マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

飯田史彦教授-生きる意味の探究-

2009年07月23日 01時01分14秒 | ★書籍で探訪|福島大学  飯田史彦教授
仕事を辞めて、早速手にした書籍が、飯田史彦教授の書籍でした。
「生きる意味の探究」PHPは、その後に飯田史彦教授が出された書籍にも
引用されている部分が結構あります。

しかし、まぁ、人は繰り返しこの世に生まれて来るものなんだなぁと
本書を読みながら、改めてしみじみそういう思いに耽っていました。

精神世界の話によく記されていることですが・・・簡単にまとめると、
死後、意識体(魂)となって、自分自身の肉体を見る⇒遺した者を心配したり、
未練なく次へ進んだり、そこは人それぞれ⇒自分自身にある程度納得や
諦め、心の整理が出来たら、更なる高次の世界へ行く⇒そこで、いわゆる
内観して反省したり次のやるべきこと見つける⇒そして、また生まれて来る
又は中間生に留まり修行する。


本書は、グレン・ウィリストン氏とジュディス・ジョンストン氏が書かれた
ものを飯田史彦教授が翻訳・編集したものですが、飯田史彦教授も絶賛する
くらい、いわゆる「退行催眠」にて、色々な方の過去生や中間生(死後の世界)
そして死の瞬間はどうだったのかを、詳細に調査している書籍です。

・・・


やはり本書を読んでいましても、
「死の瞬間」「死の直後」というのは、
肉体から意識体が抜け出して、気がつく(意識が戻る?)と、自分自身を
見下ろしていたという光景がほとんどの被験者の話から出てきます。

その後、気になるところ(家族のもと)へ意識を傾けると瞬時にその場所へ
意識が移動して、その場へ行ったり(意識が移動したり)、話しかけても
この世で生きている人には聞こえなかったり、私が見えていない様子だったりと、
死後の世界の存在を肯定する方々や実際に死にかけて臨死体験した方々が述べて
いる「死の瞬間」の光景や状況、状態と同じことがたくさん事例と共に
紹介されています。


死後、在るか無いかは別としまして、「あの世」「精神世界」「中間生」と
言われる世界が本当にあったならば、本書に記されている光景を見るに違い
ないだろうなぁと思います。

仮に、在ったとしたらですよ。でも在ったら、その世界は本書のような
世界で、こういうパターンを通して、また更なる世界へ進んで行くのでしょうね。

そう考えると、
あの世は在ったほうがいいですよね。
あるほうが、それこそこの世でもあの世でも生きがいがあるというものです。

この世で殺人や人を平気で傷つけた等、悪いことした人は無いほうがいいかも
知れませんけど。

・・・

いつかは誰にでも訪れる「死」

死んだら無になろうが、意識体(魂)として生きていようが、
その「死」という逃れられない宿命を背負っているからこそ、じゃぁ、今、
ここで、この場で生きている「限りある自分」はどういう風に生き抜こうか
と考えることが大事なのだと思いました。

死が来るまでの「生」をどう過ごすかこそ、自由選択のあるところなので
生かされている間は、他人に迷惑を掛けない程度に好きにそして思うように
生きてみたらいいのではないでしょうか。

一応、もし仮に死後、あの世があったときのことを考えて、あまり
悪さはせずにね。

・・・

雇用も不安定、経済も不安定なこの時代に生まれてきて、そして「生き抜く」
というだけでも意味はあると思いますよ。

でも・・・苦労や心労は、できる限りしたくないですけどね。
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17 コメント

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こんにちは (春風)
2011-10-07 16:27:30
今日、飯田史彦先生のHPを訪問したところ《 私からの今週のメッセージ 》で、「うつの症状・・・しばらくの間、更新をお休みさせていただきます」と書かれていました。

管理人さんも、もう既にご存知かもしれませんが。。。
とても心配ですね。
返信する
Unknown (管理人)
2011-10-09 11:11:32
春風様、コメントありがとうございます。

春風さんのコメントを読みまして、
飯田史彦先生のHPを見てみましたら、
ビックリしました!

とってもご活躍中でしたのに。
飯田先生ご自身が書かれた今の状態を
読みますと、確かにうつの症状ですね。。。

多くの人の心を癒す活動と使命感で
今まで突き進んできた分、お疲れに
なっているのではないでしょうか・・・

私も飯田先生のご回復と、今後、また
ご活動、ご活躍されることをお祈りします。

春風さん、ご連絡いただきまして
ありがとうございました。

またお気軽にお立ち寄りくださいm(_ _)m

返信する
Unknown (春風)
2011-10-21 11:35:05
飯田先生、復活されましたね!!!

まだまだ大変なご様子ですでれど。。。

とりあえず、一安心でしょうか?

良かったですね(^∀^)

返信する
Unknown (管理人)
2011-10-23 00:05:32
春風さん、コメント&情報ありがとうございます☆

飯田先生、復活されてよかったです(^_^)。

ただ、ホームページを見ていましたら、

先生の「私からの今週のメッセージ」に、

「私かせっかく寄付をしたのに、体調不良なんかを理由にして仕事をサボるのは、人間として甘すぎると同時に寄付者に対する裏切り行為であり、寄付金詐欺にあたる」という、激しい言葉の並んだ抗議をいただいてしまいました(涙)

と、書かれていました。

こういう話を聞きますと、
悲しくなりますよね。。。

寄付をしている(寄付を受けている)のだから体調不良なんかでとは、読んでる私でさえもかなりショックで辛くなりますのに、飯田先生ご自身は、とても心が傷ついたに違いありません。。。

だいたい、霊的心理に興味があり、寄付までしている人がこのような発言で、飯田先生を傷つけるという行為自体、理解できません。

だれが今の世の中、飯田先生のような活動を好き好んでするというのでしょうか。

先生だって、生身の人間だし、体調だって心だって崩れることって当然あることですよね。

不老不死で神様というわけではないのですから。

飯田先生は、精神世界から受けたメッセージ(ご自身がやるべき使命)をやり遂げるためにご活躍されているわけですから、飯田先生の書籍に眼を通した人は、少なくとも先生を暖かく見守ってあげて欲しいです。

・・・

春風さん、いつも色々と教えて頂き、ありがとうございます。

またお気軽にお立ち寄りください。

コメントありがとうございました。
返信する
ありがとうございます。 (翡翠)
2012-09-29 04:51:38
臨死体験をして、この大震災で、いろいろなことを感じ、考えています。佳きサイトにめぐり合いました。
これも、導きです。被災地の活動を日々行っています。確信を持てるサイトに出会い幸せです。
返信する
Unknown (管理人)
2012-10-08 21:13:08
翡翠さま、コメントありがとうございます。返信が遅くなってすみませんでした。

大震災をご経験の上に、臨死体験もされたことをあるのですか。

私などは、書籍で読みかじった程度で、お役に立つかどうかは。。。東日本大震災は、私の会社でも被害や親族を亡くされた社員の方もいらっしゃいました。
東北地方では、宮城や福島、秋田にも、支店や営業所があります。そのご家族や親族の中には陸前高田市や気仙沼にいらっしゃった方もおり、社内で、○○社員の親族が行方不明等の情報が入ってきていました。

多くの方々が最愛の人を亡くされるという大惨事となってしまいましたが、そのようなご経験から「死とはなにか」「死後、人は本当に無になってしまうのか」「死後の世界というのは、本当にあるのか。あって欲しい」という思いや考えが今一度、皆さんの心の中での問いかけとして出てきているように感じています。

私自身、最愛の彼女を亡くすまでは、死というものを真剣には考えたことはりませんでした。小さい頃から親や祖父母に八十八箇所などへ連れて行ってもらってましたのでお寺参りは好きでしたが、どちらかというと寺院の近くのおみやげ屋さん巡りや美味しい食事が食べられることへの喜びが大きかったように思います。

ですから、亡き彼女の死後、彼女が枕元に置いてあった江原啓之氏の書籍を読んで、ハッとしました。

こういう世界のことを亡き彼女は知っていたのか。。。そして、私にこの書籍を置いて逝った意味は。。。と感じ、出来る限り、信憑性の高い話や、また色々な角度からスピリチュアルを考えてみようと思って、その思いと私が知ったことをブログに書き綴るようになりました。

元々は、彼女が亡くなる前に、彼女から薦められて不動産営業をしていましたのでマンションのことでも書いてみようと思い、書き始めたブログでした。

今振り返りますと、このような内容を書くブログになったことは、亡き彼女の導きかも知れないと思っています。

コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください☆
返信する
お礼を言わせてください。 (T&M)
2013-03-02 23:22:40
お久ぶりです。
管理人様には心から「ありがとうございます」と
言わせてください。

実はあの有名な超がつくほど多忙な飯田先生から直接お返事がもらえたのです。

少し長くなりますが読んでみてくださいね。

主人を亡くして、早いのか遅いのか分からないけれど
1年半になろうとしています。

そんな中で、2012年10月5日、
現実離れした経験をしました。

以下、その時のことを記載してみますね。

この夜はは全く眠れず、真っ暗闇のベッドルームの
クローゼットの鏡の前に座り込み、
暗闇で何も見えない鏡をじーと見つめて主人に語りかけていました。
あまりのつらさと心の痛みに、主人に向かって
「答えてよ!~、愛しているなら答えてよ!あなたお願いだから助けて!」って叫んだのです。
4~5分たった時、突然右上からだったと思われます。ビカーと稲妻のようにものすごいスピードで
光が飛び込んできました。
ピューンと飛んできたように感じました。
そして鏡の上部に張り付いたのです。
その時、部屋の温度なのでしょうか、
私の体感温度でしょうか、一瞬下がったと感じました。
私は、その時主人だと直感しました。
「あなた!あなたなんでしょ!あなたなのね!」ってその光に向かって声を上げました。
怖さとか、不安とかは全くなく、何とも言えない、
安堵感と温かさに涙がでました。
私の人生で、見たこともない光が突然出現したのです。何か現実離れしているような閃光でした。
どこか神々しさもありました。
それは、荘厳で強烈な閃光を放って10秒くらいギラギラと輝いていました。
白いような銀色のようなしかも透明感のあるような
荘厳な光です。
強烈な閃光を放っているのですが、
なぜか直視できました。
その光は、生きているかのように右から左へ波打っておりました。
その時私の頭(心?)に「何も心配するな、大丈夫だから、」と聞こえてきたように感じました。
10秒くらい閃光を放った後、
突然シュパ―と消えました。
すぐにこの閃光がどこから来たのか検証をしたのですが、まったくその要因はありません。

私は、きちんと起きていました。目も悪くはありません。宗教がらみなこともしていません。
普通に正常な能力はあります。精神薬や安定剤など服用していません。お酒も飲んでいません。
主人が亡くなって、悲壮感などありますがとりあえず
会社も経営しなくてはならないので
精神がおかしくなっているとは思えません。

10月5日以降閃光のことが毎日頭から離れなく2013年1月中旬まで過ごしていました。
ある日管理人様がブログで紹介されていた飯田史彦先生の書籍がなんとなく気になり「生きがいのメッセージ」を取り寄せてみたのです。
何ということでしょう!
私の体験した10月5日の突然起きた閃光と同じようなことが書いてあるではありませんか!
P90~94:視覚的コミュニケーション(1)
やはり、これは実在していた。驚愕しました。
身震いをしました。
言葉にならないくらい嬉しく思いましたと同時に
でもこれは、私とは違うのではなかろうか、
私が自分に都合の良い解釈をして当てはめているのではなかろうかと自問自答しました。
そこで思い切って飯田先生にこのことの一部始終をお手紙に記載し投函してみました。
なんと、お返事がメールで届いたのです。

飯田先生のところには、世界中から毎日大変な数のお手紙や、ご相談事が来ているらしく、すべての方にお返事は書けないと書籍にも書いてあったので、お返事が来ること自体奇跡的なものでした。
そして先生のご返事の内容も、仰天する内容が書かれていました。

以下先生のお返事です。

ご主人と、めでたく「つながる」ことができて、本当に良かったですね!\(^o^)/
 ぴかぴかに輝くご主人に守られて、●●さんは、たいへんな幸せ者です。ご主人から、以前より、「2月14日にメールしてやってください(^-^)」と、お茶目な感じでご要望をいただいていたのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だから僕は、すぐにお返事しないで、わざわざパソコンの横の目につく場所にお手紙を置いて、この日を待っていたのです(笑)。・・・・・・・・・・・おかげ様で、僕も、とても元気をいただきました。

この内容に、なぜ私が仰天したかといえば、
投函して毎日、主人に向かって、約ひと月あまり
「返事は来ないね、やっぱ無理だよね、」
って言っていました。
そしたらいつも私の心?(脳?)に主人の声(?)で
「焦るな、俺が先生にちゃんと頼んでいるから」と聞こえてきていたように感じていました。
そして2013年2月14日の朝いつものように主人の仏壇にお参りしたら、【●●子!今日はいいことがあるよ」ってなぜか聞こえてきたように思えました。
そして、何気なくパソコンを開いてみると
なんと2月14日(バレンタインデー)に先生から直接メールが届いていたのです。


管理人様のブログに出会わなければ、私は飯田先生すら知らずにまた書籍も知らずにいます。


ただの偶然ではないと思うのです。


本当にありがとうございます。

返信する
Unknown (管理人)
2013-03-04 00:38:02
T&Mさま、コメントありがとうございます☆

凄いっ!スゴイですね!!飯田先生から返事をもらえたのですね☆

しかも、亡くなった旦那さまも、飯田先生にメッセージ(2/14にメール)を伝えていたとは、とても驚きました。

やはり有りますね、「見えない世界」というものが。
この見えない世界、死後の世界、死後にも生きているのだということが分かる体験を聞かせていただけたことこそ、「私の『生き抜く』『生き抜いて、お迎えが来たときには、そちらの世界へ行く』『死後も生きているのだ』」の気持ちをより一層確実なものとしてくれるお話で、私もますます死後も楽しみがあって嬉しく思いました。

しかし、白いような銀色のような光、閃光を放ち鏡の前にですか!
飯田先生の書籍に書かれていましたよね。私も久しぶりに、思い出しました☆2008年くらいのとき、読みに読んでいた頃、読んだ記憶があります。

分かります、分かります。
「錯覚でも、眠たかったのでも、意識が薄れていたわけでもなく、何か宗教関係に洗脳されているわけでもなく、『本当に意識がしっかりしていた時に、起った』」のですね。

私は、亡くなった故人も十人十色だとは思いますが、やはり「最愛の妻・彼女・女性」を遺して、自分(男側)が先にあの世へ旅立つ」というのは、とても心配でたまらないことだと思っています。

女性からは「そんなことはない、同じですよ」と言われるかも知れませんが、やはり、引きずる度合いや気にする度合いは、男性のほうが強いように思います。それは、定年退職後に奥さんの後ろを付いてスーパーに一緒に買い物へいったりという感じで、普段は、一緒にいる時間は本当に奥様のことを空気のように思っていても、離れ離れになると、ようやく奥様がいる有り難さが分かるのが、「男」だと思います。

ですから、T&Mさまが、鏡の前で思いをぶつけている姿をむこうの世界から見て、居ても経ってもいられなくなり、こちらへ降りてきたのだと思います。

しかし、閃光を放つまぶしいくらいの光になっておたれたご主人でよかったですね☆
「死後、あの世の仕組みを知り」「よし、こっちから妻を守ろう」「いつかは逢えるからね」ということを、悟られているので、そのような光になっておられるのだと感じました。

間違いなく、そして、すべての人間に、平等に、必ず起ること。
それは「死」です、よね。

いつかは、この世を去るときが来ます。それは、避けられるものではなく、必ず訪れる事実です。

しかし、死後が「無」であるならば、確かに「悲しんだり」「悩んだり」「落胆する」ことさえ無いでしょうけど、「死後に魂は生き続けていた」なら、それは最高に、そして一番の幸せなことでしょう。

私も、精神世界、あの世、見えない世界は、「ある」「あってほしい」と願っています。そして、T&Mさまのような体験や飯田先生の書籍を読むと、その願いは、願いではなく、そういう世界があることも一つの事実だと感じることが出来て、生き抜く意欲にも繋がっていきます。

色々とブログに書いていますが、私だって凡人です。手抜きもすれば、人の陰口や悪口(特に会社の同僚や上司?)を言うこともあります。心の中では、前々職時代のことを思い出すと止められない面もあったりと、聖人ではないです。

しかし、因果応報や人生山あり谷ありは、あるなぁとつくづくそう思っています。

T&Mさまの投稿文を読みまして、とても大きな驚きと喜びを頂きました♪

私の亡き彼女は・・・たぶん、死後数ヶ月は傍にいたことと思います。何か感じるものがありましたので。今は、「まぁ、いずれは私のいる世界に来るんだし、その間、あの世であれこれやっておこう」とちょっと離れているかも・・・と思っています。

たぶん、私もあれこれ(不動産など)と動き出したことと、よく寝る前にあの世の仕組みを、こういう人はこのように語っているよ、とか、こんな話もあるよ、と色々と話しかけていたので、当初は「死後:素人」だったかも知れませんが、今は「十分あの世の仕組みを見てきて分かった(悟)」状態で、この世から語る私よりも、あの世で実際に見てきたりと、追い越されて「あの世に私がいったときには『大先輩』」みたいな存在になっているのだろうなぁと思うこともあります。

少なくとも先立った最愛の故人と「再会」「逢える」ことさえ出来れば、この世も、そしてあの世を通しても「もう未練なことは無い」と思えるでしょうね。

お互い、一歩づつ生き抜いていきましょう☆

コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください。
返信する
見えない世界!ありますね~ (T&M)
2013-03-05 16:27:55
閃光が起きたことだけではなく実は続きがあって、その翌日に起きたことがむしろ私にとっては大事なことだったのです。
飯田先生にはこの件も同時に記載しました。
だから無謀なお願いと思いながらも
主人からの答えだと確信を得るために飯田先生にお手紙を投函したのです。

私達夫婦は50歳でお互いに、小さいですが起業し会社を作りました。
主人の会社は海外に拠点を置きましたので、10年近くは日本と海外を2~3ヶ月ごとに往復をしていました。

そんな中、癌末期余命6ヶ月告知を受けました。しかしQOLも非常によく正常人とほとんど変わらない元気さで、帰国後も生活も仕事もこなしてくれました。余命6ヶ月目の当日には、癌と共存できるという確信さえ持つくらいに回復しました。
癌が急速に悪化したのは、亡くなるたった1週間前からでした。あっという間の1週間でした。
なので、エンディングのための整理など主人はしていませんでした。
というか、主人は死ぬつもりはさらさらなかったのでしょうから・・・

普段どおりに楽しく、明るく、笑い一杯ですごしました。主人に向かって、「エンディングのための伝達事項など何かないのか?」など聞く気も起りませんでした。
多分主人の心の奥底には死への恐怖は当然あったと思いますが、これっぽっちも私にそれを感じさせることさえありませんでした。
私を気遣い不安感を与えないように毎日を過ごしていたのでしょう。
亡くなった後、処分用の資料の中にどうしても私が理解できないメモが書いてありました。
もう主人から絶対回答を得られない。
誰に聞きようもない。
主人から回答を絶対聞きたい。主人は、私のことを心から愛してくれていた。
そんな私が苦しんでいるのを、死んだからと言って放っておく主人ではないはず。
真剣に毎日そう思っていました。

そこからこの閃光の体験につながるのです。

閃光が起きた翌日10月6日(土)会社のPCに主人の海外の友人からメールが届いていました。
主人にお世話になったことのお礼を兼ねてのメールでしたが、その中に今回の私が聞きたかったことが書いてありました。一気に私の不安が払拭されました。
この友人には10年前に主人の海外赴任先でご挨拶をしたぐらいの方で、その後私は完全に忘れ去っていた方でした。その方からこのようなメールが突然届くことすら奇跡的なことでした。
主人がメッセージ・サインを送ってくれたとしか解釈しようがなかったのです。

以前コメントをしたKeiさんを通じての主人の霊(エネルギー?)が存在しているなと思ってはいましたが、この閃光に関する一連の事象は直接私に届いたのです。

私は飯田先生やkeiさんのようなミディアムとしての能力は皆無です。ごく普通の人間です。

管理人様、最愛の人はどこか遠くへ行ったわけではないですね。

アリソン・デュボアの書籍「愛する人の霊はいつもあなたのそばにいる」
P099:
「大切な人を亡くした時には、故人がまだ日々の生活の中にいるということを忘れないでほしい。彼らは、今もお気に入りのイスに座ったり、あなたに話しかけたりしている・・・・・・・・・
深呼吸をして霊に話しかけよう。「今も私と一緒にいると知らせて」と。
彼らは、きっとその方法を見つけてくれるはず」・・・・・

P027:
『「亡くなった人を愛し続けると、彼らをこの世に縛り付けることになる」という人がいるが、そんなことはない。
愛によって霊は生かされる。
確かに、亡くなった人たちには、すべてがあるべき姿で存在する美しい安らぎの場所がある。
けれど、決して忘れてはならないのは、霊が私たちの周りにとどまるのは、私たちこそが霊にとってのユートピア、彼らにとっての「天国」だからなのだ』

「飯田先生の書籍」と「アリソン・デュボアの書籍」は、私の生き抜くための名著となっています。
返信する
Unknown (管理人)
2013-03-10 20:53:10
T&Mさま、コメントありがとうございます。

なるほど、閃光が起きた翌日に、海外の友人からメールがあったのですね。それも、10年も前にお会いした方で、その後は連絡や会ったりしていない方から。

これは、やはり不思議なことですよ。

・・・

私は、亡き彼女の49日の法要を終えて、北海道から当時住んでいましたアパートに帰ってきたときのことです。

帰ってきましても、部屋では私一人。
荷物を降ろして、座り込んだところに電話がありました。

その電話の相手は、私が亡き彼女と名古屋市内で一緒に住んでいたときに、遊びにきた大学のときの友人でした。

前に電話で話をしたのも3年は経っていました。私も驚いて、「どうしたの?」と電話に出るなり聞きますと、「ふと、彼女と元気にしているかな?」「不動産のことでちょっと聞こうと思って電話した」と聞きました。

彼女が亡くなって、そしてたった今、滋賀の住まいに帰って来たところだと伝えると、その友人はもの凄くびっくりして、30分ほど話したところ、ちょっと電話空ける(切る)よと、びっくりしたまま電話を切りました。

話の中で、亡き彼女から貰ったガスコンロはまだ使っているよと当時そう友人が話していまして、「そう言えば、彼女が次に名古屋市内に住んだところは電気コンロだったので、彼にガスコンロをあげたんだったなぁ」とふと思い出しました。

あと、電話があったことで、一番驚いたのは、彼女が事故で亡くなる2ヶ月ほど前に、「○○君とは連絡とかしているの?」と聞かれて、「そう言えば、3年くらい話していないなぁ」と言いましたら、「冷たいヤツだなぁ~」と亡き彼女に言われたのを思い出したことです。

不思議なものですよね。

「今まで、全くの音信不通で、関わりが切れていた人から、突然、亡き故人を想い起させる」ことが起るのですよね。


T&Mさまのご主人さまは、最後の最後まで、お仕事も、そして周りを心配させないように、懸命に生きてこられたのですね。素敵な旦那さまですね。

・・・

この世での生(修業)が終わるとき。そのときは、突然でそしてガクガクガクッと来るものだと感じています。

亡き彼女にしてもそうですが、友人、同僚や上司、身近な親族やご近所さん、そしてご近所さんの家族など、「えっ!?あの人が??」と、T&Mさまのご主人さまのように、癌の宣告を受けられている方でも、宣告後も普段通りの生活をされていて、笑顔で会話もしたり、一緒に出かけたりと、何も変わらない、今後もずっとこのままのように感じながら共に過ごしておりましても、「最後のとき」というものは、突然に、ガクッと、そしてスーッと去っていくものなのだとしみじみとそう思っています。

そして、その時の流れが、あまりにも穏やかでかつスーッと流れるものですから、あぁ、あなたは「修業を終えたのですね」「お迎えが来たのですね」と感じます。

・・・

アリソン・デュボア氏の「愛する人の霊はいつもあなたのそばにいる」とても興味を持ちました☆

そうなんですよね、私も故人のことを無理矢理に考えないようにしたり、こちら側が強く生きていこうとしている姿や故人を心配させないために故人への思いを断ち切る、断ち切ったような心を無理に作らなくてもよいと、色々な書籍を読んで、そう思っています。

故人を思う心(魂)、それがあるからこそ、私達は人として存在しているのだと思います。そして、数々の不思議な体験(私は残念ながらT&Mさまのような体験までは出来ていないですが)、そしてスピリチュアルな話を伝える多くの著者の書籍を読みますと、見え方やあの世の姿(仕組み)は、一部的であったり、大まかな全体像であったりしますが、やはり真実は一つと言いますか、「どの話を聞いてもや書籍を読んでも同じだ」と感じることで、あの世の存在を知ることが出来たと思っています。

そして、今、やるべきこと。

それは、私もT&Mさまも、「精一杯、この世を生き抜くこと」ですよね★

コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください。
返信する
コメントを送信してもよろしいのでしょうか? (T&M)
2013-03-16 18:57:56
いつも温かいご返事ありがとうございます。

ただ、管理人様のブログに甘えていいのかなとかなり気になっています。

最愛の彼女を亡くされて、大変な時期を少しずつ進まれ何とか現在に至っておいでですよね。

そんな中、私は管理人様の過去のブログにコメントしています。
ちょうどその時期が今の私ですから・・・

コメントで管理人様と交信することで非常に救われていますし、同じ考えの方がいらっしゃることで前進もできています。
しかし、これは管理人様にとっては当時の大変つらい時期のことを思い出させてしまい、何とか現在落ち着かれていらっしゃる心を再度痛ませているのではないかと心配しています。

本当に、過去のブログにコメントを寄せてもよろしいのでしょうか?

夢日記:私もつけています。管理人様の夢日記のブログを最近読み始めました。
私の夢と同じような感じの部分がいくつも書いてありますのでびっくりしています。




返信する
Unknown (管理人)
2013-03-18 00:14:39
T&Mさま、お心遣いありがとうございます☆

私も、あの頃はこんなことを思い、あれこれと調べては自分自身の中で「何かはっきりと見えない世界のことを掴みたい」思いでいっぱいだったのだなぁと振り返ることが出来て、また一つ学びになっていますので、大丈夫ですよ★

ただ、一つ、
亡き彼女が息を引き取る瞬間を思い出しますと、生と死を改めて考えさせられます。

薄いピンク色の肌、顔色が、脈拍の機械がゼロを指した1秒か2秒後、さーっと血の気が引くというのでしょうか、白色に変わったのを、今でも目に焼きついています。

そのとき、魂といいますか、何かが彼女の身体から去って行ったように感じました。

もう私のいる世界(この世)からは居なくなってしまったのを感じました。

そして、葬儀へ参列するために一旦住まいに戻ったとき、ベッドの枕元に江原さんの書籍が1冊置いているのに気づきました。その書籍には、出会いのこと、死後のことも書いていました。

亡き彼女は、出会いとは何か、死とは何か、死後の世界とはということを少なからず、私よりもずっと詳しく知っていたのです。その書籍を見て、中を読んだときに「どうしたの!こんな話を生きているときに読んでいたのか」ととても強く感じたのを覚えています。

私は、亡き彼女の生前だけでなく死後にも、彼女によって救われたという気持ちが強くあります。

私が、気が動転して取り乱し、何を見えなくなってしまうことのないように配慮されたものかのか、そこで初めてスピリチュアルな話を真剣に読みました。

私も、変わっているかも知れませんが、彼女が生前のとき、たまに彼女に手を合わせていました。それは、この子にとても助けられているからなぁという感謝の気持ちがあったからです。

彼女が横になってTVを見ているとき、(私)「あんた、観音様みたいだね」と言いますと、亡き彼女は「観音様ってどんなの?」と聞き返してきたので「あんたみたいな優しい顔をしているよ」と言い、お互いが笑ったこともありました。

そんな彼女が置いて逝った1冊のスピリチュアルな話の書いた書籍。

そこから、救われたわけですが、全てが、彼女の愛情に包まれた流れのなかで私は、生前の彼女と死後の彼女、どちらの面からも救われたように感じています。

・・・
話は長くなりましたが、

ですから、過去の私の記事にコメントを返信して頂いても大丈夫ですので。

亡き彼女も、たまには思い出してよと言っているのかも知れませんからね★

コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください。
返信する
Unknown (管理人)
2013-03-18 00:21:29
T&Mさま、そうそう夢日記はつけておいたほうが良いですよ。

と、言いますのも、段々と自分の中で、「死後とは」「あの世の仕組みとは」「再会とは」が徐々に理解していくに連れて、段々と故人も安心するのでしょうか、不思議と故人が出てくる夢を見なくなっていきました。

それはそれで寂しいことですけどね。。。

しかし、不思議だなぁと思うのは、疲れて熟睡、たっぷりと睡眠を取った等に関わらず、亡き彼女が出てくる夢を見るときは見ていました。そして、死後1年くらいの間は、思い出がありポイントとなるような月日にも。

こちらが何かを知って悟ると、故人にも伝わり悟る、互いが繋がっているのかも知れませんね。
返信する
観音様と女神様 (T&M)
2013-03-22 17:59:33
管理人様は最愛の彼女に「観音様みたいだね」って言われたそうですが、これを見てウワ~!!・・・です。
びっくりですよ~。いるんだこんな人が・・・・なぜって?

私の主人も生前同じようなことを時々言っていたもの
だから・・・

「●●子は俺の女神様と思っているとよ。
だから絶対女神様を裏切るような悪さはできんもんね~合掌!ハハハハ!」って笑いながらも本気で言っていました。

主人から「女神様」なんて出てくるとは思いもよりませんでしたからね。
へ~この人はこんな感性があったのかと良い意味で再認識しました。

長い間夫婦をしていても、やはり嬉しいものでしたね。

そんな会話に癒され、大事にされていることを実感し
た事が強い思い出になっています。

管理人様の最愛の彼女も最高に幸せで嬉しかったはずですよ~。
普通には出ない言葉ですものね。


そういう、生前の記憶が霊のエネルギーとして維持されているらしい。

特に愛情を沢山保持して逝った霊は、エネルギーも大きいらしい。

霊はエネルギーだから、消滅はしないらしい。

こちら(今世)から愛情を注げば、霊のエネルギーはもっと大きく幸せになるらしい。


「心の集い」立ち上げてくださいましてありがとうございます。
次回からはそちらにおじゃまさせていただきます。

3月4月と仕事上忙しくなる期間ですね。
お身体ご自愛下さい。

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Unknown (管理人)
2013-03-25 02:46:06
T&Mさま、ご主人さまはT&Mさまのことを「女神様」とおっしゃっていたのですか☆

これは、また奇遇ですね★

そうそう、ですから、亡き彼女のことで京都の知人の方に霊視できる方(真言宗高野山派)の所へ連れていってもらいましたところ、私を見て、目を瞑ったり開けたりしたのち、その方の第一声で「何か観音様に関わりがないですか?」と聞かれたときには、とても驚きました。

亡き彼女は、死後に、生前私が観音様と言っていたので「自分(彼女)→死後も生きていると知った→自分は死後の世界では一体何者・・・観音様」と思っているのではないかと思いましたよ。

そこで、「観音様は幼くして亡くなった子供の魂を、地蔵菩薩様と共にあの世へ連れて行くという仕事をやっているので、そういう仕事をあの世でしてみたらどう」とか「わかなは、ニコニコして座っていたりしたので、どこかあの世の道筋の水飲み場で、来る人(霊)に水を飲ませてあげたりしてはどう」などと寝る前に語ったこともありました。

・・・

なるほど。
確かに霊はエネルギー体ですもんね。

私も、T&Mさまのようにエネルギーを亡き彼女へ送り続けますので★

・・・

しかし、女神様ですか☆ご主人さまは、それほどT&Mさまに感謝していたということは、間違いなく、いつもそばに居てくれていますね。

不思議なことが起るくらい、相当大きなエネルギーを持っておられますし。

愛情は、とても大切なエネルギーだと私もそう思います。そのチカラは想うだけで、もらいそして相手にも与えられるものですので、本当に互いを想うだけで創り上げられるチカラだと思います。

3月、4月と忙しい日々が続きますが、一歩づつ歩んでいきますね。

お心遣いありがとうございます。

またお気軽にお立ち寄りください♪
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Unknown (ラッキー)
2015-01-13 17:51:36
はじめまして。
先月、母が68歳で亡くなりました。
2ヶ月という余命宣告より短い1ヶ月半で永眠いたしました。
余命宣告より長く頑張ってらっしゃる方が多いですし余命宣告は厳しい見方で短めに宣告されているのでは勝手に思っていたので、全く心が追い付いてきませんでした。
余命宣告を受けた時は体調は悪いものの自転車に乗れる位動けていたのにあっという間に衰弱していってしまいました。
余命宣告を母と二人で聞いた時から今に至るまで生きている心地がしません。
大好きだった音楽もテレビも漫画も何をしていても楽しめず、これまでとは別の世界にいるようです。
私は独身の一人っ子で父は母と別居した後に倒れて身体が不自由になり施設に生活していますので母とはずっと二人暮し。
亡くなるまで自宅介護でしたので、母がいなくなったと同時に一人暮らしがスタートしました。
若い頃憧れていた一人きりの自由な生活がこんなにも寂しいものだとは思いませんでした。
無条件で愛してくれた唯一の人がいなくなる絶望で胸が張り裂けそうでした。
そんな時に、こちらを読ませて頂きました。
悲しい思いをしているのは私だけじゃないということ、私には見ることができないけど、母はちゃんと見守っていてくれるんだと思ったら、温かい気持ちになれました。
まだまだ暗いトンネルのど真ん中にいる感じですが、母に私の元気の姿を見てニッコリと笑って欲しいから時間がかかっても少しずつ少しずつ頑張って前向きに生きていけたらいいなと思います。
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Unknown (管理人)
2015-01-18 23:44:53
ラッキーさま、
コメントが遅くなって、すみませんでした。ここ最近ずっと深夜帰宅でした。。。

お母さま、68歳とはまだ人生これからというときに。。。ご愁傷さまでございます。

お母さまを介護しているときは、色々な気持ちや自由になりたいと考えるのは当然のことだと思います。しかし、いつも居た方がふと居なくなると、言葉では表せないくらいの寂しさ、悲しさがこみ上げてくることとお察しいたします。

特に、実の親御さんなら尚更です。どこかで、介護をしていることが自分自身の生きがいだったのでしょう。

最近、私も母親に「(自分は)別にいつ死んでもいい」「毎日がしんどい・・・」と言っていました。ふと、母親の表情を見ると悲しそうな顔をしていました。

「今、ここ」生きているわけですので、やはり、軽々しく「死」をクチにしてはいけないと感じました。

私は、ブログの記事に書いている書籍を読んで、「死後には、また別の世界がある」と信じていきています。万一、そういう世界が無かったとしましても、無になるわけですので、悩んだり、逢えない・・・と悲しんだりする心(魂・意識体)も存在しないわけですので、苦しむことは無いと思います。しかし、死後に、精神世界が存在していたならば、死別の悲しみを乗り超えて、再会したとき、それは最高の幸せを感じることと思います。

人は生きているときは、あまり意識しませんが、いつかは必ず、誰しも死は訪れるものですよね。それまでは、やはり、どんな辛いことがあっても生き抜かないといけないと思います。そして、自分自身の死を迎えるときは、どこか楽しみ(死後での再会)を考えながら、この世を去っていきたいものです。

死の瞬間、まだ意識があるとき、それは、とても怖くて不安なものだと思います。私もたまに「死」「死ぬ瞬間」を考えることがありますが、とても怖く感じます。それでも、いつかは通らないといけない道でもあるわけですよね。

ですので、その道を通って去っていった人は、とても尊敬の念を感じます。私は潔く去れるのだろうかと考えたりもします。

・・・

お母さまは、きっと傍で見守っておられることと思いますよ。やはり、今まで二人で暮らしてきた世界(この世)に1人、遺して逝ったわけですので、尚更心配だと思います。

私のご近所さんの奥さんのお母さま(故人)は、何度か遺した旦那さんのところへ出てきました。旦那さんも、いわゆる幽霊を見たのは初めてで驚いたと具体的な話を聞きました。

それだけ、一人住まいに遺して去るということは、「死後の世界へ逝った者にとっても」心配でならないわけですね。

たぶん、多くの人は、死後に、死んだと思ったら生きている(心・魂・意識体)とわかった時点で、悟れるのだと思います。こういう仕組みなのだと。そう分かった後には、こちらの現世(物質世界)で悲しんでいる遺された私達のほうこそ、故人は心配するのだと思います。

ただ、100年も経つと、生まれてきた人のほとんどは死を迎えて、また、見えない世界のほうへ帰っていくわけですので、一時の別れのようなものなのでしょう。

しかし、その一時の別れであっても、永遠の別れに感じるのは私達、物質・肉体を持った人間の性なのだと思います。

これも、この世に生まれてきた試練の1つなのでしょうね。

私も一時期、何もする気力さえ無くなりました。しかし、何もしていなくても月日は経ち、歳をとっていきました。その月日の中で、生きているうちは、生かされているうちは、好きなように生きてみよう、生き抜こうと思うようになり、どこか1つの区切りが付いた感があります。

まだまだ、悲しく、そして寂しく感じる日々が続くと思いますが、どうぞ、ご自身の心は大切に、そしてお母さまからもらった身体も大切にして、お迎えが来るまでは、一歩づつ歩んでいきましょうね。

コメントありがとうございました。

またお気軽にお立ち寄りください。

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