福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク

(通称:たねまきネット)
農と食を中心に、小さな種をまきながら、永続的な支援活動を行う。

追悼~2年が過ぎて

2013年04月07日 | 福島視察

3月23日双葉郡楢葉町に足を延ばしました。昨年8月「避難指示解除準備区域」となり、宿泊はできませんが自由に出入りができるようになったのですが、地震、津波で被災した痛々しい姿が広がっていました。北端にある福島第二原発すぐ手前の海岸集落は、ご覧の通り、壊滅していました。黙祷。

 さらに海岸に車を走らせると、白い真新しい壁が太平洋を遮断していました。「放射性物質の仮置き場」でした。唖然。

3月25日には、富岡町にも入れるようになりました。「戻れる」のではなくて。

※下記に、斎藤貢一さんの追悼詩を掲載します。
 
2011年、3月11日。
東日本大震災。
あの日の、悲しみと苦しみを
わたしたちは決して忘れません。
太平洋の美しい松林に、大津波が押し寄せて、
集落を、駅舎を、国道を、鉄路を
無残に、浚っていきました。
たくさんの尊いいのちが奪われました。 
そして、原子力発電所の事故。
見えない放射線によって
わたしたちは、故郷を追われました。
今に至っても
警戒区域は、まだ残されたままで
未だに帰還できない方々も大勢います。
戻りたいという想いと
戻れないだろうという諦めとが
わたしたちの心を苦しめ、
わたしたちの心を引き裂きます。
懐かしい、故郷の風景が
ひとつ、またひとつと
心に浮かんできます。
 
 

 


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