愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

「九月・長月ながつき」

2016-09-01 17:49:30 | 日本の文化

「九月・長月ながつき

ながつき」の由来は、「夜長月」の略が一般的。他に「稲刈り月」の転訛、

あるいは、九月は長雨の季節なので「長雨月(ながめづき)」を略したという

説もある。

九月といえば重陽の節句(ちょうようのせっく)。

かつては五節句のうちでも最も大切な節句とされ、江戸時代には

最も大事な行事として重視されていました。

外国では新学期の始まりであり、日本でも会社では決算を終え、

人事異動など新たな区切りの季節でもあります。

重陽の節句は、陽数の九が重なっていることから「重陽」といいます。

陽が極みに達すると陰が兆し、陰が極みに達すると陽が萌す、という

考え方を持っていた古代中国では、十は全数で数の頂点ですが、

満ちれば欠ける数とされます。

そして、九を満ちて極まった数として、陽の極数・最高の数と考え、

天の数、天子の数として神聖視しました。


重陽の節句は「菊の節句」ともいわれます。

この季節は、さまざまな色と姿の菊が出揃います。

日本では天武天皇の時代から菊見の宴が催されていました。

平安時代には中国より伝わった菊花の宴が加わり、例年の儀式となって

いったのです。

昔から菊の花には霊力があり、長寿の効果など薬効成分があるとされて

きました。

菊の花を枕に詰める菊枕などはその代表的なもので、邪気を祓い

頭痛を取り、目をスッキリさせるといわれています。

また、似たような習わしに「菊の被綿(きせわた)」があります。

これは、夜のうちに菊の花に綿をかぶせ、翌朝、朝露で濡れた綿で

顔や体を拭うと老衰を防ぐことができるというもの。

とても優雅な習わしですね。

菊に対して仏花などのイメージを抱く人が多いようですが、着物や

あらゆる伝統工芸の文様にも使われてきた菊は日本的な美しさを讃えた

花です。

 

菊家紋は古くから、武士や武家の家紋、店舗の商標として図案化されて

きています。

た、十六八重表菊は天皇および皇室・皇族の紋章です。

俗にいう菊の御紋といわれています。

 

菊の花の美しさを見直して、あらたな日本人の美意識を感じて見る

良い季節です。

 

 


「五月・皐月」

2016-05-01 19:50:56 | 日本の文化

「五月・皐月」

春から始まった新生活の緊張がゆるむことによって生じる五月病。

生活にマンネリ化を感じたり、ストレスを上手に解消できないときでもある五月。

この時は「皐月の力」を借りて乗り切りましょう。

皐月といえば五月五日の端午の節句。この日は菖蒲を飾ったり

菖蒲湯に浸かったりします。

菖蒲は邪気を払い疫病を除くといわれています。

お部屋に菖蒲を飾れば滞った気を浄めてくれます。

また菖蒲湯に浸かれば心身が浄化されます。

そして、四神に四方の守護をお願いする方法があります。

四神とは四方の守護神とされる聖獣です。

青龍=東=青(緑)、朱雀=南=赤、白虎=西=白、玄武=北=黒(紫)

となり、それぞれ象徴する色を持っています。

こいのぼりは正式には四神の枠台に飾られます。

かつて大相撲でも土俵の四方の柱に四色の布が巻かれていました。

今は四方の上方から房が下げられています。

部屋の四方に、四神のそれぞれの色を用いてみましょう。

色紙を貼るだけでも大丈夫。ちょっとした飾りなどインテリア雑貨を使ったり、

お気に入りの花と緑の葉をあしらって、飾ってみるのもいいと思います。

このようにすると空間が守護神に護られて、気が浄化されます。

そのような部屋でゆったり過ごせば、その日の疲れも癒されて、

心も落ち着いてきます。

 

まずは、お掃除された部屋にすることがなにより大事です。

休日に出かけるのも気分転換になりますが、部屋や玄関、ベランダなどの

掃除や、ちょっとした家具の配置換えもいいですね。

気が増し、充実して新しく生まれ変わった気分になります。

 

 

 


「四月・卯月」

2016-04-02 20:22:40 | 日本の文化

「四月・卯月」

四月は年度初めで、いわば生活の新年です。

お正月→立春→年度初めと、新しい気が流れ始める月になります。

年度初めの新しい気、エネルギーを積極的に取り入れましょう。

❀花詣(はなもうで)

=お花見に参りましょう。昔の人は桜が咲くと里から山へ登っていって、

桜の木の下で宴を開きました。そして、はらはらと散る花びらを盃に受け、

それを飲むことによって桜の神聖な力と春の生命力をいただいたようです。

 

花見といえば、豊臣秀吉が一世一代の豪華さを誇った京都の「醍醐の花見」が

有名です。

 

      

 

卯月の「卯」という字には「茂る」という意味があります。

草木が盛んに茂り始める時期にふさわしい呼称です。

卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したものというのが定説

ですが、逆に卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだという説もあります。

また、十二支の4番目が卯であることから「卯月」とする説もあり。

          

新緑の木々、新しい芽吹きと花々の香り、思いっ切り深呼吸をして

風の和らぎを全身に受けてみましょう。

雑草にも土からのエネルギーがいっぱいです。目を向けてみると良いと

思います。疲れた心もほぐれることでしょう。

また、あふれる生命力を存分に吸収するには、ピクニックでお弁当に

旬の食材を取り入れれば、食事からも春のパワーが吸収できます。


 

 


「春分の日」

2016-03-18 20:31:57 | 日本の文化

「春分」(仲春)

新暦3月21日頃 旧暦二月中気

春分(しゅんぶん)は、昼と夜の長さがほぼ同じになる日、太陽が真東から昇り

真西に沈む日です。

天文学的には、太陽が黄経〇度の点(春分点)を通過する日です。

一年を約90日ずつ4つに分ける「二至ニ分」(にしにぶん)のなかでも

最も重要なポイント、一年を一日に例えた時の、「日の出」に当たるのが

この「春分」です。

「春分」は、世界中の太陽信仰の原点で、日本では「新年度」の起点に

あたります。

西暦では、一月一日の元旦で年が変わりますが、学校も会社も官公庁も

実質的には「年度」切り替えで、新学年、人事異動、決算などは春分近くで

行われます。

日本人は桜が咲く季節とともに、始まりの感覚を覚えますが、いにしえより

太陽を中心とした時の記憶がDNAに刻まれているようです。

一年の始まりである春分の日に、太陽の光をじかに浴びる「御来光(日の出)」

を見ることは、古い思いをリセットし、始まりのスイッチをONにする良い日に

なるでしょう。

※現在は太陽の光が強いので、直接見ると目を傷めますのでなるべく

朝八時前が良いようです。

 

また春分の日は、お彼岸の中日でもあります。

この日はご先祖さま(遺伝子の集合体)に感謝の言霊を出しましょう。

先祖を癒す気持ちは、見えない大地の精霊を癒すことにも繋がるようです。

お墓が無い人や、墓参りに行けない人は、自宅から先祖に感謝を送りましょう。

 

 

 


建国記念日

2016-02-10 23:10:43 | 日本の文化

「建国記念の日」

建国記念日とは、初代天皇である神武天皇が即位された日です。

2月11日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日

法律第178号)第2条は、建国記念の日の趣旨について、

「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定しています。

1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、

翌1967年(昭和42年)2月11日から適用されました。

 

 

元々は、初代天皇の神武天皇即位した日

日本を建国した日」として、1872に祝日として制定されました。

神武天皇が即位した日の129を祝日としました。

翌1873年に、即位した日を「紀元節」と命名し、

あらためて、太陽暦の211を祝日としたのが、元々の始まりです。

 

なぜ建国記念日ではなく、建国記念の日なのでしょうか?

紀元節 」は戦後1948年に占領軍によって「紀元節を認めることにより、

天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となる

のではないか」というGHQの意向で、紀元節は廃止されました。

 

1951年頃から「紀元節」を復活させようという動きが活発になります。

 1957年に、「建国記念日」制定に関する法案が提出されたのですが、

当時の野党が反対し成立には至りません。

 その後、国会では9回も法案提出、廃案を繰り返し、

もめにもめて、1966に「建国記念の日」として成立します。

 

」を入れることによって「日本が建国された日」ではなく、

「日本が建国されたという事実を記念する日」

と解釈することで、ようやく成立したのです。

 紆余曲折を経て2月11日の「建国記念の日」となりました。

 

 

日本書記では、日本国を統一したカムヤマトイワレビコノミコトとは、

初代天皇になった神武天皇であると書かれています。

イワレビノミコト(神武天皇)は、現在の建国記念の日にあたる、

辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)に、

大和の橿原〔かしはら〕の宮で即位したとされ、そこから2月11日を

「建国記念の日」に定めたという説もあります。

しかし、歴史学上では神武天皇は実在の人物ではなく「神話」として

位置づけられているようです。

 

 

 

2500年以上も前に即位した家系が、今でも継続していることは世界の

どこを見てもありません。

天皇家が継続しているということは、そこに国民が存在しているということです。

どのような戦国大名でも天皇にたいする態度は別であったといわれます。

そこには内在している心に、なにかを感じていたということでしょう。

これからの日本に、天皇を維持できるような良心・道徳心をもった国民が

多く存在することを願います。