みたり*よんだり*きいたり*ぼぉっとしたり

映画のこと、本のこと、おもったこと。

日 向 薬 師 -ひなたやくし-

2004-12-28 23:33:23 | 散歩する
   

  伊勢原の日向薬師 

  1300年以上の歴史を持つ。

  ここでも梅がぽつりぽつりと花開いています。

  付近は曼珠沙華の名所だそうです。

  残念ながらこの日は宝物殿が臨時休館でしたが、
  
  関東の中でも屈指の仏像の所有数だということなので、
 
  ぜひ、またの機会を。


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武 相 荘 -buaiso-

2004-12-26 23:59:28 | 散歩する


12/25(土)
白洲次郎・正子がかつて暮らしていた場所「武相荘」(http://www.buaiso.com/buaiso/saiziki/saiziki.html)へ行く。


2000年の秋MIHO美術館で開催された

「白洲正子の世界」を観覧した折にも感じたけれど、

わたしにとっては非日常にある調度品はじめ衣食住の品が

ここでは日常に溶け込んでいることにいっそう驚きを感じた。(・・ため息)

おいしいうどん。。

2004-12-13 18:04:31 | たべる
ここは足柄山(の金太郎)

「万葉うどん」さん。

メインメニューは
「あったかいうどん」と「つめたいうどん」
つるつるのうどんがなが~いまま出されます。

「猪鍋」が新しくメニューに登場(要予約)していました。(この辺一帯猪の生息地
お土産用の自家製”うりの味噌漬け”と”梅干”も美味。


少し離れたところに”金太郎さんの産湯に使われた”というふれ込みの「夕日の滝」があります。



静寂の中に柔和な印象の滝、見上げていると飛沫をささやかに浴びます。


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わたしの存在の根深いところにあなたの存在がある。

2004-12-13 01:23:22 | みる
レンタルの返却期限が迫ったため映画を2本観る。

『列車に乗った男』
『髪結いの亭主』監督パトリス・ルコンテと主演のジャン・ロシュフォールのコンビにジョニー・アリディが加わり、
男と男がありえなかったはずの出逢いをし、人生を交差させ別れてゆく物語である。

こう書いてしまうとシンプルであるが、そこには、
調和するはずのないものが出会い、反応し、変化が生じ、融合し、そして分離する過程があり、
人は限定された時間を生きているという現実があり、交換不可能な人生への憧憬がある。

さらに続けて
『ことの終わり』を観た。
わたしの存在の根深いところにあなたの存在がある。それは嫉妬も裏切りも伴うものだ。
自分の欲望にも苦しみにも忠実に向かった果てにある他者の存在を受け入れるということに加え、
神の存在をどう自らに取り入れるか、ということが描かれていた。(ような気がする。)


映画全般について。


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Fujiko Hemming LISZT&CHOPIN

あなたの傍にいたい。

2004-12-10 13:08:01 | みる
光の加減で頭髪の中にきらりとする白い一本を見つけることが、わたしには怖ろしいことだった。
夕方に化粧を直そうと鏡をのぞいた時、意外なほど疲れが出ている顔に、思わず目をそむけた。

わたしは若さを失うことを受け入れることができなかった。

もう本のタイトルも忘れてしまっているが、
森瑤子が”38歳を境に男の目が私に留まらなくなった”その愕然とする瞬間を鮮やかに書いていたのを、20代の頃に読んだ。

男の視線で自分が支えられている。

そんなものが?!
とわたしは思わない。
そんなものが支えになっているから揺らぐんだ、
といえば確かにそうだろう。

性的な男の視線をうざいと感じそれを跳ね返すように生きる若い世代の女性を、宮台真司は指摘している。
そういう意識の持ち方もあるのだ、と気づいたときには、
すでに男の視線を自分の内に取り入れることとわたしという存在は深く結びついていたのだった。

『恋愛適齢期』でジャックニコルソン演じるハリーは言う。
「君と居ると愉快だ」
30歳以上も歳の離れた美女を次々と恋人にするハリーが、
思わぬアクシデントのために50代のエリカを演じるダイアンキートンと時間を共にして、
そのエリカにつぶやく言葉だ。

『恋愛適齢期』ナンシー・メイヤーズ*ジャック・ニコルソン*ダイアン・キートン

『世界は「使われなかった人生」であふれてる』

2004-12-09 01:40:49 | よむ
読みかけの本がありながら、寄り道をしている。

沢木耕太郎氏の本は初めて読むと思ったが、以前に『檀』を読んでいた。
檀一雄の起伏に富む人生の方に印象が強かったのか、それが沢木耕太郎氏の作であることを
氏の著作リストを眺めて改めて思い出したのだ。
著作の内容にも拠るのかもしれないが、今読んでいる本では著者が肉声で語りかけてくるようで、読み進むごとにその言葉によって沢木耕太郎氏という人物の立体的な像が結ばれてゆく。

「使われなかった人生」
このフレーズだけで反応する人は多いのだろうか。
タイトルは、世界はそれであふれてる、というのだから
わたしは飛びつくようにこの本を手にした。
ユングが「影」を指摘したように、古来、生きられなかった人生、使われなかった人生、差異はあるにしても、それらは普遍なものなのだろうか。

使ってみよう、という自覚のラインに立つ人がいたら、
この本を紹介することで、そっと背中を押すことになるかもしれない。





『世界は「使われなかった人生」であふれてる』(沢木耕太郎*暮らしの手帖社)