(写真:立命館大学BKCキャンパス)
日々忙しく過ごしつつも慣れた仕事をしています
と、やはり「頑張る」「努力する」という気持ち
を忘れかけています。
22歳、銀行員となって、初めて簿記会計を知り、
また勤務先では学歴に関して葛藤もあった3年間
から、
「よしっ!ここまでやってみよう!!」と思い立
ったのが、25歳5ヶ月の冬でした。
そして、京都、滋賀で生活して、
立命館大学大学院経営学研究科博士前期課程
企業経営専攻修了
修士(経営学)
20代で人生やり直しをしました。
当時は、夜間大学院や土日開講の大学院などは
ごく少数で、大学院まで進むとなると昼間に現役
の学生と混ざっての受講でした。
立命館大学の大学院も昼間しか講義はありません
でした。
しかし、現役学生と机を並べての学習や研究は、
ある意味刺激にもなりました。
社会人だから別講義というわけではなく、現役や
飛び級の学生と混じっての講義に妥協は無くある
意味「これぞ大学院生」を経験することができま
した。
・・・
今更出来ることではないです。
若い時って、その時の勢いで何でもチャレンジで
きたものだと、振り返ってみますとそう感じます。
・・・
これぞ「成せば成る。成さねば成らぬ何事も。
成らぬは人の成さぬ成けり」ですね。
「歯がゆい」「悔しい」「情けない」そんな劣等
感はいつまでも持ち続けてはいけません。
忘れようとしても、また想い出す場面というのは
必ず訪れます。
それならば、スッキリと自分自身の心の中で解決
させる他はありませんよね。
そうなると、やはり「行動」しかありません。
どれだけ悔しかったか、どれだけムカついてやっ
てやるぞと思ったのか、思い方は色々ですが、
やはり「なにくそ!」というチカラは凄いもので
成せば成るんですよ。
これは、頭の良し悪しではないです。
「悔しさの強さ」や「『やりたい』『こうなりた
い』と思う強さ」だたそれだけです。
まずは、その激しい思いがどの程度のものかで、
決まると思います。
あとは、我武者羅ですね。
私は、学ぶ学問の内容に興味があったのは確かです
が、「立命館大学大学院修了」の肩書も欲しかった
わけです。
「どうしても欲しいものは手に入れる」
(強盗は駄目です)
その目標に向けての貪欲なほどの努力こそが、自ら
の道を切り開くチカラだと感じています。
・・・
私と同じような思いをした人もいるでしょう。
また、同じ行動を取った人もいると思います。
そして、心の何処かで思ったままの人や、もう気
にもしなくなった人など色々だと思います。
その中で、まだ気になっていて、でも行動して
いない人は、いつまでも心の何処かで閊えたまま
になってしまいます。
私も立命館大学の大学院を修了したときは、
立命館大学大学院を出たと友人や知人に話をして
いましたが、それも慣れと飽きが来て、今は学歴
のことをしつこく聞いてきた人に話をする程度です。
そんなものです。
しかし、解決しないといつまでも「そんなもの」の
ために心の何処かに引っかかったままの気持ちが
残ってしまいます。
それをどうするのかは自分次第ということですね。
・・・
そんな20代後半を過ごした経験があるにも関わら
ず、今はぼ~っと過ごしての生活。
これは、せっかくの「物事に相対する」経験をして
きたのに無駄にしているなぁとつくづくそう感じて
います。
・・・
「なにくそっ!」でも何でも良いので、目指す目標
を立てるところから、もう一度始めないといけない
と感じつつ日々を送っています。
日々忙しく過ごしつつも慣れた仕事をしています
と、やはり「頑張る」「努力する」という気持ち
を忘れかけています。
22歳、銀行員となって、初めて簿記会計を知り、
また勤務先では学歴に関して葛藤もあった3年間
から、
「よしっ!ここまでやってみよう!!」と思い立
ったのが、25歳5ヶ月の冬でした。
そして、京都、滋賀で生活して、
立命館大学大学院経営学研究科博士前期課程
企業経営専攻修了
修士(経営学)
20代で人生やり直しをしました。
当時は、夜間大学院や土日開講の大学院などは
ごく少数で、大学院まで進むとなると昼間に現役
の学生と混ざっての受講でした。
立命館大学の大学院も昼間しか講義はありません
でした。
しかし、現役学生と机を並べての学習や研究は、
ある意味刺激にもなりました。
社会人だから別講義というわけではなく、現役や
飛び級の学生と混じっての講義に妥協は無くある
意味「これぞ大学院生」を経験することができま
した。
・・・
今更出来ることではないです。
若い時って、その時の勢いで何でもチャレンジで
きたものだと、振り返ってみますとそう感じます。
・・・
これぞ「成せば成る。成さねば成らぬ何事も。
成らぬは人の成さぬ成けり」ですね。
「歯がゆい」「悔しい」「情けない」そんな劣等
感はいつまでも持ち続けてはいけません。
忘れようとしても、また想い出す場面というのは
必ず訪れます。
それならば、スッキリと自分自身の心の中で解決
させる他はありませんよね。
そうなると、やはり「行動」しかありません。
どれだけ悔しかったか、どれだけムカついてやっ
てやるぞと思ったのか、思い方は色々ですが、
やはり「なにくそ!」というチカラは凄いもので
成せば成るんですよ。
これは、頭の良し悪しではないです。
「悔しさの強さ」や「『やりたい』『こうなりた
い』と思う強さ」だたそれだけです。
まずは、その激しい思いがどの程度のものかで、
決まると思います。
あとは、我武者羅ですね。
私は、学ぶ学問の内容に興味があったのは確かです
が、「立命館大学大学院修了」の肩書も欲しかった
わけです。
「どうしても欲しいものは手に入れる」
(強盗は駄目です)
その目標に向けての貪欲なほどの努力こそが、自ら
の道を切り開くチカラだと感じています。
・・・
私と同じような思いをした人もいるでしょう。
また、同じ行動を取った人もいると思います。
そして、心の何処かで思ったままの人や、もう気
にもしなくなった人など色々だと思います。
その中で、まだ気になっていて、でも行動して
いない人は、いつまでも心の何処かで閊えたまま
になってしまいます。
私も立命館大学の大学院を修了したときは、
立命館大学大学院を出たと友人や知人に話をして
いましたが、それも慣れと飽きが来て、今は学歴
のことをしつこく聞いてきた人に話をする程度です。
そんなものです。
しかし、解決しないといつまでも「そんなもの」の
ために心の何処かに引っかかったままの気持ちが
残ってしまいます。
それをどうするのかは自分次第ということですね。
・・・
そんな20代後半を過ごした経験があるにも関わら
ず、今はぼ~っと過ごしての生活。
これは、せっかくの「物事に相対する」経験をして
きたのに無駄にしているなぁとつくづくそう感じて
います。
・・・
「なにくそっ!」でも何でも良いので、目指す目標
を立てるところから、もう一度始めないといけない
と感じつつ日々を送っています。
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