前々から、江原啓之氏の書籍で気になっていたものがあります。
それは、 江原啓之 著「苦難の乗り越え方」PARCO出版です。
私の街で一番大きな書店には、他の江原氏の書籍は色々と売っているのですが、
何故か本書だけは置いていませんでした。
私の街では3番目に大きな書店で、唯一販売しており、そこでは山積み状態で、
その本書の山は徐々に小さくなっては、また積み上げられていました。
何度か行って買おうかどうしようかと思い、結局買わずに今日まで来たのですが、
どうもずっと気になってまして。。。
本書にも、もちろん死別の悲しみからの乗り越え方も記されていますが、亡き彼女
が生前「グループ・ソウルって知ってる?」「前世では絶対に親子か兄弟だったん
だよ」と私に言ったことが常に気になっていたので、本書に何か答えがないかと思
い購入しました。
これまで読んだ書籍から類魂(グループ・ソウル)には、「狭義の類魂」と「広義の類魂」
という2つの捉え方があることは分かりました。
人類みな兄弟であることは、さまざまな書籍を繋いでいくと分かることではありま
すが、ずばり「○○だ」という言葉を聞きたいなぁと思っていました。
江原啓之氏は、本書で、
「<類魂(グループ・ソウル)の法則>は、私たちのたましいは、あなたの類魂の
一部分だということ。」
「私たちは、ふるさとの霊的世界において、実は全員が類魂です。」
「広い意味でみな神の子どもであることを忘れないでください。」
と語っています。
・・・
そうそう、そうです。この言葉を探していたんです。
しかし。。。
このようにはっきりと皆は一つの類魂であると聞きますと、逆に「あれ?」と思う
方もいるのではないでしょうか。
私もはじめはそう思いました。
本書のP82にでさえも、「家族でもたましいは別々です。」
「家族関係とは1つの学校のようなもので、たましいの家族=類魂(グループ・ソ
ウル)とは違います。」なんて書かれている部分もあります。
私には私自身の類魂がある
家族(父、母、兄弟姉妹)には、それぞれ個々の類魂がある
家族の類魂と友人の類魂は、自分の類魂と親和性のある類魂である
など、個々のように思える類魂(グループ・ソウル)ですが、これは精神世界の高
次の世界へ行けば行くほど、親和性のある類魂同士が1つの類魂として繋がって存
在している世界があり、さらに高次の世界へ行くと・・・
と、どんどん繋がり、最後は全てが繋がっている(1つとなる)といった関係であ
ることから、「私たちは、ふるさとの霊的世界において、実は全員が類魂です。」
ということになるのですね。
この類魂の「見方」「捉え方」を理解するのには、坂本政道氏の「死後世界」に記
されている世界と比べながら考えていくととても分かり易いです。
・・・
私自身の類魂もある世界まで行けばあることでしょう。
しかし、そこからさらに高次の世界へ進むと、亡き彼女と1つとなった類魂や、こ
の世で出会ったみんなと繋がった類魂があるのでしょう。
そして、今生では出会わないけれど、過去世の時には深い関係にあった魂も、また
今同じ世界で切磋琢磨している魂も多く存在するのでしょうね。
不思議な世界ですね。
それは、 江原啓之 著「苦難の乗り越え方」PARCO出版です。
私の街で一番大きな書店には、他の江原氏の書籍は色々と売っているのですが、
何故か本書だけは置いていませんでした。
私の街では3番目に大きな書店で、唯一販売しており、そこでは山積み状態で、
その本書の山は徐々に小さくなっては、また積み上げられていました。
何度か行って買おうかどうしようかと思い、結局買わずに今日まで来たのですが、
どうもずっと気になってまして。。。
本書にも、もちろん死別の悲しみからの乗り越え方も記されていますが、亡き彼女
が生前「グループ・ソウルって知ってる?」「前世では絶対に親子か兄弟だったん
だよ」と私に言ったことが常に気になっていたので、本書に何か答えがないかと思
い購入しました。
これまで読んだ書籍から類魂(グループ・ソウル)には、「狭義の類魂」と「広義の類魂」
という2つの捉え方があることは分かりました。
人類みな兄弟であることは、さまざまな書籍を繋いでいくと分かることではありま
すが、ずばり「○○だ」という言葉を聞きたいなぁと思っていました。
江原啓之氏は、本書で、
「<類魂(グループ・ソウル)の法則>は、私たちのたましいは、あなたの類魂の
一部分だということ。」
「私たちは、ふるさとの霊的世界において、実は全員が類魂です。」
「広い意味でみな神の子どもであることを忘れないでください。」
と語っています。
・・・
そうそう、そうです。この言葉を探していたんです。
しかし。。。
このようにはっきりと皆は一つの類魂であると聞きますと、逆に「あれ?」と思う
方もいるのではないでしょうか。
私もはじめはそう思いました。
本書のP82にでさえも、「家族でもたましいは別々です。」
「家族関係とは1つの学校のようなもので、たましいの家族=類魂(グループ・ソ
ウル)とは違います。」なんて書かれている部分もあります。
私には私自身の類魂がある
家族(父、母、兄弟姉妹)には、それぞれ個々の類魂がある
家族の類魂と友人の類魂は、自分の類魂と親和性のある類魂である
など、個々のように思える類魂(グループ・ソウル)ですが、これは精神世界の高
次の世界へ行けば行くほど、親和性のある類魂同士が1つの類魂として繋がって存
在している世界があり、さらに高次の世界へ行くと・・・
と、どんどん繋がり、最後は全てが繋がっている(1つとなる)といった関係であ
ることから、「私たちは、ふるさとの霊的世界において、実は全員が類魂です。」
ということになるのですね。
この類魂の「見方」「捉え方」を理解するのには、坂本政道氏の「死後世界」に記
されている世界と比べながら考えていくととても分かり易いです。
・・・
私自身の類魂もある世界まで行けばあることでしょう。
しかし、そこからさらに高次の世界へ進むと、亡き彼女と1つとなった類魂や、こ
の世で出会ったみんなと繋がった類魂があるのでしょう。
そして、今生では出会わないけれど、過去世の時には深い関係にあった魂も、また
今同じ世界で切磋琢磨している魂も多く存在するのでしょうね。
不思議な世界ですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます