専門学校で2年間建築をケンチクを学ぶことになったのですが、実は現在、この学校の非常勤講師をしています。
まあ、部分的にしか知らないのですが、昔と今では大違いですね。今はやっぱり丁寧に教えてファカルティなど
学生から各科目のアンケートをとったりします。その評価をみてどうこう思いませんが、そんな時代になったんだなぁ~と思います。
さて続きの学生生活ですが、授業料は親に払ってもらいましたが、学校への交通費、課題の材料代等は全て自分で用意しました。
高校3年のサッカー部を引退してから新聞配達をしていて、専門学校の2年間も引続きやっていました。
そのお金で、小遣いも含め自分で都合をつけていました。こんな風に書くと苦学生みたいですが、そんなことはなく、
朝の2時間くらい少々眠いだけで苦にはなりませんでした。授業料出してもらっただけで親に感謝でした。
下に3人の兄弟がいたのでお金かかるやろな~と思ってましたので...
さて、学生時代ですが、はっきり言って真面目に不真面目でした、いや、不真面目に真面目かな。2年間でとれる単位の内、
2単位(1教科)以外はすべて取りました。1年の前期の試験が終わったとき、壁に貼りだされた試験結果をみてサッカー部の
先輩から教えろと声がかかり、以後、自宅へ勉強を教えに行くことになります。その時はたまに野球部の先輩も一緒に。。。
それだけならいいのですが、試験前にはノートをとっていないのでH君のノートのコピーを取りまくり(自分の分も含めて3人分・・・)、
先輩が授業も出ずに雀荘に行っているので勉強の時間なので呼びに行き、課題が出たら先輩ができないので仕方なく、
先輩の分までやり、ほとんどの課題は2人分以上やったと思います。さすがに卒業できた時は「おまえのおかげや。ありがとう。」
と言われましたが、まあ、どうにかなったので、良かったかなと思います。
何となく課題に追われた2年間という感じでした。その中でも講師の先生の実務的なことには非常に興味があり、影響されました。
こんな建物がある、みてみた方がいい、など言われ、H君と一緒に車で東京へ建物見学に行ったのも専門学校時代です。
本当に初めての首都東京で初めての新県築(最新の建築を紹介する有名書籍)の建物を観て感動し、「こんなんが出来るんやぁ~」
という驚きと感動と興奮で帰って来たのを覚えています。勝手に入って警備員の人に怒られたりしましたが。。。
これは建築を目指す人は必ず通る検問かと(笑)
そして学生時代のメインイベントのである卒業設計に没頭していくことになります。
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