ケンチク的視点-2
18歳になったばかりの3月に高校を卒業し、4月には、希望に満ち溢れた気持ちで専門学校に入学しました。
ケンチクのことなど何一つわからず教えられることをとにかくやるだけの日々が過ぎました。
当時、設計というのは2種類あって、設計製図Ⅰ、Ⅱとあり、考える設計というは設計製図Ⅰになります。
設計製図Ⅱというのは所謂、製図を書くというものです。設計製図Ⅱはどうも苦手で評価は普通という感じでした。
しかしなぜか設計製図Ⅰは最初の課題から評価が良かったのです。
忘れもしませんが設計製図Ⅰの最初の課題は「自分自身のための空間」というもので図面と模型を作成するという課題でした。...
提出した時、なぜか評価が高かったのです。
当時の評価は松竹梅での評価でM(松)T(竹)U(梅)で松の手前はDMで(ダメ松)という感じで
松竹梅の中でも細かに評価されてました。そしてその初めての課題でなぜか松の評価をもらいそれが自分自身での
2年間のモチベーションにつながりました。
書く方はそこそこでも発想はいいものがあるのだと。自分自身でそんな勘違いをすることになりました。
その評価をしていただいた先生がT先生でその後、いろいろとお世話になることになります。
ざっと当時の専門学校の状況を言っておきますと、1学年はA~Hまでの8クラスくらいあり、1クラスが約40人、300人以上が
1学年という感じでした。そしてその当時、そのまま卒業できるのは100人くらい、約1/3ぐらいという、ある意味スパルタ的な感じの学校でした。
若者が少なくなった、今では考えられないことですが、当時はそれが普通でした。
そんな中、入学した時、クラスを見渡してびっくりしたのは、高校の先輩が二人いたことです。
一人はサッカー部の先輩で進学できずに同級になった方と、野球部の方で浪人して大学をあきらめで専門学校に入ってきた方です。
お互い高校の時に面識があったので挨拶は、しましたが、後にべったり2年間様々なところでかかわりあうことになります。
他にも今だに悪友?と思われる友人に出会うことになります。そんな濃い2年間を過ごすのですが、その辺りは次回にお話しします。
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