1日夜から2日昼にかけて、東京都心を含めた関東や東海は大雪になり、積雪の恐れがある。通勤通学の時間にあたり、気象庁は「路面が凍結するおそれがあり、転倒事故に注意してほしい」と呼びかけている
関東では2日未明から朝にかけて降雪のピークを迎える見通し。1月22日に23センチの積雪を観測した東京都心では5センチ、多摩地方では10センチの降雪が見込まれる。甲信では25センチ、関東は北部山沿いが20センチ、平野部でも10センチと予想されている
1日夜から2日昼にかけて、東京都心を含めた関東や東海は大雪になり、積雪の恐れがある。通勤通学の時間にあたり、気象庁は「路面が凍結するおそれがあり、転倒事故に注意してほしい」と呼びかけている
関東では2日未明から朝にかけて降雪のピークを迎える見通し。1月22日に23センチの積雪を観測した東京都心では5センチ、多摩地方では10センチの降雪が見込まれる。甲信では25センチ、関東は北部山沿いが20センチ、平野部でも10センチと予想されている
トランプ大統領の目の前で韓国人に米国国旗を燃やされる大事件が発生!
緊急会見が開かれ韓国の終焉が本当に確定してしまう
ロシア・サハ共和国のオイミャコンで、氷点下63度を示す温度計=1月(共同)
ロシア各地がこの冬、記録的な寒さに見舞われている。ロシアメディアによると、西シベリアでは約80年ぶりに最低気温を更新し、極東沿海地方も2001年以来の大寒波に襲われた。気象当局は、北極圏から南下した寒気が気温を下げていると分析。日本や冬季五輪を控える韓国・平昌の寒さにも影響している
「氷点下60度の日が続いた。最近では一番厳しい冬だ」。東シベリア・サハ共和国オイミャコンの政府関係者はこう話す
環境劣悪… ボランティア2000人離脱 温水出ない、宿舎まで3時間
開幕まで残り1週間となった平昌五輪。現地では着々と準備が進む一方、労働環境の劣悪さなどを理由に、ボランティアスタッフの間で離脱者が続出している。目標枚数の達成を優先したチケット販売手法をめぐる問題点も浮上。大会規模は過去最大となり、北朝鮮の参加で国際社会の注目度も高い五輪の“影”が浮き彫りになりつつある。
氷点下20度にも達する極寒の中、開会式やスキー競技が行われる平昌会場
現地の参加者からは厳しい寒さに加え、「100人の宿舎に洗濯機が3台しかない」「居室の温水シャワーが出ない」などと不満が続出。平昌五輪組織委によると、昨年11月時点では約1万8千人登録されていたボランティアは、1月31日までに2194人が離脱した。広報を担当するボランティアの男性は宿舎の遠さを指摘する報道記事を横目に、「自分は3時間以上かかる」とぼやいた
中央日報は「タダ券を持っていても、交通、宿泊費用の問題から観客が来場しないおそれがある」と指摘。組織委はボランティアや職員を動員して空席を埋める計画も検討している
2014年に明らかになった米の機密文書には、中国軍関係者の声として、中国共産党が天安門の大虐殺の犠牲者(死者)を1万454人だと考えていると記されていました。今回のアラン卿の打電に出てくる数字とほぼ同じです
フランス人の中国研究家ジャンピエール・カベスタン氏も前述のAFPに対し、この米の機密文書も類似した死者数をはじき出していることから、アラン卿のこの数字には信憑(しんぴょう)性があると述べています
当然ながら、この大虐殺の死者数について中国はいまだにシカトを続けています。大虐殺によって命を落とした活動家の追悼行事は一切禁止。これに関するネットでの議論なども厳しく規制しています。おまけに、これに関する情報を集めた海外サイトへのアクセスまで禁止させようとする始末です
<学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、(APCに)ひき殺された。そしてAPCは何度も何度も彼らの遺体をひいて“パイ”を作り、ブルドーザーが遺体を集めた。集められた遺体は焼却処分され、ホースで排水溝に流された>
<負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺された。そして負傷した3歳の娘を助けようとした母親が銃撃された。この子供を助けようとした他の6人の人々も銃撃された>
<「第27集団軍」はダムダム弾を使っていた。そしてこの軍の狙撃兵は、(建物の)バルコニーや路上にいる一般市民を標的銃撃練習の的(まと)にしていた。北京の病院は、(軍の)治安部隊の負傷者だけを受け入れるよう指示された>
<生き残った1000人は、脱出できると聞かされていたが、特別に用意された機関銃で掃射された。負傷者を助けようとした救急車も銃撃され、乗務員が殺害された>
<最も少なく見積もっても、一般市民1万人が命を落とした>
この極秘公電、ロンドンの英国立公文書館が保管しているのですが、昨年の10月に機密指定が解除され、それを受けて香港のニュースサイト「HK01(香港01)」がこれを閲覧。最初に内容を報じたのでした
前述した各メディアの報道によると、アラン卿の情報源は「中国の国務院の“良き友人”から聞いた情報を伝えてきた」人物で、6月3日の夜から4日の夜の大虐殺についての状況が説明されています
ちなみに中国の国務院とは、実質的に中国を支配する内閣で、議長を務めるのは首相です。なので極めて信用できる内容なのは間違いありません。事実、アラン卿はこの情報源について、この大虐殺が起きる以前から信頼できる人物で「事実と憶測と噂を慎重に区別」する人物だったと説明しています
<天安門広場の周辺に集結した大勢の人々に“残虐行為”を行ったのは、(中国北部の)山西省の人民解放軍の陸軍「第27集団軍」で、彼らの60%は読み書きができず、primitive(原始的な人々、幼稚な人々)と呼ばれていた>
人民を戦車で踏み潰す…中国政府「死者は学生36人など民間218人」発表、実際は「万」
1989(平成元)年6月4日、民主化を求め、首都・北京の天安門広場に集まった学生を中心とする一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が発砲したり、装甲車でひき殺すといった武力弾圧を強行し、多数の死傷者を出した「天安門の大虐殺」
なぜか。中国政府は当時、発生から15日後の6月19日、死者数は学生36人を含む民間人218人と人民解放軍(PLA)の兵士10人、武装警察官13人の計241人。負傷者は7000人と発表していたのですが、先ごろ英国で公開された外交機密文書によると、実際は何と、少なくとも1万人の一般市民が殺害されていたことが判明したのです。政府の公式発表の約41・5倍ですね。
昨年の12月23日付で英BBC放送や英紙インディペンデント、フランス通信(AFP)など、欧米の主要メディアが一斉に報じているのですが、この数字、どこから出てきたかと言いますと、当時の駐中国英国大使、アラン・ドナルド卿(きょう)が、この大虐殺の発生翌日の1989年6月5日付で打電した英政府への極秘公電の中に出てきたのです