マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

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笹井氏自殺:遺書「絶対STAP細胞を再現してください」

2014年08月06日 11時50分27秒 | □私の気になる記事
笹井氏自殺:遺書
「絶対STAP細胞を再現してください」

毎日新聞 2014年08月06日 06時30分
(最終更新 08月06日 08時26分)


5日に自殺した理化学研究所発生・再生科学総合
研究センター(CDB、神戸市)の笹井芳樹副セ
ンター長(52)が残した遺書に、STAP細胞
論文の筆頭著者の小保方(おぼかた)晴子・理研
研究ユニットリーダー(30)宛てがあり、その
中で「限界を超えた。精神的に疲れました」など
と記していたことが、関係者への取材で明らかに
なった。

関係者によると、3通の遺書がカバンに入ってお
り、小保方氏、CDB幹部、研究室メンバー宛て
だった。いずれもパソコンで作成され、封筒に入
っていた。5日に東京都内で記者会見した加賀屋
悟・理研広報室長によると、笹井氏の秘書の机上
には理研神戸事業所の総務課長と人事課長宛ての
書類があった。加賀屋室長は「(笹井氏は)心身
ともに非常に疲れていたようだ」と話した。

小保方氏宛ての遺書は1枚。「絶対にSTAP細
胞を再現してください」と、STAP細胞の有無
を確かめる検証実験への期待が書かれていた。
検証実験は今春、CDBの研究者が開始し、今月
中に中間報告が出る。9月からは小保方氏本人が
実験に取り組む。

理研の野依良治理事長は「驚がくしている。世界
の科学界にとって、かけがえのない科学者を失っ
たことは痛惜の念に堪えない」とのコメントを発
表した。

笹井氏は5日午前8時40分ごろ、CDBと隣接
する先端医療センター内で首をつった状態で見つ
かり、午前11時3分に死亡が確認された。
遺書が残されていることから、兵庫県警は自殺と
みて調べている。

・・・

嘘か真か。
STAP細胞の報道を見守ってきました。
NHKの特番も見ました。

この笹井芳樹副センター長の業績と社会・生化学
への貢献は計り知れないものだと感じていました。

自殺をされたという報道を知り、とても悲しく残
念に思いました。

まさに、小保方さんに遺した遺書の通り、
今、世間であれこれ言われようとも、

「絶対STAP細胞を再現してください」

この言葉に尽きると思います。

笹井芳樹さんは、

<笹井氏自殺>2カ月前から研究室メンバーの
就職先探し
毎日新聞 8月6日(水)6時15分配信

自らの研究室のある建物で自殺した理化学研究所
発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹
井芳樹副センター長(52)。理研関係者による
と、自らの研究室の閉鎖を覚悟し、約2カ月前か
らメンバーの再就職先を探していた。若手の研究
環境改善にかねて身を砕いてきた笹井氏だが、心
身とも疲れ果てた様子で就職先探しも半ばに自ら
命を絶った。

笹井氏は「器官発生研究グループ」のリーダーも
務め、研究員や大学院生ら若手約20人の研究を
指導していた。脊椎(せきつい)動物の脳の発生
過程などを研究テーマにし、レベルの高さで知ら
れる。だが、笹井氏は今年4月、STAP論文の
研究不正を調査した理研調査委に「責任は重大」
と指摘され、懲戒処分を受ける見込みとなった。

複数の関係者によると、笹井氏は約2カ月前から
研究室メンバーの就職先を探し、「研究室を閉め
るから行き先を探すように」とも指示した。実績
があれば他の研究室に移りやすいため、それまで
の研究を論文にまとめさせたり、学会発表の準備
をさせたりしたという。

また、再生医療に関する独立行政法人科学技術振
興機構などの複数の大型プロジェクトの代表を務
めていたが、その交代準備も進めていたという。

・・・

「STAP細胞」

我々の「生命」に関わる,命を救う研究をされて
きた方々が苦しい思いをしているのは見ていて耐
え難いものがあります。

なぜ、不十分な内容のまま、そして世間に公表す
ればどういう結果(今のような事態)を招くとい
うことも分かる方々だと思います。

世間には、多くの研究者・大学教授等がいますの
で、公表された論文通りに検証する人々が多数い
ることも分かるはずですよね。

そして、その結果は「論文の内容通り行っても
STAP細胞が作れない」、誰もどの専門家も、
作れないとなると、それは、あまりにも画期的な
研究論文であったために、世間からの反動(疑問
視・批判)はとてつもなく大きいのは当然だと思
います。

・・・

「理化学研究所」自体の体質の問題も指摘されて
います。

そこで研究している人達に対して何か「見えない
チカラ(成果を出さなければいけない)」もあっ
たのではないでしょうか。

私が「理化学研究所」という研究所名を知ったの
は、ある理系大学の売店店長をしていた頃でした。

そこで、学生さん等に不動産の斡旋をしていたの
ですが、理化学研究所というところは、博士号を
取得した院卒者で大学等の常勤講師や准教授、教
授に就職難等でなれない若手研究者(ポスドク・
オーバードクター)が任期制で勤めて研究を続け
る機関だという認識でした。

その中で、ある一定の成果を出せた研究者は理研
で常用や理研での成果(研究論文や研究実績)で
大学の教員の席に就けるという非常に狭い世界の
中での競争の窓口的存在、博士号取得者の受け皿
的存在のような研究所なのだと感じていました。

ですから、
「見えないチカラ」がかかっていたのではないか
なぁと思うわけです。

成果を出せなければ、任期(3年とか5年)終了
でさようならの世界なわけですよね。

再度契約更新となるにしても、それまで在籍した
期間での「成果」が問われるわけですよね。

この研究者を「伸ばしてあげたい」「この研究は
もう少しで大きな成果が出る」と期待できる研究
者、期待できる研究内容であった場合、常用で理
研に勤める上席の研究者は、言わば「この研究者
の進路指導役,就職支援係」のように、何とか
陽の目を見せてあげたい(親心のようなもの)と
思うのも必然だと思います。

その辺りで「焦り」が研究内容の不十分さにブレ
ーキを掛けられなかったのではないかと感じてい
ます。

・・・

人の生命、命に関わる研究においても、一般社会
の営業職のサラリーマンのように「結果」「成果」
が求められて、そのプレッシャーの中で生きてい
るのは、研究者とて同じなわけですね。


今の世の中、助手(助教)になるのでさえも、席
の取り合いという状態だと聞いています。

研究者とて、飯を食って行かないと生きていけま
せん。

また、どこかの研究室に在籍していないと、機材
の無い自宅で研究など出来ませんので、賃金の
高低や不安定な身分という労働条件の中でも居続
けなければなりません。

ここ10年の間でも「博士号取得者」が急増して
います。

20年前くらいから、大学院博士後期課程は単位
取得で中退したのち、研究を続けて、ようやく論
文を認められて博士号を取得するという道(論文
博士)から、大学院博士後期修了と同時に博士号
を取得するといった「課程博士」の道へと大きく
切り替わり、倍増以上の勢いで博士号取得者が増
えました。

これは国の政策でもあるのですが、このように大
学院後期課程を中退ではなく、修了してすぐに博
士号がもらえるようになった反面、少子化等で大
学教員の数は減る一方の時代へと入り、「教員」
としてではなく「ノルマに追われるサラリーマン」
のような立場へと変わったのが、「成果ばかりに
走る」「見た目重視」「焦る中での研究」へと
変わっていったのではないでしょうか。

そして、博士号取得者で無職という社会の矛盾を
生んでいる要因の一つにもなっています。

確か、随分昔には、
「末は、博士か、大臣か」と言われた時代もあっ
たと聞いています。

今は、ストレートで博士号を取って、27歳。
飛び級で26歳。

26歳、27歳で社会人となっても一般社会での
実務経験ゼロで就職先が無いと言われています。
理工系は製薬会社や製造・化学メーカーでの研究
員という道があることはありますが、それも狭き
門です。何せ博士号取得者はヤマほどいますから。

・・・

昔は、勉強を真面目にしてきた人は、たとえクチ
下手でも、大学教授の席や政府機関の研究所への
就職が、ほぼ確約されていました。博士号取得者
が少なかった時代でです。

今は、大学教授の経歴を見ましても、実務家が多
いことが分かります。

特に文系、法律系、経済・経営・商学系は、
公認会計士や弁護士、元官僚または大手企業の法
務部や会計監査をしてきたという実績を持った実
務家出身者で多くの席が埋まっています。

研究一筋・・・で、どうにかなる時代は終わった
ことを告げています。

大手企業の役員クラスから、60歳、または50
歳代で、大学教授にtravailする者の存在で、さ
らに大学教員や研究者の席が減っています。

・・・

そんな、社会状況の中、この理化学研究所は、
確かに「博士号取得者」が路頭に迷うのを防いで
いる役目も担っていると思います。

また、その優秀な能力を一箇所に集約して高度な
研究機関として、有用な研究がされている場所だ
とも思います。

しかし、「焦り」と「成果を求めすぎた(見えない
圧力・見えないプレッシャー)」結果、このような
悲劇を生んだとも言えるかと思います。

今の世の中、ある一定ラインを超えた「安住の地」
に辿り着くのは至難の技です。

研究者も同じだと思います。

笹井芳樹副センター長でさえも、研究室の研究員
の仕事探し、転職先探しで翻弄されていました。
もはや、これでは研究者というよりも高校の進路
指導の先生です。

責任を感じて、研究室の研究員の行く末や進路ま
で悩むとは、とても責任感、正義感、そして親心
のある方だと感じました。

・・・

ただ、私は個人的に思うのですが、

「勉強や研究が出来ても、稼げなかったら、そこ
まで(それまで)」

勉強も研究も、そして私のように経理職で働くの
も、現場作業員や運転手として働くのも、全ては
自分で見つけ、自分で進んできた道であり、誰か
に助けてもらったり、援助してもらったりする
ものではないと思います。

私の会社にも来ますよ、浄水器等の飛び込みセー
ルスマンが。

大変だなぁ、と見ててそう思います。

私も営業ノルマに追われて、不動産営業職をして
いた時期がありますので、「ウンチクや理論?
そんもの、どうでもいい!成果を出せっ!売って
来い!」の世界はよく分かります。

そういう仕事を避けて、頭脳で乗り越えようとし
ている人達の心理状況も手に取るように分かりま
す。

しかし、世の中、どんな仕事に就いても、営業的
スマイルやトーク(話法)、協調性が必要となっ
ています。

「出来ない」や「苦手だから」なんて、言い訳は
通用しないのが今の社会です。

「自分のチカラ」「自分の技量」で生き抜くほか
ないのです。

現役学生から大学院博士後期まで進むとなると、
親御さんも相当な学費を出費してきています。

そこまで育ててくれた,自分の子供だからと投資
してくれた人への恩返しは、「社会人として稼ぎ
そして、返済(親孝行)すること」でしょう。
(全て奨学金ならば、育英会へ返済して、後の後
進の苦学者への援助者となるべき)

勉強はできるが、お金は稼げないでは、学んだ
意味が無い。その努力を生活の糧(教員になる,
常勤の研究者になる,一般企業で働く)に繋げる
のは、「自分自身」がやるべきことです。

それは、どんなに厳しくても、どんなに狭き門
でも自分自身が選んだ道なのですから。

・・・

安定した職業や仕事、そして生活は、与えてもら
うものではなく、自分で掴みとるものですね。

・・・

笹井芳樹副センター長という方は、ホント真面目
で責任感のある方だったのだなぁと新聞記事を読
んでそう感じ、亡くなられたことについて非常に
残念に思います。

NHKの特番でも厳しく追求されていましたし。

心労は私達の想像以上のものだったのでしょうね。
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