彼女が生まれ育った街のある北海道へ行ってきます。
時間が許す限り、色々と見て回ってきたいと思います。
もう1年ですか。。。
早いなぁ。もう1年も彼女と話していないんですよね。
(スピリチュアル的なことは除きまして。。。)
今日、ご近所の方で以前飯田先生の「決定版 生きがいの創造」をプレゼントした
方に、「ツインソウル」と「生きがいの創造Ⅱ」、そして江原啓之氏の「苦難の乗
り越え方」「江原啓之 神紀行」をお渡ししました。
亡くなったお母さんが、お父さんのところへ2度出てきたという奥様です。
しかも、夫の親族の方が、葬儀中にお母様が一人ひとりに挨拶回りしていたところ
を見たという方です。詳細は コチラのブログ内の記事をご覧ください(訂正あり)
追加?さらに訂正?といいますか、直接お話をお伺いした際の記事はコチラ
・・・
また、ふと考えていました。。。
「いつか、死ぬときは来る。」
「明日かも知れないし、10年後、50年後かも知れないけど、いつか必ず来ること。」
その時、
「死んだのち、『無』だったらどうしよう。」
「でも、死んだ後『無』だったら、『彼女と逢えなかった』という落胆と絶望でさ
えも、感じることはないから悩むことも悲しむこともない。」
・・・
「でも、死んだ後『あれ?さっきまで苦しんでいた自分が下にいる。」
「みんなが見えて、色々言っていることも聴こえる。」
「『私が死んだ』と言っているが、私はちゃんと見て、聞いて、考えることだって
できている。」
それが分かった時点で、よほどのこと(あの世についてあまり考えたことがない状
態の時に、突然・・・他人に殺されたり、即死したり)が無い限り、あの世のこと
をたとえ信じていなくても、最初は焦って、驚いて、ビックリするでしょうけど、
「なるほどな」と思った瞬間、大抵の人は「即成仏」できるのではないでしょうか。
いやいや、私の場合はちょっと違うような気がします。
「あの世は見たことがないですし、体験したこともないので、飯田先生や江原さん
の話しを聞いたり、本を読んで知っているだけ。」
「しかし、『あの世はある、存在する』と信じている。」
まず、死後に意識があった時点で、感無量な気持ちとなるのは間違いありません。
嬉しさのあまり、無意識のうちにあちこちへ意識を傾ける(飯田先生流に言いますと)
ことと思います。
ですが、あの世が存在した喜びは、束の間で、
「先立っていた彼女はどこ?」
と探し回ることと思います。
そこですぐに逢えたら、もう何も思い残すこともなく、次へと向かっていけるでし
ょう。
しかし、自分自身でも恐いのは・・・
「すぐには逢えなかった」場合です。
あの世は無数の階層の世界であり、心持などで行く世界も色々と多くの書籍に書い
ています。
私は何が言いたいのか。
それは、
「いつかは逢えるが、今は居る場所が違いすぎて逢えない。」
「実は、そばに居てくれているが、『あの世』と『この世』とに分かれて住んでい
た頃のように、またあの世でも心域が違いすぎて『見えない』。」
「そして、逢えるときは、どの位先になるかも全く不明。」
という状況のとき、
「私は果たして上へ向かっていく努力ができるのだろうか。」
「あの世は、素の自分の姿に戻る(意識体)なのだから、うわべだけで『頑張ろう』
なんて、作り事は言えないわけだから、ヘソを曲げたり、落胆して無気力になった
りはしないだろうか(この世の感覚でいうとこんな感じでしょうか)。」
「逢いたい、逢いたいと思っていた分、ショックで悪いことばかり考えてしまい下
へ落ちて行きはしないだろうか。そして、もっと逢えないなんてことになったら・・・」
などと、考えてしまったわけです。
あっ、精神は病んでいませんので、ご心配なく!
至って大丈夫ですので。
まぁ、それこそ「行ったことのない世界なんだから、成るようにしかならない。」
んでしょうけどね。
ただ、「無」であったときのことや「意識として存在した場合」のこと、そして
「自分は何にこだわっているのか」などを考えておくのも悪くないように思います。
死後、この世の物質に囚われた場合には、未成仏霊や未浄化霊になると、これはど
の著者も言っておられます。
土地に執着し続けるなら土地に、といった具合で。
しかし、
私が「強い執着」するもの、「未練がある」のは、「あの世にいる『彼女』に逢い
たい」ことなんですよね。
この世から、あの世へ逝って、執着や未練は「あの世にいる先立った彼女」。
この世に未練はないけど、あの世に未練?って。。。
この場合、どうなるのでしょう。。。
・・・
生き抜いて寿命を迎えたのなら。。。
あの世の計らいで、何とか逢わせてもらいたいです。
時間が許す限り、色々と見て回ってきたいと思います。
もう1年ですか。。。
早いなぁ。もう1年も彼女と話していないんですよね。
(スピリチュアル的なことは除きまして。。。)
今日、ご近所の方で以前飯田先生の「決定版 生きがいの創造」をプレゼントした
方に、「ツインソウル」と「生きがいの創造Ⅱ」、そして江原啓之氏の「苦難の乗
り越え方」「江原啓之 神紀行」をお渡ししました。
亡くなったお母さんが、お父さんのところへ2度出てきたという奥様です。
しかも、夫の親族の方が、葬儀中にお母様が一人ひとりに挨拶回りしていたところ
を見たという方です。詳細は コチラのブログ内の記事をご覧ください(訂正あり)
追加?さらに訂正?といいますか、直接お話をお伺いした際の記事はコチラ
・・・
また、ふと考えていました。。。
「いつか、死ぬときは来る。」
「明日かも知れないし、10年後、50年後かも知れないけど、いつか必ず来ること。」
その時、
「死んだのち、『無』だったらどうしよう。」
「でも、死んだ後『無』だったら、『彼女と逢えなかった』という落胆と絶望でさ
えも、感じることはないから悩むことも悲しむこともない。」
・・・
「でも、死んだ後『あれ?さっきまで苦しんでいた自分が下にいる。」
「みんなが見えて、色々言っていることも聴こえる。」
「『私が死んだ』と言っているが、私はちゃんと見て、聞いて、考えることだって
できている。」
それが分かった時点で、よほどのこと(あの世についてあまり考えたことがない状
態の時に、突然・・・他人に殺されたり、即死したり)が無い限り、あの世のこと
をたとえ信じていなくても、最初は焦って、驚いて、ビックリするでしょうけど、
「なるほどな」と思った瞬間、大抵の人は「即成仏」できるのではないでしょうか。
いやいや、私の場合はちょっと違うような気がします。
「あの世は見たことがないですし、体験したこともないので、飯田先生や江原さん
の話しを聞いたり、本を読んで知っているだけ。」
「しかし、『あの世はある、存在する』と信じている。」
まず、死後に意識があった時点で、感無量な気持ちとなるのは間違いありません。
嬉しさのあまり、無意識のうちにあちこちへ意識を傾ける(飯田先生流に言いますと)
ことと思います。
ですが、あの世が存在した喜びは、束の間で、
「先立っていた彼女はどこ?」
と探し回ることと思います。
そこですぐに逢えたら、もう何も思い残すこともなく、次へと向かっていけるでし
ょう。
しかし、自分自身でも恐いのは・・・
「すぐには逢えなかった」場合です。
あの世は無数の階層の世界であり、心持などで行く世界も色々と多くの書籍に書い
ています。
私は何が言いたいのか。
それは、
「いつかは逢えるが、今は居る場所が違いすぎて逢えない。」
「実は、そばに居てくれているが、『あの世』と『この世』とに分かれて住んでい
た頃のように、またあの世でも心域が違いすぎて『見えない』。」
「そして、逢えるときは、どの位先になるかも全く不明。」
という状況のとき、
「私は果たして上へ向かっていく努力ができるのだろうか。」
「あの世は、素の自分の姿に戻る(意識体)なのだから、うわべだけで『頑張ろう』
なんて、作り事は言えないわけだから、ヘソを曲げたり、落胆して無気力になった
りはしないだろうか(この世の感覚でいうとこんな感じでしょうか)。」
「逢いたい、逢いたいと思っていた分、ショックで悪いことばかり考えてしまい下
へ落ちて行きはしないだろうか。そして、もっと逢えないなんてことになったら・・・」
などと、考えてしまったわけです。
あっ、精神は病んでいませんので、ご心配なく!
至って大丈夫ですので。
まぁ、それこそ「行ったことのない世界なんだから、成るようにしかならない。」
んでしょうけどね。
ただ、「無」であったときのことや「意識として存在した場合」のこと、そして
「自分は何にこだわっているのか」などを考えておくのも悪くないように思います。
死後、この世の物質に囚われた場合には、未成仏霊や未浄化霊になると、これはど
の著者も言っておられます。
土地に執着し続けるなら土地に、といった具合で。
しかし、
私が「強い執着」するもの、「未練がある」のは、「あの世にいる『彼女』に逢い
たい」ことなんですよね。
この世から、あの世へ逝って、執着や未練は「あの世にいる先立った彼女」。
この世に未練はないけど、あの世に未練?って。。。
この場合、どうなるのでしょう。。。
・・・
生き抜いて寿命を迎えたのなら。。。
あの世の計らいで、何とか逢わせてもらいたいです。
あれこれ考えたり、ボ~っとしながら、時を過ごしていましたら、1年が経っていたという感じです。
亡き彼女のお父さんには、この度の一周忌に際しても、お父さんのすぐ後ろの親族の列に加えていただき、亡き彼女のお父さんの背中に守られて親族や近親者の方々とお会いしました。
皆さん、優しい。。。あまりにも優しく接してくれる亡き彼女のご親族皆さんの言葉に、「彼女を連れて来れなくてすみません。」「守れなくてごめんなさい。」と涙がこみ上げてきました。
亡き彼女が居たなら、どれだけ二人は幸せだっただろうか、と思うと悔しくてたまりません。
亡き彼女のお母さんにまでも、「娘は、この世でやるべきことをやり終えたから、あちらの世界へ帰って逝ったのよ。」と言われ、なんでこんなに優しいお母さんの娘が死ななきゃならなかったのかと思うと。。。とても辛かったです。
この数日間のうち、呑んだビールやジュースの空き缶のプル蓋(指で押して開けるところ)を妹さんが集めて、何をしているの?と聞きましたら、「ドラム缶1本分集まったら、車椅子と交換してくれるの」というんです。
亡き彼女のお母さんも妹さんも、(娘の死後も)献血に行ったり、お父さんもドナーカートを持っていたり。。。
そして、亡き彼女もそうでした。
アイバンクや臓器のセンター、そして厚生労働大臣から、亡き彼女宛の感謝状が来ています。(3~4枚)
涙が出ます。
・・・
あの世の仕組みは「あたまの中」では、よく分かりました。
しかし、それでも、
「なんで、あんなに優しい彼女が死ななあかんの?」
と神様や大いなる何者かという存在に言いたいです。
・・・
愚痴ばかりになりましたが、yoko様も、とにかく先立った彼氏さんと、またいつか必ず逢うために、何でもいいから生き抜いてください。辛くても寿命までまっとうすることが、また再会できる唯一の近道だと私は信じています。
また、お気軽にお立ち寄りください。
コメント有難うございました。
なぜ彼みたいな子が・・・
この世での修行が終えて、今は心地良い処にいるんだ
私も何度と同じ事を考えました。人生について、命について、今までこんなに考えた事はありません。同じ様に考えてらっしゃる人がいてすごく救われました。またお邪魔させてもらいます。私も色々気持ちを書いていますので気軽に遊びに来てくださいね。
kazuさんへの想い・・・痛いほど感じるyoko様の「交換日記」を読ませていただきました。(涙)
私も、人生や命、そしてスピリチュアルなことなど、彼女がこの世を去るなんてことになるまで、そんなに真剣に考えたことはありませんでした。このブログも彼女に薦められて始めた頃は、マンション管理の情報を中心としたブログでも書いてみようかと思って書き始めました。
このような想いを書き連ねるブログになるとは思いもよらなかった。。。
しかし、これも偶然ではなく「何か意味があるのかもしれない」と思い、感じたことなどをそのまま書いています。
yoko様、彼氏さんはきっと、いつも見守ってくれていますから、お互いいつかあの世での再会が必ずあることを信じて歩んで行きましょう。
同じ境遇にいるyoko様から元気を頂きました。本当にありがとうございました。またよろしければ当ブログに来てくださいね。私もyoko様の「交換日記」を拝見させていただきます。