敦賀原発2号機 監視装置の電源「切」に 福井
12月4日7時56分配信 産経新聞
日本原子力発電は3日、運転中の敦賀原発2号機(福井県敦賀市明神町)で、1次冷却水ポンプを監視し異常があった場合に原子炉を自動停止する監視装置の電源が切ってあったと発表した。原子炉の運転や周辺環境への放射能の影響はないという。
来年2月から始める定期検査の準備のため、直流分電盤を開けて確認したところ、スイッチが「切」の状態になっていた。監視装置に電源を入れたところ作動した。昨年8月の起動前の検査で、確認作業が行われていなかったという。原因を調べている。
驚くべき話である。
原子力発電所を強引に造る時は、
監視装置も充分に作り絶対に事故の無いように、細心の注意をして作りますから・・・・
と言って莫大な税金をかけた予算で、造っていたはずなのに、
その監視装置を働かないように「切り」にしているなんて・・・・・
原発も30年も運転していると、気のゆるみが出て来ると言うのは、どうしようもない事で、それが人間と言うものなのかもしれない。
そういう人間の性質も考慮に入れて、絶対安心などと言うことは無いと言うことに、
行政はいい加減に気が付いて、いったん事故が起きたら、周辺住民に壊滅的な影響を与える代物(原発)を、運転し続けるのみならず、
新たに造るなど、もっての外の事として、
新しい原発の建設一切はやめにしてもらいたいものである。
特に上関に原発を造って、もし事故が起きたらどうなるか考えたら、
とても造る気にはなれないはずなのに、
平気で建設を推進している人達は、未来の日本人に対して、どう申し訳が立つと思っておられるのだろう?
30年 無理をして使い続けても60年後には必ず、原子力発電所は使えなくなる。
しかも原子力発電の施設は、発電できなくなっても、放射能が消えるまで管理し続けなくてはならないのである。
もし、原発の管理をする者が居なかったら、原発周辺の環境はどんどん放射能汚染して行って、
生物は生きていけない環境になるかもしれないのである。
今朝のスーパーモーニングで、北海道の南端松前市で、鳥の観測をしている人の報告を紹介していた。松前は北海道に渡ってくる鳥と、北海道から本州に渡る鳥の通過点にあたる所に有る。
そこで長年観測し続けてきた人の話では、
以前は成鳥の足に腫瘍が見つかり、農薬のまかれた上を歩いたから、腫瘍ができたのであろうと思われていたが、
近年は農薬を使った野菜が嫌われ農薬使用が減ったお陰で、そういう腫瘍の有る鳥は殆ど見られなくなったそうである。
ところが21世紀に入ってから、嘴に異常がある雛鳥が、度々見つかるようになった。
嘴がいびつに長かったり短かったり、上下の嘴が交差してちゃんとか噛み合わせが出来なくなっていたりと、様々な畸形であるが、毎年数羽見つかっているそうである。
嘴が畸形であったら、餌を採りにくいから成鳥になる迄、生きておられないからか、
成鳥で嘴に畸形の有る鳥は、全然見つかっていないそうである。
幼鳥であっても大部分は、親鳥の運んでくれる餌も兄弟との取り合いになるから、
充分食べられないまま、死んでしまっている事が考えられるから、
畸形で生まれた雛は、観測所で見つけられる雛の何倍になるかわからないが、
相当数居る事が考えられる。
同様の嘴の畸形は、アラスカとか中南米でも観測されている。
原因はまだ分っていないけれど、環境ホルモンが考えられているらしい。
環境ホルモンと言えば、アメリカの有名な企業モンサントが思い出されるけれど・・・・・
これから農業もどんどん変えられて行って、自然の状態の食物が作られなくなったりしたら、
事は鳥だけの問題ではなくなるかもしれない。
その上にそこらじゅうが、原発の放置で放射能汚染されてしまったら、
飲み水からも、魚からも、野菜からも、穀物からも放射能汚染の無いものは、食べられなくなったりしたら、
人の子も畸形で生まれる子だらけになってしまうかもしれない。
事はCO2の被害どころの騒ぎではなくなってしまうだろう。
環境省は本気で、未来の日本人の為の、環境対策を講じようと真剣に考えているのだろうか?
だったら原発推進など言っておられる時ではないと思うのだけれど・・・・・
日本政府はエネルギー戦略を再検討すべきです。
エネルギー、環境問題等を論ずると、究極的には、人類は自給自足に戻れという事になります。それより発展的解決を目指す方が良いのではないかと思います。
その結果として、地球が破壊され人類が滅亡するのであれば、それは運命として受け入れるしか無いのではないかと思います。
>日本政府はエネルギー戦略を再検討すべきです。
本当に何とか方向転換を図ってほしいものですね。
YSjournal様
>電力の30%を原発に依存する日本では、原発抜きで将来のエネルギー政策を語る事は出来ないと思います。
との事ですが、現在の電力の70%ででも、原始生活に戻る必要は無いと思いますよ。
今は電力が余っているから、テレビでオール電化を宣伝して何とかして、電気を使わせようと励んでいる事は御承知だと思います。
それに洗濯物くらい、外気で干したらよいのに、乾燥機と一体になった洗濯機を売り出しています。
幾ら電力を喰わない電球ができたからと言って、いたるところで夜間照明を囃し立てて、はやらせています。その他諸々、電力を必要以上に使っている現状が有ると思います。
そうやって浪費しながら電力を維持する為には、仕方ないと言う理屈を立てて、原発を次々に作らせている現状を見たら、政府の無責任さ加減が、お分かりになるかと思うのですが・・・・・
これらは全部、未来の人達の負担になってしまうのです。
それも少々では無い負担に・・・・・
>その結果として、地球が破壊され人類が滅亡するのであれば、それは運命として受け入れるしか無いのではないかと思います。
これは今の為政者の無責任な精神が、凝縮されているような言葉ですね。
自分達さえ良かったら、後は野となれ山となれと言う訳ですね。
太陽光発電をもっと普及させるとか、
その他色々な発電方法を模索するのなら、発展的解決法を模索したと言えるでしょうが、
一番危険な原発で、電力不足を解決してしまおうと言う精神に、発展的解決策は生まれようが無いではありませんか。
70%ではなく、50%や30%ではいけないのですか?洗濯もついでに手洗いでどうでしょう。節電を推奨する良い政府は、どのような基準を設けるのでしょうか?
一番危険な原発とおっしゃっていますが、チェルノブイリ以外は、問題はあるものの安全運用していると思います。政府や電力会社も東京湾の埋め立て地にでも建設を進めれば、送電ロス等少なくてすむし、安全性の宣伝にもなると思います。自分たちがおっかなびっくりで、電力そのものの恩恵を受けない田舎に建てようとするから問題があるのです。
何らかの形で、個人の自由を制限(乾燥機禁止もその例)はある種のファシズムです。電力の無駄使いなのいでブログ禁止と言われたらどうします?
原理原則の話と程度の差を混同して議論しても泥沼になるだけと思ったまでです。アジっているわけでも、茶化しているわけでもありません、念のため。
マスコミや業者が出来る限り、秘匿して教えない構造の下、国民が知らされていないだけかもしれません。(ばれた時にのみ、大した事ではないと言う言い方で発表しているようですが)
此れは外国の原発事故についても同様で、
例えば以前私のブログで取り上げたものにフランスの原発事故のことがありました。
http://dendrodium.blog15.fc2.com/blog-entry-406.html
此れは偶々私は知ることが出来ましたが、どうやら貴方は御存じないようですね。
此れは偶々知ることが出来ましたが、私も貴方も、そして大多数の国民が知らない原発事故が、どれだけ有るか分ったものではないでしょう?
それから乾燥機つき洗濯機を使ったらいけないなどとはファッショだとは、
日本の経産省が、企業にそんなに自由を与えてきていたでしょうか?
何かと言うと行政指導と言う形で、影響を与えていたと聞きますよ。
勿論良い意味でも、悪い意味でも。
ですから電力が賄えなかったら、乾燥機つき洗濯機とか、自動食器洗い機などを普及する事は、止まる様に行政指導すればよかったのではないでしょうか。
初めからなかったら、其処まで主婦は、楽をしようとは思わなかったことでしょう。
そういうわけで、電力需要をもっと抑える必要があったら、押さえる方法は幾らでもあったけれど、
原発施設を造って儲けたい企業とか、政治家の意図が、電力消費を伸ばさせたと言う面が有ると思います。
>70%ではなく、50%や30%ではいけないのですか?
との御質問ですが、70%と言いましたのは、貴方が現在の日本の電力供給量の30%が原発であると言っておられたので、単純に計算して70%と言ったまでです。
別に他意は有りませんので、どうしてそんな質問をされるのか、意味を取りかねています。
それから洗濯を手洗いにせねばならなくなったら、手洗いにせねばならないかもしれませんが、
現在の能力から言ったら、原発を止めても、洗濯機を動かす電力くらいは確保できると思いますよ。
要するに原発無しでもできる範囲で、電力を使えばよかろうと言っているのです。
このまま無制限に原発に頼って行って、ついに想定を超える地震に会うまでやめないと言うのでは、後世の人たちに対して余りに無責任ではないでしょうか?
それに原発に従事している人達は、放射能常に曝されておられ、此れも報道されていないだけで、かなり酷い状況であるそうです。
という訳で、私は原発に甘え続ける事は、現在及び将来に亘る国民の為に、ならない最も悪い選択であると思っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/marburg_aromatics_chem/57191418.html
「初めからなかったら、其処まで主婦は、楽をしようとは思わなかったことでしょう。」これは暴言でしょう。例えば、自家用車所有を最初から行政指導で禁止しておけば、都市部の排気ガス問題も無かったでしょう、という理論になります。
原発に関して、強い反対があるのは理解出来ますが、洗濯機などの電気器具の発展による家事の解放は、女性にとって大きな進歩であったはずです。(フェミニストではありませんが)原発の導入は,二次的なものであり、電力需要増加に対応した結果に過ぎません。
もし、電力需要が同レベルの場合、原発分30%は現実的には火力発電で補う事になると思います。(太陽光、風力で補うには、時間とお金が掛かりすぎます)
和久さんの理想としては、直ぐに原発全停止、それに見合った生活、社会になろうという事でしょう。
原発が所在地に不安と負担を掛ける事は認識しておりますが、これまでに事故とかを教訓により安全にしていく方法が、良いと思います。
旅客機だってそうやって安全になってきました。ただ,自分が飛行機事故、原発事故の被害者になりたくないという気持は、私にだってもちろんあります。しかしそれは総論賛成各論反対的なわがままです。
真摯な対応ありがございます。今後も楽しみに読ませていただきます。
でも便利な生活を維持する為には仕方ないとの御認識の様ですが、
其処が論議の分かれる処であると思います。
要するに「ものには限度と言うものが有る」と考えるかどうかですよね。
この地球私達の世代だけで、浪費尽くして良いのでしょうか?
此れは同時代人の格差と同様、
生まれた時代による格差の是正も、心がけるべきではないかと、言い換えることもできるかと思います。
私は今ほどの便利さ追及をしなかったならば、原発無しで行ける方法が有るのだから、
将来に生まれる人々のために、原発無しでも出来る範囲で、生活した方が良いと言いたいのです。
尚自家用車についてですが、
私は自家用車を今ほど普及させたのは間違いだったと思います。
それよりは公共交通網を行き渡らせるべきだったのではないでしょうか?
車を今よりずっと高額に設定して、公共交通網に外れる地域の住人には、政府が車を買うための支援金を出すという方式にしていたならば、今のように排気ガスの充満は、避けることが出来たでしょうし、石油の消費も少なくて済んだでしょうし、空気も今ほど汚さずに済んだかもしれません。
それに、車の製造で税金が多く集まりすぎたか、政府はしないでも良い公共工事(非公共の)の数々をするようになったとも言えると思います。
莫大な税収が無かったら、自然を壊し地域住民を苦しめる工事もやる事は無かったのではないでしょうか?(諫早湾埋め立て工事はひどいものですね。)
又今ほど外貨を溜め込んでなかったら、アメリカに日本の資産を狙われ、軍備拡張を迫られる事にもならなかったでしょう。
その方が日本人は、返って幸せに暮らせていたのではないでしょうか?
でも、やはり私は、利便性を追求する事で、自然への対応も改善される事を信じます。
一度味わった豊かさを無くす事は、豊かさを知らない事よりよっぽど辛いと思います。人の営みが継続する限り、前進あるのみです。
子孫への心配はわかりますが、我々は神ではありませんので、現世代の行為がどのような影響を与えるかは、心配しても仕方ないと思います。やや飛躍しますが、それを言い出すと農耕を始めた祖先を恨む事になります。
今後とも拝読させていただきます。
原発推進は止まる気配がありません。
>アメリカ合衆国で、炉心溶融にまでいたった激甚な原発事故が起ったのは、今から 30年前(1979)の 3月28日 早朝のことでした。
その原発の名は、「 スリーマイル島原子力発電所2号炉 」と言いました。
>
ご存知かも知れませんが、詳しくは、この文を検索に架けられたらよいでしょう。