みたり*よんだり*きいたり*ぼぉっとしたり

映画のこと、本のこと、おもったこと。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2008 

2008-05-04 14:49:00 | きく
人出の多さに気後れして去年は見送ったですが、今年は行ってみました。



前売り券も入手していなくて何の準備もないままに出かけたので
、この祭典の規模の大きさにどこに行けば何を楽しめるのかすぐには把握できなくて戸惑いましたが、当日券を購入できる演奏だったホールAでのシューベルト『ミサ曲第6番』を聴きました。

買い物や散歩のついでにちょっと演奏を聴けるような”ついで感”、残業した後の頭をくつろがせたい時にでも間に合いそうな夜10時代からの開演という時間設定の”時間融通感”普段から街中にこんな風に音楽が溶け込んでいたらどんなに良いだろうと思うところに、このお祭りの魅力を感じたのですが採算を考えたらお祭りだから有りで、普段使いには残念だけどやっぱり無理ね。


静寂を受けとめる背中*ホーネック*読響

2008-02-11 18:46:04 | きく
コンスタンティン・フローロスという人の『マーラー 交響曲のすべて』によると、交響曲第2番の演奏において第1楽章と第2楽章の間には「少なくとも5分間の」休憩を入れるようマーラー自身の指示があったのだという。
わたしが昨日、聴いた第2番の演奏では具体的な5分という数字には至らないであろうけれど、聴衆が1楽章の終わりでふっと息を抜き再び次の音への期待へ神経が集中されるには必要充分で絶妙な間だったように思う。音楽以外のなにものかが忍び入ってきたような会場内のざわめきが静まりかえるまで、人々の神経が一点に集中されて行く空気が手に触れて理解できるかのような静寂に浸されるまで、指揮者のマンフレッド・ホーネックの腕は上がらなかった。まるで静寂に音があるように、客席に見せた背中がじっとその無いはずの音をききとっているようだった。
プログラム「今月のマエストロ」では声の小ささを巧みに使う噺家の芸を引き合いに出し、聴くということのより深みを経験することができる音の魔術師としてホーネックが紹介されているけれど、第2楽章クライマックス部分に入る前(はたしてどこだったかCDを聴いてみても確認できない)の、小さな小さな弦の音に耳を澄ましステージに向かって上体が前のめりになっていく感覚が起こったことを思えば、なるほど魔法をかけられたのかと腑に落ちる。

特筆したいのは、
第4楽章アルトの声は素晴らしかったこと。
ヴァイオリンの音があまりに美しかったこと。

2月10日(日)18:00開演
サントリーホール

マーラー 交響曲第2番ハ短調

指揮:マンフレッド・ホーネック

アルト:マルティナ・グマインダー
ソプラノ:薗田 真木子
国立音楽大学合唱団

読売日本交響楽団




読売日本交響楽団オールモーツァルト*ヒュー・ウルフ

2008-01-13 00:12:42 | きく
前もって少しずつCDを聞いて、モーツァルトにわか仕込みをしながら出かけた新年第一弾の演奏会。20番、21番、23番は耳慣れたピアノ協奏曲でも今回の演目である22番は、そういえば聞き抜け落ちている。この22番、曲の冒頭とどうも相性が良くなくて馴染み難かったけど、聞いているうちに第2楽章の陰影のあるメロディーに親しめるようになり、楽しみにして演奏会へと出向いた。そして実際、期待以上の楽しさをもたらしてくれる演奏会だった。耳が肥えてくると演奏会への要求レベルも高くなったり、演奏スタイルへの好みが明確になってきて批評的に聴く姿勢も備わってくるのだろうと思うけど、わたしは今、演奏会で生の音を聴くことができる、そのことに、まるで奇跡のような幸福を感じる。あのCDとは、いやわたしのあのスピーカーから聞こえていた音とは、いやあのちっちゃなNWMから伸びたヘッドフォンからの音とは、こんなにも違う音楽が各楽器から響いてくることに。それよりも「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。」と文豪の才をもってしては一言で言い表された凡人にとっては千千に乱れる日常を抜けて、この席に座りこの音を聴けることに。
楽しめるうちも花、なのだろうと思う。ちょっと仕込みをするとより楽しめるから、ぶっつけ本番、曲目解説斜め読みなんて傲慢なことは避けて、これからはCD仕込み、解説も謙虚に読もうとモーツァルトの滑らかな旋律にまんま乗せられて年頭にふさわしいつらつらごとを思う演奏会だった。そういえばフルートの音色がはっとするほど綺麗だった。フルート再発見!

1月10日(木)19:00
東京芸術劇場
指揮 ヒュー・ウルフ
ピアノ アンティ・シーララ

交響曲第28番
ピアノ協奏曲第22番
交響曲第41番


*おまけ*
池袋の駅で
「もなかアイス」
発見。



この画像では最中の愛らしさが伝わりにくいけど、
SWEETMONAKACREAM
のショーケースに並んだ最中は壮観
色とりどりの

が並び、吸い寄せられます。
中のアイスもさっぱりして美味しかったけど、
最中アイスといったらやはり
芋甚のコストパフォーマンスの高さに軍配が上がる、はず。





読売日響・第九・下野竜也

2007-12-27 15:42:22 | きく
ドラえもんのどこでもドアが欲しいこと限りない。都響のマーラー/インパルも涙を呑んで見送り、読売・下野氏の第九も振り替えでやっとこ聴くことができただけ良しとしなければならないけど、指定席だったところよりとぉ~くなった席に変更になったのは悲しかった。
指揮者によって音楽の違いがわかったら音楽を聴く楽しみもどんなに深まるだろうと思うけど、まったくもって程遠い。それでも、下野竜也氏指揮といわれると不思議と親しみが増すのはなぜだろう。
今年の第九もそうだった。下野氏がステージに登場され、全員が立ち上がり客席に向かって挨拶、そして音がなったとたん、なんともいえない心地良さに包まれる。
音楽についての知識を持っていなくても、音楽をききわけられる耳を持っていなくても、なぜ人が音楽に惹かれるのかという「音楽の根本の力」を下野氏はいつも垣間見せてくれる。


2007年12月20日(木)
サントリーホール

イオランタ・チャイコフスキー読売日本交響楽団

2007-10-14 13:35:34 | きく
長い間、肉声に馴染めないでいたが、そろそろじわじわと肉声恋しさが芽生えつつある。

イオランタはそんな状態のひとつのステップになってくれた感じ。

おかげでバッハのミサ曲を流し続けている。

イオランタの字幕を追いながら、視覚と聴覚、音と物語は拮抗し得ないなぁ、とうすぼんやりと思っていたが、音楽にも言語にも精通している人でもオペラは敬遠ということがあると藁谷郁美さんは書いておられたし、バッハ・ミサ曲CDの解説にも、普遍性という点で言語の問題、宗派の問題についてややこしいことであろうにわかりやすく書いてくれていた。

言語の壁、文化背景の壁、時代の壁、宗派の壁、やらやら壁はいっぱいあるけど、
壁を打ち壊してとか突き破ってとかではなくて、壁があることに気づかないほどまっすぐに届いてくる美しい音がある。

10月13日 14:00 芸術劇場
ゲンナジー・ロジェストベンスキー指揮

新宿末広亭

2007-10-05 12:45:12 | きく
久しぶりに落語。
ついこの前だと思っていたのに、
前回、寄席に行ったのは去年の11月、浅草演芸ホール。こぶ平時代のお話を聞いた時に鳥肌がたった記憶が今だ鮮烈な襲名後の正蔵さんのお話と聞くたびに何となく色気があって鮮やかで見事と思える小朝さんの出演を目当てに出かけたのだ。ところが、この日の舞台は進行にひどく緊迫感があり落語に疎いわたしは事情がよく飲み込めないでいたが、実は林家こん平さんの舞台挨拶があり何というかその会場全体を「人情」というようなものが濃い空気になって満たしていたような稀な場面に遭遇することができたのだった。

それで、久しぶりの末広亭。
ここは小沢昭一さんのお話が聞きたくて、ヒールからスニーカーに履き替えて駆けつけて以来。
なんだか、ぼぉ~っとしながら笑いたかった。
桂歌春さん(だったと思うたしか・・・)の自殺作家ネタのお話は印象的だったな。

「ある人の中のある言葉の意味の了解は、その人が生れ落ちてからその言葉に接してきたタッチポイントの総体で決まっている。」(茂木健一郎著『脳と仮想』新潮文庫P.196 L11)

三島由紀夫自決の報道に接したのはその事件性を理解できるには程遠い年頃だったが、その時の親の反応の大きさに尋常ではないものを感じたのだった。かろうじてそういう下地を持って後年三島由紀夫という固有名詞が私の中に定着した。
この日の末広亭は、お客さんの年齢の幅が広がり若い層が増えていて、会場内はなやかな笑い声が響く。
噺家の発した例えば三島由紀夫という名前を私はほぼその固有名詞として受け取っているのかしら・・?固有名詞はいとも簡単に各人の中で普通名詞に変換されうる。
ある共通の前提がなければ、話して聞いて笑うということすら成立しないんだ・・・。


ブラームス・・ピアノ協奏曲第1番*東京都交響楽団

2007-09-17 02:35:58 | きく
久しぶりのサントリーホール。
ブラームスのピアノ協奏曲第1番は聴きたかった。
あのパッショッンほとばしるような曲は、
じっくりと歳を積んできた人による演奏で聴きたかった。
念願かなった演奏会だった。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」はメロディーを感じられなくて聴いているのがわたしにはしんどかったけど、打楽器が面白かった。

春の祭典のあの得体の知れなさそうなエネルギーに満ちた曲をバックに、この世のものとは思えないような美少女が、エネルギーを含んだ曲とは無縁の冷たい表情で、踊りたいという意思はまったく感じられないのに優れた技術と資質で舞踊をする姿を、曲を聴いている間中(なにしろ何だか聞くだけではしんどい曲だったので)想像していた。

9/15(土)19:00
サントリーホール
ピアノ協奏曲第1番 ブラームス
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ

春の祭典 ストラヴィンスキー

指揮:小泉和裕
東京都交響楽団



5月の演奏会

2007-06-02 03:11:10 | きく
読売日響の4月号プログラム、『絵画とことばー感覚を表現することー』のなかで藁谷郁美さんは「抽象事象の表現は、自然に身につくものではなく、トレーニングと学習を通してはじめて習得が可能となります。」と書かれています。藁谷さんはドイツでの学生時代、美術館に展示されている絵画の前で「これを(言葉で)どう表現するか」という表現練習を徹底的に繰り返す西洋美術史演習の講義を受けられたそうです。その経験を通して、Web画面や複写での疑似体験ではなく、本物の作品に接すること、現場でスキルを習得することの大切さを説いていました。

わたしなどは、現場で感受している状態とそれを言葉で表現できることのあまりの隔たりにほとんどぜつぼうしていて、しながらも、う~むやっぱりトレーニングかぁ、とけっこう脳天気に思える怖いもの知らずというのか、まぁ前向きともいえる気配もないわけではない。でも、気配はあるが能がない。致し方ない。

それで、5月は19日(土曜日)芸術劇場、読売日本交響楽団ユーリ・テミルカーノフ指揮「ブラームスの4番」が煌いていました。

5月はこれっきり。都響の演奏会も2回ありましたが都合がつかず、こちらのブラームスの4番も聴きたかったし、シュトラウスも体感したく残念ではありましたが、両日ともそれぞれ代打で足を運んでくださる方があり救われた気持ちでした。


聴き逃してしまった5月の演奏会といえば、31日の下野竜也さん指揮のマーラー1番。1番は面白くて大好きでついつい繰り返し聴いてしまう曲なのに、1度もライブで聴いたことがない。会場へのアクセスの不便さを押してでも聴きたい、と思いチケット手配をネットで試みたけど、時すでに遅し。讀賣に電話で問い合わせそびれたまま、過ぎてしまっていました。ふと、聴きに行かれた方々のブログを拝見すると、想像以上の好評コメントに、ふたたび後悔の思いが湧いてきてしまいます。すべての演奏は、その時、その場所に居合わせた人たちだけの見えない宝物、というあたりまえのことをあらためて思います。聴きたいもの、観たいものは逃しちゃわない日々を送れるようになりたい。

42歳のマーラー

2007-04-28 23:47:01 | きく
前半、シューベルトの交響曲第5番の演奏が終わり携帯電話を手にしてロビーに出た。祈るような気持ちで待ち望んでいる、あるかないかもわからない連絡を待ち受けていた。気持ちが運を動かすことがあるとすれば、連絡があるとすれば、今夜、この演奏会の20分の休憩時間が、勝負。偶然であるはずの報が気持ちの中で必然になっていく。なっていきつつ望むことこそ諦めを先に持つ癖があるから携帯電話ではなく、ロビーに腰掛けている人々に、人々の会話に、神経を傾けてみて気持ちを無理に遊ばせる。「ないものはないか」と思いかけたとき、待っていた思い描いていた通りの報が舞い込んで来てくれた。

交響曲第5番はマーラー42歳、作品スタイルの転換期の曲だそうです。

指揮者デプリースト氏からの”巨大な贈り物”(プログラムより)をなんとも晴れやかに頂くことが出来た幸せな夜でした。


4月27日(金)
東京オペラシティ
東京都交響楽団



48歳のブラームス

2007-04-18 00:51:50 | きく
ピアノ協奏曲2番を完成させた時、ブラームスは48歳。それより20年も前に作られた際立った起伏を持つ1番の方にわたしは惹かれるけど、今日は都響の演奏で2番を聴いてきました。3楽章チェロの独奏が始まったとたん、耳がはっとしたような、舞台の照明が一瞬明るさを増したような、えもいわれぬ音色に包まれまれたのは今日の僥倖でした。

先日、N響のプロコフィエフ・ヴァイオリン協奏曲がFMで放送されていたのをドライブ中に聴くことが出来たのですが、番組中でソリストのドミートリ・シトコヴェツキ氏の演奏スタイルについて本人コメントが紹介され、興味深いものでした。記録がないのでその文言はあいまいな記憶に頼るしかないのですが、オーケストラの響きを注意深く聴き取るためには、時流に合わないかもしれないが身体を揺らして演奏することはしない、とのこと。

沈着さが増すほどに高揚していくような、そういう演奏にたくさん触れることが出来たらいいな。

4月17日(火)
東京都交響楽団
東京文化会館
ジェームズ・デブリースト

メンデルス・ゾーン序曲フィンガルの洞窟
シューマン交響曲第二番
ブラームスピアノ協奏曲第2番