笹井副センター長自殺 世界的研究者の訃報を海外も報じる
フジテレビ系(FNN) 8月6日(水)17時53分配信
5日、自ら命を絶った理化学研究所の笹井芳樹副センター長
は、小保方 晴子ユニットリーダーに宛てた遺書に、STAP細
胞の再現を願う内容をつづっていた。
2014年1月のSTAP細胞論文の発表会見でも、部下の小保方氏
を気遣っていた笹井氏。
笹井氏は1月、STAP論文発表会見で「(小保方氏は)ついこの
間まで、リバイズ実験で追われていましたので、あんまり
いじめないでやってください。そういうことでございます」
と話していた。
遺書は、1枚の紙に、パソコンで作成され、「限界を超えた」、
「精神的に疲れました」といった言葉のほか、「あなたの
せいではない」など、小保方氏を励ますようなメッセージが
記されていたことが、関係者への取材でわかった。
小保方氏の代理人弁護士によると、遺書はまだ、兵庫県警に
あり、小保方氏のもとには届いていないという。
世界で初めて、マウスのES細胞から、網膜の再生に成功した
世界的研究者の訃報を海外のメディアも報じた。
韓国では5日、「(STAP細胞論文の)著者の1人である教授が自
殺をし、その波紋が大きくなっています」と報じられた。
アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルは、「日本人
は、時として、自殺をして償う」と報じたほか、2013年、
笹井氏の研究を表彰したスイスのベルン大学は、笹井氏の功
績をたたえる、哀悼の意を発表。
また、STAP細胞論文を掲載し、その後、取り下げた「ネイチャー」
も、笹井氏の自殺について、「本当に悲劇で、多大な損失だ」
とコメントしている。
笹井氏は1月、「試験管の中で、おなかの赤ちゃんができて
くる環境を再現してやると、さまざまな心臓とか神経とか、
網膜をつくることが可能です」と話していた。
再生医療のトップとして、研究を続けるとともに、研究費
などの予算を獲得するための交渉などにも優れていたという
笹井氏。
理研CDB(発生・再生科学総合研究センター)の竹市雅俊センタ
ー長は5日、「最近は、ES細胞を培養することによって、立
体的な臓器をつくり上げるという、世界がびっくりするよう
な、画期的な発見をしたんです」と話した。
笹井氏が亡くなった研究棟のすぐ近くでは、現在、ビルが建
設中で、工事の音が響いている。
・・・
ウォール・ストリート・ジャーナルが「日本人は、時として、
自殺をして償う」と報じたそうですが、そんな美的なもので
はないと思います。
何かしらの出来事があり「追い詰められて」「悩んで」での
死の選択。人は表面では気丈に振る舞っていても、やはり
「心・精神」のある生き物ですので、このような悲惨な出来
事となってしまったのだと思います。
今の現在社会は、「生き抜く」のにとても厳しい環境にある
と思います。
学生の場合は勉学、社会人の場合では「成果」等、個々人に
「求められている」期待値が非常に大きく、精神的負担が
増大している世の中だと感じています。
笹井副センター長の死を知って、「人はどのようにして
死を迎えるのか」と思い調べてみました。
私の彼女は、この分類では「不慮の事故」になります。
また、今年、命日に亡き彼女の実家を訪れた際に、亡き
彼女の従姉妹さんが26歳で亡くなられていました。
「悪性新生物」、がんでした。
しかし、この厚生労働省の白書を見て、「これからの人」
「今、一番働き盛りの人」の死因の1番、2番が「自殺」
という実態にはとても驚きました。
男性では、15歳から34歳までの1番の死因が「自殺」
35歳から54歳では悪性新生物(がん)の次に多い
のが「自殺」
女性でも、15歳から44歳までの1番の死因が「自殺」
となっています。
・・・
先進国に多い傾向のようですが、自ら死を選ぶという自殺
での死因の多さだけでなく、自殺が一番多い死亡の要因と
なっている年齢層を見て、日本社会の今の姿・現状が如実
に表されている結果が出ているなぁと感じました。
「いじめ」「進路(進学)の失敗」「就職の失敗」そして
「仕事の重圧」など、困難と挫折の間で「これからの人」
「今、一番働き盛りの人」が命を絶っている現状を知り、
「人が、人の創った世の中の仕組みの中で、もがき苦しみ
抜いている」という悲しい構図は、「これって、いったい
何なのだろう」と思ってしまいます。
・・・
「生きる」「生き抜く」とは一体何のためなのか・・・
根本的な原点まで「何なのだろう」と思い、揺らいでしま
います。
人という生き物は、心があり、理性があり、感性があり、
欲望を持ち、望みを持ち、そして、何より「幸せ」になり
たいの願う生き物です。
そのために、努力を続けるわけですが、
「幸せになりたい」「望むモノ(物・地位・名誉・安定)を
手に入れたい」と強く望めば望むほど思うように行かない時、
「今までの努力を一瞬にして捨て去る(自殺)という行為」
に出る人が後を絶ちません。
「そのとき(あのとき)」「そのとき(あのとき)」に
耐え忍び、苦労と努力を積み重ねて今があります。
生きているとき、そして死を選ぶまでに「乗り越えてきた」
ものもあるはずです。
それなのに、終止符を打つ。打ってしまう。。。
・・・
私は、もっと単純な人間なのかも知れませんね。
死を選ぶ人の大半は「あれこれ複雑に考え、そして、また
真面目な人」なんだと思います。
・・・
私が銀行員のときに、関西大学出身の同期生がいました。
その彼は、私と同じ年月日に退職して、そして、その後、
自分自身を模索し続けて、最後は自宅で首を吊って自殺して
しまいました。
大学生のときから付き合っていた彼女との別れ(仕事が多忙)
があり、体調を崩して(吐血)思うようにならなくなって
しまったことなどもありました。
関西大学の学生をしていた頃、新聞配達のアルバイトをして
いた苦学生で、退職後、学生時代にお世話になった新聞配達
所で新聞配りをして体調を整えて、ノンバンクへ再就職しま
したが、銀行よりも「融資してナンボ」の世界ですので、
審査もこれで良いのかという甘さで、そこに矛盾を感じて、
大手ノンバンクの審査部も辞めてしまいました。
そして、自殺。。。
・・・
私が銀行員の現役時代に、関西大学レベルを卒業していたな
ら「銀行員を辞めていなかった」です。今も銀行員をしてい
た可能性が高いです。
関西大学を卒業して、銀行員になっていても、その後、自殺
をして、これまでの努力を無にしてしまう。
「死」とは、全てを無にする恐ろしい事象であることは、
間違いありません。
「死」は自ら選ばなくても、いつか必ず生きたくても死ぬと
きが全ての人に訪れるものです。
・・・
私にも言えますが、そのとき(私は20代中盤から後半)
に「なにくそっ!」「学歴(学校歴)で色目で見られてたま
るかっ!!」と思い、
「立命館大学大学院経営学研究科博士前期課程」
という関西でトップレベル(これは私が自負?していること
ですが・・・神戸大がトップです)の経営学の学び舎にまで
進学しました。
「関西大学,関西学院大学,同志社大学,立命館大学」
いわゆる関関同立まで進めれば、私としては大満足でした。
理化学研究所で働く研究員などは、もっとレベルの高い、
有名難関国公立大学と大学院(博士)双方を出た者が多数
います。
そこまでのレベルまでは、私自身の能力を勘案して、はじめ
から望んではいませんでしたが、
立命館大学大学院の経営学修士号:修士(経営学)でも十分
だと思っています。
それが、現役大学生時代や新社会人となってからの劣等感を、
その年代(20歳代)で払拭するが出来たとき、それは嬉し
かったです。これで「悔い無し」と思いました。
・・・
「人は、どこまで望むものなのか」「どこまで夢、希望、
欲求を追い求めるものなのか」と、ふと、考えることがあり
ます。
それが、大きければ大きいほど、成し遂げれないとき、
自らが失望したとき、人は「死を選ぶ(自殺)」ものだと
思います。
また、「学校でのいじめ」や社会人においては「仕事で成果
が出ずに、社内で毎日怒鳴られ続けて疲れた」はある種同じ
境遇にあると思います。
学校は「それでも行かないといけない」というプレッシャー
の中にあり、仕事では「生活のため」や「せっかく就活して
勝ち取った内定・入社なんだし・・・」、「生活するために
稼がないといけない」「見た目、世間体がよい会社に就職
したのだから」などと思い、自らに手枷、足枷をかけてしま
い苦しみ、命を絶つなど、さまざまな要因で「やらなければ」
「我慢しなければ」と自分自身を追い詰めて、そして「もう
限界・・・駄目だ」となってしまうことと思います。
・・・
先にも書きましたが、
「私はもっと単純な人間なのかも知れない」と思うのは、
本当に嫌で、また追い詰められたときは、逃げればよいと
考えているからでしょう。
「逃げる」と言いましても、実際には難しいことと思います。
それが出来ればどれだけラクか・・・と言われると思います。
しかし、自ら死を選ぶくらいなら、死しても逃げても、
今までの積み重ねを捨て去る結果になるとは思いますが、
捨て去った後に生きるのが辛いため(そう考えてしまうため)
に、捨て去ると同時、あるいは捨て去る前に、自分自身に終止
符を打つというのは、今一度考え直したほうがよい,一度踏み
留まって考えたほうがよいと思うのです。
それは、「先のことなど分からない」そんな世の中であり、
また、この先どうなるのか、なんて誰にも分からない、自分さ
えも自分のことでも分からない面が多々あるからです。
・・・
暇(ラク)になった。でも、全てを失った。もう、やる気も
どうすることも出来ないまで行き着いたときに、「死」が再び
浮かんでくるかも知れませんが、身軽になって、逆に開き直り
新たな道が見えてくるかも知れません。
・・・
この現代社会、日本社会での死亡要因を知って、愕然としまし
たが、最後に判断するのは本人しかない,本人でしか止められ
ないことですので、私は「これから先何があるか分からないし、
急いで死を選ぶのは止めましょう」としか言いようがないです。。。
フジテレビ系(FNN) 8月6日(水)17時53分配信
5日、自ら命を絶った理化学研究所の笹井芳樹副センター長
は、小保方 晴子ユニットリーダーに宛てた遺書に、STAP細
胞の再現を願う内容をつづっていた。
2014年1月のSTAP細胞論文の発表会見でも、部下の小保方氏
を気遣っていた笹井氏。
笹井氏は1月、STAP論文発表会見で「(小保方氏は)ついこの
間まで、リバイズ実験で追われていましたので、あんまり
いじめないでやってください。そういうことでございます」
と話していた。
遺書は、1枚の紙に、パソコンで作成され、「限界を超えた」、
「精神的に疲れました」といった言葉のほか、「あなたの
せいではない」など、小保方氏を励ますようなメッセージが
記されていたことが、関係者への取材でわかった。
小保方氏の代理人弁護士によると、遺書はまだ、兵庫県警に
あり、小保方氏のもとには届いていないという。
世界で初めて、マウスのES細胞から、網膜の再生に成功した
世界的研究者の訃報を海外のメディアも報じた。
韓国では5日、「(STAP細胞論文の)著者の1人である教授が自
殺をし、その波紋が大きくなっています」と報じられた。
アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルは、「日本人
は、時として、自殺をして償う」と報じたほか、2013年、
笹井氏の研究を表彰したスイスのベルン大学は、笹井氏の功
績をたたえる、哀悼の意を発表。
また、STAP細胞論文を掲載し、その後、取り下げた「ネイチャー」
も、笹井氏の自殺について、「本当に悲劇で、多大な損失だ」
とコメントしている。
笹井氏は1月、「試験管の中で、おなかの赤ちゃんができて
くる環境を再現してやると、さまざまな心臓とか神経とか、
網膜をつくることが可能です」と話していた。
再生医療のトップとして、研究を続けるとともに、研究費
などの予算を獲得するための交渉などにも優れていたという
笹井氏。
理研CDB(発生・再生科学総合研究センター)の竹市雅俊センタ
ー長は5日、「最近は、ES細胞を培養することによって、立
体的な臓器をつくり上げるという、世界がびっくりするよう
な、画期的な発見をしたんです」と話した。
笹井氏が亡くなった研究棟のすぐ近くでは、現在、ビルが建
設中で、工事の音が響いている。
・・・
ウォール・ストリート・ジャーナルが「日本人は、時として、
自殺をして償う」と報じたそうですが、そんな美的なもので
はないと思います。
何かしらの出来事があり「追い詰められて」「悩んで」での
死の選択。人は表面では気丈に振る舞っていても、やはり
「心・精神」のある生き物ですので、このような悲惨な出来
事となってしまったのだと思います。
今の現在社会は、「生き抜く」のにとても厳しい環境にある
と思います。
学生の場合は勉学、社会人の場合では「成果」等、個々人に
「求められている」期待値が非常に大きく、精神的負担が
増大している世の中だと感じています。
笹井副センター長の死を知って、「人はどのようにして
死を迎えるのか」と思い調べてみました。
私の彼女は、この分類では「不慮の事故」になります。
また、今年、命日に亡き彼女の実家を訪れた際に、亡き
彼女の従姉妹さんが26歳で亡くなられていました。
「悪性新生物」、がんでした。
しかし、この厚生労働省の白書を見て、「これからの人」
「今、一番働き盛りの人」の死因の1番、2番が「自殺」
という実態にはとても驚きました。
男性では、15歳から34歳までの1番の死因が「自殺」
35歳から54歳では悪性新生物(がん)の次に多い
のが「自殺」
女性でも、15歳から44歳までの1番の死因が「自殺」
となっています。
・・・
先進国に多い傾向のようですが、自ら死を選ぶという自殺
での死因の多さだけでなく、自殺が一番多い死亡の要因と
なっている年齢層を見て、日本社会の今の姿・現状が如実
に表されている結果が出ているなぁと感じました。
「いじめ」「進路(進学)の失敗」「就職の失敗」そして
「仕事の重圧」など、困難と挫折の間で「これからの人」
「今、一番働き盛りの人」が命を絶っている現状を知り、
「人が、人の創った世の中の仕組みの中で、もがき苦しみ
抜いている」という悲しい構図は、「これって、いったい
何なのだろう」と思ってしまいます。
・・・
「生きる」「生き抜く」とは一体何のためなのか・・・
根本的な原点まで「何なのだろう」と思い、揺らいでしま
います。
人という生き物は、心があり、理性があり、感性があり、
欲望を持ち、望みを持ち、そして、何より「幸せ」になり
たいの願う生き物です。
そのために、努力を続けるわけですが、
「幸せになりたい」「望むモノ(物・地位・名誉・安定)を
手に入れたい」と強く望めば望むほど思うように行かない時、
「今までの努力を一瞬にして捨て去る(自殺)という行為」
に出る人が後を絶ちません。
「そのとき(あのとき)」「そのとき(あのとき)」に
耐え忍び、苦労と努力を積み重ねて今があります。
生きているとき、そして死を選ぶまでに「乗り越えてきた」
ものもあるはずです。
それなのに、終止符を打つ。打ってしまう。。。
・・・
私は、もっと単純な人間なのかも知れませんね。
死を選ぶ人の大半は「あれこれ複雑に考え、そして、また
真面目な人」なんだと思います。
・・・
私が銀行員のときに、関西大学出身の同期生がいました。
その彼は、私と同じ年月日に退職して、そして、その後、
自分自身を模索し続けて、最後は自宅で首を吊って自殺して
しまいました。
大学生のときから付き合っていた彼女との別れ(仕事が多忙)
があり、体調を崩して(吐血)思うようにならなくなって
しまったことなどもありました。
関西大学の学生をしていた頃、新聞配達のアルバイトをして
いた苦学生で、退職後、学生時代にお世話になった新聞配達
所で新聞配りをして体調を整えて、ノンバンクへ再就職しま
したが、銀行よりも「融資してナンボ」の世界ですので、
審査もこれで良いのかという甘さで、そこに矛盾を感じて、
大手ノンバンクの審査部も辞めてしまいました。
そして、自殺。。。
・・・
私が銀行員の現役時代に、関西大学レベルを卒業していたな
ら「銀行員を辞めていなかった」です。今も銀行員をしてい
た可能性が高いです。
関西大学を卒業して、銀行員になっていても、その後、自殺
をして、これまでの努力を無にしてしまう。
「死」とは、全てを無にする恐ろしい事象であることは、
間違いありません。
「死」は自ら選ばなくても、いつか必ず生きたくても死ぬと
きが全ての人に訪れるものです。
・・・
私にも言えますが、そのとき(私は20代中盤から後半)
に「なにくそっ!」「学歴(学校歴)で色目で見られてたま
るかっ!!」と思い、
「立命館大学大学院経営学研究科博士前期課程」
という関西でトップレベル(これは私が自負?していること
ですが・・・神戸大がトップです)の経営学の学び舎にまで
進学しました。
「関西大学,関西学院大学,同志社大学,立命館大学」
いわゆる関関同立まで進めれば、私としては大満足でした。
理化学研究所で働く研究員などは、もっとレベルの高い、
有名難関国公立大学と大学院(博士)双方を出た者が多数
います。
そこまでのレベルまでは、私自身の能力を勘案して、はじめ
から望んではいませんでしたが、
立命館大学大学院の経営学修士号:修士(経営学)でも十分
だと思っています。
それが、現役大学生時代や新社会人となってからの劣等感を、
その年代(20歳代)で払拭するが出来たとき、それは嬉し
かったです。これで「悔い無し」と思いました。
・・・
「人は、どこまで望むものなのか」「どこまで夢、希望、
欲求を追い求めるものなのか」と、ふと、考えることがあり
ます。
それが、大きければ大きいほど、成し遂げれないとき、
自らが失望したとき、人は「死を選ぶ(自殺)」ものだと
思います。
また、「学校でのいじめ」や社会人においては「仕事で成果
が出ずに、社内で毎日怒鳴られ続けて疲れた」はある種同じ
境遇にあると思います。
学校は「それでも行かないといけない」というプレッシャー
の中にあり、仕事では「生活のため」や「せっかく就活して
勝ち取った内定・入社なんだし・・・」、「生活するために
稼がないといけない」「見た目、世間体がよい会社に就職
したのだから」などと思い、自らに手枷、足枷をかけてしま
い苦しみ、命を絶つなど、さまざまな要因で「やらなければ」
「我慢しなければ」と自分自身を追い詰めて、そして「もう
限界・・・駄目だ」となってしまうことと思います。
・・・
先にも書きましたが、
「私はもっと単純な人間なのかも知れない」と思うのは、
本当に嫌で、また追い詰められたときは、逃げればよいと
考えているからでしょう。
「逃げる」と言いましても、実際には難しいことと思います。
それが出来ればどれだけラクか・・・と言われると思います。
しかし、自ら死を選ぶくらいなら、死しても逃げても、
今までの積み重ねを捨て去る結果になるとは思いますが、
捨て去った後に生きるのが辛いため(そう考えてしまうため)
に、捨て去ると同時、あるいは捨て去る前に、自分自身に終止
符を打つというのは、今一度考え直したほうがよい,一度踏み
留まって考えたほうがよいと思うのです。
それは、「先のことなど分からない」そんな世の中であり、
また、この先どうなるのか、なんて誰にも分からない、自分さ
えも自分のことでも分からない面が多々あるからです。
・・・
暇(ラク)になった。でも、全てを失った。もう、やる気も
どうすることも出来ないまで行き着いたときに、「死」が再び
浮かんでくるかも知れませんが、身軽になって、逆に開き直り
新たな道が見えてくるかも知れません。
・・・
この現代社会、日本社会での死亡要因を知って、愕然としまし
たが、最後に判断するのは本人しかない,本人でしか止められ
ないことですので、私は「これから先何があるか分からないし、
急いで死を選ぶのは止めましょう」としか言いようがないです。。。
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