
廣徳寺まで歩いた。
廣徳寺いろいろあれど、わたしが娘と二人珍道歩いたのは、東京あきる野市のお寺。
後悔は武蔵五日市の駅を降りて歩き始めて間もなくやって来た。
簡易地図ではすぐそこにある廣徳寺なのに、さっぱり目的地に近づいてる感がない。バスはない。タクシーも通らない。道を聞きたくても人も通らない。やっと見つけた交番でインターフォンを押して、道を尋ねると、出てきてくれたのはおまわりさんではなくおまわりさんの奥様。きっと私たちのような迷える?羊がたくさんいるのでしょう、とても親切に教えてくださる。そして、この灼熱の道中がまだまだ序の口であることを気の毒がってもくださる。さすがに「パトカーで送っていただけませんか」とは頼めなかったので、灼熱の道中を再び歩き始める。バスもタクシーも人も通らないが、地元と思しき自家用車は結構通る。映画の中のことだとばかり思っていたヒッチハイクなるものが、急にいやに現実味を帯びてくる。帯びてくるだけで、度胸はない。歩くしかない。途中、秋川の川石に腰かけ水に足だけ浸し休憩をとる。やっと道しるべが出てくる。とても元気づけられる。目的地までの距離感と方向がつかめない道程ってほんと疲れる。なんだかいいだろ、どうでもいいだろう、いろんなことは、もういいだろう、なんて気持ちになる頃に、ひょいと道端に地蔵が現れる。
この地蔵が廣徳寺参道の入り口。少しして、山門が眼前に現れた時には「来て良かった」
とそれだけの気持になる。過剰な装飾な一切施されず年月を経て凛とした清潔感がこの山門前から漂っていることにしばし呆然と立つ。総門のこの美しいフォルム。

