マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

兄弟のあるべき姿の参考に 一澤帆布(いちざわはんぷ)

2006年10月17日 07時49分43秒 | □私の気になる記事
どうでもいい記事ですが・・・

一澤帆布“再建”営業再開も信三郎氏「外注してはダメ。もう“死んだ”」

一澤帆布「お家騒動」
2001年3月 先代の一澤信夫社長が他界。生前の97年12月12日付で作成
された「第一の遺言状」では、実質的経営者だった3男・信三郎氏と恵美夫人が株
式の大半を相続する予定だった ▽01年7月 信夫氏死去の4か月後、銀行員だ
った長男・信太郎氏が、信夫氏から生前に渡されたという「第二の遺言状」を公表
したため両者が対立。内容は「第一」と逆で、株式のほとんどを信太郎氏と四男・
喜久夫氏が相続するとされていた ▽04年12月 第二の遺言状の真偽をめぐり
両者が裁判で争ったが、最高裁は「偽物とは言い切れない」として信太郎氏側が勝
訴 ▽05年12月 臨時株主総会で信太郎氏が信三郎氏の社長職を解任。反発し
た約70人の職人、スタッフ全員が信三郎氏と新会社を設立。 ▽06年4月6日
 信三郎氏のブランド「信三郎帆布」がオープン。道をはさんで斜め向かいの一澤
帆布は職人不在で休止状態となる。

1905年(明治38年)創業の京都の老舗かばん工房。帆船用の丈夫な帆布を使
い、当初は職人が仕事道具を運ぶかばんや牛乳配達用のかばんを製造していた。そ
の後、京大の山岳部など大学生も使用し、80年代からトートバッグを中心に人気
となりブレーク。最近では米人気モデルのナオミ・キャンベルさんが愛用している
ことでも有名。赤い糸に囲まれた店舗住所「知恩院前上ル(北側)」のタグがおな
じみ。


遺産をめぐる争いは最高裁で決着はしたが、両者の亀裂はますます広がるばかり。
「信三郎帆布」は、信三郎氏の長女が設立した別会社「一澤帆布加工所」が作って
いたが、信太郎氏が商標侵害に当たるとして現在も係争中。


信三郎氏は本家に対して「ウチとは関係ない」としながら「『一澤帆布』の名前を
使うなら、(生産を)外注してはダメ。ただラベルをはっただけでは『一澤帆布』は死んだ…」。



・・・

何だかんだいっても、「『親が作り上げた』ブランド名の取り合い」
「『親が築き残した『財産』の取り合い」
あとは、お互いが己を正当化するためにあれこれ言っているだけ。
「伝統」やら「モノがちがう」というが、純粋に伝統やお客様に喜んでもら
いたいものを追求するのなら、無一文からでも、親と同じように一からでも
できるというもの。

それを、親の残した財産を奪い合う。
何とも情けない姿を世間に見せてしまったものです。一澤帆布は。


多くの財産など、残さないほうが一族のためです。
まあ、土地と建物と葬儀代ほどを残しておけば、かね・カネ・金
の争いにはならないでしょう。
家族・一族が憎しみ合い、罵倒し合う。

3男・信三郎氏と恵美夫人は、それはそれは、一澤帆布を現場からも
盛りたててきたことでしょう。
家業を継がず、銀行員をしていた長男とは違って、3男は伝承を受けていた
ことと思いますよ。どこまで現場で汗水流していたかは知りませんが。


しかし、長男も同じような遺言書を持っていて、「『一澤帆布』を俺がやる」
というなら、それは長男が一家の長ですから長男が家督を継ぐべきです。


私は、次男ですが、私でさえそう思います。



なぜ、そう思うのか。見てみてください。

いつの時代の歴史を見てもそうですが、
長男が健在なのに、次男三男も才覚があるからと言って、長男を押しのけて
家督を継承させた家をいうのは、お家騒動が起こり、世間(昔なら家臣)の人々
の心が離れてゆき、必ずその家は衰退していっています。

ましてや、職人全員を引き連れて・・・なんて
これこそまさに「長男に対しての宣戦布告」と同じこと。
火に油。

もちろん職人さんの意思あってのことでしょうが、家長を支える一族の三男
が引き連れていったのでは、まっこうから兄とぶつかり合うに決まっています。
引き止める役をすべきものが、新会社を作って、兄と対抗。。。


このような物質世界のお手本のような、誰が見ても「あぁ、またこのような争い
をこの一族もやるのだなぁ」「それこそ親が築いた名声も・・・」と分かる、
見苦しい争いですが、見ている側としても一つの教訓にしたいと思い、どうでも
いいと思いつつ、兄弟のあるべき姿の参考にさせていただきます。

そして、
「当初の仕事道具を運ぶかばんや牛乳配達用のかばんを製造」の原点も忘れない
ことです。
我々もそうですが、「初心忘るべからず」です。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« JR福知山線脱線事故で死亡... | トップ | 江原啓之氏のスピリチュアル... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
兄弟同士で・・・ (管理人)
2007-02-19 23:18:05
一澤帆布の社長側が、前社長側に11億円の賠償求め提訴
asahi.com 2007年2月14日(水)23:19

 布地製かばんで知られる「一澤帆布(いちざわはんぷ)工業」(京都市東山区)の経営権をめぐる問題で、先代会長の長男、一澤信太郎氏(61)が現社長を務める同社が14日、三男で前社長の一澤信三郎氏(58)による「一澤帆布加工所」(同市左京区)の設立などで損害が生じたとして、同加工所などを相手取り、計約11億円の損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。

 訴状によると、信三郎氏が同加工所を05年3月に設立した後、同工業から持ち出したミシン類を返還していない▽休業を余儀なくされ、同工業が本来得られるべき利益が得られなくなった▽違法な役員報酬が払われていた――などと主張している。

 また、信太郎氏と四男の喜久夫氏(55)は同日、信三郎氏を相手取り、先代会長の遺産の法定相続分の返還など、計約2億2700万円の損害賠償を求める訴訟も同地裁に起こした。

 信三郎氏は「争いはすべて法的に解決済みだと考えている。無用の争いをしている場合ではなく、物づくりでお客さんの期待に応えたい」とのコメントを出した。

・・・

どっちもどっちのような気がします。

返信する

コメントを投稿

□私の気になる記事」カテゴリの最新記事