれは夢でも妄想でもないと言い切られてお
りました。(台所で娘さんを見たときは、再現シーンでは電灯のついた明るい状態
でしたので、このシーンを見たとき、京都大学のカールベッカー教授がおっしゃっ
ていた「(略)・・・出現物の四割が日中に現われ、二割が夜でも照明のある場所
に、残り四割が夜の暗闇に現れる。一般的な思い込みに反して、出現物は暗闇ばか
りに現れるというわけではない。」という言葉を思い出しました。)
のちに、お母さんは夢で娘さんを見たそうです。(良かったですね。)
・・・
色々な書籍やVTRなどを元に、
「故人の夢を見る」「睡眠中、故人と会っている」
は、江原啓之氏の「スピリチュアル 夢百科」から、亡き彼女の出てきた夢は、霊
の夢だとそう信じてはいます。(信じていたい)
しかし、その真相は。。。とも思ってしまって。
友人は寝ていなかったのに、私はけっこうリアルな夢を見たことから、少しガッカ
リしたような気分と似た心境にありました。
「信じていればいいじゃないか。」とも思います。
ですが、私も凡人です。
どこか信じるに値する「何か」が欲しいんです。
そこで、スピリチュアルの原点とも言えるシルバーバーチの言葉の中に何か答えが
ないかなぁと思い、
目に止まった「シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ」ハート出版の書籍
を購入しました。
色々、「なるほど」とか「ハッ」とする言葉、「やはり色々な方が言っていること
と同じで真実は一つなんだな」という言葉が載っていました。
夢とは別に、後日紹介したいと思います。
・・・
その中で、夢に関して1つ疑問が晴れたことがありましたので、その箇所について
説明と紹介をいたします。
まず疑問点:
それは6月27日の朝方に見た夢に関してです。
はじめて実家で亡き彼女の夢を見たのですが、そのとき夢の中で私は亡き彼女の「脈」
をとって、「脈は落ち着いている」と確認および感じた夢を見たのですが、たとえ
寝ているときにあの世へ行き、亡き彼女と逢っていたとしてもそのようなことがあ
り得るのかという疑問に関してです。
いかに亡き彼女を想っても、亡くなっていることは分かっています。
この世には居ないことも。
あの世に行ったばかりや当面の間は、江原啓之氏の霊界での領域の分け方で言いま
すと現幽界から幽界へ移り、そこで暮している(30年から50年)わけですが、
ここでは、幽体というこの世に居た頃の肉体と同じような姿かたちのものをまとっ
ていると言われています。
確かに、坂本政道氏にしても幽霊を触った感触は、肉体と変わらずに弾力性もあっ
たと言っています。
しかし・・・
「いくら何でも、『脈』まであるのだろうか?」
これが6月27日から、私の心にあった疑問点でした。
そして本書を読んで、その疑問は解決しました。
シルバーバーチへの質問①:
幽界では、たとえば心臓なども残っており、やはり鼓動するのでしょうか。
シルバーバーチは、
「肉体器官の機能が残っているか否かは、その霊の“自覚”の問題です。」
「地上生活のあとにも生活があることを知らず、霊の世界があることなど思いも寄
らない人の場合は、地上で具えていた肉体器官がそっくりそのまま残っていて、肉
体機能を続けています。あらゆる機能です。」
なるほど。。。
だから、長患いした故人は、死後も肉体がないのに「患部が痛い痛い」と訴えるわ
けですね。だからあの世で休息を取らされたり、ヘルパーなる手助けしてくれる霊
によって介抱されたりするというのもうなずけます。
「ある器官が霊の生活に不要となったことを自覚すると、その器官が退化しはじめ、
そのうち消滅してしまいます。」
シルバーバーチへの質問②:
死の直後からそういう現象が生じるのでしょうか?
それとも、ゆっくりとした過程なのでしょうか?
シルバーバーチは、
「それも霊的自覚の程度によります。程度が高ければ、それだけ調整期間が短くて
すみます。」
「忘れてならないのは、私たちの世界は精神世界的な世界、霊の世界であり、そこ
では自覚というものが最優先されるということです。」
「精神が最高の権威をもち、支配しています。」
「精神が指示したことが現実となるのです。」
「昔から高級界からやってきた霊のことを“光り輝く存在”というふうに述べてい
て、姿かたちをはっきり述べていないことにお気づきになったことはありませんか。
外形というものがなくなっていくのです。つまり形による表現が少なくなっていく
のです。」
・・・
このようにシルバーバーチは、あの世の世界での我々の姿というものを伝えています。
江原啓之氏や坂本政道氏のおっしゃる世界と同じですね。
シルバーバーチの言葉を聞き、さらに詳しくあの世での「当面の姿」がよく分かり
ました。
まぁ、「自覚していない」「自覚している」と2極での説明で、より分かりやすく
しているのだと思いますが、あの世の存在をたとえ信じていても、死後に実際にそ
のような世界が存在し行ったときには、多くの人は、最初は戸惑い、また現世での
感覚も当分の間はあると思いますけどね。
死に気づいてない,あの世の存在や霊的存在であることを知らなかったからとは、
一概には言えないでしょう。
ちょっと極端過ぎる表現ですね。
分かりやすく説くためでしょうけど。
脚を不幸にも切断した方は、脚が亡くなっていても、あるかのように本人はついつ
い体重をかけてしまい、バランスを崩してしまったりします。
私も3度、腕を寝ている間に圧迫していて朝起きたとき腕が動かなかったことがあ
ります。そのときは気づいておらず寝ぼけながら顔が痒くて掻こうとしたとき、指
が顔まで来ていない(気持ち?脳からの指示?が行っていない)ことに気づき、え
っ?とそのときはじめて気づき、動かない腕に驚いたことがあります。
ちなみに、そのようなときは動く腕のほうで動かない腕を持つと、温かいのですが
他人の手や腕を持っている感覚と同じです。
ツネっても、噛んでみても何も感じません。でも温かい。。。
触っているのも感じない。でも自分の腕。しかし、動かせずダラ~ンとしていて、
ちょっと不気味な感じがしましたけどね。
それと同じで、当面はあるように感じるのは成仏や低級というよりも、「それもま
た自然なこと」ではないでしょうか。
・・・
そこで、疑問解消。
死後、当面の間はこの世を生きていた肉体と同じく「脈」も打つということですね。
それなら、夢で亡き彼女の脈を取る?
脈は落ち着いていた?
という夢は、思い込みの夢。。。かもしれませんが、霊の夢であるとも言えるとい
うことが分かり、どこかホッとした気持ちになりました。
・・・
夢で見る亡き彼女は、本当に夢で逢えているのだと信じたいです。
シルバーバーチという検索で訪れました。
いろいろなことを感じながら検証しながら考えながら生活されているだなということが感じられました。
記事の内容読ませて頂きました。僕にとっても参考になりました。ありがとうございます。
亡き彼女の置き土産でした江原啓之氏の単行本に救われて以来、スピリチュアルの世界に感心を持ち、今日に至っています。
私も目に見えない世界について、こんなに考えたことは今までありませんでした。
テルテル様のブログを拝見させていただき、スピリチュアルやシルバーバーチ等について学ばせていただきますm(_ _)m
スピリチュアルなことで気になったり知りたいなぁと思ったことを調べて書き込んだり、何気ない話などを気の向くままに書いているだけですが、よろしければまたお気軽にお立ち寄りください。
僕のブログですが、いつまでも初心者用のブログですが宜しければ気軽にコメントなどしてください。
亡き彼女さんの置き土産が江原さんの本だったなんて、とても何と言うか大きなメッセージですね。私のような興味から入った人間にとっては、管理人さんのスピリチュアルな物との出会いは無くてはならないもののように感じます。
お言葉に甘え、また立ち寄らせて頂きます。ありがとうございます。
テルテル様のブログにも書き込みさせていただきます☆
部屋には、と言いますか、彼女が使っていたベッドの枕元にたった1冊残されていたのが江原啓之氏の「幸運をひきよせる スピリチュアルブック」王様文庫でした。それ以外のスピリチュアルな書籍は当初見つかりませんでした。(その後、妹さんと一緒に彼女の荷物を片づけましたら、三輪さんの書籍が後から1冊だけ出てきました。それ以外にはスピリチュアルな書籍はありませんでした。)
「グループ・ソウルって知ってる?」
と聞かれたことがあります。(亡くなる前の1ヶ月内に)
この書籍を読んでいたから、そういう言葉が出たのだと思いますが、亡き彼女は江原さんの書籍を読んでいたことで、自分なりに今は納得しているのかも知れません。
私のほうが、まだまだ。。。です。
スピリチュアルな視点って、半信半疑であっても持つことは大切ですよね。
「死を見つめ、今の生を考える。」
そういう生き方をしていこうと思います。
ありがとうございました。