立花隆氏は、キルデ医師の臨死体験を聞き、ご本人に、
「その天井から手術を見ているときの見え方なんですが、どんな風に見えるんです
か。我々がいまこうして普通に何かを見ているときの見え方とどこかちがいがあり
ますか。」と問いかけています。
そうそう、そこを聞きたいですよね。
立花隆 著「臨死体験 上 」文芸春秋の書籍も、なかなかツボを心得ています。
キルデ医師は、
「ちがいは全くありません。」
「いまこうして外界を見ているのと全く同じです。」
「どこかばんやりしているとか、かすみがかったようになっているといったことは
ありません。」
「手術の立会人として、その場にいて見ているのと変わりがありませんでした。」
「視野はすみずみまでクリアでした。」
と答えています。
他の書籍に記されている臨死体験と同じですね。
自分の心の中に、また一つ確信を持てたように思います。
さらに、
立花隆氏は、この体験に関して、「時間的にはどのくらい持続していたんですか。
体外離脱、トンネル、光、真珠の場面など、それはどれくらい続いたんですか。」
と問いかけています。
キルデ医師は、
「体験中は時間の感覚というのが全然ありません。」
「長時間でもなく、短時間でもない。」
「要するに時間というものがないんです。」
「永遠というか、永遠に今が続いているというか。」
「とにかく時間という次元がないんです。時間という概念が消えてなくなってしま
っている。ですから、時間というのは、人間が作ったものなのではないかという気
がしました。」と時間の感覚について語っています。
そして・・・
私が一番、何度でも確認したいこと「それはあの世での意識」についてです。
亡き彼女がどういう意識状態でいたのか。そしているのか。また、少なくとも死の
前後、意識不明のときにどう感じていたのか、それが知りたかったのです。
キルデ医師は、
「完全に鮮明です。」
「思考も感性もいまこうしているのと同じようにクリアです。」
「こんな風に考えてくれればいいのです。いま着ている服を脱いで、裸になったと
しますね。意識レベルに異常をきたしますか。服を脱ぐ前と脱いだ後で意識は何も
変わらないでしょう。」
「それと同じです。」
「肉体というのは、我々がこの世で着用している衣服のようなものなのです。」
「それを脱いだからといって意識がおかしくなるということはありません。かえっ
て気持ちがよくなるくらいです。」
と、おっしゃっています。
なるほど・・・まさに他の臨死体験の話と同様です。
でも、キルデさんはお医者さんですから、臨死体験に関する知識があったのでは?
という疑問が残りますよね。
キルデ医師は、立花隆氏のインタビューで、
「予備知識なんて全くありません。だいたいそのころ、臨死体験について書かれた
文献なんて何もなかったし、臨死体験ということばすらなかったんです。」
「ヨーロッパで臨死体験が広く知られるようになったのは、アメリカのムーディ博士
の本が翻訳されてからなんですが、あれが出たのが1975年です。」
キルデ医師の臨死体験は、1969年です。
キルデ医師は、
「1969年ころといったら、誰も知らなかったんです。だから私の頭がおかしく
なったと皆に思われても仕方がないところでした。」
とおっしゃっています。
なるほど。予備知識もなにも、臨死体験ですら報告されていなかった時代での出来
事ですから、「思い込み」というものが死にかけた際に現れたというわけではない
のですね。
・・・
キルデ医師は、ご自身もお医者さんですから、脳が低酸素状態に置かれると幻覚が
生じることがあるというのは、医学的に知られた事実だということは分かっています。
しかし、キルデ医師は、
「明らかに、私の体験とは質が違うのです。」
「低酸素状態の場合、意識レベルが下がってしまって眠くなり、私のケースのよう
に明晰な意識を持ち続けているということがないんです。」と答えています。
・・・
なかなか説得力のある体験談ですね。
「その天井から手術を見ているときの見え方なんですが、どんな風に見えるんです
か。我々がいまこうして普通に何かを見ているときの見え方とどこかちがいがあり
ますか。」と問いかけています。
そうそう、そこを聞きたいですよね。
立花隆 著「臨死体験 上 」文芸春秋の書籍も、なかなかツボを心得ています。
キルデ医師は、
「ちがいは全くありません。」
「いまこうして外界を見ているのと全く同じです。」
「どこかばんやりしているとか、かすみがかったようになっているといったことは
ありません。」
「手術の立会人として、その場にいて見ているのと変わりがありませんでした。」
「視野はすみずみまでクリアでした。」
と答えています。
他の書籍に記されている臨死体験と同じですね。
自分の心の中に、また一つ確信を持てたように思います。
さらに、
立花隆氏は、この体験に関して、「時間的にはどのくらい持続していたんですか。
体外離脱、トンネル、光、真珠の場面など、それはどれくらい続いたんですか。」
と問いかけています。
キルデ医師は、
「体験中は時間の感覚というのが全然ありません。」
「長時間でもなく、短時間でもない。」
「要するに時間というものがないんです。」
「永遠というか、永遠に今が続いているというか。」
「とにかく時間という次元がないんです。時間という概念が消えてなくなってしま
っている。ですから、時間というのは、人間が作ったものなのではないかという気
がしました。」と時間の感覚について語っています。
そして・・・
私が一番、何度でも確認したいこと「それはあの世での意識」についてです。
亡き彼女がどういう意識状態でいたのか。そしているのか。また、少なくとも死の
前後、意識不明のときにどう感じていたのか、それが知りたかったのです。
キルデ医師は、
「完全に鮮明です。」
「思考も感性もいまこうしているのと同じようにクリアです。」
「こんな風に考えてくれればいいのです。いま着ている服を脱いで、裸になったと
しますね。意識レベルに異常をきたしますか。服を脱ぐ前と脱いだ後で意識は何も
変わらないでしょう。」
「それと同じです。」
「肉体というのは、我々がこの世で着用している衣服のようなものなのです。」
「それを脱いだからといって意識がおかしくなるということはありません。かえっ
て気持ちがよくなるくらいです。」
と、おっしゃっています。
なるほど・・・まさに他の臨死体験の話と同様です。
でも、キルデさんはお医者さんですから、臨死体験に関する知識があったのでは?
という疑問が残りますよね。
キルデ医師は、立花隆氏のインタビューで、
「予備知識なんて全くありません。だいたいそのころ、臨死体験について書かれた
文献なんて何もなかったし、臨死体験ということばすらなかったんです。」
「ヨーロッパで臨死体験が広く知られるようになったのは、アメリカのムーディ博士
の本が翻訳されてからなんですが、あれが出たのが1975年です。」
キルデ医師の臨死体験は、1969年です。
キルデ医師は、
「1969年ころといったら、誰も知らなかったんです。だから私の頭がおかしく
なったと皆に思われても仕方がないところでした。」
とおっしゃっています。
なるほど。予備知識もなにも、臨死体験ですら報告されていなかった時代での出来
事ですから、「思い込み」というものが死にかけた際に現れたというわけではない
のですね。
・・・
キルデ医師は、ご自身もお医者さんですから、脳が低酸素状態に置かれると幻覚が
生じることがあるというのは、医学的に知られた事実だということは分かっています。
しかし、キルデ医師は、
「明らかに、私の体験とは質が違うのです。」
「低酸素状態の場合、意識レベルが下がってしまって眠くなり、私のケースのよう
に明晰な意識を持ち続けているということがないんです。」と答えています。
・・・
なかなか説得力のある体験談ですね。
霊能者が見た、この世の世界にいる霊は、実態者と区別しにくいみたいですね。オーラの泉で江原さんがおっしゃられていたように。(残念ながら能力が無いので見たことありません)
低酸素ではなく、高濃度の酸素を吸っていると、見えるという方がいらっしゃいました。高濃度の酸素を吸った影響で脳の働きが活発となり、普段は寝ている部分(細胞)が活動したためではないかと考えられます。
臨死体験は、生きるか死ぬかぎりぎりの状態時に体験することですから、体験しない方が良いかと。リスクが高すぎます。
臨死体験よりも体脱、幽体離脱、睡眠療法を体験されることをお薦めしますよ。
それではまた。
なるほど、プールで目を開けて見える感じですか。霊能者は、この世の人間と死者の霊との区別がつき辛いくらい、はっきりと霊が見えているのですね。
前の職場にいたパートの女性は、飲食店で働いていたとき、誰もお店に入ってきていないのに、自分には見えて「いらっしゃいませ」と言って周りから笑われたり、2人で入ってきたお客さんが自分には3人に見えて水を3人分出したりしたと聞きました。(20歳半ばまで見えないものに悩まされ、結局お祓いしてもらい、それ以来気配は今も感じるそうですが、見えなくなったそうです)
生きている人間と見え方が同じくらいなのでしょうね。
ご心配いただいて、すみません。
臨死体験は、故意には体験しませんよ(^_^;)
もし自らしようとして・・・そのまま死んでしまったら、それは自殺のようなものですし。自殺しちゃったら、亡き彼女に逢えないかも知れないので、体験するなら、体脱(モンロー研みたいな)か睡眠療法(飯田先生の奥山医院)のようなものにしておきます。
確かに、低酸素よりも高酸素のほうが見えそうな気がします。低酸素で意識モウロウの状態だったら、何か見えても不鮮明のような気がしますが、高酸素なら意識もはっきりしているでしょうから「あれは何だ?」と思考も活発に動くように思います。
またお気軽にお立ち寄りください。