気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く44 その14  野反湖 キャンプ場ビジターセンター

2025年01月20日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。今回は湖畔西岸ルートの終点である野反湖キャンプ場のバンガローエリア(旧称第1キャンプ場)のビジターセンターを紹介します。作中で各務原なでしこ、斉藤恵那が館内を見て回り、瑞浪絵真がピザが休みだったショックで玄関口に座り込んでいた施設です。

 上図がそのビジターセンターの正面観です。玄関前に作業用の軽ワゴン車が停めてあるのも、作中と同じです。

 

 このシーンです。野反湖キャンプ場の管理棟を兼ねており、キャンプの手続きもこちらで受け付けています。作中画では、作業用の軽ワゴン車の看板に何と書かれているのかが分かりませんでしたが・・・。

 

 実際には「野反湖キャンプ場入口」とあります。その通りにキャンプ場の入口付近に停めてあることが多いのか、それともこの駐車位置にて野反湖キャンプ場の入口にあたるビジターセンターを指しているか、のどちらかでしょう。

 

 ビジターセンターの玄関口です。右側に「キャンプ場受付事務所」とあります。建物は二階建てですが、斜面上に建っていて二階に玄関口が設けられていますので、一階部分は地階のような感じになってあまり目立ちません。

 

 中に入ると、フロント、自販機コーナー、売店、展示室などがあります。売店ではキャンプ用品を主に取り扱っています。

 

 作中でも同じアングルから描かれます。右手前の売店および展示室のショーケースのレイアウトも同じです。自販機コーナーは玄関ホールにあり、作中ではその横で瑞浪絵真がへたり込んでいます。

 

 同じ位置から右側を見ました。作中では切れている売店および展示室のスペースです。奥には薪も売っています。

 

 フロントの前を横切って奥へ進むと、上図の休憩室があります。かつて野反湖の北端に位置した展望台案内所が閉鎖されてその機能がこちらに移されています。

 係員の方の話によれば、こちらの休憩室では、売店で購入したコーヒーやインスタント、菓子や冷凍食品などを食べて下さい、との事で、食事の提供はやっていないそうです。基本営業時間は8時30分から19時までですが、状況により休憩室のみが休業の場合があるそうです。

 

 フロントにて、ゆるキャンの聖地巡礼に来た旨を話しましたら、展示コーナーにゆるキャンの案内もありますので見て行って下さい、と言われました。御覧のように、作中での野反湖キャンプ場の景色が実際の景色と並べてパネル展示してありました。

 

 既にゆるキャンの事は御存知のようで、関連グッズの一部も販売していました。巡礼者も夏ぐらいからちらほらやってきているとの事で、多くは日帰りだが一部はバンガローに泊まってくれたりします、と嬉しそうに話していました。

 この時点ではまだアニメ4期のことはアナウンスされていなかったと思いますが、アニメ4期には間違いなく群馬キャンプ編が含まれると思います。
 4期はおそらく、3期の終わりに新入生で加わった中津川メイ、瑞浪絵真の二人を準メインに据えてのストーリー展開がなされると思いますので、雁坂みちキャンプ編でメイの活躍を、群馬キャンプ編で絵真の活躍を描くのだろうと予想しています。
 野クルのメンバーも、大垣千明と犬山あおいが雁坂みちキャンプ編に、各務原なでしこと斉藤恵那が群馬キャンプ編に登場して分かれますので、雁坂みちキャンプ編と群馬キャンプ編はセットになるはずです。それに志摩リンのソロでの行動を三峰神社と滝沢ダムにて描写して加えることで、4期の1クールの12話が構成されるのかな、と予想しています。
 それで、アニメ4期にはここ野反湖キャンプ場も登場すると思います。放送後は全国から巡礼ファンが訪れるようになるでしょう。

 

 フロントにて、キャンプ場のバンガローエリアを見学したいと申し出ましたら、ビジターセンターの前から三壁山(みつかべやま 標高1930メートル)への登山路が通じていて一般登山客も行き来しているので、その範囲ならば良いですよ、と言われました。ゆるキャンの聖地の一つになった63番バンガローも、その登山路の近くなので、外見をみるだけなら良いでしょう、との事でした。

 それで、教えられた通りに外へ出て、駐車場の脇にある上図の案内板に近寄って地図を確認しました。

 

 上図右下の「現在地」が案内板の位置にあたります。そこから車道を隔てた向かいに三壁山への登山路の入口があり、その登山路が上図のマップに点線で示されていました。
 点線は斜め左上に進んで、バーベキュー棟の手前で右にクランクして上へ伸びますが、その手前右側に、48番と目指す63番のバンガローの位置表示がありました。

 ただ、この案内板のマップは古い時期のままなので、その後に増設された8人用大型バンガローなどは表示されていません。それで野反湖キャンプ場の公式サイトバンガロー配置図のほうを参考にして下さい、との事でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その13  野反湖 キャンプ場バンガローエリアへ

2025年01月17日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。今回は湖畔西岸ルートの終点である野反湖キャンプ場のバンガローエリア(旧称第1キャンプ場)の駐車場ゾーンおよびその周辺付近を紹介します。作中で各務原なでしこが案内板のマップを見ていたりした場所があります。

 上図は、湖畔西岸ルートの終点である観光駐車場の南側のゾーンです。「カメヤマ」駐車場といいます。すぐ西に「カメヤマ沢」の谷があることに因む名称のようです。バスで貰った野反湖周辺ガイドには漢字で「金山沢」と記されます。

 

 野反湖キャンプ場の体育館の横を抜けると、西の高台に上図の建物が見えました。地図を見て、キャンプ場の管理棟を兼ねる野反湖ビジターセンターだと知りました。その位置までに二段の削平段が連なって、いずれも駐車場になっていました。

 

 駐車場ゾーンの園路をたどり階段をあがって、一段上の広い駐車場に出ました。そこから道を横切って北側のもっと広い駐車場に行きました。広大なキャンプ場ですので、駐車場も充分過ぎるほどの広さがあるようですが、シーズン期には満杯となることもあるそうです。

 その駐車場の南側に、大きな案内板が立ちます。ビジターセンターが背景になっていますが、その景色に既視感を覚えました。

 

 このシーンでした。横に停めてある車が無ければ、同じアングルで撮れます。案内板の後ろの木々が小さいので、現在よりも昔の様子であることが伺えます。

 作中にて、各務原なでしこは63番バンガローに斉藤恵那と瑞浪絵真を残し、一人でテントエリアの広場へ散歩に出かけますが、その歩き始めに案内板のマップを見て位置とルートの確認をしています。

 

 各務原なでしこが見ていた案内板に近寄りました。同じものが富士見峠や野反湖休憩舎の横の分岐点にも立っていましたから、他にもあるのでしょう。

 

 ただ、こちらの地図は西を上に、北を右にしてあります。富士見峠や野反湖休憩舎横の分岐点の案内板の地図は北を上に、東を右にしてありましたから、こちらは野反湖が90度右に回転しているわけです。

 

 その地図の一部が作中にも描かれますので、拡大して合わせてみました。

 

 右のコマです。そのまま描かれています。この地図では「エビ山」は本来の漢字表記の「恵比山」ではないので、各務原なでしこも「エビ??」と首を傾げています。

 

 同じ地図の、現在私が居る地点を中心にしてみました。「現在地」とある地点で、野反湖キャンプ場のバンガローエリアの東端に位置することが分かります。湖畔西岸ルートの表示は特になく、その発着ポイントが野反湖ビジターセンターになっています。距離表示は全くありません。

 

 そういえば、どこにもハイキングルートの標識や距離表示が見当たらないのでした。作中に出ていた「テントエリア800m先」の立札も全然見当たらず、歩いてきた「カメヤマ」駐車場の一角に上図の、看板が外れてしまった支持棒が1本だけあったのを思い出しました。

 後でビジターセンターにて問い合わせて、その上図の棒がまさに作中の「テントエリア800m先」の立札のそれであったことを知りました。

 

 右のコマの立札です。その通り、「カメヤマ」駐車場からテントエリア広場までは約0.8キロあります。

 

 駐車場の北側には野反ダムから通っている車道があり、その向こうの傾斜面のうえには数棟のバンガローが見えました。

 ここからバンガローエリアになるのか、ついにここまでやってきたか、各務原なでしこ達が利用した63番バンガローはどのあたりにあるのだろうな、と考えたりしました。時刻は14時19分でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その12  野反湖 ニシブタ沢を通る

2025年01月16日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。今回は上図のテントエリア(旧称第2キャンプ場)付近から湖畔西岸ルートの終点付近までの約0.7キロの赤線のコースを紹介します。各務原なでしこがバンガローエリアから散歩してきたルートです。

 

 テントエリアの広場から出て「笹清水」の岩場を見た後、湖畔西岸ルートを再び歩きました。「笹清水」の北側の上図の景色にも既視感がありました。作中の景色が、このあたりをモデルにしているなと気付きました。

 

 このシーンです。実際にはシラカバの林と千島笹の群生に遮られて見えにくくなっている湖面が、シラカバの林と千島笹の群生を省いているために綺麗に見えます。あfろ氏の作画によくみられる、景観美化の手法です。

 現地では見られない景色なので、ちょっと困惑しつつ、いったん「笹清水」の南側まで引き返して、再度右手の景色を確認しましたが、広場からずっとシラカバの林と千島笹の群生が続いているので、湖面は僅かしか見えませんでした。

 

 再び前に進みました。緩やかな下り坂になっているのが、ハンディGPSの数値からも分かりました。標高の数値が少しずつ下がって1510メートルに近づきました。地図を見ると野反湖の北側の西の細い入り江の付け根にさしかかりつつありました。

 

 その入り江は西では細い谷間となり、御覧のようにそれを渡る橋が架けられています。湖畔西岸ルートのショートカット部分にあたりますが、作中で各務原なでしこはこの橋を渡っていないため、私も道から見下ろすにとどめました。

 

 道なりに進んで、14時2分、上図の大きな右カーブに着きました。さきに見た谷間の源流で、地図では「ニシブタ沢」とあります。ハンディGPSの数値は1507メートルになっていました。おそらく、湖畔西岸ルートで最も低い位置だろう、と思いました。この「ニシブタ沢」に架かるコンクリートの橋のあたりが作中に描かれます。

 

 左のコマです。右へ曲がる道、コンクリートの橋、奥の看板、沢から溢れて橋の手前の道を横切って流れる水、の全てが一致します。道に溢れて流れる水を、各務原なでしこが「よっ」と飛び越えています。

 

 実際に沢から溢れた水が橋の手前の道を横切って流れていました。現地はここ数日天気に恵まれていたそうなので、「ニシブタ沢」の流水量も少なかったようで、道への溢れ水も、上図のようになんとか歩いて渡れる程度でした。雨が降ったりしたら、溢れ水も数倍に増えるのかもしれません。

 

 「ニシブタ沢」を見ました。地図で見ると、野反湖に注ぐ沢はこの「ニシブタ沢」のほか、三ヵ所にあります。「ニシブタ沢」の北側に位置する「カメヤマ沢」、東岸の「ハンノ木沢」の支流、および八間山中腹の湧水に発する「大空堀沢」が地図に記されています。
 これらの沢からの流水が、いまの野反湖の水の大部分を占めているのでしょう。

 

 「ニシブタ沢」の奥には安山岩とみられる暗緑色の露岩が幾つも望まれます。これまでずっとなだらかな地形の中を歩いてきて岩や露岩などを全く見ていなかったので、こういった沢筋にて地層の断面をみると、やっぱりここも火山帯の造山活動による地形なのだな、と思い知らされます。

 

 再び歩き出して、「ニシブタ沢」の北へ回り、すぐ北にある「カメヤマ沢」を渡りました。それから道は登りに転じ、14時10分、ハンディGPSの数値が1521メートルに達しました。その際に後ろを振り返ったのが上図です。作中に描かれる場所がこのあたりかな、と考えたからでした。

 

 左のシーンですね。前のコマで終点にあたるハイキングルート入口の距離標識が描かれるので、終点が近づいているのだろうと思いました。

 

 道が左にカーブして、前方に上図の建物が見えてきました。野反湖キャンプ場の体育館で、セントラルロッジとも呼ばれる、緊急避難施設を兼ねた建物です。

 

 そして14時13分、ついに湖畔西岸ルートの終点、野反湖キャンプ場の駐車場の南端に着きました。12時35分に富士見峠を出発してから1時間38分で到達したわけで、スタート時に見込んだ所要時間1時間40分にあと2分でした。

 バスで運転手さんにいただいた野反湖周辺ガイドでも、この湖畔西岸ルートの所要時間を1時間40分と記していますが、まさにズバリであったわけです。私の歩速がかなり速いほうに属することを考えると、普通の方の所要時間は約2時間を見ておくべきだろうと思います。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その11  野反湖 キャンプ場テントエリアから

2025年01月12日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図のテントエリア(旧称第2キャンプ場)からテントエリアの北口付近までの赤線のコースを紹介します。各務原なでしこがバンガローエリアから散歩してきたルートの一部にあたります。

 

 テントエリアに着いて、各務原なでしこが座っていたベンチにて10分ほど休憩しました。その後にテントエリアの広場を北から撮ったのが上図です。

 この日もテント泊の客が数人居ましたが、いずれもテントを広場の西側の高台の芝生地、東南側の低地に張っていました。こちらの広場はハイキングコースの中継点ともなっていてハイカーや登山客も行き来するため、テント泊にはやや不向きのようでした。と言うより、広場ですからテント泊のエリアとは別になっているのかもしれません。

 

 同じ位置、各務原なでしこが座ったベンチから北側を見たのが上図です。左奥に炊事場の施設があります。炊事場の北側は広場の境界線になっているようで、生垣の向こうの雑木林はテントサイトになっています。その北東側には一段低い平地があってテントサイトになっています。

 広場の東側と東南側にも同じような平場のテントサイトがあり、広場からもよく見渡せます。
 このテントエリアは、全体としてみますと、この広場を中心にして、西側の高台、北側の雑木林、湖畔の低地の北東側、東側および東南側の5ヶ所のサイトに分かれているようで、かなりの広さがあります。バンガローエリアのほうも広大な面積に及ぶと聞きますから、これらを合わせた野反湖キャンプ場は、国内でも有数の大規模なキャンプ場なのだろうと思います。

 

 その炊事場の施設は、さきに広場の南側で見たのと同じ造り、同じ内部の建物でした。

 

 ここから再び湖畔西岸ルートの道に戻りました。作中で各務原なでしこがバンガローエリアから散歩してきたルートを逆にたどるわけです。上図のアングルも作中のそれでした。

 

 このシーンですね。例によって広域ワイド魚眼レンズ風の景色ですから、右半分の景色は私のデジカメでは捉えられませんでした。

 

 それで向きを40度ほど右にずらして、上掲の作中画の右半分の景色を撮りました。作中画は多くが広々として見えますが、ここも例にもれませんので、実際に現地を見るとそんなに広くはないことが分かります。

 原作者のあfろ氏は、取材時に景色をリコーのTHETAのような360度全天球カメラで撮ることが多いそうで、それは「MONO」の雨宮さつきの愛機「ヴィータ」にも反映されています。

 そういえば、サークル交流仲間のモケジョさんがスマホに乗せるだけで360度ビューが撮れるKRAVASのレンズキットを持っていて、それで模型内覧展示会の景色などを撮っているのでその画像を見せて貰ったことがありますが、同じような広域ワイド魚眼レンズ風の景色でした。両端が丸くゆがむものの、実際よりも広々として見える点はゆるキャンの作中画と同じでした。

 

 さて、テントエリアの広場から湖畔西岸ルートへ戻ることにしました。広場の北に上図の線路のように見える道が続いていました。その左脇に小さな立札がたっているので、近寄ってみました。

 

 その小さな立札には、上図のテントエリアマップが貼ってありました。テントエリアの規模がよく分かります。広場を中心にして南側を除く五方にサイトが配置されています。

 五方のサイトとは、西側の高台の芝生地「山手」(マップでは上)、北側の雑木林サイト「林間」(マップでは右)、北東側の低地「湖畔北」(マップでは右下)、東側の低地「湖畔中央」(マップでは下)、東南側の低地「湖畔南」(マップでは左下)を指します。これらのうち、東の三つの低地のサイトからは湖畔の汀の砂浜に下りられるようです。湖畔近くにテントを張るならその三ヶ所のサイトが良さそうです。

 マップ中に「ゴミ捨て場」とある地点の右側が広場北側の現在地でした。そこから右斜め上へまっすぐに引かれる道が、これからたどるキャンプ場バンガローエリアへの道、すなわち各務原なでしこが散歩してきたルートにあたります。

 

 道を20メートルばかり進むと、左手に上図の進路標識が立つ分岐点に着きました。標識が示すように、湖畔西岸ルートの道は広場の西側をまっすぐに通って、この分岐点で合流しています。私は南側の炊事場の横で湖畔西岸ルートから外れてテントエリア広場のほうに入ったのでした。

 

 分岐点の様子です。右が湖畔西岸ルートで、その右手にテントエリアの広い芝生地が広がります。この日は芝生地にテントが6張見えて、2張からは炊事の煙もたなびいていました。

 そして左がテントエリアの広場への道です。道に細い丸太が二本敷かれて線路のように見えますが、右の湖畔西岸ルートが道幅いっぱいなのに対して左の道は丸太の外側にもスペースがあります。所々に轍が見えましたので、この道は車でも通行が出来るようです。キャンプ場の施設管理用の作業車輛が通れるようにしてあるのでしょう。
 すると、線路のように見える部分の中央が、歩道なのかもしれない、と思いました。

 

 その道をさらに20メートルほど進んで一度振り返った図です。分岐点は見えなくなっていましたが、既視感がありました。作中にこのアングルで描かれるからです。

 

 上段の左のコマの場面です。道が実際よりも幅広に描かれ、各務原なでしこが歩いている中央部分が黒くあらわされていますが、実際には地面の色の塗り分けはなくて、丸太にはさまれた中央部分のみに簡易舗装が施されているにとどまります。

 

 道の西側には、マップで「笹清水」と示される自然石の手水があり、湧水からとみられる導水管より水が流れ落ちていました。

 

 水量が豊かなので、自然石の手水も溢れて下の水路へと流れ落ちていました。その透き通った綺麗な水で手を洗い、顔も洗ってサッパリしましたが、そのうちに、あっ、これか、と気付きました。

 

 上段の右のコマの場面だったのでした。作中画では残雪があって周囲が白っぽくなっているので、道端の「笹清水」だとは分かりませんでした。現地で実物を使用して初めて、やっと作中画のアレだと分かったのでした。

 各務原なでしこもこの「笹清水」を横目に見て、テントサイトへ向かったわけです。そして広場に至って「お」「ここかな?」と思っているわけです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その10  野反湖 テン場のお花畑からキャンプサイトへ

2025年01月11日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図の「シラカバ淵」を過ぎて少し進んだ地点からテントエリア(旧称第2キャンプ場)までの赤線のコースを紹介します。

 

 「シラカバ淵」を過ぎて少し進んだ地点から北へ進みました。御覧のように僅かな登り坂となり、前方に雑木林が見えてきました。エビ山の北西尾根の先端に位置する緩傾斜地をまっすぐ突っ切る形でした。

 

 まもなく、左手に上図の標識を見ました。富士見峠より4キロ地点、ビジターセンターまで1キロの地点でした。「テン場」とは現地の地名のようですが、「お花畑」はこのエリアが高山植物の集中域の中心にあたることを示した地称だろうか、と思いました。

 野反湖の多くの高山植物の開花シーズンは6月から8月にかけてですので、10月の今回は花を全く見かけませんでした。それで、開花シーズンに再度ここへ来ようか、と考え始めたことでした。今回の秋の景色があまりにも見応えがあって良いものですから、ノゾリキスゲなどの花が咲き乱れる陽春から初夏の頃は、もっと素晴らしいに違いない、と思いました。

 

 それから道は細い沢のような地形を越えて右にカーブし、階段となって高台に上がりました。その次の左カーブを過ぎると、前方に上図の建物が見えてきました。ハンディGPSの位置表示がキャンプ場ゾーンの南端に出ていたので、どうやら野反湖キャンプ場のテントエリアに着いたようだ、と悟りました。

 

 建物の手前に上図の分岐点がありました。上図の左が私の歩いてきた湖畔西岸ルート、右の奥へ続く道が弁天山からエビ山の稜線をたどる登山ルートの終点にあたります。その横にはテントエリアの一部とみられる芝生地が広がっていました。

 

 分岐点を過ぎて前方の建物に近づきました。野反湖キャンプ場の施設案内にて「炊事場」と呼ばれる施設でした。この「炊事場」はバンガローエリアに5ヵ所、テントエリアに2ヵ所あり、上図の建物はテントエリアの南端に位置しています。

 

 「炊事場」の内部です。左側にかまど、右側にシンクが並びます。建物の上半分は柱だけの吹き放ちで、炊事の煙が外へ流れやすいようになっており、下半分は防火防水のブロック積みとなっています。

 

 通り抜けて反対側から見ました。作中で各務原なでしこが見ていたのはこっちのアングルだったかな・・・。

 

 「炊事場」の脇からテントサイトに出ました。湖畔を望む高台を削平して広場を設け、休憩ベンチを配置してあります。奥に北側の「炊事場」が見えます。作中で各務原なでしこがバンガローエリアより散歩してここに来ています。

 

 南端の「炊事場」の東には上図の大きな建物がありました。作中にて各務原なでしこが「トイレもすごいちゃんとしてる」と感心して見ていた施設です。

 

 このシーンです。広域ワイドの魚眼レンズで撮った景色のようで、トイレの屋根が丸くゆがんでいます。

 

 富士見峠からの5キロをひたすら歩いてきましたので、休憩しようとベンチの一つに近寄りました。背景の湖面や山並みの見え方が作中と同じでしたが、作中画では景観を見やすくするために手前の木や草藪だけが省略されていました。

 

 このシーンですね。

 

 上掲のシーンにアングルを合わせてみました。作中の景色では手前の木や草藪だけが省かれていることが分かります。ゆるキャンではよく見られる景観向上の手法ですが、実際の景色とは異なるので、時折違和感を覚える事があります。

 

 作中の同じアングルの景色は、このようにスッキリしています。同じ景色を期待して現地に来ると、作中画と異なるのに驚かされることがままあります。上図では湖面が実際よりも広く、そして近くに感じられるのですが、実際には水辺までは少し距離があります。というか、広場の端は緩い崖面になっていて、その下にも平場があってテントサイトになっています。

 

 各務原なでしこが座って景色を眺めていたベンチに座りました。時刻は13時40分、富士見峠を出発してから1時間5分で今回のルートの8割近くの約4.5キロを歩いたことになります。ここから終点の野反湖バス停までは約1.5キロでしたから、あと30分も歩けば到達出来る見込みでした。

 いずれにせよ、今回の湖畔西岸ルートの全部を約2時間で踏破する計画でのぞみましたが、実際には1時間半ぐらいで行ける目途が立ちました。それで心に余裕が生まれて、なでしこリュックからペットボトルを出して水を飲みつつ、各務原なでしこのベンチに座っている幸福感に包まれました。最高の気分でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その9  野反湖 シラカバ淵を過ぎて

2025年01月07日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図の「蛇帝ガ原」から「シラカバ淵」を過ぎて少し進んだ地点までの約1キロの赤線のコースを紹介します。

 

 「蛇帝ガ原」から100メートルほど進むと、千島笹の群生の背丈が低くなっていきました。各地点ごとに千島笹の背丈が異なるのは、生育時期が異なるからなのかな、と左右を見回しつつ考えました。

 標高1500メートル級の高山域の山道を歩くのは、私の場合は、20代後半期に登山に一時期はまって北アルプスや立山連峰の縦走などにアタックしていた時を除けば、30代や40代に故郷奈良県の大台ケ原(おおだいがはら 標高1695メートル)および大峰奥駈道(おおみねおくがけみち 標高1000から1900メートル)を歩いたぐらいですが、いずれも千島笹の群生の中を進んでいた記憶があります。

 それで、千島笹の群生を見ると標高1000メートル以上の高いところに居るな、といつも思います。

 

 ですが、大台ケ原でも大峰奥駈道でも湖というのはありませんでしたから、千島笹の群生の向こうにあおあおとした広い水面が見えること自体、私にとっては初めての体験でした。

 それもそのはず、野反湖はダム人造湖としては国内で2番目に高い所にある、稀に見る高山域の湖です。他で似たような標高レベルにある人造湖は長野県の奥三川湖のみで、あとは火山のカルデラ湖しかなく、それも標高1500メートル以上の高さにあるケースは稀です。

 なので、今回の野反湖は、ゆるキャン聖地の一つではありますが、それ以上に国内では稀な低地帯上限地域の湖として知られ、亜高山帯に近いために現地の自然や植物相にも独特のものがあり、登山ルートとしても珍しい部類に入るエリアとして知られています。
 ですが、知名度は関東地方でもそんなに高くないそうで、関西では知られていないようです。私自身もゆるキャンを通して初めて知りましたが、西日本では野反湖のような観光地がまったく存在しないことを考えると、国内でも稀有の穴場的スポットではないかと思います。

 

 道は僅かに登り坂となりましたが、ハンディGPSの高度計は1メートルも上がらず、また下りになって上図の雑木林に入りました。樹木の大半はブナとカバのようでしたが、見た事のない曲がりくねった木も混在していました。後で調べてダケカンバと分かりました。

 

 そのダケカンバ交じりの林を抜け、ハンディGPSの高度計が次第に下がるのを見、前方の上図の景色を見ました。エビ山の北東尾根が湖面に丸く突き出す地形の先端部を、等高線に沿って曲がるあたりで、野反湖の湖面が視界の半分ほどを占めて広がってきました。

 

 野反湖は南北に長い湖なので、西岸の中央部から眺めると上図のように横長の大きな湖に見えます。富士見峠から眺めた景色とまったく違う雰囲気なので、別の湖に思えてしまいました。景観の変化が楽しめる、というのはこういうことだな、と改めて感じました。

 

 個人的にはこのあたりの道と野反湖の景色が気に入りました。歩速も少し落として、ゆっくりと進みながら右手の景色をまったりと眺めました。

 

 真っすぐな道は、再び左に曲がっていき、前方に湖面が回ってきましたので、また西側に汀線が張り出すエリアであることが実感出来ました。

 

 間もなく、上図の標識の横を通りました。富士見峠から3.5キロ地点の「シラカバ淵」ですが、地形的には淵と思えるような低湿地帯は見当たらず、周囲の地面は千島笹の群生に覆われていました。

 

 標識の周りの景色です。「シラカバ淵」の名の通り、シラカバの林の中でした。

 

 そのシラカバ林を抜けると、右側つまり湖面側の千島笹の群生が途切れ、別の植物の群落が上図のように広がりました。後で調べて、オオバショリマおよびイワノガリヤスの群落と分かりました。

 

 なおも進むと、右側の植物相が再び変化しました。御覧のように枯れ草ばかりの茶色の群落になり、その奥にはススキのようにも見える別の植物の群落がありました。
 高山域にもススキがあるのか、と思いましたが、後で調べるとやっぱりススキでした。ただ、幾つかの種に分かれるようで、ノガリヤス、クロヅル、オヤマリンドウ、ノハナショウブを区分種としてススキ群落にまとめられる、と報告資料では述べられています。

 

 ススキっぽい群落の次は、上図の低い枯れ草まじりの群生が湖畔までの広い範囲を埋めていました。葉の形が笹とは違うので笹類ではないと分かったものの、名前までは分かりませんでした。枯れてボロボロになっているせいもありましたが、2、3種類の植物が混在しているように見えました。そのうちの1種はシラネアオイと後になって知りました。

 

 野反湖の湖面が左つまり北にいくにしたがって狭まってきていました。北端が近づいているな、と感じました。

 

 そして、やや後方を振り返ると、なんとなく既視感があるような景色が広がっていました。手前の木々が無ければ、作中の景色によく似ているのでした。

 

 このシーンです。湖面の向こうの八間山の姿が似たような形で望まれます。作中で各務原なでしこがテントサイトから眺めていた景色のワンシーンですので、テントサイトに近づいていることがよく分かりました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その8  野反湖 カモシカ淵から蛇帝ガ原へ

2025年01月06日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図の「カモシカ淵」から「エビ平」を経て「蛇帝ガ原」までの約1キロの赤線のコースを紹介します。

 

 「カモシカ淵」より西へ200メートルほど進むと、北に見えていた野反湖の湖面が汀の砂浜に転じました。湖面が西に出っ張る部分の西岸でした。同時に、ブナやカバの雑木林を抜けました。

 

 それからは千島笹の群生が広がる緩やかな谷間に出て、視界が大きく180度に広がり、上図中央より左のピーク、標高1744メートルのエビ山が望まれました。手前の緩やかな谷間地形はそのエビ山の東麓にあたり、野反湖周辺では最もなだらかな低丘陵となっています。

 

 道は右へカープして、方位磁石の針が西から北へと移りました。前方に案内板らしき標識が見えてきました。ハンディGPSの高度計は1510メートルに近づきつつありました。

 上図中央の奥の小ピークは、地図では「エビの見晴台」とありました。作中の瑞浪絵真の夢の中で各務原なでしこ達3人がキャンプ場からエビ山へと登ったルートの途中にあたります。

 

 道が下り坂になり、谷間地形の底へと降りるような形になり、そのあたりの段差がかなりありました。その地点から北を見ました。野反湖の湖面は僅かしか見えませんでした。

 

 13時11分、上図の標識が立つ分岐点に着きました。今回の湖畔西岸ルートは右に進みますが、左に曲がると弁天山からエビ山への山道ルートへと登ります。

 

 分岐点より、もときた道を振り返りました。あの雑木林を抜け、段差を降りてきたわけです。

 

 分岐点から少し北へ進んだところに案内板とベンチがありました。その案内板の地図を見て、現在地の谷間地形が「エビ沢」であると知りました。

 この案内板および地図はかなり古いもので、現地の登山路が2018年に開通した「ぐんま県境稜線トレイル」の中心的エリアに属する前からあったそうです。現在の野反湖エリアの地図や登山ルートは「ぐんま県境稜線トレイル」の基本設定に沿って再構成されたものだといいますから、上図の地図の表記はそれ以前のものだろうな、と思いました。

 なので、現在は野反湖キャンプ場の「バンガローエリア」「テントエリア」と呼ばれる区域が、上図では「第1キャンプ場」「第2キャンプ場」の旧名で書かれ、現在は無くなっている「野反湖ロッジ」が記されています。

 

 そして「エビ山」は「恵比山」と表記されています。そうか、漢字で書くと恵比なのか、各務原なでしこがイメージしていた海老ではないわけだ、と理解しました。「エビ沢」も本来は「恵比沢」と書いたんだろうな、と思いました。

 

 案内板の地点から東を見ました。ここから見る野反湖の姿も風情があって良いです。色々な地点から眺めると、野反湖の景色もそれぞれに変化してゆきますので、見飽きることがありません。

 

 50メートルぐらい歩いて、上図の「エビ平」の標識を見ました。富士見峠から2.5キロ、ビジターセンターまで2.5キロですから、ここが今回の湖畔西岸ルートの中間点にあたるわけでした。

 時刻は13時14分、スタートしてから49分でした。約2時間でいけるだろうと見込んでいましたが、実際には中間点に1時間足らずで到達したわけでした。よし、いいぞ、いけるぞ、と心に余裕が生まれてきて、気が楽になりました。

 

 道は僅かな登り坂となって、野反湖の西の出っ張りの汀線と等間隔を保ちつつ、北東へ、次いで北へ続きました。ハンディGPSの高度計も、エビ平での1510メートルから少しずつ上昇し始めて、1513メートルまであがっていきました。

 

 それからしばらくは、道が等高線に沿っているとみえて、ハンディGPSの高度計も1513メートルの前後に揺れるだけの状態が続きました。道も笹の落ち葉に覆われずに地面がずっと見えている状態で、歩きやすかったです。

 

 上図を撮影した直後に、向こうから夫婦とみられる2人のハイカーがやってきて、挨拶を交わしながらすれ違いました。道は平坦ですか、と訊かれましたので、少しはアップダウンがありますよ、と答えました。向こうは「ここから先はずっとキャンプ場まで、下りか平坦でしてね」と教えてくれました。

 

 道の左右の千島笹の群生の背丈がまた伸びてきました。所々に細い枯れ木が点在していました。何の木かな、と思いましたが、現地には樹種の表札すらありませんので、木々の種類はよく分からないままでした。

 

 道は平坦なまま、北北西にほぼ直線状に続きました。空を覆うほどの雑木林が無いので、陽光に暖まりつつ、右に野反湖の湖面を眺めながら進みました。

 

 程なくして、上図の「蛇帝ガ原」の標識に辿り着きました。富士見峠から3キロの地点でした。周囲の千島笹は私の身長よりも高く伸びていて、そのために東上に見えるはずの「エビ山」の斜面が全然見えませんでした。

 蛇の字が付くので、このあたりに蛇がたくさん生息していたのかもしれませんが、群馬県立自然史博物館が2019年に実施した野生動物類の生態調査では、蛇を含めた爬虫類の生息は確認出来なかったとの事です。
 両生類のほうは、クロサンショウウオ、モリアオガエル、アズマヒキガエル、ヤマアカガエルなどが多数確認されたといい、いずれも国および群馬県のレッドリストにおいて準絶滅危惧と評価されているそうです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その7  野反湖 どじょう小屋沢からカモシカ淵へ

2025年01月03日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図の「どじょう小屋沢」から「押出し」を経て「カモシカ淵」までの約1キロの赤線のコースを紹介します。

 

 「どじょう小屋沢」の標識の地点にて、歩いてきた道を振り返りました。沢がどこかに流れているのかと思って探していたからです。
 これまでに二ヶ所ほど小さな橋を渡りましたが、地形的に細い谷間になっている箇所ばかりで水は流れておらず、「どじょう小屋沢」の辺りに沢があるのだろうと思いましたが、それ以前に沢を渡る橋がまったくありませんでした。

 

 道は再び登り坂となりました。林も疎らになってきて、視界が次第に広がってきました。ハンディGPSの高度計は1520メートルを示していましたので、登っていると思っている割にはさっきよりも低い位置にいるのだと知りました。
 登りきると道は平坦になり、右手に野反湖の湖面が広がってゆきました。

 

 少し行くと上図の分岐点に出ました。弁天山ルートから北麓へと降りる支道がここに繋がっているのでした。標識とベンチがあり、眺めも良いので展望所を兼ねているようです。
 時計をみると12時54分でした。富士見峠を12時35分にスタートしましたから、19分で1キロ余りを歩いたことになります。

 

 同じ位置から後ろを振り返りました。斜面をびっしりと覆う千島笹の群生も、このあたりでは背が低くなっていました。雑木林の下では背が高く育っていて私の頭ぐらいまで伸びていた千島笹が、このような日当たりの良い場所では膝下ぐらいの高さにしかなっていませんので、不思議な気がしました。日陰を好む植物なのでしょうか。

 

 歩き出しつつ、野反湖の景色を眺めました。御覧のように周辺数キロの山々にもまったく人工物、例えば送電線鉄塔や電柱などが見当たりませんので、太古以来の大自然の風景をそのまま満喫出来ます。

 ですが、林野庁の報告資料などを読みますと、江戸期より付近の人々により入山地区の生活圏として認識されていたようで、毎年の秋に人々がイワスゲ(タテヤマスゲ)刈りを行い、食糧とするための山菜や生活用品の材料を採取する場として利用していたそうです。
 さらに前述したように明治期には野反池にドジョウやコイを放流し養殖する事業が行われて弁天山麓の湖畔に笹小屋が建てられています。また、昭和の始めには湖畔に登山者のための山小屋が建てられ、戦後には野反ダム建設のための板材とするべく、現在の野反湖キャンプ場の範囲の樹林が伐採されています。

 このように、野反湖エリアには江戸期より色々と人の手が入っており、いま自然林に見える雑木林も、一部は伐採後の代替植林であるそうです。

 

 道は平坦なまま北へと続き、やがて湖面が北へも回り始めてきました。ハンディGPSの現在位置表示を見て、弁天山の北麓の主尾根の先端にさしかかるところだと知りました。この日はよく晴れていましたから、雲などによるGPSの誤差は殆ど無かったようで、国土地理院の地図と照らし合わせてもあまりズレが感じられませんでした。

 

 道が左へ曲がり始めた地点に上図の標識がありました。弁天山の北麓の主尾根の先端が湖面に押し出すように張り出している地形をそのまま「押出し」と呼んだのでしょうか。シンプルで分かりやすい地名です。

 

 道は左に曲がり、再び上図のように真っすぐになり、その先で再び左に曲がりました。弁天山の北麓の主尾根の先端をぐるりと西へ回っていることが実感出来ました。
 こういった移動中に方位磁石の針が揺れてゆくのを見、ハンディGPSの表示数値が刻々と変わっていくのを見るのはなかなか楽しいです。現在地の地形状況をリアルタイムで把握出来ますので、野反湖湖畔の地形が手に取るように分かります。

 

 尾根の先端部から湖面を見ました。野反湖の水面が西側に大きく張り出す部分ですが、地図で見るよりも広々として感じられました。どこを見ても絵になる景色ばかりですので、撮影のほうも楽しくて大忙しでした。
 この日の野反湖だけで500枚ぐらい撮りましたが、全部をブログに掲載するのは無理なので、色々と厳選し、嫁さんにも選んでもらって50枚程度に絞り込みました。

 

 野反湖の西の張り出し部分は水深が浅くなっているようで、汀の砂浜もゆるやかに広がっていました。このあたりから道が下り坂となり、谷間のような低地を橋で渡り、さらにドロドロの地面が水草の間に見え隠れする湿地を再び長い橋で渡りました。

 

 このあたりで道が最も低い位置に下りて、ハンディGPSの数値は1512メートルを示しました。地図表示に切り替えると、細い谷間部分を示しました。

 

 その直後に上図の標識に出会いました。なるほど「カモシカ淵」か、さっきの低い谷間のような地形と湿地がもとは淵だったのだろう、と思い当りました。
 カモシカの姿は見当たりませんでしたが、林野庁の資料によれは、ニホンカモシカを始め、テンやキツネなど10種類以上の哺乳動物、オオタカ・ハイタカ・クマタカなどの鳥類が生息している、とあります。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その6  野反湖 湖畔西岸の径

2025年01月02日 | ゆるキャン△

 12時35分に富士見峠(野反峠)を起点としてスタートした今回の野反湖ハイキングは、上図の約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回はその最初の1キロ分、上図の「どじょう小屋沢」までの赤線のコースを紹介します。

 

 富士見峠より歩き出して、最初の分岐点にて、一度「野反湖休憩舎」のほうを振り返りました。分岐にて右へ行くと、弁天山やエビ山の稜線を登るルートに行きます。

 

 同じ位置から真東を見ました。奥のピークが八間山(標高1934.5メートル)です。富士見峠から東へ登る登山ルートがその八間山の山頂へ向かい、北尾根沿いに野反湖北端の観光駐車場の登山口まで続いています。
 その登山口の横に、長野原草津口駅からのバス路線の終点である野反湖バス停があります。今回のハイキングコースの終点が、その野反湖バス停で、バスの最終便の発車時刻である15時39分が、タイムリミットでした。

 

 歩き出しながら北の野反湖を眺めました。何度見ても、太古以来の自然の湖に見えるなあ、ダムによって出来た人造湖とは思えないなあ、と思いました。野反ダムは北端に位置しており、こちらからは全然見えませんでした。

 

 道は湖岸のほうへと迂回気味に、ずっと下り坂となっていました。全体的に平坦なルートだとは聞いていましたが、道の前方に弁天山やエビ山の西麓の支尾根が幾重にも連なって見えるので、それらを越える小さなアップダウンが連続するのだろうな、と思いました。

 

 野反湖は、御覧のように湖岸に白っぽい砂浜のような汀辺が幅広に見えて、満水期よりはやや水面が下がった状態であることが分かりました。そうすると、水深の浅い入り江部分などは水がかなり引いているのかもしれないな、と考えました。

 

 道は北に下って、湖畔に近づくかに見えて、実際にはやや離れ気味に北北東へ転じて、上図のまっすぐな登り坂になりました。両側に千島笹が広がりはじめ、雑木林の中に入りました。

 

 雑木林に入る直前に一度後ろを振り返りました。降りてきた道の向こうに富士見峠の稜線と「野反湖休憩舎」が見えました。まだ歩き始めて3分ぐらいでしたが、もうあんなに離れているか、と思いました。

 

 少し歩いた後の12時41分、上図の小屋が見える分岐に出ました。小屋は廃屋然とした雰囲気で、長い事使われていないようでした。現地は野反湖の南端に丸く突き出た、弁天山の南東尾根上の小ピークにあたるので、周囲の林が無かったら、湖面の眺望が良いだろうな、と思いました。

 上図の分岐で右に行くと、湖畔東岸ルートに行きます。今回は湖畔西岸ルートなので左に進みました。

 

 再び緩やかな登り坂になりました。樺とみられる林の下の千島笹の群生地のなかを登りました。普段はなかなか見られない、標高1500メートル台の高海抜地ならばでの植物相の景観が新鮮なものとして目に映りました。

 

 途中で見かけた湖畔西岸歩道の標識。富士見峠から0.5キロの地点でした。右の「ビジターセンター」とは今回目指している野反湖キャンプ場のビジターセンターのことで、ここから4.5キロ先となっていました。

 

 道は緩やかに右へ曲がり、持参した方位磁石の針がさっきまで西寄りだったのが、次第に北西、北北西へと転じました。左右の千島笹はだんだん背が高くなってきましたが、空を覆う樺の林は変わらない高さで弁天山の北東麓の斜面を覆っていました。

 

 北北西に登ると道は上図のように真っすぐなまま、僅かな下り坂に転じました。方位磁石と共に持参したハンディGPSの高度計は1528メートルを示していました。

 奈良県に住んでいた頃、県内の中世戦国期の数多くの山城跡を訪ね歩いていた時期に使用していた方位磁石とハンディGPSですが、十数年ぶりの使用にもかかわらず、正確に作動し測定値を表示し続けていました。それに励まされるように、枯れ笹が積み重なった柔らかい山道を歩きました。

 

 それから登り坂になりましたが、程なくピークに達してしばらくは平坦になり、右手の雑木林が無くなって上図のように野反湖の青い湖面が見えるようになりました。

 

 右下に湖岸線が小さく入り江ふうに屈曲しているのが見え、そこからは上図のように千島笹の群生も背が低くなって、湖面の眺望が開けてきました。雑木林が帯状に無くなっているので、戦前および戦後に伐採が行われたのはこのあたりかな、と考えました。

 

 上図の標識を見ました。この場所一帯が「どじょう小屋沢」と呼ばれ、富士見峠から1キロの地点にあたります。

 この辺りに、明治時代末にドジョウやコイを放流、養殖するための笹小屋(ドジョウ小屋)が建てられ、初夏から秋まで泊まり込みでドジョウを取り、近くの草津温泉の旅館に販売していたといいます。
 笹小屋は戦後間もなくの昭和26年頃まで続いたそうですが、全て廃止撤去され、いまではどこにも痕跡すらとどめていません。「どじょう小屋沢」の地名だけが残っています。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その5  野反湖 富士見峠より

2024年12月29日 | ゆるキャン△

 「野反湖休憩舎」での昼食休憩は30分で切り上げました。これから野反湖ハイキングをするので時間が貴重だったからでした。外に出て、観光駐車場の向こうの車道までいったん戻りました。

 

 案内マップでは、この野反峠バス停の地点を富士見峠と記しています。富士山が遠くに望めるから富士見峠なのかな、と思いつつ地図で富士山の方角を確かめてそちらを凝視しましたが、遠景は霞んでいて近くの山並みさえも淡い影のみになっていました。

 とりあえず、この地点が今回の野反湖ハイキングの起点になりますので、時計を見て12時35分と知り、メモしました。
 アニメ4期では間違いなくここ野反湖も出ますから、その放送後には訪れるファンが増えるものと予想されます。その大半が私と同じように野反湖のハイキングを楽しむだろうと思うので、ルートの状況や所要時間を実際に見て調べて、レポートしておくのは大事だろう、と考えました。

 

 12時36分、富士見峠の石碑横から野反湖を再び眺めました。

 

 作中のカラー表紙でも同じ位置からの広域ワイドの景色が描かれます。各務原なでしこ達が立ち止まって野反湖を眺めていますが、右奥には、乗ってきたバスがまだ停車したままです。

 現実には、バスはすぐ発車して次のバス停へ行ってしまいますから、この描写は有り得ないのですが、3人がバスに乗ってきて、あの位置で降りたという流れが分かるように、あえてバスを描いているものと思われます。

 

 野反湖は、その美しい景観が自然のままに見えるので、人工湖であることが信じられないです。

 ですが、群馬県立自然史博物館の報告書「野反湖周辺(補完調査)」によれば、信濃川水系中津川の水源としてもとから存在していた野反池を、野反ダム(1956年竣工)によって嵩上げさせた人造湖であるということです。その湖面標高は1513メートル、総貯水容量は2705万立方メートル、周囲約9キロを測ります。

 もとの野反池については、前述の報告書の32ページに写真が掲載されてかつての規模が分かります。池と周囲の湿原から成っていたようで、現在の野反湖の写真と並べてあり、野反湖が野反池の約20倍ぐらいの規模になっている様子が分かります。

 

 野反湖を眺めつつ、周辺登山道を富士見峠から西へと辿り始めて、前方左寄りに大きな案内板が建つ分岐路へ向かいました。

 

 道標が立つ分岐路に着きました。左手にベンチが設けられ、登山客の方が一人地図をチェックしていました。

 

 道標の左へ進むと弁天山に行きます。

 

 その弁天山を望みました。上図の奥のピークがそれでした。

 

 道標の右へ進むと第2キャンプ場に行きます。このルートが今回選んだハイキングコースでした。第2キャンプ場とは、現在の野反湖キャンプ場のテントエリアの旧称にあたります。作中で各務原なでしこがバンガローエリアから散歩して野反湖を一望出来るベンチまで行った場所です。

 

 その第2キャンプ場つまり現在のテントエリアの方向を見ましたが、位置すら全然分かりませんでした。野反湖の北端の左側の尾根上にあるようですが、人工物が全く見えませんので、あの辺かなあ、と大まかに推測するにとどまりました。

 

 ハイキングコースの全体像を再確認すべく、案内板の地図に近寄りました。

 

 案内板の野反湖の地図です。南の富士見峠から4つのルートが出ていて、多くの登山客は左側の黒いルートをとって弁天山、エビ山に登り、キャンプ場のテントエリアへ降ります。ハイキングルートは野反湖の東西の湖畔を通っており、東の単調なコースが湖畔東岸ルート、西の折れ曲がる水際に沿ってやや迂回するコースが湖畔西岸ルートと呼ばれます。

 今回選んだのは、距離が約5キロの湖畔西岸ルートでした。聖地ポイントのテントエリアへ最短で行け、かつアップダウンが少ない平坦な道なので歩きやすいからです。
 バスの運転手さんもこのルートをすすめていましたが、その理由として、西岸に多くの淵や沢があること、湖面が西に出っ張るところを回るので景色が変化に富むこと、最も多くの高山植物がみられるルートであること、などを挙げていました。全ルートを2時間もあれば行けますよ、と話していましたので、とりあえずはテントエリアまで2時間以内で到達することにしよう、と考えました。

 作中では各務原なでしこ達が富士見峠の野反湖休憩所に行って「本日休業」だったため、次のシーンでは野反湖キャンプ場のビジターセンターに入っています。3人が富士見峠まで乗ったバスは、実際のダイヤと同じとすれば最終便でしたから、そのあとの移動は歩きしかありません。野反湖休憩所つまり実際の野反湖休憩舎から野反湖キャンプ場まではトータルで約6キロありますが、それを歩いた描写もありませんから、どうやって行ったのかは不明なままです。

 しかし、個人的には、作中ではもう1便バスがあって、3人はそのバスで富士見峠から終点の野反湖バス停まで行き、そこからダムを渡って野反湖キャンプ場に到達したのだろう、と推測します。
 なぜそのように考えるかと言うと、3人がキャンプ場の63番バンガローに入って落ち着いた後、各務原なでしこが一人でテントエリアまで散歩に出かけるのですが、そのルートが湖畔西岸ルートの一部にあたるからです。にもかかわらず、各務原なでしこはそのルートを初めて歩いたような描写になっていて、テントエリアにもその時に初めて入ったように描かれます。
 なので、3人はこの湖畔西岸ルートを歩いていないのだろう、と考えられます。山登りのルートにしても、夜にエビ山山頂のトイレまで行く描写がありますが、それも瑞浪絵真の夢の中のストーリーに過ぎませんでしたから、山登りも実際にはやっていないものと思われます。

 したがって、湖畔東岸ルートも歩いていないと推測出来ます。このルートも約4.5キロありますから、それだけ歩いていけばそれなりに疲れる筈ですが、作中では苦労もなくのんびりまったりとキャンプ場に入っている雰囲気でしたから、やはりバスで行ったのでしょう。

 それ以前に、様々な景色が楽しめる野反湖エリアの風景が、キャンプ場エリアからのアングルしか描かれていませんから、原作者のあfろ氏自身が野反湖エリアの山道を全く歩いていないのだろう、と推測出来ます。車かバイクでパパッと回ってあとは適当にストーリーを作っていると、アニメ雑誌か何かの記事で読んだのを思い出しましたが、そういうことなのかもしれません。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その4  野反峠休憩舎の「のぞりっ湖ピザ」

2024年12月28日 | ゆるキャン△

 野反峠バス停の横には、上図のように案内図板と石碑が並び、ベンチが設けられています。その一角だけが方形に舗装されていて周囲の地面より僅かに高くなっています。休憩スペースと展望スペースを兼ねているようです。

 

 右側の案内図板に近寄りました。御覧のように野反湖周辺の登山路およびハイキングコースを、季節ごとの高山植物の図版とともに紹介しています。野反湖の高山植物の開花期は6月末から7月にかけてがピークだそうで、野反湖で見られる約300種の花のうちの約80種が見られるそうです。

 私が訪れた10月14日は、秋の開花期のピークを過ぎた後で、ごく一部を残して殆どの花は枯れてしまっていました。

 

 左側の石碑に近寄りました。現地は上信越高原国立公園内にあって、林野庁の吾妻森林管理署が管理する野反自然休養林となっています。つまりは一帯は国有林であるわけです。

 現地は、群馬、長野、新潟の三県の県境付近に位置し、野反湖(群馬県吾妻郡中之条町大字入山字沼山)を囲む高沢山(標高1908メートル)、エビ山(同1744メートル)、弁天山(同1652メートル)、八間山(同1934メートル)、堂岩山(同2051メートル)は、利根川水系と信濃川水系の分水嶺となる三国山地に含まれます。野反湖の北側は新潟県との県境にあたります。

 

 石碑の横から野反湖を見ました。予想以上の景観に目を見張りました。周囲が国有林ということもあってか、建物や電柱や鉄塔などの人工物が一切無く、太古以来の地形と植生の様相が変わらずに保たれているように思えるほどの、濃密な自然度の高さでした。この種の自然風景は、生まれて初めて見た気がしました。

 見た瞬間に、これは素晴らしい、というか凄い、と感じました。研究調査や観光で全国各地を旅して様々な自然の名所や名勝を見てきましたが、野反湖のような自然度の高い風景、周囲数キロにわたって人工物が一切見当たらない景色というのは、他にまったく思い出せません。はるばると来た甲斐があった、と感動を幾重にもかみしめたことでした。

 

 間違いなく、ゆるキャンの聖地としてはトップクラスの自然風景ですね。各務原なでしこ達もこの辺りから野反湖を眺めたのですね。

 

 このシーンですね。各務原なでしこが野反湖を眺めつつ「すごい景色だねぇー」と話していますが、原作コミックにおいて各務原なでしこが「すごい景色」と形容したのは野反湖だけです。それぐらいに感動的な景色だったのでしょう。

 

 野反湖の初景色を楽しんだ後、駐車場の奥の小ピークに建つ上図の「野反湖休憩舎」に向かいました。まずはここで昼食として名物の「のぞりっ湖ピザ」をいただいて腹ごしらえする積りでした。

 

 作中では「野反湖休憩所」となっていますが、建物は隣の小屋も含めてそのまま忠実に描かれます。

 

 バスの運転手さんに教えられた通り、営業中でした。後で知ったのですが、ここのお店は不定休で、土日祝でも休むことがあり、また食事の材料が無くなり次第終了する日もあるそうです。冬季の道路閉鎖期間はもちろん休業、とのことです。

 

 作中では出入口の戸に「本日休業」の札がかかっていて、瑞浪絵真がショックを受けています。GWの連休に来てお店が休みでは、そりゃショックでしょうね。キャンプで一夜を明かした翌日は営業していたので良かったですが。

 

 玄関口に立てかけてあったメニュー一覧。一番上に、このお店の名物である二種類のピザが見えます。

 

 中に入りました。内部は販売コーナーとカフェコーナーに分かれていました。

 

 カフェのカウンター横にも、玄関口で見たのと同じようなメニュー一覧があり、こちらは品数が多くなっていました。たぶんこちらが、このお店の提供している全てのメニューなのでしょう。

 そして、左端と上端には、お馴染みの本栖高校の5人のぬいぐるみがかけてありました。お店の方がノリノリで集めたものだそうです。

 

 すでにゆるキャンの舞台になったことは御存知で、しっかりコミック第16巻の表紙と該当シーンをパネル化して紹介していました。話を聞くと、ここのピザ目的で訪れる巡礼者が春から増えてきている、との事でした。アニメ4期も確定しましたから、放送後はさらに多くのファンが訪れることでしょう。

 

 で、ビザはどちらにしようかと少し迷いましたが、ここは瑞浪絵真が食べた左の「のぞりっ湖ピザ」だろうな、と決めました。

 

 山採りのフキノトウが各所に黒っぽく見え、チーズの中にむきエビが含まれる、それはそれは美味しいピザでした。

 本来はこういう小麦を使った食べ物は、体内炎症防止のためにグルテンフリーを心掛けてね、ということで嫁さんに禁止されているのですが、今回だけは特別に許可をいただいたのでした。

 既に、大好きだったパスタやラーメンも控えて食べなくなってから1年余り、パンもフライも天婦羅も菓子類もそうですが、小麦が使われている食品は極力控えています。そのためかどうか、体重がこの1年間で7キロ減り、中性脂肪量が半分以下になりました。高めだった血圧も下がり、コレステロール値も安定しました。今年の健康診断の結果も去年の数値と比べると相当の改善となりました。もともと花粉症対策で始めたグルテンフリーなので、これからの冬から春にかけての花粉症のピーク期に耐えられれば、一定の効果はあったと言えそうですが、果たしてどうなりますか。

 

 作中ではキャンプの翌日に各務原なでしこ達もこのお店でピザを食べています。瑞浪絵真は上図右の念願の「のぞりっ湖ピザ」をチョイス、各務原なでしこが選んだ左の「六合っ子ピザ」もシェアして、両方を並べて記念撮影しています。

 良かったな、絵真ちゃん。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その3  野反峠へ

2024年12月26日 | ゆるキャン△

 バスは、長野原草津口駅を予定通りの10時57分に発車し、新須川橋の交差点を右折し、旧太子線の廃線跡の築堤と鉄橋を左手に見つつ、国道292号線へと進みました。この国道292号線は草津温泉へと続きますので、野反湖へは途中の分岐からの国道405号線をたどります。

 

 道は上図の白砂川に沿ってくねくねと続き、右手に赤岩の養蚕集落を見、同じく右手に旧太子駅跡の入口の黒い貨車を見つつ、緩やかに登っていきました。

 乗客は私だけで、一番前の席に座っていましたから、気さくで親切な運転手さんが時々見どころを説明して下さいました。白砂川は野反湖から流れているのではなくて源流が別にあること、赤岩の養蚕集落は重伝建になっていて古い養蚕農家の建物が多い事、旧太子駅跡には、日本でそこにしかない貴重な貨車が多く保存されていること、等でした。

 

 途中で上図の道の駅のバス停に停まりました。運転手さん曰く「もとは応徳温泉という一軒宿がある場所でして、そこをこのように広げて、販売所とか食事処とか便所を揃えて道の駅に整備したところですよ」との事でした。
 この道の駅も作中に登場します。

 

 このシーンですね。道の駅の看板は同じですが、「六合」が「小雨」に変えてあります。

 

 それから分岐にて左折して国道405号線に入り、カーブが増え、坂道の上り勾配もきつくなってきました。上図は途中の花敷温泉バス停に停まる直前の橋から見た白砂川の流れです。

 

 国道405号線に入ってから、左右の道端に上図のような赤いピラミッド形の設置物をよく見かけました。作中でも斉藤恵那が見ていて「謎の赤い三角錐が」と話しています。

 

 このシーンですね。続きのコマで瑞浪絵真が防火用水の標識である旨を指摘していましたが、各務原なでしこはキャンプ場への道標だと主張していましたね。

 でも、運転手さんに訊いたところ、「防火用水の印ですけどね。このへん冬には雪が積りますんでね、積もると防火用水の場所が分からんようになりますでしょ、雪が積もっていても、万が一の時に場所が分かるように赤く塗ってあるんですね・・・、えっ、初めて見たんですか、そうですか・・・この辺りではどこでもありますけどね」と話してくれました。

 

 花敷温泉を出て白砂ダム横の橋を渡った後は、道がずっと登り坂になり、九十九折のカーブが連続で続き、視界がだんだんと広がって行って、上図のように山並みが下に見えるまでになりました。運転手さんが「もうすぐ標高1000メートルを超えますよ」と言いました。

「1000メートルを超えるんですか」
「ええ、これからもっと登りますよ。野反湖は標高1513メートルですから」
「そんなに高いんですか、それで気温が低いとか言われてるわけですね」
「ええ、今あたりですと、下は暖かいですけど野反湖まで行くとずっと寒くなりますね。春は5月から山開きですけどまだ雪は残りますし、6月になっても夕方になれば寒くなりますよ、夏でも夜は涼し過ぎるぐらいですよ」
「はあ・・・」

 

 周囲の景色も、杉林から広葉樹林に変わり、木が疎らになって地面を熊笹が覆い、標高1000メートルを過ぎてからは熊笹が千島笹に変わりました。野反湖へ近づくにつれて周囲の地形がなだらかになり、青空が広がってゆきました。

 

 12時1分、目的地の野反峠バス停で降りました。入れ替わりに3人の登山客が乗ってゆきました。

 

 野反峠バス停から北には、あおあおとした野反湖の湖面が見えていました。ついにやってきたな、と込み上げてくる深い感動をかみしめました。京都からは550キロあまり、本当に遠い、とても遠い、最長距離を測るゆるキャン聖地でした。

 

 バス停から西には、観光駐車場があり、その奥に「野反峠休憩舎・花の駅」の建物が見えました。作中のアングルそのままでした。

 

 このシーンです。「そして約一時間後」とありますが、その通り、長野原草津口駅からバスに乗って1時間3分かかりました。つまり、各務原なでしこ達は、長野原草津口駅でバスに乗ってここで降りるまで、どこにも立ち寄っていないことが分かります。

 なので、この聖地巡礼の後で公開された連載最新の第98話にて、瑞浪絵真がスマホにて旧太子駅跡に立ち寄った際の写真を見ている場面を見てびっくりしました。
 あれ、旧太子駅跡に立ち寄ってるじゃないか、上図の「約1時間後」と矛盾してるじゃないか、と思いました。現実のバスのダイヤでは旧太子駅跡に立ち寄ることが不可能であることを運転手さんにも確認したばかりでしたので、また原作者あfろ氏ならばでの適当なストーリー展開になってるな、と思いました。

 ゆるキャンの第1話から見ていていつも感じるのですが、キャンプに向かう道中などの描写が最低限で、どこへ行くにも途中の行程や経路をほとんど描写しないケースが普通であるため、実際に聖地巡礼で行くと道中の長さに驚かされたり、山道の険しさにビビらされたり、作中にないポイントに出くわして混乱してしまうことが多いです。四尾連湖しかり、赤沢宿しかり、早川奈良田しかり、高ボッチ高原しかり、畑薙大吊橋しかりでしたが、今回の野反湖はさらに斜め上を行ってるな、と感じました。

 おそらく、旧太子駅跡に立ち寄った云々は、実際のバスのダイヤでは行きでも帰りでも立ち寄るのが不可能であるため、後から思いついて適当に追加されたストーリーかもしれません。
 原作者あfろ氏自身はツーリングが趣味だそうで、だいたいの取材はバイクか車で行くそうですので、野反湖へもバイクか車で行ったものと思われます。バイクか車であれば、野反湖への途中に旧太子駅跡に立ち寄ることは簡単だからです。 (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その2  長野原草津口駅にて

2024年12月25日 | ゆるキャン△

 長野原草津口駅の続きです。10時23分、バスターミナルに上図のJR関東の大型観光バスが停まりました。あれが草津温泉行きの連絡バスだな、と見ているとアナウンスが流れ、駅の休憩ルームから観光客の群れがぞろぞろ出てきてバスに乗り込んでゆきました。

 

 草津温泉行きのバスが走り去った後は、広い駅とバスターミナルに私だけが取り残されました。あれ、今日は祝日(スポーツの日)なのに野反湖へ向かうのは自分だけか、と少し驚きました。人気の観光地だと聞いていたので、もっと人数が居るかな、と思っていたからです。
 とりあえず、野反湖行きのバスが出る上図の5番乗り場に行ってみました。

 

 野反湖方面の路線バスの時刻表です。御覧のように1日に4便しかありません。この日は祝日なので、7時55分発の便は運休になります。最終便の17時5分発は花敷温泉までで野反湖へは行きませんので、この日のように土日祝に行く場合、10時57分発と14時3分発の2便しかありません。

 前夜に渋川の友人Mと電話で相談した際に「野反湖へのバスは実質2便しかないんだ、帰りも2便だからさ、時刻には絶対に気をつけろ、山の上へ行くんで1時間40分もかかるんで、乗り遅れたら遭難だぞ」と言われ、そんな大袈裟な、と思ったのですが、時刻表を見て決して大袈裟でないことに気付きました。Mはこうも話しました。

「明日行くんだろ?明日は祝日だから午前の1便、午後の1便しかないよ。午前の1便に乗って野反湖をハイキングして午後の1便の折り返しに乗るしかないよ。タクシーも来ないから、午後の1便の折り返しに絶対に乗らないといけんぞ」
「午前に1便しか無いということは、途中で降りて重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)の赤岩集落とかを見るってのも無理なのか」
「ああ、残念だが無理だ。本当はさ、星野には赤岩養蚕集落や旧太子駅のほうを見てもらいたいんだけどなあ」
「また機会があればそっちへ行くよ」

 Mが言った「午後の1便の折り返し」とは、終点の野反湖バス停を15時39分に出る最終便のことです。これから乗るバスが10時57分発、目的地の野反峠に着くのが12時ジャストですから、瑞浪絵真推しのピザを食べて、野反湖畔を野反湖キャンプ場まで歩いて、キャンプ場を見学して、野反湖ダムを経て野反湖バス停へ行くまでの持ち時間が3時間39分であることを意味します。

 そしてこのときの私は、その予定コースを果たして3時間39分で回れるのかどうかが、心配で不安でした。Mは「まあ大丈夫だろ、俺が昔に歩いた時は3時間ぐらいで行けたし」と話していましたが、それは別のコースだったそうですから、参考にはなりませんでした。聖地スポットも探さないといけないし、撮影もやらなきゃいけないし、時間が足りるかなあ、という不安は依然として拭えませんでした。

 

 バスの時間までまだ間があるので、駅前の交差点のところまで行ってみました。草津温泉からの連絡バスがもう1台駅前に着いたのを見て、これは作中と同じ景色が撮れるかな、と気付いて聖地ポイントを探しました。上図のアングルでした。

 

 2分後に草津温泉行きのバスが発車して交差点の信号で停まりました。チャンスは今だ、とデジカメを構えて撮りました。

 

 この作中シーンを撮ったのでした。作中のバスは草津温泉行きではなくて野反湖行きのバスでしたが、同じバスをこのアングルで撮ることは今回は絶対に無理なのでした。

 ちなみに、作中では各務原なでしこ達が特急で長野原草津口駅に着いてすぐ、バス停に待機していた野反湖行きのバスに飛び乗っています。それで各務原なでしこが「間に合ったぁ」と話していますが、現実には特急「草津・四万」の到着時刻と野反湖行きバスの出発時刻は繋がっておらず、普通列車からの乗り継ぎでも約40分ほどの待ち時間があります。

 念のため、鉄道やバスのダイヤの変更が最近にあったかどうかを駅で問い合わせましたが、ここ数年は変わっていないとの事でしたから、作中での各務原なでしこ達の特急列車からバスへの乗り継ぎの場面は、完全な創作であることが分かります。

 さらに、前述したように野反湖へ土日祝に行く場合、10時57分発と14時3分発の2便しかありません。作中では各務原なでしこ達もGWの連休中に行っていますから、今回の私と同じバスのダイヤだった筈です。3人は高崎駅を昼過ぎに出て長野原草津口駅に着いていますから、バスは午後の14時3分発しかありません。それに乗って野反湖を望む高台の野反峠まで行っているわけですが、今回の聖地巡礼の時点でCOMIC FUZでの原作の連載の最新話は97話で、その描写では長野原草津口駅からずっとバスに乗っているような感じでした。

 それで、今回は私も野反峠まで乗る積りでいたのですが、そのときは、まさか98話で3人が途中の旧太子駅跡に立ち寄った際の写真が描かれるとは思いもしませんでした。

 しかし、現実のバスのダイヤでは、途中で降りてどこかへ立ち寄る事は不可能であり、旧太子駅跡に行きたくても無理なのでした。それで旧太子駅跡は次回の機会に回したわけですが、いずれにせよ、作中での3人の行動をそのまま同じ条件下で追体験することは不可能です。このあたりにも、原作者のあfろ氏がかなりの創作をまじえてストーリーを作っていることが伺えます。

 

 聖地スポットを撮った後は駅へ引き返し、上図の時計台を撮りました。

 

 記念の自撮り。時計台の左向こうに見える高い連絡橋は、駅の北の高台の集落と駅とを結んでいるそうです。

 

 バスターミナルの5番乗り場に戻って待つこと7分、10時42分にバスがやってきました。このアングルも作中に出ていますので忘れずに撮りました。

 

 このシーンですね。バスの車輌も全く同じでした。この野反湖への路線は正式には「六合(くに)地区路線」といい、地元の中之条町が業者に運行委託しているバス路線で、請負事業者はローズクイーン交通さんでした。

 

 バスの背面に路線の案内表示が付いています。野反湖行きのバスだと分かります。

 

 この時乗ったのは私だけでしたので、運転手さんが「野反湖ですか?」と訊いてきました。そうだと答えましたら、上図の野反湖案内ガイドをくださいました。

「野反湖のどちらまで乗られますか?」
「野反峠までです」
「お帰りは?」
「終点の野反湖から乗ります。15時39分発ですよね?」
「ええ、そうです」

 

 野反湖案内ガイドを開くと、上図のハイキングマップがありました。野反湖周辺の登山道やハイキングコースの全てが網羅され、所要時間まで明記されているのが、私にとっては大変に有り難いことでした。

 親切な運転手さんが「ハイキングされるのでしたら、湖畔の西側を回るコースがおすすめですよ」とそのルートを指でなぞって示して下さいました。そのルートが、まさに私の予定していたルートでしたので、思わず「その全部を歩いたらどのくらいの時間がかかりますかね?」と訊き返しました。運転手さんは少し考えて、答えました。

「地図では1時間40分とありますがね、少なくとも2時間はかかりますかね」
「2時間で行けますか」

 やった、と思いました。予定ルートのほぼ9割を2時間で行けるのであれば、あとの1時間39分を見学や撮影や休憩に回せる、余裕かもしれん、と考えて、先ほどまでの不安が薄らぎました。私の歩速は一般の方よりは速いし、山道は歩き慣れていますから、地図に示される1時間40分でもいけるかもしれないな、と前向きに考えました。

 

 野反湖案内ガイドには、上図のように野反峠(富士見峠)にある「野反湖休憩舎」の案内もありました。これから向かうのがこの「野反湖休憩舎」で、瑞浪絵真推しの名物ピザもそこでいただけます。

 運転手さんに営業日を訊いたら「ああ、今日はやってますよ」と言いましたので、再び、やった、と思いました。作中の瑞浪絵真と同じように「本日休業」にショックを受けることは無くなったわけでした。

 

 さらに、終点の「野反湖」バス停の横にある「野反湖展望台案内所」の案内もありました。時間があれば立ち寄ろう、と思いつつ、運転手さんに営業しているかどうかを訊ねたところ、「ああ、そこはちょっと前に閉鎖になってしまいましてね、案内所のほうもキャンプ場のビジターセンターのほうに移されたんですよ」と教えられました。

 それで現在は展望所のみが残っているということでした。
 そうなると、これから行く野反湖でのハイキングにて休憩地点を探すとしたら、「野反湖休憩舎」、各務原なでしこが散歩に行ったキャンプサイトのベンチ、キャンプ場のビジターセンターの3ヶ所、ということになるか、と考えました。計画表を取り出して赤ボールペンで休憩予定の地点をその3ヶ所に設定してマーキングしておきました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その1  長野原草津口へ

2024年12月23日 | ゆるキャン△

 2024年10月14日の朝は快晴でした。ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼の三日目のコースは、今回の聖地巡礼のメインである野反湖で、楽しみ過ぎて5時前に目が覚めてしまい、二度寝をして7時前に起床しました。バイキング方式の朝食も美味しくいただきました。とにかく朝からワクワクしていたのでした。

 

 ゆっくり休んだ後、宿を8時40分に出発して、ゆるゆるとJR高崎駅に行きました。改札口を通り、上図の電光表示板を見て、これから乗る8時53分発の大前行き普通列車が6番線から出ることを確かめました。それに乗って長野原草津口駅を目指します。

 作中では各務原なでしこ達が同じ高崎駅から特急「草津・四万」で移動していますが、これは昼過ぎの13時33分発の最終便に乗っているのであり、今回のように朝から行く場合は普通列車しかありません。特急「草津・四万」の第1便でも10時20分発なので、野反湖行きのバスの時刻には間に合いません。

 周知のように、長野原草津口駅からの野反湖行きのバスは一日4便しかなく、第1便は7時55分発なので、高崎から行こうとすれば6時ぐらいの電車に乗らないと間に合いません。続く第2便が10時57分発で、これに間に合う電車が今回乗る8時53分発の大前行きでした。高崎駅から長野原草津口駅までは約一時間半かかります。

 

 6番線ホームに降りたら、向かいの5番線にE257系の特急「草津・四万」の回送便が停まっていました。

 

 偶然でしたが、願ってもないタイミングでした。ボディカラーも各務原なでしこ達が乗ったのと同じデザインでした。思わず何枚も撮影してしまいました。このデザインの列車を作中と同じアングルで撮ったのはこの時が初めてでした。

 

 このシーンです。これが各務原なでしこ達が高崎駅から長野原草津口駅まで駅弁を食べながら乗っていった列車です。

 

 私が乗る8時53分発の大前行き普通列車も間もなくホームに入ってきました。お馴染みの211系でした。
 211系は、JR東日本の管区ではまだ普通に現役で活躍していますが、JR東海の管区例えば静岡県や山梨県などでは新型車両の315系への置き換えが進んでいるそうで、今後はゆるキャンの聖地エリアでもなかなか見られなくなるだろう、とサークル仲間の川本氏に聞いたことを思い出しました。

 

 乗った後はしばらくウトウトしていて、渋川駅を通過してからは30分ほど熟睡していました。ゴトンという揺れで目が覚めたら、群馬原町駅を出たところでした。前夜に渋川の友人Mと電話で話した時に「岩櫃城へは行かないのか」と言われた、その岩櫃城跡の天険の要害の姿が見えてきましたので、撮りました。

 

 10時19分、長野原草津口駅に着きました。

 

 長野原草津口駅の一番線は御覧のように行き止まりになっています。特急「草津・四万」がこの一番線に発着するそうです。ホームからは通廊を通って改札口に至り、休憩ルームの横から外に出ました。

 

 駅の玄関口の横の駅名表示です。左脇の「草津温泉」湯もみ娘のパネルが示すように、ここが有名な草津温泉への連絡口でもあり、毎時2便から3便の草津温泉行き連絡バスが発着しています。

 この日、同じ列車に乗ってきた乗客のほぼ全員が草津温泉へ向かうらしく、草津温泉行き連絡バスの待機所やバス停へと移動していました。

 

 駅から広いバスターミナルに出ました。駅の西側に場違いなほどに高い連絡橋が見えてきて、あっ、あれか、と既視感を覚えて立ち止まりました。

 

 作中のこのシーンのアングルでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く43 その12  伊香保のうどん

2024年12月20日 | ゆるキャン△

 伊香保神社への参拝を済ませて、引き返して石段街の階段を降りてゆきました。時刻はすでに13時半を過ぎており、観光客の波もピークに達しているようで、登ってきた時よりも賑わいが増していました。
 ゆるキャンの聖地スポットの一ヶ所も、御覧の有様でした。通行人が多すぎて思うように撮影も出来ませんでした。

 

 石段の湯も、出入りする人が増えていて、玄関口で並んでいる人も居ました。向かいに団子屋とアイス屋があるため、そこで買った人々が石段の湯の前で立ち止まって飲み食いしていたりで、とても聖地スポットを撮れる状態ではありませんでした。

 ゆるキャンの聖地スポットは、伊香保温泉においては人気の多い場所ばかりを選んでいることが、現地で観察していてよく分かりました。人気の無い場所、静かな路地、風情のある街並みの一角、通行人が少ないエリア、などは幾らでもあったのですが、人通りが最も多い石段街の石段沿いにのみ、聖地スポットが点在しています。原作者のあfろ氏が、人気のある場所しか行っていないからでしょう。

 この日は下見でしたので、あまり撮影はしていませんが、とてもあちこちで写真を撮れる状態ではなかったのも事実です。連休の初日だったというのもあるでしょうが、こういった観光地での聖地巡礼は、なるべく平日にやったほうが良いかもしれないな、と改めて思いました。

 

  予定では、この日のうちに伊香保温泉街のどこかで水沢うどんを食べる積りでしたが、多くの店が石段街にあって観光客であふれ、店先の待ち行列はどこも30人からの多数でした。

 水沢うどんというのは、本来は伊香保温泉街から南東へ峠を越えたところにある水沢観音こと水澤寺の門前町が本場で、老舗や人気店が多数並びます。私も高崎から伊香保ヘバスで移動中にその水澤寺の門前町を通って、沢山のうどん屋が建ち並ぶのを見ています。20店舗ぐらいは並んでいたように思います。対して伊香保温泉街のほうには3店舗ぐらいしかなく、平日でも観光客ですぐに一杯になるそうです。

 そこで、うどん屋以外で水沢うどんを提供している店へ行くことにし、その一ヶ所のお店が石段街の一番下よりも外側に位置しているのを地図で確認し、そこへ行ってみました。上図の「茶屋たまき」で、隣接する旅館「玉樹」が経営するカフェです。

 

 玄関口横のウインドーメニューです。カフェですからスィーツ系がメインで、うどんは「うどんセット」が唯一のようでした。街道筋から少し奥まった所にあるせいか、観光客もあまり来ておらず、店内は割合に空いていました。

 

 席に案内されて時計を見、13時42分とメモしました。メニューを開いて「うどんセット」が正確には「餅入りうどんセット」であるのを知り、これはいい、と即座に注文しました。

 

 数分で運ばれてきました。餅入りの水沢うどん、おこわの御握り、漬物のセットでした。

 

 うどんは太め、ダシはあっさり、餅はふっくら、大変美味しくいただきました。

 さらにコーヒーを注文し、休憩も兼ねて一時間近くまったりと過ごしていたので、石段口下のバス停から高崎駅へ行く便の時刻は過ぎ去っていました。
 それで、渋川駅へ移動することにして、精算時に店員さんに「近くに渋川駅へ行くバスのバス停はありますか」と訊ねたら「外へ出て左へ50メートルぐらい行きますと「八千代坂下」ってバス停があります」と教えて下さいました。

 

 そのバス停「八千代坂下」へ行きました。

 

 時計を見ると14時29分、次に来るバスは14時32分発でした。実際には15分ほど遅れてきました。観光地の常で道が渋滞だったからでした。

 

 渋川駅には15時23分に着きました。駅前のバス停にて降りた直後に撮った、関越交通のバスです。

 

 バス停から渋川駅駅舎まではちょっと距離がありました。

 

 渋川駅の駅舎です。まだ真新しい感じの建物でした。近年にリニューアルされたのでしょうか。

 

 渋川駅の駅名標です。高崎駅と同じデザインですね。15時31分発の普通列車に乗りました。

 

 高崎駅には15時43分に着きました。あとは宿に入るだけなので、駅ビル内のくまざわ書店で本を買い、それから外に出て上図の写真を撮り、続いてイオンスタイル高崎駅前店へ行って夜のおやつや甘酒、ナッツ類、明日の行程にて必要なものを買い回りました。

 その後、近くの中華料理店に寄って早めの夕食をとり、宿の東横イン高崎2には17時48分にチェックインしました。部屋に入ってすぐに嫁さんに定期連絡を入れ、入浴後に渋川の友人に電話をして、明日の行程に関して相談や確認をしました。それをもとにして明日の行動計画を再チェックし、21時17分、早めに就寝しました。

 以上、ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼2日目のレポートを、榛名公園・伊香保温泉下見編として括ります。次回からは項を改めて、今回の聖地巡礼のメインであった3日目の野反湖行きの顛末を綴ります。  (了)

 

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