5月23日(土)
くにたち組は国立駅のホームに6:00集合。4:30に起きた人多し。でもよい天気でよかった。
そして7:15東京駅丸ビル脇から、チャーターしたバスで出発!!
なんと運転手さんが前回と同じ方!「またお会いできてうれしい!」とお互いに。
最初のサービスエリアで、トイレ休憩
さあ、今日のメインイベント、現地のガイドさんから富岡町周辺を案内してもらう。「道の駅よつくら」でガイドさんと待ち合わせ。
よつくら港
「ふたば商工株式会社」の田中美奈子さん。ご自身も自分の家はあっても住めない地域なので、帰れない、その思いをこめながら、福島の現実をしっかりと語ってくださいました。
立派な 復興公営住宅 原発事故後東京に電気を供給するために火力発電所(煙突)が頑張る。そしてフレコンパックの山
畑は「手入れされた」草がたくさん生えている。
楢葉町役場のある場所「エネルギー福祉都市」と看板がたっている。 ここでお昼。除染や土木作業員の方たちの食事処。
あちこちにフレコンパックの山がある。 整備された作物を創れない畑。 広大な廃棄物焼却場
周辺にはての付けられない建物や車が残っている。そしてフレコンパックの山、山、山・・・・!
これは同じ写真ではありません。次々にとっていったのです。どこまで続くのかと思ったほどでした。
片付いていても人気のないまち。
気になる人には、靴カバーとマスクが配られます。これは帰るときには返します。持ち帰り禁止!富岡駅前で案内してくださる田中さん。
富岡駅はホームもレールも撤去され、あとかたはありません。向こうに海と作業場とフレコンが見えるだけ。壊れたホテルは別の場所で再開したそうです!
ここで亡くなった方たちの慰霊碑。モニタリングポストは0.3を示していました。
ここはお弁当やさんだったお家。家と厨房をその日のままで公開してくださっているそうです。2011年3月のカレンダーがそのまま貼ってありました。
このお弁当やさんは別の場所で再開しているそうです。生々しい現場でした。
この後は、パトカーで巡回中に亡くなった2名の警察官の追悼のために、ぐしゃぐしゃになってしまったパトカーを保存してある公園に行きました。
パトカーの面影もない残骸。1名の方はいまだみつかっておらず、その方のご家族へのメッセージポストが設置されています。
あ
そこから先へはいけない帰還困難区域の境目。
片づけた後にはフレコンパック。建物もべニアでかこわれていても、それ以上にはてがつけられない。
いのししが暴れまわる、その足跡が一面にある。そして、原発が見える。 このあたりは風光明美な海岸線で観光地だったとのこと。そして原発が見える。
みんながあっけにとられた除染の様子。普通の恰好にゼッケンだけつけてデッキブラシで洗う除染にびっくり!!ただの塀のお掃除と変わらない。
この後は「夜ノ森桜通り」の桜の木のトンネルをくぐり、田中さんのお家(まだ帰れない)の脇をとおり、最後は田中さんが「富岡町の唄」という情景豊かな故郷の唄をうたってくださり、感慨深い視察を終えました。
田中さんは「もう前向きに生きたい」と力強く方ってくださいました。
以上。1日目の報告でした。
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