ポーランドのモラウィエツキ首相は、24日、ウクライナの首都キーウを訪れ、供与する予定の14両の「レオパルト2」のうち、最初の4両がウクライナに到着したことを明らかにした。
「レオパルト2」が西側諸国から引き渡されるのは、初めてのこと。
またドイツは、3月末をめどにウクライナに引き渡す予定の「レオパルト2」を、当初計画していた14両から、18両に増やすことを発表した。
ロシアのウクライナ侵攻開始から1年に合わせて、西側諸国の戦車供与の動きがさらに加速している。
ロシアによる侵略から1年を経たウクライナでの戦争は今後、どう推移するのか。専門家が想定する複数のシナリオを大別すると、①一方の完全勝利②一方が優勢となり長期化③戦況が停滞して休戦-の3通りとなる。ただ、当面は春季にウクライナ、ロシア双方が大規模攻勢に出るとの観測があり、戦況が大きく動くのはその後になりそうだ。
ウクライナを代表する政治学者のフェセンコ氏は、想定される戦争終結の見通しの一つにウクライナ側の「完全勝利」を挙げる。ウクライナは1991年に独立した際の国境線を回復。ゼレンスキー政権が強固な基盤を維持し、欧米への接近路線が加速する。
米欧がウクライナ支援を強化し、各国の主力戦車やウクライナが求める戦闘機が、早い段階で供与されることが前提となりそうだ。 産経新聞
ロシアがウクライナに侵攻してから24日で1年になった。神奈川県内には22日時点で144人のウクライナからの避難民が暮らす。戦争が終わる兆しは見えず避難生活は長期化している。言葉や習慣になじめないなどの困難に直面しながらも、日本にとどまる決意を固めたある家族を取材した。
テチアナさんとディアーナさんは昨年4月に横浜市に逃れてきた。それまで住んでいたウクライナ東部ドニプロでは一日中警報が鳴り響いていた。防空壕(ごう)に避難する毎日で、「心はやすまらなかった」。テチアナさんは大学時代に日本語を専攻し、日本への留学経験があった。夫や両親を現地に残していくことに不安もあったが、安全な環境を優先し、横浜市に住む旧知の日本人の知人に身元保証人になってもらい、ディアーナさんと2人で避難することになった。
来日後、テチアナさんは横浜市国際交流協会(横浜市西区)で通訳や翻訳の仕事を得た。市の支援で入居した市営住宅は広さも十分で、スーパーも近くにあり、「快適な生活だった」という。
だがディアーナさんにとって事情は違った。「慣れていない知らない国。友達もおらず、言葉も分からなくて、不安だった」。ディアーナさんから笑顔は次第に消え、「帰りたい」と漏らすようになった。
テチアナさんは娘の心境をおもんぱかり、10月にウクライナに戻った。しかし帰国後もドニプロの状況は変わっていなかった。今年1月には、集合住宅にミサイルが撃ち込まれ、40人以上が犠牲になった。自宅から約1キロしか離れていない場所だった。その後も警報は鳴りやまず、夜はミサイルの光が空に瞬く日が続いた。
「ここは普通の生活を送れる場所ではない」。テチアナさんはディアーナさんを連れ、2月上旬に再び横浜市へと避難した。ディアーナさんは「安全な空の下で眠れるのは心地よい」と笑顔で話す。日本に早く慣れるため、日本語の学習にも積極的に取り組んでいる。
テチアナさんは通訳の仕事を再開するつもりだ。「残してきた両親や家族のことは今も心配で、できるなら一緒にいたい。でも、あの場所は恐ろしく、戻りたいと思えない。日本での生活を頑張っていきたい」【池田直】 毎日新聞