半世紀を彷徨う

自分の心理状態や日々の出来事から趣味の事まで幅広く。

知ってるかな?昭和な話

2020-05-24 22:43:42 | 日記
会社に行くのもいやだけど、さすがに家に籠るのも飽きて来るね。
と、言うわけでちょっと1980年代にやっていたアニメを観ていて、そうそうあの頃はそうだったよねと言う
思い出を振り返りながら書いてみようと思う。

1.ジュース類はほとんどビンで売っていた。
結婚式場や葬式の時に出て来るコーラやオレンジジュース。確か190mlだったかな。
自動販売機もビンが横穴に刺さっていて、お金を入れると引き抜けるタイプだった。
最終的には1リットルも同様にビンで売っていて、子供の頃は一人で一本飲んでいた。
そのビンは再利用されるため、お店に返すと普通サイズ190mlが10円、1Lだと30円もらえた。
小遣い欲しさによくビン集めしたもんだ。もちろん洗浄されて使うんだよ。

2.缶のジュース
これについては二つあって、今の350mlサイズが出たのは割と昭和の後の方。
それまではスリムな缶しかなかったため、おれたちは350ml缶をブタ缶と呼んでいた。

それと缶ジュースのフタも違った。プルタブと呼ばれていてプルタブの丸い穴の方に人差し指を入れて、
引っ張ることによりプルタブが「取れた」。取れると言う事はゴミとして散らばる。対策としてプルタブを
学校で集めて、業者に買い取ってもらうと車いすを買えるなんて事もやっていた。
猛者になるとプルタブ取ったら飲んでるジュースに入れちゃうやつもいた。外に出てるぶぶんだから汚いかも・・・

ここまではジュースの話だけど、ここからは違う話。おれの母親は千葉の田舎から東京へ出て来たばかりだった頃。
歩道のあちこちにグレーチングという格子状に穴が明いている金属のフタがある。それが何かしらなかったんだな。
ある日信号待ちでグレーチングの上に立っていた時、小さく「ゴー」という音が近づいてきた。
そう、そこは地下鉄の通気口だったんだ。電車が真下にあるところまで来るとスカートはブワーっと舞い上がり
えらい目にあったと言っていた。

あと車の排気ガスによる公害がひどく、駅前の交差点には現在の騒音、窒素酸化物濃度等が表示されていた。
最近は車の排ガス規制によりずいぶん良くなったらしく、そういう電光掲示板を見る事がなくなった。

3.風呂が家に無いアパートが多かった
うちにもなかったので友達と待ち合わせして銭湯へ通った。入り口の引き戸付近は人気が無い。
なぜなら誰もがピシッと引き戸を閉めず、力任せに閉めるので反対側が開いてしまう。
するとロッカー室の冷たい風が直撃するんだ。

そこに背中に彫り物が入ったヤクザが入って来た。ところがそのヤクザの人は入り口もゆっくりピシッと締めるし、
シャワーを体に当てたお湯を人に飛ばさないように注意している。(スーパー銭湯ではこれが出来ない奴が多すぎ)
毎日通うダメおやじにも見習わせたいほど、立派な振舞だった。

今日はこんなところにしておこうか。緊急事態宣言も明日話があるようだし。


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