中山道というと国道17号を思い浮かべるかもしれませんが旧街道の中山道とは違います。
埼玉県の旧中山道は高崎線とほぼ平行に走っている道路で鴻巣を過ぎると市街地から離れたり近付いたりしながら西に向かいます。
今回は鴻巣宿から熊谷宿まで向かいました。残念ながら熊谷宿までは到達出来ませんでした。
鴻巣駅から鴻神社を見送り高崎線踏切を超えると高崎線の西側になり市街地から一気に郊外感が出てきます。
ほどなく箕田地域に入ります。
この地域は武蔵武士発祥の地で、千年ほど前の平安時代に多くのすぐれた武人がこの地方を開墾経営し、源経基が武蔵介として当地を治め源氏繁栄の礎を築きました。
箕田は嵯峨源氏の流れをくむ箕田源氏発祥の地でここに箕田源氏所縁の神社「箕田氷川八幡神社」があります。
この神社は、明治6年に当時箕田郷内に祀られた氷川社、八幡社など二十余社のお社を合して箕田郷の郷社として現在地に祀られました。
箕田地域は嵯峨天皇の流れをくむ箕田源氏発祥の地であり、境内に箕田碑があり箕田源氏の歴史を永く伝えようとしたものがあります。
源経基の臣で、嵯峨天皇のひ孫、源 仕(みなもとのつこう)が足立郡箕田郷に土着してその祖となりました。
仕の子 源 宛(みなもとのあたる)は今昔物語集に平良文との合戦の説話が残されています。
仕の孫で宛の子 渡辺綱(わたなべのつな)はこの地で生まれ摂津の国渡辺(大阪市渡辺)で養育されたことから渡辺姓を名乗りました。
武勇に優れ、源頼光に仕える四天王の筆頭と呼ばれ鬼や妖怪退治にまつわる様々な逸話が伝えられています。
源 仕、源 宛、渡辺綱の三代はこの地域を拠点にして歴史に名前を残しました。
箕田氷川八幡神社から吹上方面に向かうとY字の「箕田追分」の交差点があります。
鴻巣宿と熊谷宿の間にあり、吹上よりも鴻巣に近く北鴻巣駅が一番近い駅となります。
この追分から三ツ木、川面を経て忍(おし・行田市)や舘林(群馬県)城下へ向かう道が分かれていたそうで、立場茶屋というものがあり、旅人が休憩したり別れを惜しんだりしていたそうです。案内図が掲示され、道を挟んだ反対側には地蔵堂と庚申塔がたたずんでいます。
中山道は直進します。
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