(岡山県吉備路 国分寺)
そうそう、もう1名、知っている社員が先月末で
退職していました。
入社して2年目の新卒入社の社員だったと思います。
・・・
若手社員が退職するのは残念に感じますが、これも
また各個人の諸事情からですので、どうこう言う筋
合いはありませんが、20代で転職すると聞きます
と、自分自身を重ね合わせて見てしまいますね。
「20代での転職」というものは、やはり、前向き
な行動としての職業探しという面が強いと思います。
「今の仕事(業務)に満足できない」
「もっと、張り合い(やり甲斐)のある仕事がしたい」
そう考えて動くのも分かります。
・・・
「適職探し」
人によって、何が適している仕事なのかは、十人十
色ですよね。
20代の頃は、「やる気」「向上心」で動く人が
多く、30代前半から30代中盤にかけては、現在
のスキルに見合った賃金が貰えているか否か、とか
私のように「もう営業職はいい・・・疲れた」と
安定を求める人など、転職をするにしても、動機や
目的、目指すものが違ってきます。
やはり、「どうしても動きたい」と強く思うので
あれば、20代で行動して、20代で思いを完結さ
せるべきです。
その結果、思うように行った、行かなかったで、
また方向性を修正したり、更に伸ばしていくことが
可能なのは、やはり20代だと思います。
・・・
そして30代前半、または30代中盤を過ぎ振り返っ
て見たときに、「落ち着いて仕事に専念している自分
がそこに在る」という状態となっていれば、ベスト
なのではないでしょうか。
・・・
私も振り返ってみれば、やはり、
「学びたい」と感じた気持ちと「なにくそっ!」
と思った意気込みから、
(立命館大学 衣笠キャンパス)
京都へ行き、昼間に税理士事務所に通いながら、
立命館大学経営学部経営学科夜間主コース(4年制)へ
通い卒業(3回生編入で2年)して、
(立命館大学 BKCキャンパス)
滋賀へ行き、立命館大学大学院経営学研究科博士前期課程
を修了(2年)したことが
「20代での最大の行動」だったと思います。
学士(経営学)立命館大学
修士(経営学)立命館大学
この2つの立命館での学位は、「この時」
でないと取得出来なかったと感じています。
「そのときの思い」「そのときの行動」で
「学ぶ」ことに対して、やり直しが出来ましたし、
もう「学び舎(学校)で学ぶ」ことへの終止符や
納得が、自分自身の心の中で解決しました。
「やり終えた」「やっと、納得がいった」
「スッキリした」です。
そして、もう一度、やり終えた後に振り返ってみ
ますと、「なんだ。。。こんなこと(こんな思い)に
振り回されていたのか」と感じてお終いです。
ただそれだけ。しかし、「(行動)動いていなかったら」
たかがそんなことに、いつまでも固執している自
分だけが取り残されているといった感じですね。
そういう思いは「解決」「取り除く」べきです。
精神衛生上、非常によくありませんし。
「たかが」「されど」です。しかし、過ぎてみると
たった4年間で「納得がいった」まで到達できた
わけです。4年でその後は「あのことが気になる・・・」
「やっておけばよかった・・・」の後悔する気持ち
とは「おさらば」出来きました。
・・・
このような自分自身の過去を振り返りつつ、20代
前半で、「納得のいく『仕事』『待遇』『会社』」
で働きたいと思い転職している若者を見ますと、
応援したくなります。
ようは「どういう結果(転職したけどキツくて厳しい
会社だった等)であれ、『本人自身が納得』できれば
それで良い」わけです。
そういう行動は、「20代」で動くべきです。
ずっと心のどこかに引っかかったままで、それで我慢
できるのであれば、それはそれで良いですが、スッキリ
しない状態のままで居るくらいならば、「行動あるのみ」
です。
・・・
「何で、今の会社を辞めちゃうの?」
それは、私にも言えます。
どこの大学だろうが、ようは「社会人として、腰を
落ち着けて働く」最終は、学びは、生活の糧を得るため
だったり、やりたいことをして、そして飯を食っていく
ための「アイテム(技の一つ)」です。
どこの大学を出たかよりも、今、どういう仕事をして
いるのか、落ち着いて仕事に専念出来ているか、思った
ような仕事に就けたか、それが大事なことですよね。
そう考えると、
「何で新卒時に、地方銀行に入社したのに辞めてまで
有名大学へ行きたいのか」
「国立大卒や慶応大卒等と、同じ就職先に就職できたの
であれば、もう学校(大学)なんていいじゃないの?」
と思う人も多いかと思います。
確かにそうです。
私が銀行員を辞めて、昼間にパートやアルバイトをしな
がら、大学へ行く、その後、今度は昼間に大学院まで
進むと聞いた周りの友人・知人からは、「なぜ、そこまで
するのか」「もういいじゃないか」という声を多々聞き
ました。
・・・
転職活動、職探し、適職との出会い、天職に就く。
実は、この行動と変わりはないのです。
ようは「納得いくか、いかないか」であり、失敗だったの
か、成功だったのかは「自分自身の中での捉え方一つ」
で「良かった」という結果になったり、「失敗だった」と
いう結論を出したりするものなのですよね。
・・・
自己満足の世界です。
・・・
しかし、そのただ「自己満足」のために、数十年勤めた
会社を辞める,全く未知の世界に、30歳後半や40歳、
それ以上の年齢になっても勢いだけで行動するのか、と
なると、そんな自由が効く身ではない年齢に達してしまっ
ているわけで、例え独身であろうが、世の中、社会が受け
入れしてくれません。
年齢が高く、昨日まで学校へ行っていた=転職が相当
厳しいという現実の社会が待ち受けているのが、今の
社会です。
だからこそ、「行動するのなら」20代でやりたいこと
をやっておくべきだと思うわけです。
・・・
「年齢制限」この壁は、表向きは「年齢不問」と記載す
るように行政(雇用対策法)からの指導がありますので、
そのような募集条件となっていますが、
例外規定を用いて、はっきりと、
「長期勤続によるキャリア形成を図る観点から、若年者
等(35歳未満の若年者)を期間の定めのない労働契約の
対象として募集・採用」と明記して、年齢での区別化し
ている求人募集も多くあります。
本音と建前の世界ですね。
会社側としても、人材として採用すると「育てて使う」
わけですので、長く勤められる若手や中堅が欲しいわけ
ですね。
ですので、「自分自身を作り替える」「やり直す」
「違う方向へ行く」のであれば、早いうちに行動すべき
ということです。
私は、この20代前半の退職した社員とも何度か話をし
たことがあります。そのときは、「○○の資格を目指し
ています(業務上の資格)」と聞き、また周囲の社員か
らは、職場の皆とも打ち解けて、すでに「要」だと聞いて
いました。どちらかというと、もう一人の同期入社の社
員のほうが大人しくて、皆の輪にまだちょっと溶け込ん
でいないような話を聞いていました。
何かが彼を突き動かしたのですね。
それが、「行動に移す動機」であり、「出直しへの行動」
「挑戦」なのでしょう。
やはり、何か払拭したいことがあるのであれば、20代
で初志貫徹すべきですね。
そうそう、もう1名、知っている社員が先月末で
退職していました。
入社して2年目の新卒入社の社員だったと思います。
・・・
若手社員が退職するのは残念に感じますが、これも
また各個人の諸事情からですので、どうこう言う筋
合いはありませんが、20代で転職すると聞きます
と、自分自身を重ね合わせて見てしまいますね。
「20代での転職」というものは、やはり、前向き
な行動としての職業探しという面が強いと思います。
「今の仕事(業務)に満足できない」
「もっと、張り合い(やり甲斐)のある仕事がしたい」
そう考えて動くのも分かります。
・・・
「適職探し」
人によって、何が適している仕事なのかは、十人十
色ですよね。
20代の頃は、「やる気」「向上心」で動く人が
多く、30代前半から30代中盤にかけては、現在
のスキルに見合った賃金が貰えているか否か、とか
私のように「もう営業職はいい・・・疲れた」と
安定を求める人など、転職をするにしても、動機や
目的、目指すものが違ってきます。
やはり、「どうしても動きたい」と強く思うので
あれば、20代で行動して、20代で思いを完結さ
せるべきです。
その結果、思うように行った、行かなかったで、
また方向性を修正したり、更に伸ばしていくことが
可能なのは、やはり20代だと思います。
・・・
そして30代前半、または30代中盤を過ぎ振り返っ
て見たときに、「落ち着いて仕事に専念している自分
がそこに在る」という状態となっていれば、ベスト
なのではないでしょうか。
・・・
私も振り返ってみれば、やはり、
「学びたい」と感じた気持ちと「なにくそっ!」
と思った意気込みから、
(立命館大学 衣笠キャンパス)
京都へ行き、昼間に税理士事務所に通いながら、
立命館大学経営学部経営学科夜間主コース(4年制)へ
通い卒業(3回生編入で2年)して、
(立命館大学 BKCキャンパス)
滋賀へ行き、立命館大学大学院経営学研究科博士前期課程
を修了(2年)したことが
「20代での最大の行動」だったと思います。
学士(経営学)立命館大学
修士(経営学)立命館大学
この2つの立命館での学位は、「この時」
でないと取得出来なかったと感じています。
「そのときの思い」「そのときの行動」で
「学ぶ」ことに対して、やり直しが出来ましたし、
もう「学び舎(学校)で学ぶ」ことへの終止符や
納得が、自分自身の心の中で解決しました。
「やり終えた」「やっと、納得がいった」
「スッキリした」です。
そして、もう一度、やり終えた後に振り返ってみ
ますと、「なんだ。。。こんなこと(こんな思い)に
振り回されていたのか」と感じてお終いです。
ただそれだけ。しかし、「(行動)動いていなかったら」
たかがそんなことに、いつまでも固執している自
分だけが取り残されているといった感じですね。
そういう思いは「解決」「取り除く」べきです。
精神衛生上、非常によくありませんし。
「たかが」「されど」です。しかし、過ぎてみると
たった4年間で「納得がいった」まで到達できた
わけです。4年でその後は「あのことが気になる・・・」
「やっておけばよかった・・・」の後悔する気持ち
とは「おさらば」出来きました。
・・・
このような自分自身の過去を振り返りつつ、20代
前半で、「納得のいく『仕事』『待遇』『会社』」
で働きたいと思い転職している若者を見ますと、
応援したくなります。
ようは「どういう結果(転職したけどキツくて厳しい
会社だった等)であれ、『本人自身が納得』できれば
それで良い」わけです。
そういう行動は、「20代」で動くべきです。
ずっと心のどこかに引っかかったままで、それで我慢
できるのであれば、それはそれで良いですが、スッキリ
しない状態のままで居るくらいならば、「行動あるのみ」
です。
・・・
「何で、今の会社を辞めちゃうの?」
それは、私にも言えます。
どこの大学だろうが、ようは「社会人として、腰を
落ち着けて働く」最終は、学びは、生活の糧を得るため
だったり、やりたいことをして、そして飯を食っていく
ための「アイテム(技の一つ)」です。
どこの大学を出たかよりも、今、どういう仕事をして
いるのか、落ち着いて仕事に専念出来ているか、思った
ような仕事に就けたか、それが大事なことですよね。
そう考えると、
「何で新卒時に、地方銀行に入社したのに辞めてまで
有名大学へ行きたいのか」
「国立大卒や慶応大卒等と、同じ就職先に就職できたの
であれば、もう学校(大学)なんていいじゃないの?」
と思う人も多いかと思います。
確かにそうです。
私が銀行員を辞めて、昼間にパートやアルバイトをしな
がら、大学へ行く、その後、今度は昼間に大学院まで
進むと聞いた周りの友人・知人からは、「なぜ、そこまで
するのか」「もういいじゃないか」という声を多々聞き
ました。
・・・
転職活動、職探し、適職との出会い、天職に就く。
実は、この行動と変わりはないのです。
ようは「納得いくか、いかないか」であり、失敗だったの
か、成功だったのかは「自分自身の中での捉え方一つ」
で「良かった」という結果になったり、「失敗だった」と
いう結論を出したりするものなのですよね。
・・・
自己満足の世界です。
・・・
しかし、そのただ「自己満足」のために、数十年勤めた
会社を辞める,全く未知の世界に、30歳後半や40歳、
それ以上の年齢になっても勢いだけで行動するのか、と
なると、そんな自由が効く身ではない年齢に達してしまっ
ているわけで、例え独身であろうが、世の中、社会が受け
入れしてくれません。
年齢が高く、昨日まで学校へ行っていた=転職が相当
厳しいという現実の社会が待ち受けているのが、今の
社会です。
だからこそ、「行動するのなら」20代でやりたいこと
をやっておくべきだと思うわけです。
・・・
「年齢制限」この壁は、表向きは「年齢不問」と記載す
るように行政(雇用対策法)からの指導がありますので、
そのような募集条件となっていますが、
例外規定を用いて、はっきりと、
「長期勤続によるキャリア形成を図る観点から、若年者
等(35歳未満の若年者)を期間の定めのない労働契約の
対象として募集・採用」と明記して、年齢での区別化し
ている求人募集も多くあります。
本音と建前の世界ですね。
会社側としても、人材として採用すると「育てて使う」
わけですので、長く勤められる若手や中堅が欲しいわけ
ですね。
ですので、「自分自身を作り替える」「やり直す」
「違う方向へ行く」のであれば、早いうちに行動すべき
ということです。
私は、この20代前半の退職した社員とも何度か話をし
たことがあります。そのときは、「○○の資格を目指し
ています(業務上の資格)」と聞き、また周囲の社員か
らは、職場の皆とも打ち解けて、すでに「要」だと聞いて
いました。どちらかというと、もう一人の同期入社の社
員のほうが大人しくて、皆の輪にまだちょっと溶け込ん
でいないような話を聞いていました。
何かが彼を突き動かしたのですね。
それが、「行動に移す動機」であり、「出直しへの行動」
「挑戦」なのでしょう。
やはり、何か払拭したいことがあるのであれば、20代
で初志貫徹すべきですね。
管理人様と少しお話がしたくなりました。
大きく分けて二つの柱についてご質問と意見があります。
まず、一つの柱は、死の世界について。
私も江原啓之さんの著書は拝見してます。人は生まれ、そして死ぬという仕組みの中で、やはり私達は個々であって、あっちの世界で一つのグループソウルに溶け込むのであれば、もう二度と今ここにいる自分は形成されないように感じるのです。この世界で生きて、この世界の物を食べ、この空気をすって、今ここにいる。だから、今の私はこの私なんだと感じるのです。私という個体が永遠に消えないにしてもこの一瞬を感じること、そして、共に生きた人との思いは、今のこの瞬間だけのものに感じます。そう思うと胸が苦しくて、涙が止まりません。もちろん、一緒にいることが全てではないと思ってます。しかし、一緒にいたという経験があってからこその湧き上がる思いなんです。私はこの今の環境と現代に生まれてきたこと、そして、家族…全て愛してるのです。この幸せを崩したくないという思いからなのでしょうか?
死について考えると怖さはありませんが、涙が出てきます。
二つ目の柱は、就職についてです。私は来年から社会人となります。就職活動で大変迷ってて、大学時代にとった資格を有効に現場につくか、事務職につくか迷ってます。(資格は現場においても事務職においても有効となります。)本当は現場でバリバリ働きたいのですが、やはり、体力的なことで壁があります。私は女で周りは男性陣ばかりなので、余計に体力的差を実感してしまいます。何回かの研修を通してそう感じ、今はもしかしたら本当は心の底から望んではないのでは?という気持ちも出てきました。事務職につけば、現場での経験は得られませんが、もっと学びたかった英語を学びながら働けると思います。現場に出れば特殊な作業なので、他の勉強をする暇などありません。
長年働いてこられた、管理人様のご意見をお聞かせください!!厳しい言葉でもなんでも受け止めますのでアドバイスをして頂きたく思います。
長々とすみません。
まず、スピリチュアルな話から。
亡き彼女の死後、再会したい,逢いたいと思って、今を生きているという状況にいまして、ブログで紹介しました書籍を読んでいて、確かにじゃこさまの涙が出る思いは、よく分かりますよ。今、この世を生きている今にある感覚といいますか、感情や思い、そしてその実感のあるこの瞬間を「いつまでも覚えていたい」「忘れたくない」「ずっとあって欲しい(存在してほしい)」と思うのですよね。それが最後には1つのグループソウルになってしまうなんて・・・と、思うと悲しくなるわけですよね。
ただ、私が捉えている「精神世界」はほぼ同じではありますが、若干捉え方が違います。
どういうことかと言いますと、この世を去って死後の世界があったとしまして、あの世では、逢いたかった人と逢いたいと思った瞬間に逢える,この世に居たときの感動や喜びの瞬間も思い出すと一瞬にして、当時の感覚が蘇ってくるというようになっていることと思います。それはアカシックレコードの存在のような話にも関係するかと思いますが、当時の感覚は一つ一つ残っていることと思います。だから、無くなってしまったり、思い出アルバムを見て懐かしむ程度ではなく、まさに同じ体験,同じ感覚,同じ感動が蘇ってくるのだと思います。
しかし、死後直後や亡くなり方によって、「覚醒」するまでに個人差があると思います。あちらの世界では時間の感覚が無いとよく言われていますので、どのくらいでこちらの世界での表現でいう「目が覚める」という状態になるのかは分かりませんが、死後直後に病室に立っていたりと、すぐに「死後にも生きている(心・魂・意識体として)」ことに気づく場合もありますが、なになに?とうろうろしているときもあると思います。
そこから、すぐに気になる人や場所へ意識を傾けて、飯田史彦氏が臨死体験したときのように、「瞬時に思いを寄せるところへ行く」などして、この世に近いところを彷徨い、そして、そのうちに「自分は死んだのだ」と悟るとともに→江原啓之氏や多くのスピリチュアルな話をする方々がおっしゃるように→生まれてから亡くなるまでの人生の回顧や自分の今の心理に合った階層の幽界(アストラル体:生きてきた身体と同じような姿を持ったまま)へ行くのだと思います。そこで、ああでもない、こうでもない、ああだった、こうだったとこの世での体験をもう一度体験するかのように思い出し、あれこれ考えて色々な結論(反省や納得,許しなどを乞う)のだと思います。そこでは、まだまだしっかりとこの世で経験したことや感じたこと、そして一緒に過ごした人が全員あの世に来るまで、この幽界に留まり続けるのかも知れません。中には→いつか、みんな、この世界へ来るんだと悟った者は、思い悩むほどの執着心が無くなり→幽界から霊界(姿を作っていたアストラル体を脱ぎ捨てる)へと入っていくのだと思います。
ここで一つの自分の光・ソウルになるのではないでしょうか。自分よりも先立った人(魂・意識体・心)とは逢えても、しかし、まだあの世に遺した人のことが心配で見守ろう、そして、こちらの世界に来たときに会いに行こうと思う心が残っていれば、この霊界、乃至は、もっと思いが強ければ、霊界の前の幽界で留まっているといった状態にあるのではないでしょうか。
しかし、人のこの世での寿命は100年くらいのものです。この世の時間で100年経ちますと、この世で出会った人全て、あの世にやってきます。そうしましたら、「おぉ久しぶり!」「やっと逢えたね。逢いたかったよ」と感動の再会のときが必ず来ます。
そして、時間の無い世界ですので、この世のときと同じように好きなだけ一緒に居たり、語り合ったりすることと思います。
しかし、それもやがて、もう十分に語り合った,お互い思い出して再度経験し合った等で、飽きと言いますか、あの世に来て、人は死んでも生きていることやこのような仕組みになっていたことを知って、やはり、色々な面で「分かる(悟る)」、もう十分一緒に過ごしたと思うときが来るのだと思います。あの世の存在を知り、あの世の仕組みを知り、そして最愛の人達と再会を果たし、お互い居たいだけ一緒にいて、そして、徐々に「もういいかな」という心境になっていくのだと思うのです。
それは、こちらの世界の時で表すと、死後50年、100年、200年、1千年後かも知れません。人(魂)によってそれぞれでしょうね。しかし、いつかは「もう十分に逢って納得した」というときが来るのだと思います。そのような心境になって、そして物的なもの全てを悟ることが出来たときに、私達はあの世の仕組みの中で、さらに高い位置へと向かって行くのだと思います。
いわゆる神界と言われる世界です。
この世での表現で表すと、死後・・・幽現界をうろうろしたのち→幽界→霊界→神界と進むわけです。
その仮定の中で、霊界から、「あの世とこの世の仕組みはよく分かった」「また生まれ変わって、あっちの世界へ行こう(修行しよう)」と思う意識体・魂・心も多くあるのではないでしょうか。
悟り、仕組みが分かったからこそ、もう一度やり残したことや、次はこういう試練を設けて頑張ってみようと挑戦するのだと思います。それが輪廻転生ですね。
私は、「あの世でも『この世での苦しさ』もいつかは薄らいでいく?のか・・・また生まれ変わろう、試練を味わおう!なんてやりたくない」と正直思います。だって、もう亡き彼女とのように死別の悲しみなど味わいたくないですもんね。でも、あの世へ帰れば、死んでも生きていることが分かり、それなら、もっとレベルの高い試練で色々体験してみようと思うのでしょうかね。実体があり期限(死期)があるからこそ、経験が詰める場所がこの世なのでしょうね。
輪廻転生はさておき、この「悟り」「執着心が薄らいでいき無くなる」が無理矢理ではなく、自然体の中で、受け止め理解できるようになっていくと、光の世界で、やがてグループソウルとして溶け込み融合していくのだと思います。これは、坂本政道氏も見てきたという無数の光の玉と、そしてその玉が一つとなり、またその玉が他の玉と一つとなって階層のようになっている状態を観たことにも繋がることと思います。終焉はどこのなのか分かりませんが、一つの光の玉なのでしょうかね。
ですから、じゃこさまが思う「この一瞬を感じる」「共に生きた人との思い」そして「この環境、この家族」は、自分自身がもう十分満足と自然に思えるまでは、奪われたり、勝手に一つにまとめられたりはしない,されないことと思います。説明が難しいですが、すべては「自分が決めて(悟って)、置いていく(その思いも徐々に消えていく)もの」だと思います。なぜ置いていくことができるのか,または手放すことが出来るようになるのか、それは、死後の瞬間から知った「死んでも生きている」という不思議な状態から、ずっと思うことは思いを遂げる事ができて、段々と「そういうことだったのか」の何かが分かってくるからなのだと思います。
あの世の世界。本当に存在していたら、表現に出来ないほど広大で、慈愛に満ちているのではないでしょうjか。
ですから、この世の今、この環境、この瞬間が一番幸せと感じられているじゃこさまは、その今の一瞬一瞬を悔いの無いように生きることで、その時(瞬間)がさらに一層生かされるものと思いますよ。
ただ、「人は必ず死を迎える」それは避けられない現実です。死別の苦しみにも負けず、乗り越えて寿命を迎えた後は、今心配していることなどは、まったく心配しなくてよかったんだと、死後の世界、あの世、精神世界で思うことだと思いますよ。
私は、大学時代に取った資格を現場でも事務でも活かせることが出来て、その中で「事務職に就けることができるのであれば事務職」をお薦めします。
なかなか事務職は希望しても就けない場合が多いですからね。
直接部門の現場技術職、現場作業員、営業職よりかは、事務職は間接部門となり第一線ではありませんが、事務職と言いましても、私が今勤める会社でも、女性社員(正社員)は、語学力を活かして通関士を取得して通関業務と経理事務をしている人も数名いますし、社会保険労務士と簿記資格で営業所の経理や勤怠管理をしている人もいます。また、海外のプラントメンテナンス工事の受注や現地での送迎から宿泊まで先方と話し合ったり、メールにて段取りをしている英文科卒の同級生の女性社員もいます。
事務職に就けるチャンスがあるのであれば、事務職をお薦めしますね。
事務と言いましても、色々な事務の仕事があります。私は最近では経理兼総務兼、職場内の安全担当にもなりました。第一種衛生管理者の資格を労働基準監督署に有資格者として会社側から登録されたのもそのためで、資格手当も付きます。給料は安いですが・・・
総労働時間や就業規則、36協定、運送部門では、さらに運送の法律で4時間に1度30分以上の休憩を取らさせないといけないなど、色々な法律があり、多岐に渡たる勉強ができます。ちょっとしんどいですけどね。
事務職でも、ヘルメットをかぶり、作業現場へ行ったり、安全会議に参加したり、修繕工事の手配から作業監督もします。
私の会社の女性事務職で一番多いポジションは経理(簿記知識)+運行管理者(貨物)です。車(配車)の手配や売上の請求業務です。
従業員数1600名程度の会社ですが、事務職でも技能を2つ、3つ持つ(持たされる)のが要求されています。厳しい世の中ですよね。
硫酸等の危険物輸送部門の女性事務員は、危険物乙4や毒劇物の資格を持っています。
入社する会社によってさまざまでしょうけど、実態は事務職でも何かの専門性を求められるということですね。
その中で「事務職に就けるチャンス」があるのであれば、事務職は、何と言っても学びながら給料が貰える(お得)の面が強いので良いと思います。
私が不動産営業職をしていたときに活かしていた宅建資格も、今も社員の借上社宅の契約から管理、自社の社宅管理などに活かされています。
男女差(体力差)は確かにありますよね。どこに配属されるか未定でしたら、体力勝負や何かしらのノルマのある部署は避けたいですよね。
私の経験から、やっぱり「事務職はラク」です。ラクというのは室内勤務でエアコンが効いていて過ごしやすいなんてこともありますが、提出期日はありますが、営業ノルマのような成果主義的なものが無い分、気楽です。
ただ、新卒で、せっかく就活で勝ち取った内定先ですので、まずは配属が決まった場所で、「置かれた場所で咲きなさい(ノートルダム清心女子大学:渡辺和子元学長)」ですね。
あと、これは自分が潰れそう・・・と感じてどうにも会社に足が向かなくなったときは「逃げるが勝ち」もあることは心の奥に持っていてもよいと思います。
だって、死んだら、やっぱり「(この世では)お終い」ですからね。
ただ、私も随分と今の会社にも慣れてきて、「怒られたって、命まで取られるわけじゃないし。」と思って、働いています。
このような気持ちで、新社会人として旅立ちましたら、すっきり笑顔で入社できると思いますよ。
一歩づつ頑張って歩んでください☆
コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください★