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先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

千葉県香取市の水郷佐原と伊能忠敬記念館へ行ってきました。

2023年11月05日 22時49分25秒 | □私の気ままな話
出かけているのですがブログに書けていませんでした。
稲敷の大杉神社へ行った後、足を延ばして香取市まで行って
来ました。

佐原の町並みは1996年12月に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けて、
建物の外観は町並みに調和した町家・土蔵の造りを模しています。





その街並みに、



伊能忠敬記念館があります。

寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、17年をかけて日本全国を測量して周り
『大日本沿海輿地全図』を作ったことで有名ですが、忠敬は伊能家の入婿でした。

伊能家は酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいたそうですが、当時の佐原村は天領で村政は
村民の自治に負うところが多く、その村民の中でも経済力があり村全体に大きな発言権を
持っていたのが、永沢家と伊能家だったそうです。

ですが、永沢家は事業を広げて名字帯刀を許される身分となり、伊能家とは差がついていた
そうで、伊能家では新当主となった忠敬への期待が大きかったそうです。

ちなみに、忠敬の父親は神保貞恒で武射郡小堤村(現・横芝光町)にあった酒造家の次男
だったそうで、父親は小関家に婿入りしたそうです。

そして忠敬は、上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主の小関
五郎左衛門家で生まれました。幼名は三治郎という名だったそうです。

伊能家・神保家の両方の親戚である平山藤右衛門(伊能良由の妻:タミの兄)は、土地改良
工事の現場監督として三治郎を使ったところ、三治郎は若輩ながらも有能ぶりを発揮した
ので、伊能家の跡取りに薦め、親族も了解したそうです。






何だか大日本沿海輿地全図よりも、伊能忠敬の半生のほうが気になりました。


伊能忠敬は、当主として伊能家に期待されて婿入りしていたのでカネ勘定はかなり得意だった
ようです。
測地、暦法などを学んだ後、全国を測量して回ったのは56歳からですので、それまでは伊能家
の財産をかなり増やしたことが資料館の資料にありました。







寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)にかけて江戸幕府の事業として測量・作成が
行われ、伊能らは第10次測量まで日本全土を測量して作成したのだそうです。

大変な偉業ですね。



ちなみにその後、伊能図に関してですが、
幕府に提出された伊能図は、江戸城紅葉山文庫に秘蔵され、一般の目に触れることはなかった
そうです。あまりに詳細な地図のため、国防上の問題から幕府が流布を禁じたそうです。
ですが、文政11年(1828年)紅葉山文庫を所管する書物奉行でもあった高橋景保が、
長崎オランダ商館付の医師であるシーボルトに禁制品である伊能図を贈ったことが露顕し、
高橋景保は逮捕され翌年3月に獄死しています。
そして、シーボルトは日本を強制退去となりました。これがシーボルト事件です。

実は、この高橋景保は伊能忠敬の全国測量事業を監督し全面的に援助した方です。
父の跡を継いで江戸幕府天文方となり、天体観測・測量、天文関連書籍の翻訳をしていた
そうです。忠敬の没後、彼の実測をもとに『大日本沿海輿地全図』を完成させたのが高橋景保
なのだそうです。

ですが・・・文政12年2月16日(1829年3月20日)に獄死。享年45歳。その獄死後ですが、
遺体は塩漬けにされて保存され、翌文政13年3月26日(1830年4月18日)に、改めて引き
出されて罪状申し渡しの上斬首刑に処せられたという記録が残っているそうです。
相当厳しい御沙汰・処分ですね。

さらにその後ですが、

日本を強制退去となったシーボルトは帰国後の1840年に、伊能図をオランダでメルカトル図法に
修正した「日本人の原図および天文観測に基づいての日本国図」を刊行。
その精度の高さにより、当時のヨーロッパ識者の一部に日本の測量技術の高さが認識されたそうです。

余談ですが、
シーボルトは長崎の商家俵屋の娘、瀧(たき)と結婚、二人の間にイネ(楠本 イネ)さん
が生まれています。この楠本イネさんは日本人初の産婦人科医だそうです。
その子、シーボルトの孫にあたる楠本高子はその美しい容貌から、のちに明治の美人写真を
見ていた松本零士さんが楠本高子さんを『銀河鉄道999』のメーテルや『宇宙戦艦ヤマト』の
スターシャのモデルにしたといわれているそうです。

なるほど、それはハーフの日本人なので当時としては非常に珍しい人物で目に止まったことだ
と思います。

ですが、このモデルの話はどうも違うようです。
松本零士さんが楠本高子さんの写真を見た時に、松本さんが思い描いた銀河鉄道999のメーテルと
あまりにも似ていて驚いたという逸話をyoutubeで聞きました。

また松本さんと楠本さんは親戚関係でもあるという話もあります。

NHK大河ドラマ「どうする家康」→ウィリアム・アダムス(三浦按針)→ヤンヨーステン→
日本に来た外国人→シーボルト(実はドイツ人)植物が好き、で知りました。
シーボルトの父親は、ヴュルツブルク大学医学部産婦人科教授ヨハン・ゲオルク・クリストフ・
フォン・シーボルトなのだそうです。
楠本イネさんは日本人初の産婦人科医ですし不思議な繋がりを感じますよね。

伊能忠敬の大日本沿海輿地全図は、単に作成に苦労した日本地図というだけではなく大きく
全世界や他の学問分野にも繋がっているように感じました。
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