愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

高杉晋作が目撃した支那

2017-07-04 13:17:22 | 真実を知る

「高杉晋作が目撃した支那」 

 前回に続き、「支那人の卑史 朝鮮人の痴史」より、 P79~82より抜粋

著書 黒木頼景(くろきよりかげ) 成甲書房

 

徳川家による文治政策の下で暮らしていた武士は、『禮記(らいき)』や

『春秋左氏傳(じんじゅうさしでん)』、『資治通鑑(しじつうがん)』などの夥しい

漢籍を読んでいたが、生身の支那人と交流することがなかったため、

支那人の本性について実感がなかった。

そんな武士も幕末の動乱で海外渡航をするようになり、骨と肉を持つ実際の

支那人と接触することができた。

支那人と邂逅した日本人として有名なのは、停滞する清朝支那に赴いた

高杉晋作たちだろう。文久ニ(1862)年、高杉は幕府が募集した上海視察団に

萩藩代表として参加し、薩摩藩士の五代友厚らとともに清国へ旅立った。

視察団一行が訪れた上海の市街地は思いのほか汚く、清潔を旨とする日本人だと

言葉が出ない。道端の至るところに塵や糞が堆積し、足の踏み場もないのに、

誰もこれを掃除しようとはしなかった。炎天下に曝された糞尿は異臭を放ち、

隣国の事情を偵察に来た日本人には、清国の政治がいかに乱れているかが

分かったという。

 

 2013年には、上海の黄浦江で豚の死骸が六千頭も漂流しているのが

発見されたという。これは支那の畜産業者が疫病で死んだ豚を川に投棄した

ことによるものだ。

 

悠久の歴史を偲ばせる揚子江(長江)は、昔から鼻が曲がるほど臭くて汚かった。

高杉たちの一行は、どこを見ても飽きなかった。黄浦江の濁流は印象的で、

犬、馬、豚、羊なもとより人間の遺体まで河に投げ込まれていたから、

腐乱死体が浮いていたという。その当時の上海では、コレラが流行していて、

支那人たちは治療を受けられなかった。難民の中には飢餓に堪えきれす

死に至る者までいたという。

コレラに罹って死亡する者があまりにも多すぎて、遺体を埋葬することも

出来ないから、死体を次々と河に投げ捨てたそうだ。

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日本人の一行は旅館でこのような水を飲んだせいで、病気に成ってしまい、

炎天下の中で、碩太郎、伝助、紋蔵の三名が死亡したという。

 

支那語を喋ることが不得意な日本人でも、漢字だけは一通り習得していたから、

支那の知識人とは筆談ができた。

視察団の武士が上海に滞在中、施渭南(しいなん)という支那人がやって来たので、

記念のため扇子に漢詩を書いてもらったそうだ。

この支那人は詩の中で「貢納(こうのう)」とか「蠻王(ばんおう)」云々と言う文字を

挟んでいた。すると、それを読んだ会津藩士の林三郎が烈火のごとく怒り、

その扇を投げ棄てるや、

  「我が神国の天皇は万古一系で革命が無く万邦に比類無きものなり。

  汝等の北虜王の類いではない。この腐った儒者め、無礼であるぞ!」

怒鳴りつけた。

これに戦(おのの)いた施渭南は、釈明する間もなくひれ伏し、ひたすら謝罪をして、

その失礼な句を削り取ることにした。後日、視察団の誰かが彼の素性を調べたところ、

この施渭南は、北京の学校に勤めている有名な教師であったという。

 

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この視察団、その会津藩士の林三郎の言動は立派であります。

武士として言うべきことはハッキリ言うという精神。日本人としてのフライド、

今こそこの大和魂を取り戻さねばならないと思います。 

 

 

 


支那贔屓(ひいき)の“手支那〟

2017-06-28 16:59:36 | 真実を知る

那贔屓(ひいき)の“手支那〟  其の①

最近特に日本人の多くが本当に目覚めなければ、日本国が無くなってしまう

かもしれないという危機感を抱いています。

無くなるということは、中国=支那、朝鮮に蹂躙され万世一系の日本の

国体(国魂)がなくなってしまうということです。

似非日本人が跋扈することになる。

その重要なことに本当に気づいて、出来ることを行動にしていくことが

大切だと思います。

さしあたって都民であれば都政選挙に投票することです。

 

最近書店で下記の書籍が目に留まりました。まだ読み始めたばかりですが、

P82の抜粋をご紹介させていただきます。

「支那人の卑史 朝鮮人の痴史」著者 黒木頼景(くろきよりかげ) 成甲書房

 

其の①

支那贔屓(ひいき)の“手支那〟

支那について学んでいるのに、支那人を全く理解できない日本人、といえば

外務省の官僚が真っ先に思い浮かぶ。

支那担当のアジア大洋州局には、チャイナ・スクールの外交官が

蟠踞(ばんきょ)しており、日本の国益よりも、支那の国益を優先する

売国奴が多い。

ちょっと思い出しただけでも、中江要介や槇田邦彦、浅井基文などの

官僚を口にできるし、政治家なら自民党の加藤紘一や二階俊博、

河野洋平、そして天皇陛下を江沢民に売り飛ばした宮澤喜一などを

列挙できる。我が国の外務省は北京政府の霞が関支店のようなものだ。

外務省から支那へ派遣される大使たちは、「吾が輩は難関の外務官試験に

合格した特命全権大使である」、と自惚れているが、真剣に日本の歴史を

学んだことはないし、支那社会の実態を研究したこともない。

「キャリア官僚」という肩書きだけが唯一の勲章である日本の外交官は、

愚者を扱うのが上手な支那役人に赤絨毯で歓迎されれば大喜び。

接待が得意な支那人は、美女をあてがうのも忘れない。

こうしたお膳立てを受けた上に、満漢全席をご馳走になったら、

誰でも「日中友好」を唱えたくなる。しかも、支那に籠絡された政治家と

連(つる)めば、高給と恩給が保証され、天下り先も確保されるから安泰だ。

支那人への戦争謝罪なんかいくらだって口にできる。

どうせ、国民の税金を献上するだけだから、公務員の共済年金が

減るわけじゃない。足りなければ国債を発行するだけだ。

波風を立てるより、相手の面子(メンツ)を立てたほうが良い。

外務省の大使や領事にとって、日本の名誉は一文の得にもならないから、

弊履(へいり)よりも粗末に扱うことができる。

これが勅任官僚の正体だ。

外務省の役人は、事務次官から局長や課長まで、たいていの者が

支那贔屓(びいき)に傾いている。

チャンコロ屋の外交官は多く、その中の一人堀内干城(ほりうちたてき)

(1889~1951)も酷かった。

 

~続く~


アムステル元市長の言葉(光芒)

2017-05-26 14:55:13 | 真実を知る

アムステル元市長の言葉(光芒)

 最近ビデオを観て、また新しい真実に触れました。

日本人は特に、直近の戦争の真実を知る必要があると思います。

これまでGHQやマスコミ等により洗脳、ねつ造がされてきています。

今こそ真実を知る時です。洗脳から目覚め、自身の力で歩み出す時がきています。

 

このビデオは、平成三年、日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、

市長主催の親善パーティでのエドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)

アムステルダム市長(後の内務大臣)の歓迎挨拶を、憲兵少尉の

シベリア抑留経験者、溝口平二郎(平成9年3月14日逝去)が録画していたのを、

後に、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が文章に起こし、

平成6(1994)年3月24日作成したのが、下記である。

 

https://youtu.be/Dx-BBg0AgP4?t=12