初鹿 史典の熟成を楽しむ!

【第77回】続・・・家づくりの仕事に就くことになった訳

 昨日の続きです。木刀で殴られたような衝撃を受けたのは、授業のカリキュラムの一環で自分探しをする
という非常に深い部分の内容に触れた時のことでした。

 昔の自分を追って行くと、自分の中では母が亡くなった事がとても恥ずかしく、嫌な事で、恨んでいる事が分りました。
自分は被害者で、なんでこの状況になっているのか自分で認識する事から逃げて卑屈になっていたのです。

 自分の家が古く、汚く、友達、彼女も呼べないこの現実は母親のせいだ、それが波及し人に会うたびにどんどん卑屈に
なって行くこんな自分は将来どんな仕事に就く事が出来るのか?果たして社会人としてやっていくことが出来るのか?
そんな思いがある事に気がついたのです。勿論家族にも廻りにもこのような自分を見せた事はありませんし、自分でさえ
そんなことは思ってもいない気でおりましたから^^

 そして、自分を掴んだ後に最も大切な事を教わりました。それは”自分が置かれた環境にこそ価値がある”というものです。
どのような過去があるにしろ、その過去は自分が歩んできた財産だというのです。
その財産を生かすも殺すも自分次第だと教わりました。今までこのような価値観で人生を振り返った事がなかった私にとっては
人生が180度変わった思いで、見るもの、聴くものが本当に新鮮に映るように変わった事を覚えております。

 このような見方で自分の人生をフラッシュバックさせた時、必ず行きつく所があります。それが家づくりが出来なかったという
あの、中学2年生の時の思いです。ここにこそ価値があると言う思いで深く先生と語り合いました。

 傍から見たら本当に自分勝手で馬鹿らしい事かも知れませんが、私にとっては何かが開いた感覚があり、この時の思いをより
リアルに思い出しました。

 そうすると見えてくるではありませんか、親たちが私達ににどのような部屋を造ってあげようかと悩んでいた様子が...
父が母に送ろうとしていたミセスコーナーが....平屋の建物が2階建になったら、市川大門の神明の花火が見えるのでは無いかという
家族皆がワイワイしていた時の一コマ一コマが...

 この卑屈な自分に価値があると自分で決めた直後に溢れてきたのです。なんとも不思議な体験でした。。。

 こうなるともう、あの時の想い、家を建てたいという感情が止まりませんでした^^そして家づくりの仕事をしたい!
技術職としてではなく、人との触れ合いが一番感じられる営業の仕事がしたいという思いでいっぱいになりました。

 ですから、就職ガイダンスは勿論ハウスメーカー・工務店・地域ビルダーに絞られます。6社程受けました...^^
 そして、ここで今の前身の会社サンワホームの社長、遠藤和彦との衝撃的、運命的な出会いがありました。

 続きは次回。。
 


 
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