はっきり言ってしまえば過剰反応どころか深刻な職業差別。
このような行為を行う教育者であってはならない!
また、平和教育を却って阻害する行為。
まだいたのか極左教育集団・・・(まあ解散したという話もないので存在するわけだが)
以上。
さて始まりました『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。
ちょっと攻め過ぎじゃないかな?という趣旨の記事をネタに考えてみたりします。
そもそも蔦屋重三郎、吉原で商売していたことは隠れもない史実なので、吉原の描写は避けて通れません。
このご時世、吉原を単に華やかでキレイなところ、という描写でも炎上するでしょうし、投込寺に放り込まれたことも史実なので致し方ないところかとは存じます。
…まさか投げ込み寺のシーンで、遊女の亡骸役にセクシー女優さんを使うとは思いもしませんでしたが。
身ぐるみ剥がれた姿を見せるのにあまり抵抗のなさそうな女優さんと言うとセクシー女優さんになる次第ではありますが、どのみち死体役ならオリエント工業さんあたりの製品(寂しい男性のお供のお人形)でもよかったのでは、と思ったり思わなかったり。
冒頭の火災で、お稲荷様(ナレの綾瀬はるかさん:今回は花魁姿で出演(しっぽ付))のキツネ像をお歯黒溝に放り込むのは何とも(絶望した遊女が身投げする場所ですし)。
なお、現在の吉原(特殊浴場街)の街路も当時を踏襲しているらしいので、訪れる価値はありますが……女性には若干訪問しづらい場所かもしれません(男性もまあ、そっち目的かと勘ぐられそうな場所なので歴史散策には若干不向き)
御老中様(田沼意次)が国益という言葉を使ったのも若干?ではあり。ただ、警動を行うことで宿場が寂れ商いが衰えると国益(彼の立場を考えると、御公儀の益、と言った方がより適切な気はします)にならない、という論法は彼の言いそうなことではありました。
(ちなみに私娼として取り締まられた女性は吉原に送られるので、供給過剰になりお茶ひきが増える=作中でも描写された、まともに食事も取れない女郎さんが激増することにもなり。楼主たちが警動を積極的に願わない理由の一つ)
平安の雅に対する江戸の粋が始まるのはもう少し後なので、これで引いて視聴を止めるとちょっともったいないなぁ、とは思います。
さてこの後どうなるやら……
『光る君へ』完走。
これも大河、と一年間堪能しました。
以下、最終回雑感。
いとさん、多分為時パパが「若様」だったころから仕えていると思われるので、より惟規くんと混同しがちなのかも知れません。
往年、祖母の妹さん(大叔母)を見舞いに行ったときに、私のことを「**ちゃん」と父の名前で呼ばれたことを思い出しました。健在とはいえボケが結構進んでいるので、いとさんの介護はちょっと大変かも知れません。
別記事で倫子様に「もう隠していることはない?」と問われたまひろさんが、最大の爆弾?である賢子のことを伏せたことが賛否両論とかありましたが、まあ母親としてはリスク回避のために当然の行動でしょう。
居眠り左大臣を叱責する関白頼道殿下。ようやく貫禄がついてきたか。
賢子さん、宮様の乳母に大抜擢。大弐三位爆誕のシーンでした。直後、「私は光るおんな君」などと逢瀬を重ねていたりしますが、まさかおかーさんの書いた物語を恋愛マニュアルに使っていたりしないでしょうねぇ。
長年大納言をやっていても、全然見識が深まっていない道綱さん(そりゃ、ご母堂が『右大将道綱の母』の名で百人一首にのるわけだ)。大臣の地位のおねだりをすげなく断る弟・道長様のほっぺをむぎゅーとしながら「嫌いにならないで」と迫ると、「嫌いになりませんよ」と道長さんも答えるほっこり場面でした。道隆・道兼両兄上のように権力闘争していた仲でもない上、道綱さんどうも「兄より優れた弟などいない!」的な変なプライドはなさそうなので、殺伐とした関係にはならなかったのでしょうか。
もう一人、前大宰権帥・隆家さんも為時邸に。いい具合に脂気が抜けた感があります。
でも、子孫は結構大暴れしていたり(源義朝と組んだ藤原信頼)。
なぜか菅原孝標女ことちぐささんに『源氏物語』の読み聞かせを受けるまひろさん(作者様)。直後に訪れたききょうさんとの話からすると、まひろさんてば彼女に自分の正体を伏せているような様子。
二人とも全国民必修の名作を残しているのですが、さすがに老境にさしかかると執筆意欲も枯れてきたようで。
自作の和歌集を娘・賢子に手渡すまひろさん、いろいろ区切りをつける気分なのでしょうか。
『栄花物語』を倫子様に見せる赤染衛門先生。すっかり媼に。自作が『枕草子』や『源氏物語』のように残るでしょうか?と自信なさげでしたが、心配せずとも全文が21世紀まで伝わる名作ですから。
彰子様・頼道くんたち次世代のゴッドファミリー会議。あのお人形さんみたいな少女がよくもまあご成長なさったもので・・・なお、お二人ともかなりの長寿。
いよいよ死の床に伏す道長様。法成寺の阿弥陀様と五色の糸で手を結び、とは史実の再現でしたね。倫子様がまひろさんに「妾になって」と頼むのは、やはり一番深くつながっている女性はまひろさんだと認めた故か。「ソウルメイト」と言っていたかと思いますが、そんな感じですかね。
死の床にある道長様のために、少しずつ二人の間にあった出来事をハッピーエンドに変えつつ物語として語るまひろさん。雪が降りつもるような時期まで、結構長期間語っていたようです。多分、二人以外には全くわからない、紫式部最後の、藤原道長のためではなく幼なじみの三郎のためだけの物語。
安らかに旅立った道長様、お供するように倒れた行成さん。F4生き残りの2人が「あいつ(行成)は道長のことが大好きだったからなぁ」としんみり和歌を交わし合うのもよかったですが、実資さんが日記(『小右記』)に二人の最期を記してひっそり涙するシーンがよかったです。
第一話から為時邸の軒先に下がっていた鳥かご、まひろさんが下ろそうとしたらついに崩壊。推定50年前後軒先に下がっていた勘定ですから、むしろよく保っていたものだと思います。
いとさんの恍惚シーンはここ。平然と惟規さんになりきる為時さんもよし。旅に出ようかというまひろさんに「姫様、連れて行ってくだされ」と懇願する乙丸老人。そういえば、宣孝さんと結婚してからはお方様呼びだったのが久しぶりの姫様呼びですね。
ラスト、漂泊の旅に出るまひろさん。そこに通りかかる双寿丸ら騎馬武者の一行。大鎧を着て戦支度で、これから東の方へ向かう由。
「嵐が来るわ・・・」とつぶやくまひろさん。この頃、前九年の役まではまだ時間がありますが、あちこちで小規模ないくさは多発していた模様。
(追記:平忠常の乱では、とのこと)
ちなみに、大河ドラマで言うと時代順に次は『炎立つ』。続いて『平清盛』『草燃える』『源義経』『鎌倉殿の13人』と続くかと。
『鎌倉殿の13人』も傑作でしたが、『光る君へ』もまた傑作かと。登場人物の多くが百人一首採録というのも大きいでしょう。
紫式部・大弐三位母子、清原元輔・清少納言父子、赤染衛門、右大将道綱母、和泉式部、大納言公任、儀同三司母……
さて、来年の『べらぼう』。予告編だけでしたが、過大な期待はしないでおくとします。
一般道で194km/h・・・
ちょっと検索したところでは、被告はBMW2シリーズのクーペに乗っていたとか。
その他、100km/hオーバーを超えるような事故例では結構高級車(BMW、ベンツ、フェラーリ等)が目につきます。
まあそもそも軽自動車では140km/hでリミッタがかかるのでそんなスピードは出しようがなかったりしますが、国産一般車でも「直進するだけなら」リミッタのかかる180km/hまではなんとか出せます。
欧州車の場合は250km/hなのだとか(ドイツのアウトバーン、速度無制限区間への対応の模様)。欧州車は比較的堅牢なシャシーを有しているため、日本車に比べ高速域でも安定した走りが可能とされています。
とはいえ、市街地で194km/hなんてスピードでクルマを走らせるのは一般人にはまず無理。
自動車学校のドライビング・シミュレータの設定を変えて擬似的に体験してみせたTV番組がありましたが、画面を見るだけでも単純に「怖い」です。しかし、これを「スリル」として楽しんでしまえる人も案外おられるようで。
※ただし、設定を書き換えてリミッタを外すことは「走り屋」の間では広く行われているようです
そこで問題となるのが、自動車学校や免許更新時の講習で習うだろう停止距離。
流石に194km/hで走る**は想定外なので高速道路の一般的な最高速度である100km/hまでしか載っていませんが、上記サイトのデータをもとに簡単に計算してみましょう。
空走距離は自車の速度が10km/h上がるごとに約3m伸びているので、ざっと57m。
制動距離は単純計算でざっくり340〜350m。
(時速20km/hでの制動距離が3m、時速30km/hでの制動距離が6m、そこからおおよそn×10km/h速度が上がるごとに(3+2n)m制動距離が伸びる計算)
よって停止距離はおおよそ400mとなります。
もちろん、タイヤの種類やブレーキ性能によってはもう少し短くなるかもしれませんが、危険に気づいてから停止するまで300〜400m(都市部中心街なら、次の次かさらにその次くらいの信号交差点までに相当)という恐ろしいほどの距離が必要だという点に留意すべきでしょう。
さて、このような場合、市街地の運転において「安全に自動車をコントロールしている」といえるのでしょうかねぇ・・・・・・
そして、控訴のポイントである量刑について。
ええ、この程度で収まるならガンガンアクセル踏みますよこの手の人々。
抑止力、という点でいえば永久欠格処分+懲役20年でいいくらいじゃなかろうか。
な、何が起こっていたんだ……
寝てる間に隣国で戒厳令が発令され、ほとんど即座に国会によって解除されるという、???な事態が。
一応、隣国の憲法では国会で過半数の議決があれば戒厳令を無効化できるそうで、現在は野党多数ですから大統領が戒厳令を出しても国会が機能している限り無効化できてしまう、ということらしいです。
我が国は「事態を注視する」と声明しているようですが、本当にそれ以外できなかったり。
19世紀なら軍を送り込んで介入、なんてやらかしても外側から文句をつけられなかったのですが(壬午軍乱とか甲申事変とか、そりゃもうgdgdですから)、もはや大日本帝國と清朝と李朝の時代でもなし。
ただでさえ基盤が弱く少数派になりつつある隣国の保守層、これで壊滅に向かいそうな気が。
それにしても、政権与党のトップが自爆同然の悪手を打つのは今年(2024年)のトレンドなんだろうか、と思います。
米バイデン大統領の不出馬&ハリス副大統領の立候補、石破解散、って2例だけしか上がりませんが(苦笑)
来年はどうなることやら……
意外に視聴率が低めだったようで(という点を論って「失敗」扱いの言論もちらほら)はありますが、きちんと大河していたなぁ、と思う作品ですね。
今回、刀伊の入寇などという日本史教科書でも数行しか記述のない事件が扱われましたが、実は外国軍が日本本土(本州・四国・九州)に攻め込んできた事件としては他には元寇と薩英戦争&四カ国艦隊下関砲撃事件、あとはWW2くらい、という大事件でもあります。
大宰権帥・隆家さんの武将っぷりが見事でした(史実では甲冑つけて敵陣に鏑矢射掛けたりはしなかったらしいのですが、本作唯一の合戦シーンですからこれくらいは許容範囲かと)。
それにしても、周明さん……南無南無。今回放映前半でデス・ノボリ立てまくってましたからねぇ……
本作全体として、かなり大胆に脚色しても時代考証警察(笑)が突っ込もうにもツッコミネタが無い時代なので、のびのび作れた一面はあるかもしれません。
この点では、来年の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』はさぞ難しかろうなぁ、と思ったりします。将軍の秘事から庶民の日常生活までありとあらゆる記録が(完全とは言いませんが)残っている時代ですから、敢えてドラマ重視で史実と外したところにもツッコミが雨あられ、となる可能性が。
摂政・藤原道長と藤式部、こと、三郎とまひろが幼時からの知り合いで、若い頃には理無い仲、という設定は中々効いていたように思います。
『尊卑分脈』にも紫式部について「藤原道長妾」とあったりする次第で、否定し切ることもできないという点がポイント。
『枕草子』『源氏物語』『栄花物語』と、平安女流作家三作品揃い踏みな点も見事。
赤染衛門先生、道長さまの栄華を描くよう発注されたとは言え、村上天皇の時代ではなく宇多天皇の時代まで遡るとは、実際には発注主たる源倫子様の栄華を書くつもりなのでしょうかね。とある方が「編集さんが漫画家さんに1話読み切りの話を持ちかけたら、漫画家さんが次の打ち合わせで全15巻描き下ろしのプロットを持ってきた」なんて例え方をしていましたっけ。
余談ながら、今回大河ドラマ館3施設を巡りましたが、昨年の家康絡みよりはちょっと展示が寂しい感が。甲冑やら旗指し物やら、陣中グッズで割増できる武士絡みとの差でしょうかね。
来年の大河ドラマ館、江戸東京博物館だけでなんとかなってしまうかもしれません。というより、大河ドラマ館を作るにしても、江戸博の収蔵物に足す要素って撮影グッスしかないぞ多分。
後2回の放映。道長さまの御最期がどのように描かれるのか・・・
何と言うべきか、体感治安の悪化というべきか。
対策としては、可能ならばコンビニ受け取りが良いのかもしれません。
コンビニから運ぶのが骨なほど重かったり大きかったりする荷物なら、盗まれる可能性も少し少ないでしょうし。
人口減少時代、必然的に生じるリスクなのかもしれません。
任意の国の電話番号を取得できるアプリとしては、身近なところだとSkypeがありますね(取れない国もあります)。
IPが取れていれば、発信元の端末をある程度絞り込めますがIP偽装(原理はわかりませんが、理論的にはありうるらしい)されてしまうと何とも。
警視庁の威信をかけて捜査していると思われますので、指示役になるべく早くお縄がかかることを願っています。
まあ、ここのところの成績からして自由契約も仕方ないかなぁ、という成績ではありますが、これまでの楽天への貢献からすると無情と怒る大久保氏のご意見も無理はないかな。
今季登板が1試合だけ、という現実があるわけで、他の球団でも(マー君の球歴に対して失礼にならないような年俸での)獲得には二の足を踏みそうです。
スワローズが受け入れるかどうかはわかりませんが、来シーズン中にあと3勝を挙げて花道を飾って引退、という前提じゃないと無理じゃなかろうか。
いよいよ終幕が見えてきた『光る君へ』。
道長の、あまりにも有名なあの和歌が前回詠まれたわけですが。
世上、「得意の絶頂にある驕り高ぶった和歌」といった心象ではなかったかと思いますが、その割にあの『小右記』では全然非難されていない謎の和歌でした。実資さん、得意の絶頂とばかり自慢げに詠っていたら多分「先例なき驕慢」くらいには書きそうですから、案外史実でも本来はこんな感じのしんみりした歌だったのかもしれません。
今回、F4こと若い頃からのお仲間たちが出てきました。ちょっとした流行病や、道長の兄弟(道長本人、道隆兄上ら)がかかった飲水の病(糖尿病)からの体調悪化でお亡くなりになってもおかしくない中、当時としては稀有なことだと思います。
ポロの後のボーイズトークから既に30年くらい。思えば遠くに来たものです。
『源氏物語』執筆完了。今回は明らかに区切りの回でした。
彰子様の側仕えも娘の賢子さんに交代。あのお母さん(藤式部)の娘なら、と、宮の宣旨さん他女房衆も割と好意的だったような。越後弁(えちごのべん)、後の大弐三位のデビューでした。
まひろさん、道長様にはっきりと「帰ってきたとしても、ここで終わりでございます」野郎はズルズルと引きずりがちだからなぁ(女性が引き摺らないというわけでもないですが)
道長様とのあれこれ、まひろさんの中で『源氏物語』と一緒に色々踏ん切りがついたのでしょうね。道長さんとまひろさんの恋物語として見た場合のラストでした。
道長様の出家シーンが柄本佑さん渾身の自毛による剃髪シーンって、気合い入り過ぎでしょ、と思ったり。
頼通殿の若輩振りが、昨年大河の秀忠さん(演・森崎ウィンさん)と被ったり。
最後の方は旅に出たまひろさん。お供は乙丸さん。第一話からお側仕えしているはずなのですが、そうするとどう考えてもアラカン以上。実に壮健でいらっしゃる。
そういえば須磨帰り・明石帰りとは、原文で『源氏物語』を読もうとして最初の方で挫折する人を揶揄って言う言葉だったかと。それにしても、須磨の浜では推定アラフィフでインドアな女性としては中々ワイルドな走りっぷりでした。
当然ながら、宮仕えを辞した後の紫式部について詳しいことはあまりわかっていませんので、オリジナル展開でも差し支えないわけですが、太宰府まで旅をするとは中々アグレッシブ。
周明さんと再会するようですが、一体どうなるやら。
次回、刀伊の入寇。予告で見た隆家さん?随分ワイルドにおなりで。
今回大河唯一?の大規模な合戦シーンとなるでしょうから、どう描かれるものか楽しみではありますが、何もまひろさんを戦場のど真ん中に放り込まなくても良さそうなものですが・・・
非飲酒者としては、わからんでもないですねぇ>飲みニケーション不要
若い頃、大ヴェテラン(婉曲表現)に30分以上面罵されたことが……
最初の勤務先の上長が「君は飲み会苦手そうだから、こっそり脱出する手段を教えよう」とステルス術を教えてくれたのですが、何が気に食わなかったのか最初からロックオンしていたようで。
多分ベテラン扱いされる年代になった現在、反面教師として役立てております(微笑)
グラディエーター2、観てきました。
結論から言いますと。
前作でローマ帝国の描写に痺れた人は必見。
前作ファンはとりあえず見るべし。
なお、今作公開直前の予習として、今年(2024年(令和6年))10月中旬に前作の4Kリマスター版が上映されていた模様。
以下、若干長めですが前作の復習を兼ねて紀元2世紀末のローマの事情をば。時あたかも中国では三国志演義の時代のほんの少し前、日本は多分邪馬台国の時代です。
前作はマルクス・アウレリウス帝の治世最末年のA.D.180年から始まります。世界史で「五賢帝」を習った覚えのある人も多いと思いますが、その最後の最後くらい。
作中での時間経過は1年あるなしくらいに描写されますが、史実では192年に暗殺されるまで12年余りコンモドゥス単独の治世が続きます。
…まあ、この辺は創作上の歴史改変ということで流すとして、前作『グラディエーター』の時代は間違いなくローマ帝国最盛期なのです。賑わってはいても決して荒廃してはいない、古代ローマ屈指の「佳き時代」。
前作DVDのコメンタリーでは、ルシアス皇子の実の父はマクシマスではないことになっていたような…ですが、ディレクターズカット版で描写が付け加えられ、今作では明確にルッシラ皇女とマクシマスの子ということに。ローマ上流階級にはありがちな話だったらしいのですが、なんだかなぁ。
それはともあれ、前作は悪の皇帝・コンモドゥスがコロッセオでマクシマスに斃され、マクシマスもローマを共和制の国に戻すのだと遺言して、故郷スペインの麦畑を麦の穂に触れながら歩いて愛する妻子の元へ去り……なエンディングだったのですが。
実際にはコンモドゥスの死後、「五皇帝の年」と呼ばれる大混乱を経てセプティミウス・セウェルスが即位、セウェルス朝が始まります。しかし、これがまた……
セウェルス朝初代のセプティミウス・セウェルスはアフリカ出身、もっといえばカルタゴ出身の軍人・元老院議員から皇帝になった人です。彼の子孫に比べればまだしも人格だけはまともな皇帝でしたが、その出自(カルタゴ人ですから、アメリカで言えば日系など東アジア系かロシア系2世が大統領になったようなものかと)と即位時の事情から元老院とは敵対関係にあり、自らの権力基盤とした軍を富ませることに執心して軍事費が激増し、それにより民衆は重税にあえぐことになります。彼はシリアの太陽神ヘリオガバルスの神官の娘と結婚したのですが、どうもこの妻、ユリア・ドムナの血がよろしくなかったようで・・・
セウェルス朝2代目がカラカラとゲタ。本作の皇帝ですね。
日本ではカラカラ大浴場と、美術室にあるデッサン用石膏像
で、認知されていると思われます。美大出身の愚妻曰く、本作のカラカラのビジュアルが上記の石膏像のイメージとかけ離れすぎていて……とか。
実はこのカラカラ、コンモドゥスを凌ぐ暴君として有名でもあります。『ローマ帝国衰亡史』を著したギボン曰く「人類共通の敵」。アントニヌス勅令でローマ市民権を全属州民に付与、と聞くとプラスイメージかもしれませんが、実際には税収不足を補うための手段だったりします。弟のゲタ(作中では、まだしもまともなゲタがカラカラをフォローしているような描写でしたが、実際にはお互いに単独統治を望み憎しみ合っていた模様)を母親の前で殺して正当防衛と嘯くわ、ゲタ殺害の顛末をからかった詩が流行った属州エジプトのアレキサンドリアに出向いて、「話を聞くぞ」と寛大な様子を見せたカラカラ帝に感心した無辜の市民が多数集まってきたところを軍に命じて2万人以上を屠るという大虐殺をするわ、……これ以上詳しい話はギボンの著作をどうぞ。
作中でもゲタと並んで「まともじゃない」雰囲気を醸し出すべく、前作コンモドゥスのようなメイクをしていましたが、コンモドゥスが名君に見えるくらいメチャクチャな暴君だという知識がないと、何だあの白塗りのひ弱なバカ殿は?で終わってしまいます。実際、日本語による各種映画サイトのレビューではカラカラが何者か分かっていない書き込みがほとんどです(それはそれで、作中描写のみで評価することでもあるので正しくはあります)。
多分一般的な日本人だと、古代ローマについてはヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』『プリニウス』くらいしか一般向けの認知がない(塩野七生『ローマ人の物語』シリーズを読破するような人種は、筋金入りの歴史マニアに違いないのでこの際おきます)ので、無理もないと言えば無理もありません。
そこで、今作におけるローマの描写ですが、24年間のCG技術の発展により更に描写はグレードアップしています。そして、注意深く観察すると、前作には明らかに「なかった」ものがあります。夜、ローマの路地、コロッセオの近くにも転々と焚き火する人々が。
そして、主人公ハンノ(ルシアス)が剣闘士として馬車に詰め込まれて移送されているところにもお恵みをと寄ってくる、乞食な人々。
そう、今作のローマは明らかに前作からの16年間で衰えているのです。
思えば前作、西暦2000年の頃はアメリカも元気でした。格差はあれど2024年現在ほど分断感があったわけではなし、テロとの戦いが始まるは翌年、パクス・アメリカーナの最盛期といってよかった時代です。
あれから24年、依然経済力と軍事力は世界一なれどアメリカ国内での人種間の対立や階層間の対立は手で触れば血が出そうなくらいに先鋭化し、溢れる不法移民が種々の問題を引き起こしているとされ、多様性を言い立てるWokeな人々が言葉狩り表現狩りに邁進し、SNSはかえって人々の分断を助長する。今作でのローマの描写はそこに通じるものがあります。
さて、ようやく今作の話です。三国志演義なら赤壁の戦いの頃のお話。日本だとそろそろ卑弥呼が出てくる頃かな。
本作の年代は詳らかではありませんが、作中で前作の16年後であることが示されます。前作の出来事が182年のコンモドゥス暗殺未遂事件をベースにしていると考えると、単純に計算すると198年ということになります。しかし、それではカラカラ・ゲタ兄弟の父帝、セプティミウス・セウェルスの治世前半に当たってしまいます。といって192年、史実でのコンモドゥス帝の没年から16年後では208年。カラカラ帝の即位年は209年なので、16年の数え方によってはギリギリですが、今度はルッシラ皇女がルシアス皇子を落ち延びさせた時点で12歳、という描写が怪しくなります。マルクス・アウレリウス帝が亡くなった180年にルッシラとマクシマスが結ばれたことにしないと辻褄が合わなくなりますが、前作での作中時間の経過が何とも怪しくなります。
というのも前作の前半、コンモドゥス帝が凱旋式を挙行した時にルシアス皇子が出迎えているのですが、ルシアス君はラストまでほとんど成長が見られないので作中でのルシアス君の時間は1〜2年の経過と考えないとこちらも矛盾が生じます。実は180年にコンモドゥスが父帝を弑し奉り、その罪をマクシマスに擦りつけてから、マキシマスがローマへプロキシモ一座と共にやってくるまで10年経っていた、という解釈もなくはないのでしょうが……
冒頭の、軍艦と城塞都市との交戦から始まる戦闘シーンは前作同様圧巻でした。前作がローマ軍団による野戦での大会戦を描いていることへの対比でしょうか、海戦と攻城戦になっています。流石に前作冒頭のゲルマン人との戦闘シーンほどの衝撃はありませんが、見ごたえは十分。
アカシウス将軍(ルッシラ皇女の後添)も筋の通った漢として描かれています。ルッシラ皇女は年月を経てもお美しい(役者さんも同じコニー・ニールセンさん)のですが、やろうとしていることは前作のほぼコピー。
※無粋な史実をいいますと、ルッシラ皇女は182年に起きたコンモドゥス帝暗殺未遂事件に関与して追放、後に処刑されています。彼女の息子もカラカラ帝に殺されていたりします。
……最初の剣闘シーン、ヒヒとの戦いは減点材料。24年前はCGフル合成が無理だったため本物のトラを使ってリアリティ満点でしたが、今作はなまじCGが”使えてしまった”ために却って現実感を損ねていました。これは今作中、コロッセオの中でチラッと出てくるトラかライオンと思しき猛獣も同様。ヒヒだかクリーチャーだかわからんアレだけはなんとかならなかったものだろうか……
ちなみにコロッセオに水を張ってガレー船を浮かべ、海戦を再現したのは史実で、完成当初にそのような演目があった記録もありますが、後年セリを設けて水密が保てなくなったため、カラカラの頃にこれができたかどうかは調査不足で何とも言えません。
※とはいえ前作クライマックスで、コンモドゥスとマクシマスがセリで闘技場のアリーナに登場していたので、それを考えるとセリの部分をローマンコンクリートで塞いで置かない限り水密的に無理があるのでは……
流石に闘技場プールの中へサメを放したのは演出過剰な気がしますが、まあ絶対に不可能とも言えないので(苦笑)
それよりも、宮殿内の池に錦鯉っぽい魚が泳いでいる方が気になる人がいるかもしれません。
本作におけるラスボス、デンゼル・ワシントン御大演じるマクリヌス(現在のアルジェリア出身)は、史実ではカラカラ帝の近衛隊長を務めていました。その後皇帝の猜疑を買い、カラカラ帝が暗殺された際に彼の関与が噂された人物です。剣闘士上がりの人物というわけではなく、文官として出世した人物ですがまあそこは置きます。
カラカラ帝の死後、彼はローマ史上初めて元老院議員の経歴を持たない騎士身分出身者としてローマ皇帝に即位します。カラカラ帝によって(彼のペットのサルと一緒に)執政官(コンスル)に任命されるシーンは、一応史実を踏まえていると言えなくもありません。また、彼がカラカラ帝を殺害するシーンも、史実の脚色としてはありな範囲でしょうか。
クライマックスシーンでマクリヌスはルシアス(ハンノ)と剣闘の末討たれます。しかし、前作と異なりもはやローマの名誉も正義も見い出せない世の中。
ラストシーンでルシアス(ハンノ)が「教えてくれ、父上」と嘆きますが、マクシマスも答えようがない嘆きでもあります。
というのもマクリヌスの死後、次の皇帝はカラカラ帝の母方の従兄弟の子、ローマ帝国史上燦然と輝く超弩級歴史的変態にして超絶美少女な男の娘皇帝・ヘリオガバルス(エラガバルス)なのです。
あまりにも変態度が過ぎて、LGBTQの権利を尊重するべしとするWoke仕草な流れから再評価が進んでいるという(英国の某博物館では彼に関する展示を「彼女」として女帝扱いにしたそうな)、ヲタクの妄想的要素山盛り詰め込み過ぎで頭痛が起こるような人物ですが、シンプルに当時の価値観で判断するならもうHENTAIの一語に尽きます。
※意外なことに、政策だけで判断すると今日の観点からは評価に値する先進的な政策(特に貧民対策などで)を行っている比較的まともな部類の皇帝ではあります。とはいえ、先入観をリセットした上で女性としてみてもこれはちょっと……な性的放縦振りが酷すぎる上、あまりにも度々法によらず愛憎を優先させてお気に入りの女性を裏切った男性を恣意的に処刑していたりするので、女性君主としてみても暴君と評して差し支えない君主です。
*なお、彼の行状を細かく記すと誇張と思われる部分を省いてもR18、特色ピンクの薄い本でしか描けない世界になってしまいますので省略。ちなみに、男の娘絡みの18禁同人誌で描かれているようなアレコレは現代文明の利器を用いたものを除き、おおよそ全てのシチュエーションをこなしているそうな(呆)
それはもう、ハンノ(ルシアス)でなくとも「どうしたらいいんだ、教えてくれ、父上(マクシマス)」と言いたくもなろうという展開が待っている次第。
加えてヘリオガバルスが彼についていけなくなった人々により惨殺された後、従兄弟のアレクサンデル帝が軍経費を削減して軍の反乱により殺されると「三世紀の危機」「軍人皇帝時代」とされる内乱に突入するという救われない結末へ。これを収めたのは本作ラストから約70年後、ディオクレティアヌス帝が即位して専制君主政(ドミナートゥス)を確立させ、「ローマは共和制の国です」という建前をほぼ粉砕してのけた後のことになります。
と、ここまで書いてみての感想。
ひょっとして、マクシマス・ルシアス父子、暴君を弑するのは良いが却って事態を悪化させているのではなかろうか……まさにアメリカ合衆国が他国の混乱に介入した時の仕草かもしれないと思えば、意外にアメリカ的価値観を忠実に反映した映画なのかもしれません。
これはもう、ダメかもわからんね。
サッカーでホーム側が色々細工することはあるあるとも聞きますが、ここまでやらかしてなお負けるというのはねぇ・・・・・・
なんというか、田河水泡『のらくろ探検隊』に出てきた豚(中国人)を思い出しました。大尉で除隊、予備役入りしたのらくろが大陸に渡って金鉱を開発する、という筋。
で、山羊(満州)や羊(蒙古)と共に豚も出てくるのですが、豚に対して「君は何が得意なんだい」とのらくろが尋ねたところ、豚くんは宣伝が上手と称して死んだふりをしてみせるという・・・
反日嫌日とかいう以前に、官民ともに欧州フーリガンに通じる民度の低さを露呈した感が。
これらを全て粉砕してのけた森保Jの勝利を寿ぎたいと思います。
あとまあ、FIFAへの提訴はやったほうがいいんじゃないかなぁ。
百合子妃殿下の薨去に際し、心からお悔やみ申し上げます。
・・・・・だが、マスコミさんや。
「逝去」じゃなくて「薨去」だろうがこの無礼者!……と、言っても多分賛同者は少ないんだろうなぁ。
上皇陛下の尊称は陛下と正式に決まっているのに「上皇さま」呼びが多いし。
別にまあ、憲法第十四条及び第十四条2項を守らなくてよい、というつもりは毛頭ないのですよ。
ですが、皇室の方々に対する伝統的な敬称や用語を用いることが十四条の精神に反する、とはとても思えません。それを言い出すと、日本語の敬語体系をほぼ全部廃棄せよ、ということになりかねません。
と、嘆いても、所詮は保守主義者の戯言、と流されるんだろうなぁ……
まあ、本邦でも欧州の大聖堂に落書きする若者が跡を絶ちませんし・・・・・・
と思ったら、65歳かい。
我らの唯一絶対の神以外を認めない、という要素はアブラハムの宗教全般に大なり小なり見受けられるところですが、最近あちこちで語られているのが
「実は神道ってギリシャ神話の神々に対すると同様既に過去のもので、巫女さんやら神主さんやらは観光客向けのパフォーマンスではないか、と考えられているのでは?」という疑問。
神道って、バリッバリに生きている現役の宗教なんですけれどねぇ。
ただ、イスラム以上にその信仰が生活に自然に溶け込んでいて教義や戒律も成文化されていないので、大抵の氏子は生まれてから死ぬまで神道の存在を意識していないだけで。
(各地の初詣などは巡礼月のメッカ・カーバ神殿以上の賑わいですし)
仏教のほうがまだしも教義もあれば戒律や禁忌も外部から見えるので、海外で宗教を聞かれたら「仏教だよ。熱心じゃないけどね」くらいに答えるほうが良さそうです。
とはいえ、神道をどう(大学で宗教学を学んだわけでもない)異邦人にわかるように説明すべきか・・・