「嘘だろう」と、言葉がこぼれる。
道と川の両側に、立ち並んでいた家は店は、みんなどこへ行った。
川沿いに、緩く下って進む道の先も、河口まできてから、海が見えたのではなかったか。
緩い坂道の上からは、湾が隠れるように建物が並んでいたはずだった。
今は、直ぐそこが海だ。
もうじき、大震災から8ヶ月という頃の志津川。
この辺りは傷跡が大きく、今もなお、津波の脅威が所々に漂うような気もするが、普段は穏やかな海が、この時も青く、柔和な微笑を向けるように輝いていた。
輝く、なだらかな海の傍らで、湾岸には、建物などの残骸が壁のように積まれている。
志津川、歌津、気仙沼と、宮城の中でも県北沿岸の町は、一層、津波の傷跡が深い。
更地が多くなっているが、ここまで整えるのも、大変な作業だっただろう。
たくさん散乱していたろう、建物や町で使われていた物の残骸が、所々にまだ残っているが、だいぶん片付けられている。
この光景を見て、自分も連れ合いも、気が滅入って力が抜けるような感覚になるのを、踏ん張って押し留めていた。それでも、きっと明るい兆しは見つけられると信じて。
かつて、そこにあった店が、更地になった所に幟を立てている。
別の場所での仮店舗の再開や、再建の意志を示し、再生と復興への力強い意思表示が、そこにある。
志津川の町から、気仙沼へと向かって湾岸の道を進むと、次第に上り坂になる。
高台の道へ入ると、志津川商工団地の入り口に復興市の幟が見えた。
そして、直ぐ近くに仮設の店舗があった。
残念ながら、この日は休業日だったが、そこに明るい兆しと、生きる人々の輝きを見つけた。
私たちはここにいる、なりわいが町を興す、そうした道を歩き始めている、そんな声が聞こえるようだった。