ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
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志津川(2011年10月の記録)

2017-09-14 19:22:46 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

 

「嘘だろう」と、言葉がこぼれる。

道と川の両側に、立ち並んでいた家は店は、みんなどこへ行った。


川沿いに、緩く下って進む道の先も、河口まできてから、海が見えたのではなかったか。

緩い坂道の上からは、湾が隠れるように建物が並んでいたはずだった。

今は、直ぐそこが海だ。


もうじき、大震災から8ヶ月という頃の志津川。


この辺りは傷跡が大きく、今もなお、津波の脅威が所々に漂うような気もするが、普段は穏やかな海が、この時も青く、柔和な微笑を向けるように輝いていた。

輝く、なだらかな海の傍らで、湾岸には、建物などの残骸が壁のように積まれている。


             
志津川、歌津、気仙沼と、宮城の中でも県北沿岸の町は、一層、津波の傷跡が深い。

更地が多くなっているが、ここまで整えるのも、大変な作業だっただろう。

たくさん散乱していたろう、建物や町で使われていた物の残骸が、所々にまだ残っているが、だいぶん片付けられている。



この光景を見て、自分も連れ合いも、気が滅入って力が抜けるような感覚になるのを、踏ん張って押し留めていた。それでも、きっと明るい兆しは見つけられると信じて。



かつて、そこにあった店が、更地になった所に幟を立てている。

別の場所での仮店舗の再開や、再建の意志を示し、再生と復興への力強い意思表示が、そこにある。


志津川の町から、気仙沼へと向かって湾岸の道を進むと、次第に上り坂になる。


高台の道へ入ると、志津川商工団地の入り口に復興市の幟が見えた。

そして、直ぐ近くに仮設の店舗があった。




残念ながら、この日は休業日だったが、そこに明るい兆しと、生きる人々の輝きを見つけた。

      


私たちはここにいる、なりわいが町を興す、そうした道を歩き始めている、そんな声が聞こえるようだった。



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