ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
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7年目も晴天  

2018-03-11 16:49:04 | 今昔あれこれ

7年目の3月11日。今年も晴天。


14時30分を過ぎると、一瞬、あの日に戻るかのような心地になる。

それまでは晴天で穏やかな日だった。

 

あの日、最初の異変は音だった。


近くに大型重機でも来たのかと思って、部屋から硝子戸越しに外を見た。
変わりない、いつも通りの風景だった。


と、今度は背後から音がし、振り返った。


台所付近に並べてあった、瓶の触れ合う音だと気付いた。
はっとして部屋の中央に戻り、床に座った。

 

直ぐにズシンと鳴って、家中が動いた。
まるで、乗り物の中のようだった。


 (近所の長町病院付属クリニック。震災の揺れと度重なる余震で建物に多数の亀裂。:撮影は2011年3月19日)



その日、連れ合いは仕事で名取にいた。


閖上方向の道に出ると、逆走してくる車に出会って驚く。

その先が通行止めになっていることに気が付き、引き返したという。


津波が閖上を襲った後だった。

               

 

こちらでは、非常時の生活準備をしながら、連れ合いは帰ってこられないかもしれないと思っていた。

ところが、予想外にも夕刻に帰ってきたではないか。

帰るなり、急いで厠へ。
何しろ渋滞で、普通は車で30分のところを、3時間以上かかったという。

 

夕餉は昼の残り飯を使い、手早く、体の温まるものをと作った雑炊。


ロウソクを灯してラジオを聴き、「大変なことが起こった、明日はどうなるか」という思いで過ごした夜。

春の陽気の午前中とは一転して、午後から小雪の舞う寒さ。

重ね着して布団に包まるが、家で横になれる私らは幸いだと思っていた。

もっと大変な思いをしている人がいるはずだから。


同じころ、沿岸部では津波の恐ろしさを目の当たりにし、水に濡れた冷えや、野外の寒さに耐える人々が大勢いた。

 

(震災後の名取市沿岸部:撮影は2011年4月14日)


今日の午後2時46分、各地で黙祷。
自分も、手をあわせて祈った。
涙がこぼれる。

 

毎年、3月11日の我が家の夕餉は雑炊だ。
あの日を思いながら食べる雑炊。

 

切に願う。

 

津波に飲まれた人は、どんなに怖かったろう苦しかったろう。

こんな思いは、もうたくさんだ。

どうか世の人々よ、命を守る災害への備えをしておくれ。

 (キリンビール仙台工場の時計。地震で落ち、発生時刻で止まったまま。撮影は2012年12月12日)




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