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紫野大徳寺16 方丈修理現場公開 その二

2023年03月17日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 大徳寺方丈の解体修理は、建物全体が経年劣化により傾いて、正面の柱が大きく傾斜していたのを修復する目的で実施されました。そのために屋根を中心に上部の部材を解体して、建て起こしを行なったのが修理作業の流れです。

 今回の特別公開は、その解体作業が予定通りの全ての部材を解いた段階での状態を公開するものでありました。つまり上図の状態が解体作業の完了した姿であり、これ以上の解体は行わないわけです。その意味では基礎まで完全にバラしてゆく全面的な解体ではなく、部分的な解体修理であると言えます。

 

 解体作業が完了した大屋根を見るホシノ。専門的視点から各所の要部を一つ一つ観察していました。(嫁さん撮影)

 

 この時は何を見上げていたんでしょうか。覆屋の天井の鉄骨から吊るされていた支持縄とクレーン状の装置であったかと思います。(嫁さん撮影)

 

 この時見ていた範囲がこんな感じでした。上図中央の覆屋天井のグレー色の鉄骨が、単なる構造材ではなくてクレーンの移動レールのように思えたのでした。鉄骨の最奥に黄色のホイストのような装置が見えたからでした。

 

 正面の軒を支える大きな桁材は、四本のうち一本が展示用に外されて、見学路側に寄せてありました。

 

 正面の桁木が繋がる部分のホゾ穴の状態もよく見えました。大屋根の軒の重量を支えるために、桁そのものは大きな材を用いて接合もシンプルな組み合わせにしてあるのが理解出来ました。

 

 屋根の東南隅の状況です。屋根は地垂木(じたるき)までが解体され、軒は完全に解体されて軒桁のみになっていました。

 

 桁の隅部を見たところ、傾斜も歪みも見られませんでした。傾きの是正のための建て起こしが終わっていたようです。

 

 軒桁の部材を原木からどのように切り出したかの説明と図版のパネルです。木の芯は外す、という基本原則がきちんと守られていることが分かります。同時に、原木の大きさもよく理解出来ます。原木の各位置を様々な部材に利用し、残った芯も垂木(たるき)などに活用しています。
 嫁さんは示される情報の全てにただただ感心していました。何を見ても、スゴイ、ステキ、の二つの言葉だけしか発しませんでした。

 

 屋根の東側の妻部です。この範囲は端部の桧皮が残されていましたので、解体重視の範囲では無かったようです。

 

 この桔木(はねぎ)の辺りの場所から、江戸時代の寛永期頃のものと見られるノミが見つかって、ニュースとなっていました。置き忘れたのか、飛檐垂木(ひえんだるき)と化粧裏板(けしょううらいた)との間に挟まれて残っていたそうです。

 

 東側の軒部は桔木(はねぎ)までの解体で完了したようです。建物の傾きは南側で大きかったそうなので、両側の東西面ではそこまでのズレに至っていなかったようです。

 

 軒先の桧皮の打ち付け状況です。鋏板で押さえて重ねてゆく様子がよく分かります。嫁さんは「なるほどー、こうやって丁寧に重ねるのですねー」と小声で感心し、スマホで何枚も撮っていました。

 

 桔木(はねぎ)の端部のホゾ穴は、それぞれに独特の形状でかたどられてありました。釘を使わずに部材を接合し、かつ容易に外れないようにし、さらに地震の揺れをある程度吸収するための工夫の一つで、これの工作技術は古代から近世に至るまでずっと、宮大工の重要な秘伝とされていました。

 ですが、現在では文化財保存の見地からこうした秘伝的な技術や工法はなるべく公開して記録資料化し、かつ後継者に伝え習得させる形で作業が進められていると聞きます。今回の方丈に限らず、日本の古社寺の主要建築は、平均して80年から120年ぐらいのスパンで修理を行う必要がありますから、こうした伝統的な建築技術の保存継承も喫緊の課題となっています。  (続く)

 


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