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映画のこと、本のこと、おもったこと。

9月の演奏会

2006-09-19 12:37:48 | きく
■9月18日(月)14:00開演
 芸術劇場

 ショスタコーヴィッチ
 室内交響曲(バルシャイ版)
 チェロ協奏曲第1番
 交響曲第5番

 ジェームス・デプリースト指揮
 趙静 チェロ
 矢部達也 ソロコンサートマスター
 東京都交響楽団

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第1楽章チェロの独奏が鳴り出した瞬間、一気に、
音楽のライブならではの音の高揚感が渦巻きだした感じでした。
趙静、まるごと存在が圧倒的です。
音が本能に働きかけてくる、わくわくするとか、得体の知れないものが突如自分に流れるとかそんな音楽そのものの魅力の根っこが趙静の演奏からは確実に伝わってきました。

ショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲は4月にマイスキーの演奏をやはり芸術劇場で聴いたのが初めてで、今回が2度目でした。
聴き手のコンデションというのか、熟し方というのは、大事なのだとつくづく思います。
この頃でこそ、このチェロ協奏曲は大好きな曲ですが、4月の時には、わたしにはさっぱりわからないものでしたので、とても残念なことをしました。できるなら、4月のマイスキーの演奏会が再現されて、今、聴きなおすことができたらと思わずにはいられません。


■9月14日(木)19:00開演 
東京文化会館(9/12火・サントリーホール振り替え)

プロコフィエフ
組曲『キージェ中尉』
オラトリオ『イワン雷帝』

ジェームズ・デプリースト指揮
東京都交響楽団




■9月8日(金)19:00開演
サントリーホール

スメタナ
連作交響詩『わが祖国』

イルジー・ピェロフラーヴェク指揮
日本フィルハーモニー

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知っているような気がしているだけで、実は知らないことってたくさんあるけど、
この「わが祖国」もそういう曲でした。
ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・フィルハーモニーのCDは解説がとても丁寧です。

「凛然として憎む」

2006-09-19 00:37:19 | よむ
青空文庫をふらふらしていたら、
『愛』宮本百合子の文章のその鮮烈さに打たれました。

「この社会にあっては条理にあわないことを、ないようにしてゆくこと。憎むべきものを凜然として憎むこと。その心の力がなくて、どこに愛が支えをもつでしょうか。愛とか幸福とか、いつも人間がこの社会矛盾の間で生きながら渇望している感覚によって、私たちがわれとわが身をだましてゆくことを、はっきり拒絶したいと思います。愛が聖らかであるなら、それは純潔な怒りと憎悪と適切な行動に支えられたときだけです。」

愛する者の生命力をそいでゆくものに対して、真っ当な憎しみを持つ人のこのつよい言葉は1948年のものでした。

そして、同じく青空文庫インデックス「ミ」から「モ」へ気ままにクリックしていたら、モオパッサン『ある自殺者の手記』

「私にはこの数年来一つの現象が起きているのだ。かつて私の目には曙のひかりのように明るい輝きを放っていた人生の出来事が、昨今の私にはすべて色褪せたものに見えるのである。物ごとの意味が私には酷薄な現象のままのすがたで現れだした。愛の何たるかを知ったことが、私をして、詩のような愛情をさえ厭うようにしてしまった。」

この愛もまた然り。


読売日響☆名曲シリーズ

2006-09-01 17:16:16 | きく
2006.8.31(木)19:00
サントリーホール

ベルリオーズ:ローマの謝肉祭

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番

チャイコフスキー:交響曲第5番

8月はこの演奏会だけなので、久しぶりに聴くオーケストラだった。そのせいかしら、自分の耳(なのか音への感覚なのか)が鈍っている気がする。
前半演目はなんだかピンとこなかったけど、後半に入って、ようやく楽器の音に耳が順応してきたような。この日は、最近お気に入りのホルン協奏曲(モーツァルト&ブラームス)の影響か、ホルンの音に敏感になっていた。楽器の形は総じて美しいものだけれど、たとえば、トロンボーンは形も直線的で音は一歩も二歩も前面に出てくる感じがするが、金管の中でもホルンはまろやかに丸みを持つ形で、思慮深い音がする。それから、この日もやっぱりクラリネット。クラリネットの音は、さまざまな表情を持っていて、ジャンルを超えて、曲調を超えて、枠に収まらない表現にはっとさせられることがある。

ところで、
レコード芸術9月号の特集は超名曲の徹底解剖なので購入したのだけど、
そのおかげで、久しぶりにリアルタイムで吉田秀和さんの文章を拝読することができた。こんなふうに音楽を聴く以前から、好きだった。
孔子のいう野人的と君子的という視点から音楽を分析されている。
「一見、画一的にみえるけれども、事実はそうではない。こういう演奏は、整然と規範的なものであるようにみえて、本当は、斬新な演奏だったのである。」
ブダペスト弦楽四重奏団のベートーヴェンの演奏を取り上げての言葉。
こんなふうに音楽を聴けるようになったら、どれほどの喜びだろう。

小野小町絵馬~カネボウいち髪広告

2006-09-01 14:36:12 | 散歩する
サントリーホール入り口付近の庭へ出てみると、びっくり。
ここは時折、いろいろな小規模展示がされているのですが、
この日は、白と黒という際立つ配色の壁に整然と並ぶ絵馬。
その絵が「小野小町」



シャンプーいち髪の新発売を知らなかったわたしは、
小町絵馬と”ichikami”が結びつかなくて、
しばし正体不明のキャンペーンに興味津々。



2006.8.31の日付を入れて、わたしも小町に願いを託してきました。
願いが込められた絵馬は、小野小町縁の京都随心院へ奉納されるのだそうです。
日本古来の女性の髪に対する美意識を商品イメージにしていて、その具体像を小野小町に重ねているらしいことは、このキャンペーンから伝わってきましたが、それにしても、東京港区から京都まで奉納とは面白いけど手間をかけた宣伝だと思われて、その意図と効果をいまひとつ理解しきれないのですが、願いを書いた絵馬を壁に飾ってもらってサンプルもらってそれはそれで嬉しいものでした。



いち髪キャンペーンは京都新聞にも取り上げられていました。

道源寺坂~いつもとちがう道

2006-09-01 12:45:58 | 散歩する
サントリーホールへはいつも六本木一丁目の駅地下道を通って地上へ抜けて行くのですが、外を歩くのにもさほど苦にならない気候に誘われて、泉ガーデンの階段を使ってみると、些細だけど意外な風景が開けました。



人工的だけど緑に縁取られた人気のない静けさにしばしほっとして、
目的地までの無駄を省くことで成り立つこの都市の機能性と合理性には、つくづく自分は馴染めていないのだと思っていると、坂道にさしかかります。



坂道を下る右手にはお寺があるのですが、それがこの坂の名前の由来になっているようです。