幼い頃より絵が少しばかり上手であったので看板屋の職人になった。
長い職人生活の中で絵を描く仕事は数えるほどしかなかった。
世はまさに高度成長期で連日連夜、残業、休日出勤で自然と劇画から離れていった。
それは結婚してからもそうで、身体の中から劇画が消えていった。
1998年に敬愛する黒澤明監督が亡くなった。
そういえば中学の時に用心棒を劇画化したいなと思っていた事を思い出した。
最初で最後と用心棒を描き上げたが、なぜかその後も細々と描いている。
プロを目指しているのですかと、よく問われるが、その様な気など毛頭ないのだが否定はしない。それどころか最近では漫画家を目指していますとホラを吹いている。
でも正直こんなにツラい事を職業にしたくないというのが本音だ。こんなに手間のかかる事で営利が伴い〆切があるなんて考えただけでも胃が痛くなる。
口の悪い知人がマスターベーションが好きだなと言われた事がある。たしかに自慰行為だが気持ち良いわけではないのだ。
絵を描くという事が好きだというのが自分の宝物だ。他人から見て石ころの様なものでも大事にポケットにしまって歩いている。

長い職人生活の中で絵を描く仕事は数えるほどしかなかった。
世はまさに高度成長期で連日連夜、残業、休日出勤で自然と劇画から離れていった。
それは結婚してからもそうで、身体の中から劇画が消えていった。
1998年に敬愛する黒澤明監督が亡くなった。
そういえば中学の時に用心棒を劇画化したいなと思っていた事を思い出した。
最初で最後と用心棒を描き上げたが、なぜかその後も細々と描いている。
プロを目指しているのですかと、よく問われるが、その様な気など毛頭ないのだが否定はしない。それどころか最近では漫画家を目指していますとホラを吹いている。
でも正直こんなにツラい事を職業にしたくないというのが本音だ。こんなに手間のかかる事で営利が伴い〆切があるなんて考えただけでも胃が痛くなる。
口の悪い知人がマスターベーションが好きだなと言われた事がある。たしかに自慰行為だが気持ち良いわけではないのだ。
絵を描くという事が好きだというのが自分の宝物だ。他人から見て石ころの様なものでも大事にポケットにしまって歩いている。

