ななさんに勧めて頂きました、亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~
涙のあとにを読んでいました。
そうなんです。
「故人と私しか知らないこと」
「故人と私だけが知っていること」
これを言い当てることが出来る方こそ、本物の霊能者だと
思います。
あれこれ抽象的なことは、もう十分聞いた。
そうじゃなくて、二人しか知らない会話や出来事を言ってくれる、
それが見えない世界を信じることができる大前提だと思います。
見えない世界は、本当に在るのか分からないけどあって欲しいと
願っている。
しかし、それは願いであって、実際にはどうなのか確信が持てずに
いるので不安でたまらない。
死んで「無」になるのであれば、確かに死後、がっかりすることも
ない。
でも、そういうことのために「無」なのか「有」なのか、知りたい
わけではないんですよね。。。私は。
無になるなら、無茶苦茶して生きようなんてことは思いません。
死後にあの世があるのが確かなら、見せ掛けの「良い子」
でこの世を終えてやろうなんてことでもないんです。
ただ、
「今、最愛の人を亡くして、生きていく気力も無い自分自身に、
希望を持たせるために、また一つの生き抜く糧として、『あの世の
存在を知っておきたい』ただそれだけ」なんですよね。
私は、
「亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~ 涙のあとに」を読んで
あぁ、宜保愛子さんは、本当に見えていたんだなぁ、と思い、
また、このブログを書かれている方は、宜保愛子さんに霊視
してもらえたおかげで、娘さんの存在を確認出来てよかった
なぁと感じました。
悲しい話ではありますが、この方の人徳でしょうね、宜保愛子さんに
霊視してもらえる機会があったというのは。
当人同士(親子)でしか知りえない会話を、宜保愛子さんが語る
ということで、故人は今も生きていると感じ得られますよね。
「死後も、故人は生きているんだ」と感じられたなら、どれだけ
勇気づけられることでしょう。
そして、飯田史彦先生は、いつか必ず逢えると言ってくれてます
から、あとは、その言葉を信じて、私たちは、今の世をとにかく
生き抜く、自殺はしない、自殺はまた再会するにあたって遠回り
の道だと思い、寿命まで生きていくべきだと、改めてそう思いました。
「先立った最愛の人に、自分の死後『必ず』逢うために」
今の自分は、この世を生き抜くことこそが一番の近道なんでしょうね。
涙のあとにを読んでいました。
そうなんです。
「故人と私しか知らないこと」
「故人と私だけが知っていること」
これを言い当てることが出来る方こそ、本物の霊能者だと
思います。
あれこれ抽象的なことは、もう十分聞いた。
そうじゃなくて、二人しか知らない会話や出来事を言ってくれる、
それが見えない世界を信じることができる大前提だと思います。
見えない世界は、本当に在るのか分からないけどあって欲しいと
願っている。
しかし、それは願いであって、実際にはどうなのか確信が持てずに
いるので不安でたまらない。
死んで「無」になるのであれば、確かに死後、がっかりすることも
ない。
でも、そういうことのために「無」なのか「有」なのか、知りたい
わけではないんですよね。。。私は。
無になるなら、無茶苦茶して生きようなんてことは思いません。
死後にあの世があるのが確かなら、見せ掛けの「良い子」
でこの世を終えてやろうなんてことでもないんです。
ただ、
「今、最愛の人を亡くして、生きていく気力も無い自分自身に、
希望を持たせるために、また一つの生き抜く糧として、『あの世の
存在を知っておきたい』ただそれだけ」なんですよね。
私は、
「亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~ 涙のあとに」を読んで
あぁ、宜保愛子さんは、本当に見えていたんだなぁ、と思い、
また、このブログを書かれている方は、宜保愛子さんに霊視
してもらえたおかげで、娘さんの存在を確認出来てよかった
なぁと感じました。
悲しい話ではありますが、この方の人徳でしょうね、宜保愛子さんに
霊視してもらえる機会があったというのは。
当人同士(親子)でしか知りえない会話を、宜保愛子さんが語る
ということで、故人は今も生きていると感じ得られますよね。
「死後も、故人は生きているんだ」と感じられたなら、どれだけ
勇気づけられることでしょう。
そして、飯田史彦先生は、いつか必ず逢えると言ってくれてます
から、あとは、その言葉を信じて、私たちは、今の世をとにかく
生き抜く、自殺はしない、自殺はまた再会するにあたって遠回り
の道だと思い、寿命まで生きていくべきだと、改めてそう思いました。
「先立った最愛の人に、自分の死後『必ず』逢うために」
今の自分は、この世を生き抜くことこそが一番の近道なんでしょうね。
娘さまの生前、そして命を絶つ直前までの気持ちを十分に分かってあげることが何よりのご供養かと存じます。
私は、雫(さくら)さまの娘さまを追い詰めた大学教員を今許す気持ちには、お母さまの立場にいましたら、それはまだまだなれません。しかし、娘さまが辛く悲しい思いをされたことは、分かってあげることができることと思います。「なぜ娘さまは死を選んだのか」これに、お母さまやご家族の方々が向き合うことで、死を選んだ娘さまのお気持ちを察することが出来、娘さまの魂自身も理解してくれたことで、安らぐことと思います。
娘さまのためにも、知るのが辛くても「何が、娘さまを死に追いやったのか」を完全に知ることが大切なことだと思います。
そして、娘さまの想いと繋がったとき、そこから、娘さまの成仏を含めて、この世からあの世へ逝ってしまった娘さまに対して、母親として出来ること(スピリチュアルを理解され、娘さまにも語りかけ)を精一杯して差し上げたらよいかと思います。
その際には、「何で死んじゃったのよ」と娘さまに訴えかけてもよいと思います。それも、娘さまの試練だと思うからです。しかし、就寝される前には、「見えない世界へ行ったあなただとしても、お母さんだからあなたをこの世からでも守ってあげる」「色々なあの世の仕組みの話をするからね」そして「必ず逢いましょう」と語りかけてあげたらよいかと思います。
私は、毎日、寝る前に一言でも声掛けしています。それは、以前までは「スピリチュアルの話をして、あの世で亡き彼女が迷わないようにと思っての語りかけ」でした。今は、「僕のことを忘れちゃだめだよ、あの世でまた逢おうね」の気持ちからです。
「故人は、魂(意識体)として生きている」
そのような気持ちで、接していくことで、考え方見方も故人と目線が揃うように思うのです。
とにかく遺された私達の選ぶ道は、「辛くても命ある限りこの世を生き抜くことで、自らの死後には、最短で亡き最愛の故人に再会できること」を望むことかと思います。
すみません・・・なかなか自身のブログに来る時間が無くなってしまい、バタバタした毎日を送っていました。
Keiさまも葛藤されておられたのですね。。。見えない世界からのメッセージが聞き取れる能力・・・普通の人は持っていないその能力があるばっかりにご自身の中でも複雑な思いがあるのだと。。。私のような者は「そういう能力があったらいいな」「欲しい、欲しい」と単純に思ってしまいますが、ミディアムが出来る、霊との交信が出来るというのは、その方自身の心や人生をも大きく左右してしまうものなのだと感じました。
T&Mさま、Keiさまへ私のこともご相談頂いたりと、お気遣い頂き、本当にありがとうございます。コメントを読ませて頂きまして、T&Mさまの暖かいお気持ちに感謝いたしておりますm(_ _)m
最近、仕事が忙しいということもありますが、社内の体質が非常に悪く(隠蔽体質?)、また白を黒ということは社会経験上出来ますけど、それ以上のことを要求されたり、指示されたり・・・と、精神的にマイっていた面もありました。
「仕事は仕事」と割り切ってはいますが、数字を扱う仕事で、数字を・・・というのは、操作した時間(秒単位)や誰が動かしたかまで、本社では簡単に分かるので、やりたくないと思いつつ上司の、更に上の命ですから。。。Yesとしか言いようがありませんでした。
しかし、とうとう本社経理に実態がバレてしまい、本社経理部本部長より相当怒られました。まぁ、私を怒ったところで、私がしたことは上司の命令がないとシステム上出来ないセキュリティのあることなので、そののちは大丈夫でした。以前にも、そして、さらに数年前にも、経理担当は降格となり現場作業員へ配置転換、役職者は退職金無しで免職などあったにも関わらず、体質は変わっておらず、とうとう本社から転勤でぞくぞくと役職者を私の職場に送り込んできて、ようやくまともな体質に変わろうとしています。遅いですよね。その間に、何人の社員や役職者がノイローゼや鬱になって休職したり、辞めて行ったことか。。。
個々人や職場の人間環境は非常に温和でよい会社ではあります。しかし、裏の面もあり、そこのところがようやく表沙汰になって改善への取り組みが始まったという状況です。
全ては・・・社長に良い成果実績報告をしたいがためですね。
もう少し落ち着くまでには時間がかかりそうです。他部署の男性経理マンは、暗い部屋でひざを抱えてボーっとしていました。。。
私は大丈夫です。もう無くすものはないですから、いざとなったら相手が取締役だろうが何だろうが言いたいことはいいますので。(すでに言いました)
そう言った変革が今社内で起っていまして、中堅の方々、事務系では係長、課長、副部長、現場営業所では副所長、所長などは「どの上長に今後ついて行くべきか」を模索しているようです。
私から見ても、ここ1~2年の安泰を求めるならあの取締役だな、5年先ならこっちの執行役員、10年先を見据えると、あの部署の部長だとか見えてきています。
創業から半世紀以上経つ会社ですが、良い面もあれば悪い面もあります。
会社も人間と同じで完璧なところってないもんですよね。
また落ち着きましたら、必ずKeiさまに一度見てもらいますね。
コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください。
管理人さんにKeiさんをご紹介したものの、
ちょっと心配になってKeiさんにメールで
おたずねしてみました。
私の場合、主人がなくなって7ヶ月目のセッションでしたが
管理人さんはたぶん7年くらいたっておいでだから、
時間がたっているのでどうなのかしらと、
ちょっと心配になったのです。
Keiさんへメールを久しぶりに送信したら、
Keiさんが予想外の進展をされていてびっくりしたのです。
(注)
Keiさんには管理人さんのサイトは一切ふせています。
また、どういう状況なのかも一切ふせています。
以下メールのやり取りの抜粋です。
(私のメール)
Keiさん
お元気ですか?
連休明けに、Keiさんのサイトを開けてみようとしたら、
開きません。
Password authorization
The user's password is necessary.
*Once you enable cookies you will not need
to re-enter your password.
って表示されました。
ブログ楽しみにしていますから~
どうしたらいいのでしょうかね?
それとお尋ねですが、
最近、見ず知らずの方のブログ上で
コメント交流しています。
この方も最愛の方をなくされています。
やはり私と同じように、
亡き最愛の彼女からのメッセージを聞きたいと
強く思っていらっしゃいます。
メールでのミディアムセッションを
2~3回受けられたようですが、
抽象的な言葉が伝えられただけだったようです。
「見守っている」「やすらかでいる」とか・・・
故人である証明が何もないので、
がっかりされているようです。
この方のお気持ちが手に取るようにわかりますので
Keiさんのミディアムセッションをご紹介しました。
私の体験談も読まれて、受けてみたいと
思われているようです。
約7年くらい前に亡くなられていますけど、
ミディアムセッションは可能なのでしょうかね?
多少時間が過ぎていますが・・・
ご紹介したもののちょっと心配になったものですから。
(keiさんからのメール)
●●さん(私の名前です)
ご心配をおかけしてごめんなさい。
現在、ブログをブロックしています。
ブログを消してしまおうか・・・とも考えたり。
と言うより、ミディアムとしての自分を消そうかと迷ったり。
なので、ブログも現在保留中です。
*******あるご相談者からお問い合わせがあり*****
***ご相談者のエゴを、お問い合わせの段階で、
とても感じ、また、怒りのエネルギーを感じたので、
お力になれないとお断りしました。
でも、数回、彼女とメールのやり取りをし、
私の感じるメッセージをお伝えしました。
**************
その方とのやりとり(セッションはお断りした後のやりとり)に疲れてしまったのが、現在の私です。
そして、ミディアムシップもやめようかと・・
他人のエゴの処理にミディアムシップを提供している
訳ではないので。*******************
***********************************
***********************************
と、このメールを書きながら、
かなり、自分の気持ちが整理出来た様に感じます。
やはり私は、ミディアムなのだと。
嫌だからと辞める事ができれば楽なのだろうけれど。
それが、許されない・・・。
そして、やはり、「霊」の為の自分・・・。
「霊を中心」としたミディアムでいたい。
ブログも、再開だと思います。
******************
今回の●●さんとのやり取りは、
ご主人のはからいかなぁ。へへへ。
沈没している私に対して、考える機会を下さった。
何となく、そんな気がします。
改めて、ご主人の思いやりに感謝!
そして、ご主人からのメッセージをキャッチしてくださる
●●さんに感謝!
(私のメール)
Keiさん
そうですか~・・・そんなことがあったのですね。
私が、ご紹介した方はその方とは違いますね。
若い男性の方です。(多分30代半ばでは??)
この方のブログに偶然にもたどり着いたのですが。
私かと思えるくらい、感性が同じでした。
パートナーを亡くした方(特に女性)のブログや、
意見など拝見して思うのですが、
ちっとも前向きでなくて
「悲しい、さびしい、辛い、苦しい、なぜ!なぜ!
時間が薬だ、ただただ耐えなければ、仕方がない」
とかばっかりです。
同病相哀れむで、そうだね、悲しいね、さびしいねって・・
でもそれだけじゃ、一歩も前に進めない。
最愛の人と何とかして、
亡くなってからも愛情を交信できて、
二人の魂を深く紡いでいきたい。
そうすることで希望と力がわき、
自分の寿命を幸せにまっとうできる。
その後、最愛の人に再会でき、
普段どうりにその世界でまたもっと愛し合いながら
暮らせると私は確信しています。
それを可能にしてくれているのが、Kei さんなのです!
この男性の方は、私と全く感性が同じでしたので、
Keiさんのサイトをご紹介しました。
この方のブログにこんなことが書いてありました。
まさにKeiさんのセッションを受ける前の私そのものです。
だからよ~くわかる。
「見えない世界は、本当に在るのか分からないけど
あって欲しいと願っている。
しかし、それは願いであって、
実際にはどうなのか確信が持てずにいるので
不安でたまらない」
後はこの方が、判断されて申し込まれるか否かは
わかりませんが・・
Keiさんとのセッションをぜひされるといいのにな~と
個人的に思っています。
ところで
主人もKeiさんがミディアムやめると大変困ると
思ったんですよ~
「え~ チョッとチョッと待って~
(俺の女房)との会話はどうなるの~
楽しみがなくなるじゃないって」・・・フフフ
(keiさんからのメール)
ブログ、今朝、再開しました。へへへ。
************
*******************
「見えない世界は、本当に在るのか分からないけど
あって欲しいと願っている。しかし、
それは願いであって、実際にはどうなのか確信が
持てずにいるので不安でたまらない。」
確かに、この部分でのサポートが出来るのは、
ミディアムだと感じます。
私自身、そう出来ればと感じ、
セッションを提供している訳なので。
霊も同じ気持ちだと感じるし。
「ミディアムシップ」って、このあたりで、
葛藤をしている分野だと、私は感じます。
今は、ミディアムシップの流れが、
「evidential(証拠を示す)」になっている気がします。
でも、人間に信じてもらいたいからの証拠ではなく、
霊が自分だと分かってもらいたいからの証拠。
人間中心なのか、霊中心なのか・・・。
私は、霊を優先してしまうので。
うまく説明が出来ないですが、私のミディアムシップは、「霊の愛」を感じてもらうためのもの・・・って気がします。
あの世や、「証拠」を確認してもらうものではなく。
ただ、霊の愛を感じてもらうためには、
「証拠」も必要だと思い、セッションでは、
使っているテクニックです。
もっと、違うアプローチもあるのではないのか??
と感じているのが、今の自分です。
自分だからできるアプローチ。
または、自分にしか出来ないアプローチ。
それを探したくて、今回のイングランドがあるのかも??
とも思っています。
が、簡単に見つかるものではないと思うので。
そこが、自分にとって、ミディアムとしての「修行」
なのだろうなぁと感じてます。
また、あの世や、霊に関する「人間の迷信」や、
「偏見」に気付いてもらいたい・・・。
多分、それが私のミディアムシップなのだと感じます。
霊からのメッセージって、多くの場合、
人間が聞きたくない内容ではないのかなぁと感じます。
人間の作り出した迷信を信じて(成仏できないとか)で、
辛い時間を過ごしている、そんな愛する人に対し、
「そうではないから!」と、ご相談者に伝えたい。
だから、霊は、セッションの機会が欲しい。
私のセッションって、
そんな「誤解を解く場」である気もします。
それをする為には、先ず、誰からのメッセージなのかと、分かる必要がある。
IDの様に、パスポートを示す。
そこが、EVIDENTIAL が必要となる部分なのだと
思います。*******:****
******************
私には、メールにあった、
彼女を亡くされた方の辛さや淋しさを感じます。
そして、一生懸命、光をあてていらっしゃる彼女も。
光と言っても、太陽にさんさんとしている訳ではなく、
月や星の光の様に、ほのかって感じ。
「夜景」を感じるし。
でも、これって、●●さんの「東京タワー」も感じたので、
ご主人からのメッセージでもあるのかも!
きっと、暗闇は彼で、光は彼女。なのかも??
そんなイメージを感じます。
でも、真っ暗でない暗闇。
彼女が、光として、存在しているから。
真っ暗にはならない。
暗闇の美しさも、感じられるように、ほのかな明かり。
そんな彼女の思いやり・愛を感じます。
明るすぎると、一歩、一歩が見えないから。
暗闇だと、一歩、一歩をゆっくりと歩けるし、
大切に出来るし。
そんなメッセージを感じます。
彼女は、色んな場面で、光として、側にいらっしゃるのに、彼は、気付いていらっしゃらないか、
または、気付かない様にしていらっしゃるのかも。
何故か、そんなイメージも感じました。
でも、彼女は、太陽の様な光にはなれないから。
今の光の明るさで、彼に気付いてもらうしかない・・・。
そんな彼女の思いも感じます。
生前も、そんな彼女であったのかなぁと感じます。
彼にも似たようなエネルギーを感じるので、
その部分で、彼女は、生前、彼と一緒の時間に、
ホッとできたような。
何故か、そんな彼女の感謝も感じます。
機会があれば、お伝えください。
でも、曖昧過ぎて、要らないと思われるかも
知れないですが。ハハハ。
以上私とKeiさんとの
メールのやり取りの抜粋でした。
大変長くなったけどお伝えしておきますね。
●私は、セッション時にテープレコーダーに録音しました。
Keiさんもそれはご自由にと言われたのでスカイプセッションの一部始終を録音しました。
その時は内容を記憶していても、そのうちあやふやになって来たり、自分の都合のいいように作り変えないようにと思いましたので・・・・
これは大正解でしたよ。
繰り返し襲ってくる辛い時にこの録音をそのたびに聞いています。
どんなに助けられていることか。
それから、繰り返し聞いているうちに、この箇所はどんな感じだったかな?とか疑問が生じたとき、後日質問ができました。
●セッション申込前には、何回も疑問点やセッションの流れなどメールしました。
Keiさんはアメリカで学んでいた背景からか、
すごくオープンな考えをお持ちの方でこちらが納得のいくまでの質問を快く受けていただきました。
「当然のことです」とこれまた言われました。
参考までに。
この方、凄いですねっ!!私も数年前まで色々な方を探してみましたが、なかなかこの方は!という人と出会えませんでしたが、T&Mさまは、よく
Keiさんを見つけましたね。
山陰地方の松江市の方ですか。私も松江方面には何度か行ったことがあります(出雲大社等)実家の愛媛に帰った後も地元の友人と行きました。
T&Mさまも私と同じく「抽象的な言葉はもういい」「故人と分かる言葉を聴きたい」と強く願っていますので、 T&Mさまが「この方は!本当に故人と繋がることが出来る人だ」と感じたのであれば間違いないですね。
そうかぁー、そうですか、私もこのKeiさんが、一般の人からの依頼を受けて視てくれているうちに、お願いしてみます。
その結果もご報告いたしますね。
故人が生前のときには、全く知らなかった人が、2人のことや故人のことを語る、そして確信が持てる特徴なり話が出てくるということは、まさに「精神世界」「死後の世界」は存在するということですよね。
私も、そこのところも踏まえて実感したいです。
・・・
昨日も水曜日から続いています体調の悪さ(特に腸)から、会社を早退して病院へ行きました。今朝は痛みも無く、ようやく回復に向かっているようですので、落ち着きましたら、私もチャレンジしてみますね。
色々と教えて頂きましてありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください。
私がミディアムセッションした方のサイトを
お知らせしますね。
私は、2回受けましたのでその体験談の箇所を下記に添付します。
すべての方に当てはまるかはわかりませんが、
私は確実に主人からのメッセージをもらいました。
このミディアムさんが私のセッションにコメント
されているように、
「ご主人を亡くされて、とても辛い時間を
過ごしていらっしゃるご相談者を、
「どうにかして、癒したい!」と思う、「ご主人の霊」の「愛情」が、とても強かったから、
私も、ミディアムとして、きちんと、
ご主人からのメッセージを受け取れたのだろうな~。
そんな気がします。
ミディアムだけでは、どうにもならないです。
「霊」からの「愛情」「サポート」があってこそ。」
と書いておられます。
主人も私にメッセージを伝えたいと必死だった。
そしてもちろん私も、絶対主人からメッセージをもらえると強く信じていた。
本当にお互いの愛情が深ければ、次元が違っても通じると実感しました。
1回目のセッション開始すぐに、ミディアムさんから
主人の特徴が伝えられました。
間違いないですか?って
・・・・・主人そのものでした。
ミディアムさんは
「良かった~やはりご主人と交信できています」
その後は、驚きのメッセージが次々に伝えらえました。
この方のセッションは、
主人がだらだらと会話をしてくるものではありません。
私と主人しか知りえない事柄、単語、イメージが伝えらえました。
そのことを一つ一つひもとくといったセッションです。
長く夫婦をしていたので私は主人のことが
よくわかりますが、主人の行動パターンが
このセッションで一致していたのも驚きでした。
1回目は主人の霊が健在だと確信できたことが
最大の成果でした。
それまでは、毎日が辛く悲しく泣くことの連続で
この先私は生きぬけるのだろうかと思っていたので
これ以上の喜びはなかったですね。
2回目のセッションは、
私のほうも本当に主人とセッションできていると
余裕がありましたので、かなり深く掘り下げての
セッションができました。
このミディアムさんは、セッション終了後に
あとになってわからないことや、聞き忘れたことなどはメールで送信していいですよと言われました。
(これはこの方の人柄なのか、その後のメールのやりとりについてはお金はいりませんと言われそれに甘えさせていただきました)
主人が私と同じ次元にいないことは、大変悲しくさびしいです。
でもそれは、もうどうしようもないこと。
しかし、主人の霊(魂)は健在でいつでもセッションできるんだと思えば、
悲しみの度合いが全く違います。
ミディアムセッションにことごとく依存していこうとは思いませんが、
時には頑張っている自分へのご褒美として、
ミディアムセッションもいいのかな~と考えています。
このミディアムさんも言いました。
「あなたが、ご主人と話したいと心から思っているときは、ご主人もそう思っていますよ」って
http://cakie6.blog.fc2.com/blog-entry-167.html
http://cakie6.blog.fc2.com/blog-date-201204-16.html
http://cakie6.blog.fc2.com/blog-entry-219.html
ちなみにこのミディアムさんは、
まだまだミディアムとしての修行中?進化中?
とのことでした。
凄いミディアムさんに出会ったのですねっ!
私も、彼女の死後に、どうしても「亡き彼女の存在」「心(魂)」は、消えてなくなるものかっ!とメールで1回5千円~1万円の霊視のようなものをして貰っていました。
ですが、T&Mさまのおっしゃる通り、「どうにでも取れる」「抽象的な言葉(あの世から感謝していますよ等)」ばかりで、う~ん・・・と思っていました。
それは、素晴らしい(本物の)ミディアムさんに出会いましたね!!
私も教えてほしいです☆
どうも、月日が経つにつれ、亡き彼女は「仕方が無いものは仕方が無い」と割り切って考える面もありましたので、あの世の中でも随分と先に行っちゃっているのよう思えてきまして・・・行くべきところへは行ってて欲しいのですが、「ちゃんと、私の死の直前直後は来てよ」っと願っていて、そうでないと、こちらが成仏できないっ!とさえ考えています。
私も「見えない世界」については、夏の風物詩程度にしか思っていませんでした。
まぁ、幽霊のようなものは、何故か分からないけど、よく芸能人が「ホテルで見た!」とか言っているのを聞いて、そういうものもあるのだろうなぁ、でも自分の心が不安定だから錯覚で見たのでは・・・と思いながら、TV内での話を聞いていました。
私の友人などは、学生時代に新築のワンルームマンションに住んでいて、3階当たりに部屋があったのですが、ふと目を覚ますと、テレビが付いていて女の人が写っていたそうです。メガネを掛けて、よくよく見ますと「その女性は白い着物を来て、TV画面からはみ出していた」そうです。
そこで、友人は「・・・」となり、じっと見ていましたら、テレビの前から横へすーっと移動して壁の中に消えていったそうです。
それを見て、怖くなり、朝まで布団の中で汗をかきながら明るくなるのを待っていたそうです。
でも、そこまで、しかも20歳を越しての体験なのに「死んだら無になるって」と言います。そう思う人は、そう思ってたらいいと思いますけど、私なら「とうとう見たっ!」と怖いですが、見えない世界を確信しますけどね。
・・・
突然の末期癌だったのですね。。。私の前々前職のときに、お世話になった某地域のCOOPの元専務理事までされた方も、当時、一緒に学生アパートの斡旋をしてきまして、あるとき(12月)に久しぶりにお会いしたら、どこか顔色が悪く「大丈夫ですか?」と話しかけましたら、「そう?そうかな」と言われていました。そして1月に癌が分かり、3月頃には亡くなられました。菩提寺には拝みに行きましたが、あまりの速さに驚きました。
死の間際もそうですが、人は毎日行動していて、身体も動かし頭脳も動かし、その姿は、ごく当たり前で何とも思わないものですが、いきなり滑らかに動いていたものが、突然ガクガクガクッと異常な動きをしたかと思いますと、あっという間に悪い状態へなってしまうのも、不思議でなりません。
やはり、「寿命は宿命」なのでしょうか。この世での修業が終わるときとは、そのような感じなのでしょうか。。。
ついさっきまで、昨日まで、ごく普通だったのに。
社内でも普通に事務所を出入りしていた社員の方が、突然体調を崩し、そして帰らぬ人になってしまったことも何度か目にしました。
まるで「もう修業は終わり。もういいよ」と肩を叩かれたかのように、ガクンと来て、去って行くことに。
先週も約100キロ離れたところで社員のお母様の葬儀があり行ってきました。
多いときには、市内で一日3箇所、葬儀場を回ることがあります。2件くらい重なることは、けっこうあります。
入社当初、社内では「おくりびと」と言われたりしてました。
もうどれだけの葬儀に参列したか。
会社側受付も何度もしました。約1年間で、手のひらの中指と親指を広げたくらい幅広のファイルいっぱいになります。
でも、今のような仕事をするポジションにいるというのも不思議ですよね。知らない人の死を見ることが多いです。
お顔を拝見したり、通夜の際には、葉っぱ?のようなもので故人のクチに水を上げたり。
でも「初めての対面」なんです。
ですから、「こんにちは。はじめまして。私のような者が来てすみません。さようなら。」と手を合わせつつ拝んで立ち去ります。
少なくとも毎月数件の葬儀に出ています。秋から冬に変わる季節、寒い真冬のとき、そして段々と暑くなって来る頃、まとまって葬儀があります。
だから季節の変わり目というのは、気をつけなさい(体調が崩れる)と言われるのだなと感じたりしています。
葬儀屋さんよりも葬儀に関わっているような時感じです。
永くなってすみません。
「何で、このような役目に」と思いますが、これも何かの縁と思い、日々を過ごしています。
コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください。
思わないけれど、
最愛の故人と何とかして会いたい、声を聴きたいとか、
現実絶対にかなわぬことと思いながらも
心が悲痛なほど叫んでいると思います。
その痛みは実際に体験して初めて知る、吐き気さえ伴うような心の痛みですよね。
私の最愛の主人は、突然末期癌余命6ヶ月を宣告され、11ヶ月目で亡くなりました。
最愛の主人を亡くした悲しみもさることながら、
私にはどうしても主人に確認しなければならないことが亡くなってから出てきました。
主人から答えをもらわないとこの先、生き抜けない
もしくは精神に異常をきたすのではと実感さえしていました。
その内容は主人が生存していれば、
普通なら笑い飛ばすような事柄なのですが、
主人がもうこの世にいないとなるとどうしようもないような葛藤が私に発生しました。
ネット上にこれほど多く、スピリチュアルな関連記載事項があるとは主人をなくすまでは知りませんでした。
無縁の世界でしたからね。
霊とかに関することも否定はしていませんでしたが
無縁でした。
「オーラの泉」とかも胡散臭くて見ていませんでした。
(今は江原さんにはお詫びします)
もちろんスピリチュアルな書籍も一冊も持っていませんでした。
それが主人の死後一変しました。
誰か、何処かに、何か、救ってくれる手段があるはずと・・もう毎日毎日が必死でしたね。
私の幸せを一番大事にしていた主人だから、
亡くなったとしても私を必ず救ってくれるはずと・・・
真剣に考えていました。
そこで見つけた、メールでの遠隔ミディアムセッション。
藁をもすがる思いとはこのことですぐに申し込みました。
一人目の方
結果…この方の考えを伝えてきただけでした。
そうです、ただ抽象的な言葉のメッセージです。
癒しの言葉と励ましでした。
それはそれでありがたいのですが、
そこではないのです。
ちがう!主人ではない!そんなのは欲しくない!
二人目の方
同じようにこの方のメッセージでした。抽象的でした。
そして主人が私には絶対にしない行動が付け加えられたので全く違うと思いました。
やはり無理か!?・・・・
やはり亡くなれば終わりなのか!?・・・・
世界のどこかに本物のミディアムさんがいるのだろうけど・・・
もしかしてそれすら偽物?
それをどうして見分けられる?・・・・
もうどうしようもなく落胆の日々でした。
しかしその後偶然検索したサイトを何故かひかれるように開いてみました。
食い入るようにそのサイトをすみずみまですべて
検証し、なぜかこの人が私を救ってくれると思いまた。
何の証拠もないのにそう思ったのです。
スカイプによるミディアムセッションでした。
結果:私にとっては本物のミディアムさんでした。
管理人さんが書かれているように抽象的なメッセージや、癒しの言葉はいらないのです。
私と主人しか知らないような事柄が、伝えられれば本当に主人霊の存在が実証されます。
生き抜いていけます。
ドキドキしながらセッションを開始しました。
そこでメッセージとして伝えられたことに、
もう驚愕、感嘆、としか言いようのない事柄でした。
このミディアムさんにはメールでの申し込みの時に、
主人の亡くなった年月日と末期癌だったことの2点しか伝えませんでした。
というか、事前にもっと情報を出しましょうかと
メールしたら不用と返事をされました。
事前に情報が多すぎると、リーディングの邪魔になると返事が来たのです。
それなのに、
私と主人しか知らない事柄がたくさんメッセージとして出てきました。
これは、信じるというレベルではありませんでしたね。
まさに主人でした。
主人は霊(魂)となって、主人の個性のままで
確実に健在している。
そして私にメッセージを渡したいと願っていることがわかったのです。
そしてこのミディアムさんが圧倒されるほど、
主人は私に愛情を伝えてきました。
嬉しさと、感激と、感謝と涙とそして笑いまであったセッションでした。
人生の中でこれほどまでに、幸せの感情が溢れ出すことはありませんでした。
管理人さん、愛する彼女は確実に健在されておられますよ。
間違いないです!
ここで誤解のないように記しておきますね。
私はこのミディアムさんのCMをしたいのでは決してありません。
最愛の人を亡くした後、遺された者はどんな感情で
毎日生きているか、体験してはじめてわかったから・・・
最愛の人の霊は健在しているとわかったから・・・・
コメントしたかったのです。
このミディアムさんのサイトにあんまり嬉しかったから、セッション体験談を出しました。
ご覧になりたいと思われますなら、
サイトお知らせしますよ。
私は、主人の霊が健在していると確証できたから、
死後の世界や霊についてもっと深く知らなければと
思い現在勉強中です。
だから、先に霊ありき、その後その確証のために
多読勉強中・・・です~。
ちなみに私は、ほとんど宗教には興味がありません。
23日に29歳のご主人さまを亡くされたのですか。。。
29歳という若さで・・・ですか。
なんと言ったらよいのか言葉が見つかりません。。。
早く会いたい気持ちは、すごく分かります。しかし、自ら・・・命は絶っては駄目ですからね。それだけは絶対に駄目です。
私は、死後に亡き彼女に逢うため、そのためにこの世を生き抜こうと決めました。
亡き彼女と死後にすぐに逢う、それが唯一の楽しみです。
この世にいっぱい楽しみや思いがある人が、この世を去るときは「まだ生きたい」と望むことでしょう。確かに周りの友人知人との「さようなら」は寂しく思います。しかし、私達は、あの世で待っていてくれる人がいる、だから死の瞬間は怖くて苦しくて辛くても、向こう側には、最愛の人がいる世界があると思えますと、どこか「向こうの世界(死後の世界)に楽しみが持てる」ような気がしています。
確かに、今、この時は寂しいし、悲しいし、どうして死んだんだよとも思います。
この世に心から楽しめるもの、感動できるもの、幸せに思うものが無くなった分、私は、死後の世界に期待したいです。
でも、自ら命を絶つのは、今の辛さを逃げるだけのことで、それであの世に行ってもすぐには逢わせて貰えないように思っています。だから、与えられた寿命の期間は、どんな情けない姿になろうとも生き抜いて、そしてあの世で、亡き彼女に「頑張ったね」と褒めてもらいたいがために生き抜きます。
お互い、辛い経験をしましたね。
でも、お互い生き抜いていきましょうね。
コメントありがとうございました。
辛い中を生き抜いて、生き抜いて、そしてお迎えが来るときまで生き抜いて、最愛のご主人と会いましょうね。
この喪失感はいつまでもきえないんですね
早く会いたいです
高校のときから、そして共にお過ごしになった年月で43年間と、お二人が共に寄り添って歩んで来られた中で、ご主人様が先立たれたと聞き、大変なご心痛かとお察し申し上げます。。。
私自身、「永く共に歩んで来た中で訪れた別れ」と「出逢って間もなく、これから、もっとずっとという中での別れ」、どちらの悲しみも、やはりご経験されたご本人にしか分からない辛さかと思います。
T&Mさまは、ご主人様とは出会いから別れまでの間に、とても多くの想い出をお持ちかと思います。お二人で歩んだ想い出が多いほど、寄り添っていた時間が永いほど、先立たれたご主人様への想いやこれからのご自身の生活への不安、生きがいや生き抜く目標をどうやって自分の心の中に持って行けばよいのか、迷われるのも当然のことと思います。
どうぞ、お気軽にいつでもお立ち寄りください。
そして、私も自然とそうなったのですが「死後の世界」「目には見えない霊的な世界の存在」について「こちらも知ってみよう」という思いで、ご自身の心が落ち着くまで書籍を読んでみるとよいかと思います。
気晴らしに出歩くことも大切なことです。ずっと悲しんでいては、亡きご主人様もあちらの世界から心配されることと思いますから。しかし、外出して色々と行動してみても、まだ心から楽しめない状態だと思います。そういうときは、やはり書籍に頼るのが一番落ち着きますよね。
私も(自らの死後には)「先立った最愛の彼女に、必ず逢える」と信じて日々を過ごしています。この気持ちは、もう揺ぎ無いものになりました。
遺された私達は、今度は自分自身の寿命が来るまでは、何としても生き抜いて、そして「先立たれてからの日々は、寂しくて辛かったけど、生き抜いたよ」と死後の世界では胸を張って再会しましょう。
2006年8月23日の「再会」のブログを見てみましたが、ブログの調子が悪いのか、初めはコメントを投稿が出ませんでしたね。それで投稿可能かどうかお聞きになられたことと存じます。
更新してみましたら、「コメントを投稿」と出ましたので大丈夫かと思います。
・・・
とにかく、こちらの世界(現世)にいる私達は生き抜くことが何よりの使命のようですので、お互いに一歩づつでも歩んでいきましょう。
コメントありがとうございました。
そこで管理人さんと同じように、私も死別とは何を意味するのか知りたくなり、砂に水が吸収するように死後のことや霊界関連を多読しています。それが今の私の救いの場所かもしれません。死別、特に愛し合ったパートナーとの死別の感情ははどう表現したら良いのか見当がつきません。これは同じ経験をした方でないと理解不可能ですよね。時々おじゃましてもよろしいでしょうか?2006年8月23日の「再会」のブログに投稿したいのですが投稿可能なのでしょうか?
それはそれで、なかなか体験出来ない素晴らしい経験ですよ!
私は、毎日地元で同じ風景を見て、同じ道を通って会社に行き、そして夜に実家に帰って来て・・・変化なしです。。。
海外生活は、経験した方しか分からない苦労も多くあるかと思います。
それも、頑張って生き抜いている一つの証だと思いますよ。
少しずつ、ゆったりと歩んでいきましょうね。
ダーダさん、とても苦労されて来たのですね。。。
私の亡き彼女も出会って少し経ったときに、手首にリストカットをした傷がいっぱいあるのを見て、どれだけ苦しい気持ちで生きてきたのかと思いました。
その思いは、本人しか分からないことだとも。
ときには、今の生き方に納得(不満?)があったのか、意味無く、死にたいとか言って泣いたりするときもありました。
私が先に死んだら、電車に飛び込んですぐに死ぬとも言っていました。
私は、心配で心配で先には死ねないと思ったことも度々あります。
私がごみ捨てに行くときにも、誰かに襲われたらいけないから携帯を持っていくようにといったりしていた彼女でしたが、彼女のほうが私よりもずっと若いのに先に逝ってしまいました。
今6年の月日が経って、
あの世へ行く順番は「これでよかったのかも知れない」と思うときがあります。
それは、「自殺をしたらあの世で逢えないから」「逢うのが、遅くなって遠回りだから」と思うからです。
何も、あの世で逢いたい人が居る居ないは別としまして、このブログで紹介しているような「見えない世界」「精神世界」が死後にあったなら、それこそまさに「そこが生きる場所」「本来居た場所」なわけですから、そこへ戻るためにも、遠回りになる自殺はいけないと思います。
私も、結構「あの世という世界が存在あったなら」と思うと、楽しみが一つ増えたみたいに、どこかワクワクしてくる気持ちが出てきます。
そして、どうせいつかは「必ず死ぬ(寿命)」わけですから、何も自ら死を選ばずとも、いつかは死ぬその日まで、とにかく、「ぼちぼち」と生き抜いていこう、ただそれだけでもいいんじゃないと思えて、そして今を生きています。
確かに、周りを見ると「幸せそうな」カップルや裕福な方もいらっしゃります。
確かに、うらやましいという気持ちや劣等感のような気持ちになるときもあります。
でも、いつかは「みんな死んでいく」わけですから、それなら今生きているこのときを、とにかく生きるで十分じゃないかなぁと思うんです。
ダーダさん、私はあの世へ逝った際には、大きなミッフィーのぬいぐるみを抱えていますので、あの世が有ったときには、「やっぱりあったね!」と語り合いましょうよ☆
私の目印は、ずっと前から大きなミッフィーのぬいぐるみを想念で創り上げて抱えて持っている姿にしようと決めています。
合言葉は「ぼちぼち」にしますね☆
ご両親が居て、そして自分が生まれて、しかも生まれる前の魂(意識体・霊)のときに、自分が決めてきた試練付きのようですから、とにかく生き抜いていきましょうよ。
私は父親の顔を見たことはないです。。。
親は離婚していますから。でも、まぁいつかは縁があれば出会うこともあるだろう、ですね。
でも、生きている自分をこの世から消し去るのは、自分でやってはいけないと思っています。
死後にあの世があって、死んでも意識が生きていたなら、後悔してもどうにもならなくなりますからね。
お互い、とにかく生き抜いていきましょう♪
あと、私も凡人ですので偏った考え方や変な考え方をブログに書くこともあるかと思いますが、どれも私ですので、よろしくお願いしますm(_ _)m
コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください。
興味深く読ませていただいています。
私も管理人さんほどではありませんが、今まで不幸な人生ばかり歩んでいました。
小さいころから精神的な病で人との交流が出来難く、今まで友達も恋人もいず、一人で過ごして来ました。
将来に希望もなく夢もなく、自殺することばかりを考えて来ました。
でも、私が自殺することで、私を生んでくれた両親が一生不幸な余生を送るんだと思うと、なかなか踏ん切りが着かなく、
死のうか死ぬまいかの板ばさみの中で、10年近く過ごして来ました。
でも、管理人さんのブログを読んでいて、いろいろ考えさせられました。
死んだ後にそんな素晴らしい世界が待っていて、て、そこに幸せがあるのなら、今生は不幸な人生だったとしても、与えられた命を不幸なりに、思考サクゴしながらでも生きて見ようと思えました。
これが私に与えられた試練なんだと考えるようになったんです。
今は海外に住んでいて、管理人さんが推薦してくれている本がなかなか手に入らないので、今度日本に帰った時にでも買って読んでみようと思います。
ありがとうございました。
長々とすみません。
なるほど。
YouTubeで宜保さん等、色々なスピリチュアルな番組を見るという方法がありましたね。
日曜に休日出勤をした際には、出勤している社員と、邦楽のPVをよく見ていたりするのですが、立花隆氏の臨死体験もあったのですか!削除されてるんですね・・・それは残念。。。
YouTube見てみますね。
そうそう、「ぼちぼち」ですよ、ぼちぼち。
生き抜くことに意義がありますもんね。
コメントありがとうございました。
さとるさんは、絶対に傍にいますよ!それは、間違いないと男性側から考えて、そこは言い切れます。
勿論、女性も情深いものはあります。しかし、男って・・・恋愛でもそうですが、振られると長い間引きずるものでして・・・別れたあとも、どちらかというと女性の方がシャキッとするのが早いように思います。
特に最愛の人を置いて、この世を先に去ったのが男性の場合、それはそれはこの世に残した最愛の人のことを心配で心配でたまらないことと思います。
だから、「絶対に」傍にいると言い切れます。
失礼な言い方ですが、定年後の男性がスーパーで奥さんの後をついて回るのと似た感じです(^_^)
どんなに気丈だった男性でも、大切な人と離れるとなると弱いものです。
ですから、いつも傍にいると思って、声をかけてあげたり、あとは(誰も居ないところで?)書籍等で読んだ、あの世の仕組みを何パターンか読んであげて、こちらから道筋を教えてあげましょう。
きっと、想いと話の内容が、さとるさんに届いているはずですので。
コメントありがとうございました。
「亡き娘の声~宜保愛子さんの霊視~ 涙のあとに」を読みましたら、やっぱり死後の世界ってあるんだなぁって実感させられますね。
不思議ですもんね。
今、この世で生きている身体だって。
確かに人間の身体だって、複雑な機能がいっぱい詰まっていますが、ですが、「『心』といいますか、『魂』といいますか、この感情や思考といったものがどこから来ているのか」までは、分かりませんものね。
機械的な機能のほかに、計ることの出来ない「何か」があるように思います。
お互い健康には気をつけて歩んで生きましょう。
コメントありがとうございました。
ではまた。。。お仕事お忙しいようですが、お体大切になさって下さい。ぼちぼちいきましょう。
先日はありがとうございました。
今日の記事、とってもとっても共感できます。
彼にも「私がいいたいのはまさにこれだよ~」
って読んで聞かせました☆
周りの人たちにも
「いつまでも泣いてたらさとるさんが悲しむから。」って言われるし
もし逆の立場だったら心配で心配で
届かない声で一生懸命語りかけると思うんです。
いまはまだ前を向いては歩けないけど
足元を見ながらでも一歩一歩歩んでいくことが
最愛の人に会える最短距離なんですよね!
分かっているけど それでもやっぱり・・・
ですね。。。
ではまた☆
読ませて頂きました。
人は亡くなった後も生き続け、愛する人を守る事が可能
なのですね・・・そうありたいと思います(自身の死後)。
寒い日が続いています。お体を大切になさって下さい♪