愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

「日の丸の旗」

2016-12-31 20:33:06 | 日本の文化

「日の丸の旗」

中サイズの日本の国旗

 

今年もまもなく新しい年へと切り替わろうとしています。

またまた時間が短くなってあっという間の一年でした。

年賀状をやっと書き上げ、少しでも早く届くようにと駅前のポストへ歩いていき

ました。ついでにコンビニで足りないハガキを購入しました。


街中を過ぎ住宅街を歩いていきます。さすが31日は昼間でも人や車も

少なかったし、空気が澄んでいましたが、夜中の住宅街はなおさらです。

歩いていて今年も思う事は、祝祭日に各住宅の玄関に日の丸の旗が

あまり見かけなくなったことです。

きれいに整備された家々なのに、注連縄は飾ってあっても日章旗を捧げて

あるお宅が少ないと感じます。

場所柄でしょうか、テレビの映像でも昔より少なくなったように感じます。

日本の唯一の国旗ですが皆さん意識が変わってきているのでしょう。

学校や家庭の教育の問題でもあるしよう。

それでもオリンピックでは、日の丸を意識して戦っておられます。

日の丸の旗があるのと無いのとでは応援するのもされるのも随分違って

きます。

いつも感心するのは、スケートの羽生結弦選手が金メダルを取って、

日の丸の掲揚のとき、いつも口をしっかり開けて君が代を歌っていることです。

日本人としての誇りをしっかりもっていることが感じられ嬉しいです。

  

新しい年度を迎え、家の内外をお掃除したら門松と一緒に国旗を捧げたら

いいのにと思います。

家の前の掃除や車を洗っている人をよく見かけますが、サッパリしたもの

です。

お供え餅やおせち料理をいただく前にすることがあるでしょう、といつも

思います。

八百万の神様がいる日の本に住んでいる日本人は、お正月には

年神様をお迎えするのです。そんな意識で元旦を気持ちよくお迎えましょう。


神社にはお願いごとではなく、生かされていることの感謝を

捧げましょう。





養浩館庭園へ

2016-11-25 18:49:48 | 日本の文化

 養浩館庭園

 今月上旬、福井県福井市へ宿泊した最終日、時間が余ったので観光案内所のお勧めで名勝 養浩館(旧御泉水屋敷)庭園へ行ってきました。

初めて聞いた名前だったのですが、とても行って良かったです。

かなり有名な由緒ある庭園であることが分かりました。

沿革

養浩館庭園(ようこうかんていえん)は福井県福井市宝永3丁目に所在する日本庭園。

国の名勝に指定されている。

福井藩主松平家の別邸で、江戸時代には「御泉水屋敷(おせんすいやしき)」と称され

ていた。

 「養浩館」の名称は、明治時代から用いられるようになった。

ここは、福井城本丸より北約400mに位置し、外濠に接した要地にあたる。

養浩館庭園は、その高い芸術性や数寄屋造りの庭園建物等によって江戸中期を代表

する名園の一つとして広く知られ、学術的にも高い評価を受けていた。

「良く旧態を残した優秀な庭園である」として、昭和57年に国の名勝に指定された。

 

 

まず始めの写真は、きれいに撮れているウィキペディアより

  養浩館西門

 

  庭園

 

  庭園

 

 櫛形ノ間 

 

 福井市ホームページより抜粋

 養浩館庭園の魅力があふれるプロモーション映像をYoutubeで公開しています。

養浩館庭園の様子

日々の様子をTwitter(新しいウインドウが開きます)で発信しています。

また、見どころなどをfacebook(新しいウインドウが開きます)で紹介しています。

養浩館庭園公式HP(新しいウインドウが開きます)もございます。

春の養浩館庭園

 

ヤマザクラや新緑、ウグイスの声が心地よいです。

夏の養浩館庭園

 

5月のタニウツギやカキツバタ、6月の花菖蒲、7・8月の涼風をお楽しみください。

秋の養浩館庭園

 

紅葉と澄んだ空気がすばらしい景色をつくりだします。

冬の養浩館庭園

 

雪景色が似合います。

 Facebook0

 

私が撮ってきた下手な写真でご紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

  

 

 いろんなお部屋がありましたが、お湯殿が初めて見る珍しいものでした。

 

 今頃は紅葉でこんな景色 外でお茶が飲めます。

View image on Twitter

 

 


平泉寺白山神社へ

2016-11-23 07:52:50 | 日本の文化

 平泉寺白山神社

今月上旬に白山比咩神社へ二度目の参拝をし、翌日初めて 平泉寺白山神社

へ行ってまいりました。(福井県勝山市)

理屈はともかくその空気に触れてみようと思っていました。

 写真で苔むす境内の素晴らしさに魅かれ、いつかは行こうと思っていましたが

やっと目の当たりにし感動でいっぱいでした。

 

平泉寺は、霊峰白山(標高2702m)の越前側登拝口に開かれた白山信仰の

拠点寺院で、今から1300年近く前、泰澄によって開かれたと伝えられます。

中世には北陸でも有数の勢力を有するようになり、現在の白山神社よりも

はるかに広大な境内に、数十の堂や社、数千におよぶ坊院が建ち並んでいた

といわれます。

白山平泉寺旧境内と言われ、現在、参道の石畳、立ち並ぶ杉木立、木陰を

埋める青苔などが美しく、別名「苔寺」と呼ばれています。

 

 精進坂(しょうじんざか)

 

 

  御前峰御本社

白山の主峰である御前峰の神を祀っている場所です。見事な昇り龍と降り龍が軒を支えている現在の建物は、寛政7年(1795年)に、第12代福井藩主の松平重富が寄進したものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

  御手洗池(みたらしいけ) 

717年泰澄が池のかたわらで祈っていると、白山の女神が現れたといわれている。

この池は「平清水(ひらしみず)」「平泉(ひらいずみ)」と呼ばれ、ここを中心に修行者のための宿坊、白山を礼拝する拝殿や寺院が建ち並び発展した。のちに「平泉寺(ひらいずみでら)」と呼ばれるようになり、いつしか音読みになった。

 

当日は、晴れていたとおもったら、雨が降り出し、参拝を終えて外へでたら止んだり、

また降ったりと忙しい日でしたが、お茶屋の奥さんが、この辺りの気候はいつものこと

なのよ、と笑っていました。

 

 

 

 


「霜月・十一月」

2016-11-11 19:54:50 | 日本の文化

「霜月・十一月」

霜が降る月で「霜月」と言われます。

霜月の和風月名:建子月(けんしげつ)、神楽月(かぐらづき)、

神帰月(かみきづき)、霜降月(しもふりづき)、霜見月(しもみづき)、

雪待月(ゆきまちづき)、陽復(ようふく)

十一月は、神無月に出雲に出かけた神様が地元へ戻ってくる月。

今年一年のお礼参りに出かけましょう。

 

 本日11日は一の酉の日です。

酉の市は、東京・浅草の鷲神社や新宿の花園神社など各地で、十一月の

酉の日に行われる祭礼の市が酉の市。最初の酉の日を一の酉,

次を二の酉、その次が三の酉です。

商売繁盛を祈って、「福をかき込む」「福を取り(酉)込む」ということから

熊手、おかめ、入り船などの縁起物の飾りが売られます。

また、話題の人を熊手などに組み入れたりして、見ているだけで楽しいもの

です。

 

この時期は冬至を前に陰の気がますます強くなります。

けれど陰の気は悪いものではなく必要不可欠なもの。

潮の満ち引きでは、満ち潮が陽、引き潮が陰で、月の満ち(陽)欠け(陰)、

昼(陽)と夜(陰)、そして吸って(陽)吐く(陰)ことも、相反する両者がひとつ

になってこそ成り立ちます。

この時期は陰の気のおかげで、一年の実りを迎えた後で静かにゆっくり

本来の自分を取り戻すことのできるときで、静かに気の流れが静まるとき。

今は冬至前で、強い陰の気が悪いものを消して身を守ってくれているとき、

という意識を持ちましょう。

そして生活の中に暖色系のものを取り入れましょう。

昔の人は、病など災厄から身を守る際には「強いもの」を用いました。

代表的な赤は魔除けの色ですし、花嫁さんが金襴緞子の帯を締めるのも

幸せになる強い運気を守るためと言われます。

酉の市は派手な飾り物で運気をかき集め、新藁を束ねて棒状にしたもので

地面をたたく亥の子突きは土地の気を強めるためです。


 

 


『10月26日は『柿の日』

2016-10-26 14:48:03 | 日本の文化

 

「柿の日」

NHKのニュースで柿の日があると、初めて知りました。

奈良県では26日は無料で配られたそうです。

 

奈良県のホームページより

10月26日は『柿の日』

10月26日が「柿の日」に制定されました。
これは、全国の果樹研究会組織で構成する全国果樹研究連合会のカキ部会が、全国柿産地の賛同を得て、全国規模で柿をPRし、消費拡大、販売促進を図ることを目的に制定したものであり、今年の8月に日本記念日協会の認定を受けました。

正岡子規の詠んだ有名な俳句があります。

   柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺


「柿の日」は、子規が明治28年の10月26日からの奈良旅行で、この句を詠んだとされることにちなんでいます。また、柿の出回る時期は地域や品種によって異なりますが、ちょうどこの頃は秋も深まって柿の実も真っ赤に色づき、全国的にも渋柿・甘柿両方が出回る旬の時期でもあります。奈良県の柿産地の西吉野村の若い生産者から発案され、関係者の皆さんと相談して決定されました。

子規は柿が大好物であったようで、たくさんの柿の句を詠んでいます。
先ほどの奈良旅行においても、「柿食へば・・・」のほかに、柿の句が詠まれています。

    柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな
    

    渋柿やあら壁つづく奈良の町


     晩鐘や寺の熟柿の落つる音


    柿赤く稲田みのれり塀の内

子規にとって最後の柿の秋となった明治34年にも、瀕死の床にありながら柿をよく食べていたようです。
    

     カブリツク熟柿ヤ髯を汚シケリ
    

     柿くふも今年ばかりと思ひけり

明治35年9月19日、果物好き、柿好きの子規は、その年の柿を口にすることなく35歳の短い生涯を終えました。

 

 

 柿の木の写真素材02

 

 

柿の栄養

ビタミンA(カロチン)とビタミンC、それにカリウムが豊富。そのカロチンの7~8割はβークリプトキサンチンでこれは癌予防になるとされる機能性成分です。そのビタミンCとタンニンが血液中のアルコール分を外へ排出し、カリウムの利尿作用で、「悪酔いを防止する」「二日酔いには柿が良い」、といわれています。