7月14日第7回総会を開催しました。
記念講演「あれから7年 いま、福島のことばを聴く」齋藤 貢さん(詩人・元小高商業高等学校校長)
福島とつながる種まきプロジェクトネットワークを結成して7年目、とにかく何かをしなくてはならないと立ち上げ、ささやかではあれ福島に目を向け続けました。そして、私たちは7年たった今もやはり福島から目を離せない思いがしています。齋藤 貢さんのお話に、さらにその思いを強くしました。ありがとうございました。
●講演から
「わたしたちは試されている」(『小高商業高等学校ホームページ』2011年5月11日)
教育環境は、決して充分なものではありません。しかも、同じ学校の生徒でありながら、サテライト校毎に別々に分かれて学ばざるを得ません。わたしたちは、学ぶことの意味や仲間であることの意味、こころの絆の強さ等を、今、試されています。この困難とどのように向き合うのか、その知恵を試されているのです。「試練」とは、このわたしたちの現在の姿にほかなりません。
「生きる力を試されている」(『忘れてはならないこと』小高商業高等学校101年目の記録2012年3月1日)
震災から2ヶ月後の5月11日に、わたしたちは学校を再開し、始業式では、「今、わたしたちは、生きる力を、未来の力を、試されているのだから、決して困難にも自分自身にも負けてはならない」のだと話しました。この言葉は、生徒諸君へのエールであるとともに、わたしが自分自身に何度も言い聞かせていた言葉でした。誰がわたしたちを試すのかはわかりません。何のために試すのかもわかりません。なぜほかならぬわたしたちがどうして選ばれたのかも……。しかし、間違いなく、わたしたちが試される場に立たされたのは疑いようのない事実でした。
福島・未来への三カ条(「たらちねクリニック」院長 藤田操さんの言葉)
1、経済的「復興」こそ第一と考え、人々の健康と暮らしを犠牲にせぬこと。
2、「風評」払しょくに名をかり、守るべき子どもたちを危険にさらさぬこと。
3、強いられた苦難と悲しみを、「美談」として売り込まぬこと。
●参加者アンケートから
・フラットに立ち寄っただけですが、良いお話が聴けました。
・よかった。
・中味が濃く、とてもよかったです。
・3、11の当日の様子や今までのことが聞けてよかったです。ありがとうございました。
・試されているなら、負けるわけにはいかないですね。
・年齢や立場によって、それぞれの想いは違い、まだ、たくさんの課題があると感じました。
・震災から7年、記憶がうすれてきた中、お話を伺いほっと安心したこと、まだまだやらなければならない事を再認識できました。ありがとうございました。
・原発被災地の依然として変わらぬ状況を憂うとともに、前半の小高商業の元先生、卒業生のお話にいくばくかの明るさと希望を感じることができました。しかし、両親の出身地福島の復興は遠いですね。気持ちだけは「不屈」で臨みたいものです。
・貴重なお話を聞かせていただき有難うございました。自分ができることは何か、気づける気がします。また参加します。
・国立に住む私が、フクシマから見る意味は「人であること」の破壊を、現状への同化、風化という思考停止を、今強く意識して次の一歩を選ぶこと。私の精神を風化させないという全ての日本人への警鐘!知る機会、考える時間をご提供して頂き、ありがとうございます。
・家でじっくり詩を読み返したいと思います。今、自分の出来る事、やるべき事を見直すきっかけをもらいました。ありがとうございます。
・三重苦の福島は、特に忘れずにいる為に、このような会に感謝します。
・それぞれの現場で、人と人のつながりの大切さをつくっていかれているというのが、とてもよかったです。すこし前に職場で、福島の大熊町の福祉関係の人からお話をきく機会があったもので、生々しくあのころがよみがえってきました。
・なかなか聞けない、リアルな体験の話や想いを聞くことができる、貴重な機会になりました。今日うかがった話、思ったことを日常の生活の中で咀嚼していきたいと思います。関係者の方々、ありがとうございました。
・福島出身のじぶんは、いつもいつも複雑な気持ちで言葉を失う。“小さき声”を聞く、小さい個の力という齋藤さんの言葉が胸を打ちます。
・詩人のことばの何と強く人の心にひびくのでしょう。今日ここで聞けてよかったです。日本全国が明日福島になるかもしれない、日本の情況です。どんどん悪くなっています。
・私たちは試されている、という言葉は、福島の方だけでなく、日本に暮らす私たち一人一人にも投げかけられているように感じました。「夕焼け売り」突き刺さりました。
・何処に居ようと、日々の暮らしの中で、大戦争(災)にも比肩できる福島の原発災害を忘れず、考えつづけ、又真実を求め、事実を明らかにする事の大切さを認識しました。現在進行中(拡大中)であると考えます。
●寄せられた感想文
一昨日土曜日の午後、東京・国立市内で行われた「福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク」主催の講演会へ行ってきました。題して「あの日から7年 いま、福島のことばを聴く」。
講演者は、東日本大震災発生の2011年当時、原発事故のあった福島県浜通りの南相馬市にある県立小高商高で校長であった齋藤貢さん。高校時代より詩作に励み何冊ものの詩集を発表、現在は福島県現代詩人会理事長を務めています。
講演会の前半は、齋藤さんに震災・原発事故発生時に小高商高教諭だった中島裕さん、同校卒業生2名を交えてのトークタイム。被災後の学校の様子を収めた動画を上映し、当時を振り返りました。
同校は震災により校舎を失ったため、相馬東高と福島商高の施設を間借りし、生徒はこの2カ所に分かれて小高商高生としての学校生活を続けたといいます。また、他都道府県へ転居し転校していった生徒もかなりいたため、実際には二分化ではなく、三分化してしまったのです。
震災からふた月後の2011年5月11日、2カ所に分かれた小高商高が始業した日。校長の齋藤さんはネット上で「いま、わたしたちは、未来に向けて生きる力を試されています。だから負けられません」と、離れた地の教室で高校生活をスタートする生徒たちにエールを贈ったとのことでした。
後半は、齋藤さん単独による講演会となりました。
はじめに齋藤さんは、「福島については、いろいろな人が、いろいろな立場で語っています、立場によって言うことは変わる。では、わたし自身はどういう立場に立って語るのか。これは簡単なようで難しい問題でした」と、話を切り出しました。
自分はいったい、どのような立場で原発事故後の福島を人びとに語るべきか?
その問いに対する答えは、原発事故被災者を描いた作品『チェルノブイリの祈り』でノーベル文学賞を受賞したベラルーシ在住の作家・スヴェトラーナ・アレクシェービッチさんが2016年に来日し、福島を訪問した際に案内役を務めたことで明らかになった、と斎藤さんは話を続けます。
アレクシェービッチさんは「依るべきところのない小さな言葉を聞いて回ること」と自身の考えを示したといいます。思ったことは躊躇せずに行動する。真実が何であるかを追求していく強い意志をもつ。強く大きなものに対しても怖がらず、小さな個の力で立ち向かっていく。
さらに、「原発事故は新しい経験なのだから、言葉ではなく、現実に向き合うことです」というアレクシェービッチさんの言葉から、自分のとるべき立場を思い知らされたというエピソードは、とても意味深い内容でした。
齋藤さんは「カタカナの“フクシマ”はいやだけど、“フクシマ”を忘れてはいけない」と唱えます。避難区域は解除したから早く帰還せよと政治家や役人たちは声高に叫ぶ。軽薄に飛び交った「絆」「希望」「がんばろう」などの言葉は、ときに凶器となる。非日常が年月を経て日常となり、風化が進む。これらすべてが恐怖であり、あの日から7年を経過したフクシマの現実であると訴えました。
詩人・齋藤貢さんは、作品「夕焼け売り」で、福島がフクシマに変わってしまった町を書いています。最後は自らがこの詩を朗読して、講演会は終了となりました。
以下に「夕焼け売り」の最初の一連を記します。以下は画像でご覧いただけたら幸いです。
夕焼け売り 齋藤 貢
この町では
もう夕焼けを
眺めるひとは、いなくなってしまった。
人が住めなくなって
既に五年余り。
あの日。
突然の恐怖に襲われて
いのちの重さが、天秤にかけられた。
以上です。
長谷川 清(国立市)
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