前年は11月に寄った山元町。
その頃、一応は海沿いの立ち入り制限は解かれたが、片付けの邪魔になるからと6号線から様子を見たのだった。
それからおよそ半年後、再び山元町へ足を運ぶ。
皐月の空は青く、景色の輪郭が鮮明で、草花が輝いて見える。
緑は町の傷を癒すかのように、そっと風に揺れている。
その傍らで、壊れた家々の土台が、静かに周囲を見つめていた。
海辺の方には、まるで堤防みたいに、町の破片が積み重なって連なっている。
震災から1年と2ヶ月あまり、津波被災地は、まだ片付けが続く。
海辺の整備もこれからだ。
それでも、お弁当を売る店が、ぽつんと再開していた。
「きく邑」と看板にある。
町のために、作業に励む人々のためにも、という気持ちが見えるようだ。
更に進むと、釣鐘が見えた。奥には鳥居が見える。
「青巣稲荷神社」の跡だった。
お寺ボランティアの「テラセン」という、現地の方と有志によって立ち上げた組織がある。
昨年、海辺の立ち入り制限で、ボランティアの派遣もままならなかったため、地元の人々が立ち上がったという。
そのテラセンの活動で、青巣神社跡の片付けや、流されて見つかった釣鐘が戻されたそうだ。
青巣神社は、伝承によると随分と古くからあったようだ。
花釜浜の守り神であったが、後年、その地に奥州藤原家の家臣が数名が移り住み、塩焼きを生業としたという。その者達が、社殿を修築して御神木にタブノキ(別名タマグス)を植えたという話がある。
現代になり、宮司さんが氏子のために奉納したというカエルの石像もある。
鳥居の奥に見えるのは、タブノキだろうか。幹の具合からして、御神木の何代目かなのだろうか。よく分からないが、よくぞ残った。
鳥居の手前の桜の苗木は、テラセンによって植樹されたそうだ。
人々のあったかさが伝わってくる。
カエルの石像が、山元の海辺の町と、その地に暮らした人々の再出発を見守っている。
良き町、良き日々が、きっとカエルぞと。