むかし、看板屋の職人ですというと、決まって人は映画の看板を描いているのですか、と聞いてくる。映画の看板はやった事がないのです、と答えると少し残念な顔を皆さんされる。
映画の看板屋さんに手伝いに行った事はあるが、そこでは絵など当然描かせてくれるわけでもなく、スティーブ・マックィーンとかジェーン・フォンダとかを筆で角ゴシック体で書いてきただけだ。
映画の看板描きも高度な技術を要するわけで当時若輩の身の上では手の届くものではなかった。だからといってあの様に描けるようになりたいとも思わなかった。
それは今もそうで、こうしてディフォルムしてイラスト風に描くのが好きである。写真を見たりモデルを見ながらの写実風に描いてみたいとは一向に思わない偏った考えの持ち主である。
不思議なもので子供の頃から美術の範疇ではどちらかというと下手な絵の人の物が好きだった。下手というと語弊があるが、ようは写実的な絵から、かけ離れたものが好きだったという事である。
絵は最初は肉筆で、その後はMacでアドビのフォトショップで処理してのちにイラストレーターでテキストを配置した。楽しい時代になったものである。最高のオモチャで楽しいのだ。
このオモチャ、大変高価なものなのだが、会社や個人から譲り受けた物が殆どで何十年も使っている。もしかしたら自分よりも長生きするかも知れない、いやな予感である。

映画の看板屋さんに手伝いに行った事はあるが、そこでは絵など当然描かせてくれるわけでもなく、スティーブ・マックィーンとかジェーン・フォンダとかを筆で角ゴシック体で書いてきただけだ。
映画の看板描きも高度な技術を要するわけで当時若輩の身の上では手の届くものではなかった。だからといってあの様に描けるようになりたいとも思わなかった。
それは今もそうで、こうしてディフォルムしてイラスト風に描くのが好きである。写真を見たりモデルを見ながらの写実風に描いてみたいとは一向に思わない偏った考えの持ち主である。
不思議なもので子供の頃から美術の範疇ではどちらかというと下手な絵の人の物が好きだった。下手というと語弊があるが、ようは写実的な絵から、かけ離れたものが好きだったという事である。
絵は最初は肉筆で、その後はMacでアドビのフォトショップで処理してのちにイラストレーターでテキストを配置した。楽しい時代になったものである。最高のオモチャで楽しいのだ。
このオモチャ、大変高価なものなのだが、会社や個人から譲り受けた物が殆どで何十年も使っている。もしかしたら自分よりも長生きするかも知れない、いやな予感である。
