Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

1945年8月6日、9日

2007年08月06日 | ブログ

原爆が投下されて62年。ボクは戦争も知らないし、原爆のことも詳しくは知らない。ただ、中学のときに学校で広島、長崎の人々に千羽鶴を毎年折って学校単位で送っていたことは憶えている。そして、夏休みになれば毎年、ギャラリーにて写真展示がしてあり、学校から強制的に見学にいった記憶はある。マンガの「はだしのゲン」も学校からの紹介で読んだ覚えがある。

 

中学で千羽鶴を折っていたが、うまく折れず、苦手で女子に頼み込んで自分の分も折ってもらっていたのだが・・・。このときの3年間で教えてもらったことは心に残っており、この時期になると思い出す。教育って子供にとってはやはり影響があると思う。このときはあまり真面目に考えていなかったが、自分の心の中のどこかに残っていて、原爆投下の日は毎年思い出す。アメリカの教科書には「原爆投下は戦争を終結させるためには最良の手段だった。」などと書いてあるそうだが、とんでもないことだ。しかし、これも教える立場の人の教え方によってかなりかわるそうだが・・・。

 

ボクは一応、原爆の被害等、原爆についての教育を受けた。そうはいっても、その後、なにもしていないのでなにも考えていないことと同じだと思う。これは時間をとって一度しっかり考えないといけないと思っている。自分の子供にもそれを伝えたいと思う。そういう気持ちもあるので、例えば原子力発電所などに関しては嫌悪感を憶える。やはり恐さが頭をよぎる。リアルには経験していないが写真や映像を通して知った原子力の恐ろしさなどが、心に引っかかるのである。

 

まだまだ原爆で苦しんでいる人々が多くいる。しかし、高齢化してきて、原爆投下から62年も経ってだんだん風化されていく可能性もある。こういうことは語り次がれていかないといけないと思う。そのためには日本人として自分ももっと深く事実を知っておかないといけないと思う。


目薬

2007年08月06日 | ブログ

P506ic0024969467 そうだったのだ!「メバチコ」というのは世間一般でいう「ものもらい」だったのだ。ついでにいうと結膜炎は「はやり目」だった~。日頃使わない言葉というのはすぐに記憶の奥のほうにしまわれてしまう。「ものもらい」とは何をどこからもらったのだろうとたわいもないことを思いながら、今日やっと薬屋にいって目薬を買ってきた。とてもわかりやすい、自己主張している箱に入った目薬。取合えず、店の人に進められたので買うことにした。しかし、どうやらこれしか売っていなかったような気がする。

 

店の人に目を指差し、これなんですよ、というとコレコレといわれた。なにか職業的なものですか~といわれたのだが、「ものもらい」になる職業とはどんな職業だろうと思いながら、そんな職業の人に見えるのだろうかと思いいながら、前の人には何も聞かなかったのに~と一瞬にして思いながら、ふにゃふにゃと言って誤魔化した。

 

なぜ、今日買うことになったかというと、なんと目が腫れているところのマツゲがなくなっていたのを発見したのだ。マツゲがなくなったので埃などが入って目が腫れたのか、目が腫れてこすったからマツゲがなくなったのか、わからないのだが~とにかくなくなっていたので何かしないといけないという結論に達し、ようやく目薬を買うことになった。ひょっとしたら、初めからなかったのかも知れないが、そんなに自分のマツゲなどしげしげと見たことないのでわからないのだ。「ものもらい」なのに(はやり目じゃあないのに)目の前の人が同じように「ものもらい」の目薬を買っていった。はやっているのか?それじゃあ、はやり目のほうのネーミングがあっているのでは?と思ったが、はやり目は人にうつるから「はやり目」だったように思う。持続性抗菌剤が入っている目薬は1日3~6回、気が付けば目薬をささないといけないペースで点眼するのだ。

 

「ものもらい」についての注意というところを読んでみると~。

・・・ものもらいは体質的に起こりやすい場合があります。過労や睡眠不足など体力が低下しているときに起こりやすいので、なるべく無理せず睡眠も十分とるように心がけてください。

 

心がける?「ものもらい」には、そこまで気を使わなくてはならないのか~。この注意事項全てがあてはまっているような気がする。やっぱり疲れている信号を体の一部を利用して教えてくれたのね。もう少ししたら盆なので・・・それまでの辛抱。

 

デジカメくん、やはり入院が必要と判断された。しかし、盆休みをはさむので見積もりが出るのが20日ぐらいとか。遅すぎるではないですか。少しへこむ。