El Cielo Azul de YOKOHAMA

青い空 白い雲 どこまでどこまで続く
僕の夢は高く 雲を越えてゆくよ

世界で一番 BONNIE YOKOHAMA

早川知伸・天国と地獄

2004-10-02 | 1.横浜トップ
先程まで早川選手ファミリーと一緒にいた。
私の記憶では、順大時代の超攻撃的な10番。
殆どの得点に絡み、ゴールし、守備はしない印象があった。
大量得点もよく記録していた。
「浦和3年目では守備もやりました。」
「高校ではボランチでした。伸二が入って来たので、一列後ろに下がったんですけどね。」
だから、守備も大丈夫ですと話していた。

「横浜に移籍する時、タキさんが色々考えてくれました。」
「守備で誘ってくれたんです。」
「だから、守備で使われても不満はありません。」

しかし、彼はやはり攻撃の選手だね。
第一回ツィード大作戦の時、早川は前線に上がった。
早川のパワープレーはあれ1回きりだが、とても楽しかったそうだ。
シュートも放ち、やりがいがあったとのこと。
ただ、戻るタイミングが難しいとこぼしていた。

彼が攻撃的な選手だということを周りはどの位い理解してるのかな?
せめて流れの中でいいから、ハヤを前線に上げてみて欲しい。

話は、彼の運命の試合に及んだ。
私も覚えてる。
たった一度のJ1出場記録。
2001年国立霞ヶ丘で行われた鹿島戦。
サイドのMFとして先発出場し、鹿島を翻弄し絶賛された試合。
当時は延長があった。
ハヤは初出場だし、目一杯やれた。しかし、90分の最後に違和感を感じたそうだ。延長戦の休憩時にフラビオコーチにそれを訴えた。しかし、フラビオは「とにかく頑張れ」と精神論で返したそうだ。
そして延長戦早々の靱帯故障につながる。
テレビ放映はハヤが大活躍した90分まで、1-1で放送は終了。
それを見た順大などの友達、関係者から祝福の電話が多数来たそうだ。
しかし、その時は既に延長で靱帯をやったあと。
「祝福の電話がとても悲しかったです。」と話していた。

治療について色々話し合ったが、最終的には手術しない事を選択。
足の付け根から下まで石膏で固める生活。
石膏を取ると、ガリガリに痩せた足に衝撃を受けたとのこと。

あの試合の延長前の交替直訴。
その受傷後の治療法、メスを入れること。
もし、違う選択をしていれば、どうだったかなと考えるそうだ。

ただ、今は現実を受け止め、与えられた役割を精一杯果たそうと努力してる。
つい「頑張れ!」と声を掛けたくなる選手だ。

さらに、夢の島のハーフタイムでの交替理由、試合後のリティの怒り、もと同僚・同点弾の田畑のコメント、清水商時代の能活のバレンタインデー、後輩・小野伸二、横浜の練習場、しんよこFPの人工芝の負担、元沼地・大原練習場での福田の怪我、ユニを各自で洗濯すること、奥さんとの馴れ初め、子供のこと。

楽しい話をたっぷり聞くことが出来ました。

たった94分間で「天国と地獄」を経験した男。
早川知伸選手から目が離せない。

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